2017年5月19日金曜日

一ヶ月遅れで奥山佳恵さんの記事を読んだ…就学の悩み



我が家は朝日新聞を取っているのですが、目が疲れるせいもあって、記事を読み切れないまま古新聞にしてしまうことが多くなってしまいました。

障害や病気など、気になる記事がたくさんあるはずなのですが、大半見逃してしまい、だいぶ後になってから、ネットで記事を見つけて読むことが多いです。そのほうが、活字を大きくして読めますし、簡単にメモをとっておくこともできるので、だいぶ快適ではあります。


今日は、女優の奥山佳恵さんが、障害を持つ息子さんの進路に悩んでおられるという記事を見つけて読みました。新聞に掲載されたのは先月の末ですが、読んだ記憶がないので、見落としたのだと思います。

少し、引用します。


ダウン症の息子、進路どうすれば 奥山佳恵さん悩む選択
(2017年4月29日) 朝日新聞



 美良生(みらい)を育てながら、理想と現実を感じています。「障害者と健常者、共に生きていこう」「だれもが過ごしやすい世の中に」と語られる一方、現実は6歳で分けられる。小学校の通常の学級、特別支援学級、特別支援学校のどれかに選別されるところから教育って始まる。「まぜこぜ」の社会をめざすのに、なぜ初めからまぜこぜじゃないんだろう。すごく不思議です。
  みんな得意、不得意があって凸凹なのが社会でしょう。じっとしていられない子、勉強ができる子、いろいろいて、支援が必要な子の数だけ先生が増える。子どもも、それぞれが自分にできることを考え、フォローするところはフォローしてクラスができあがっていく。それが私の理想です。
 障害児を分ける必要なんてない、どんな子も同じ教室で受け入れたい、という校長先生お二人に縁あって出会いました。ただ、現状はその先生方が講演会を開いているくらい、分け隔てのない教育の間口はまだせまい。始まったばかりなんだなと感じます。




障害を持った子が、普通学級の子どもたちと長い時間を過ごす、インクルージョン教育については、メリットとデメリットがあることを、経験上、よく知っています。

まずはメリットについて。

あだきち君は、自宅から徒歩三分のところにある、地元小学校の特別支援学級に在籍しましたが、普通学級の子どもたちとの交流機会の多い学校だったため、同学年や上級生たちに、知り合いがたくさんいました。

低学年のころは、一緒に街を歩いていると、

「あだきち君だ! どこ行くの?」

と、やさしく声をかけてくれる子どもたちが、何人もいました。

あだきち君の図工の作品が、地域の小中学校の作品展に出品されたのを見に行ったときにも、

「あ、これ、あだきち君の描いた絵だよ! 俺、いつも一緒に掃除してるんだ!」

と、自分の家族に教えている子を見かけたこともありました。

もちろん、いいことばかりではなくて、登校中のあだきち君にボールをわざとぶつけてきたり、支援学級の悪口を大声で言うような子どもたちも、時々いました。

ただ、そういうネガティブな言動は、だいたいは単発で終わっていたようで、私の見る限りでは、いつまでも続くということはありませんでした。先生がたが、きっちり対応していたためだと思います。

インクルージョン教育がうまくいけば、多くの子どもたちにとって望ましい、支え合って生きる力の土台になるだろうことは、間違いないと思います。

けれども、普通学級の子どもたちと、特別な支援を必要とする子どもたちは、抱えている課題の内容が、とてつもなく違っていることも、また事実です。担任の先生がいっぱいいっぱいになってしまえば、どの子にとっても、大きなデメリットが生じかねません。

実際、我が家も、三人の子どもたちが、完全なインクルージョン状態にあるわけですが、いまになって考えてみると、実に危なっかしい、綱渡りな状態でやってきていました。

だって、持ってる能力も問題も、三人とも、まるっきり方向性が違うんですから。
あちらを見れば、こちらを見逃し、あちらがこじれれば、こちらも破れ……その繰り返しです。(´・ω・`)


上の記事の、奥山佳恵さんの考え方に対して、障害児の親の側からも、批判的な意見が結構出ているようですが、全国的に、メリットよりもデメリットのほうを強く感じやすい状況が多いからであるのかもしれません。


あだきち君の話に戻りますが、地元の小学校の特別支援学級で六年間過ごしたあと、特別支援学校の中学部に進学しました。

小学校での体験は、あだきち君にとって、大きな財産になったことは、間違いありません。健常な子どもたちと一緒に、さまざまな行事をこなし、交流をすることで、いろんな面で骨太な人になれたと思います。

けれども、そこから先は、大人になって社会参加するときのことを考えて、より障害のタイプに合った機会を多く受けられる場のほうがいいだろうと考えました。あだきち君にとっては、この選択は、結果的にアタリだったと思います。

あだきち君は学校を卒業してしまいましたが、先はまだまだ長いですし、親はいつもアタリの道を選べるわけではありません。そして、結果的に、何が幸いするものかも、ほんとうに分かりません。世の中も、あだきち君も、日々移り変わっていきますから、いま分かる範囲、出来る範囲で、最善を尽くすのみです。(親もだいぶヨレヨレですので、打つ手が次善以下になることも増えてきましたが…)

奥山佳恵さんのお子さんを含め、これから学校生活に入っていくお子さんたちが、少しでもよい環境にめぐまれて、元気に育っていかれますようにと、願うばかりです。


なんだか半端な日記になりましたが、もう睡魔が極限状況なので、本日はここまで。