2017年5月31日水曜日

立岩真也「自閉症連続体の時代」を一人でじわじわ読んでみる



ひさしぶりに、紙の本を読んでいます。

目が弱くて、バックライトのない状態で活字をたくさん読むことが、とてもつらくなっているのですが、どうしても読みたい本が紙仕様のものだけで、電子化されていないときは、紙を読むしかありません。

昔のように一気に読了することはできませんが、スルメを噛むように、徐々に進んでいこうと思います。


読んでいるのは、この本。

立岩真也「自閉症連続体の時代」みすず書房

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かなり難解な文章を書く方だというネットの評判を見ていましたし、別の本から引用された文章を少しだけ読んで、

「なんじゃこりゃあああ」

的に声に出さずに叫んでいたりしましたので(つまりチャットの文字列で叫んだ)、かなり覚悟して読み始めましたが、自分が深く関わるフィールドの話だからでしょうか、するする頭に入ります。いまのところ、少なくとも、序章は。

その序章から、少し引用させていただきます。


そして、基本的には、病気・障害があることを証さずに(そのことで争わなくて)すむような状態、たんにできないことを不得手なことは(あまり)しないですむような状態がより望ましいことを言う。 
非現実的だとすぐに言われるにきまっているのだが、そんなことはないと述べる。その「実現可能性」は、実は発達障害・アスペルガー症候群・高機能自閉症・自閉症スペクトラム……がこの数十年かけて社会の中に浮き出てきたこと自体が示している。つまり、この社会は、対人関係などに気をつかわなければならない仕事、あえていえば「余計」な仕事しか残っていない社会になったから、その「障害」は目立つものになった。別言すれば、それだけ普通の「もの」の生産は、今いる人間のその一部で十分に足りてしまっているということである。だから(ある種)の人間が苦手な人たちは十分に引きこもっていることができるのである。 
(「自閉症連続体の時代」p8~p9)



作者は、自閉症スペクトラムの当事者でも、家族でもない様子です。

障害に対して、ある程度の距離を持った立場の方が、ここのところの社会の流れのなかで、「発達障害」「自閉症スペクトラム」などと呼ばれるものについて、社会のなかで何が起こって、どのように受け止められるべきでうるかということを、丁寧に追って、考えて、言葉にしてくれる本であるのかな、と想像します。

んで、なんか、この序文を読んでいたら、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出しました。



南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

青空文庫 宮澤賢治「雨ニモマケズ」より
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html


文体が似ている部分があるとすれば、本書の内容を説明するのに、「~を言う」「~と述べる」という文末表現で列記していくところが、賢治の「トイヒ」の繰り返しに重なるけれども、そういうことだけではなくて、その状況にある当事者の生活の場に分け入って、状況をつぶさに見て考えた上で、何かを「言う」、そしてそれを実践に繋げていくという、この方の著述のありかたが、なんとなく宮澤賢治的に思えたからかもしれません。


上に引用した部分に書かれていることを私なりに受け止めるとすれば、いまの社会は、「自閉症スペクトル」や「発達障害」のために社会参加が難しく、引きこもった状態の人たちがいても、生活に必要な「もの」の生産に必要な人手を事欠くことはない、ということになるでしょうか。

実際、あだきち君は就業できませんでしたけれども、障害年金や福祉サービスによって、少なくとも親が元気でいる間は、この社会の中で比較的すこやかに暮らしていくことは可能だろうと思います。

ただし、親がいなくなってから、いまの生活のクオリティを維持できるかどうかは、全く分かりません。重度知的障害の人を終身住まわせてくれる施設など、あだきち君の生活の世話をしてくれるサービスがどうなっているか、いまの段階では、想像がつかないからです。福祉の分野での人手不足の話や、新たな施設を作ることの難しさなどを耳にするにつけ、この先どうなるのかという不安はつのるばかりです。

そして、現状では、作者が言う「病気・障害があることを証さずに(そのことで争わなくて)すむような状態、たんにできないことを不得手なことは(あまり)しないですむような状態がより望ましい」という考え方に、反対する人たちが、少なからずいることも、知っています。

相模原の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きてしまった、凄惨な大量殺人事件の犯人は、障害者は税金の無駄であるという趣旨の発言をしているそうで、犯人に共感する人たちが、同様の意見を表明するのを、ネットでずいぶんかけました。

   ※ ウィキペディア「相模原障害者施設殺傷事件」の記事
   ※ 相模原市の殺傷事件 容疑者の男を「ヒーロー視」する声も

まだ本を読み始めたばかりで、作者の意見がどういうふうに実践に向かっていくのかは分かりませんが、「税金の無駄」といった価値観で、障害のある人の存在を否定するような言論が、人を差別なく生かす方向にシフトしていくものであればいいなあと願いつつ、先を読んでみることにします。