2017年9月18日月曜日

読書(少し読んだ)メモ・有間しのぶ「その女、ジルバ」



有間しのぶ「その女、ジルバ」


Twitterかどこかで目に入った、電子本サイトの広告が気になって、お試し版を読んでみたら、そのまま一気に引き込まれて、既刊分をKindleでダウンロードして、読了。


なんか、このパターン多いです。
いいのか悪いのか…
まあ、いい作品に出会うこともあるから、いいことにしておきますか。

(ネット広告のカモと言われても仕方が無いorz)


 



(あ、でも電子本マンガの広告って、たいてい、グロいですよね。残虐だったり悲惨だったり悪趣味だったり。ああいうのは絶対さわりません。夜眠れなくなってしまう…)


働くこと・老い・震災・戦争



さて、「その女、ジルバ」は、いま、第一巻が、Kindle版で期間限定無料になっいます。
試し読みの方は、お急ぎください(2017年9月29日までとのこと)


ざっと内容の説明を試みますが、いま、脳の体力がほんとにないので、浅~い説明になりそうです。(T_T)


四十歳になった独身女性、笛吹 新(うすい・あらた)は、加齢を理由に職場を配置替えされ、スーパーの倉庫で荷物運びをしています。

誰にでも出来る単純作業で、一生懸命働いても、体を壊したらリストラ対象にされるだけ。なんの希望もありません。不況の世の中では、収入があるだけ幸運というべきかもしれないですが、老後の蓄えを作るには足りず、不安ばかりが膨らんでいきます。


転職をするあてもなく、恋愛からも遠ざかり、上司からは侮蔑的に「おばさん」呼ばわりされる日々のなかで、新(あらた)は、生きがいを見失ってしまいます。


そんなときに、新(あらた)は、四十歳以上のホステスを募集する奇妙なBARを見つけます。

自分を変えたい一心で、そのBARに飛び込むのですが、あろうことか、マスターに若すぎると言われて、敬遠されてしまいます。

けれども、新(あらた)の気立ての良さを「心眼」で見抜いた、老ママの推薦で、当面は週末だけの見習いとして、シフトに入ることになります。

やがて、老ホステスたちやマスター、そして亡くなった初代ママである、ジルバという女性の、とてつもなく数奇な運命の物語に触れるうちに、新(あらた)は変わっていきます。


ジルバは、ブラジル移民として時代に翻弄され、身内に裏切られ、最愛の夫や子どもたちを皆失って、それでもなお、大切な仲間たちを支えて、誰よりも笑いながら生きていった女性でした。


四十歳なんて、まだまだ伸び盛り。
生き方なんて、変えようと思えば、いつからでも、どうにでも、変えられる。


心にそう刻み込んだ新(あらた)は、職場の倉庫で背中を丸めて自信も輝きも失っていた頃とは見違えるように、魅力的な女性になっていきます。


一周回って重なってくる、昭和と平成


・・・という説明だけだと、一人の女性の成長物語という印象になってしまいますが、本当にここに書きたいのは、本当はそういうことではなかったりします。


「その女、ジルバ」は、見通しの持ちにくい閉塞感に包まれた今の日本と、人の命や尊厳が紙くずのように扱われていた戦中・戦後の日本とが、不気味なほど重なって見えてくる作品です。



かつて、終戦直後に情報から隔絶されていた日系ブラジル人社会で、日本の敗戦を信じようとしない「勝ち組」と、敗戦を冷静に受け止めようとした「負け組」とが抗争し、情報格差を利用した詐欺事件が横行したり、テロによる死者まで出たといいます。


いまの日本は先進国と呼ばれて久しく、情報化社会でもあると言われているにも変わらず、とてもそうとは思えないような言論の対立や事件が、結構な頻度で起きていなくもないような……



はい、体力切れ。orz

現在、四巻まで電子化されています。
続刊が楽しみな作品です。



更年期+うつ病クエスト


ちょっと小康状態





■神経があるから痛いのよね…



無料の写真サイト pixabayで、「痛み」というキーワードで検索をかけてみたら、上の写真が出てきました。

針金で作った、人のアタマ。

なぜこれが「痛み」なのかは、分かりません。

でも、むき出しになっている針金が、このヒトの痛みを感じる神経系をも兼ねているのだとしたら…と考えてみたら、とたんに痛そうに思えてきました。


( _ _ ).。o○


■天候と体調



この金、土、日と、ほげ子さんの学校行事手伝いで出かけていました。

心配されていた大型台風18号の影響もなく、無事に行事は終わったのですが・・・

三日連続で長時間外出、しかも立ったり座ったりを頻繁にする作業があって、膝は瀕死、その他の全身の関節もかなり痛いという有様。手足が猛烈にむくんでいます。

簡単にまとめると、ヨレヨレです。(T_T)


でも、自律神経系の問題が、不思議と改善されています。

睡眠時間もしっかりとれています。(6~7時間以上)


なによりもうれしかったのは、三日間の外出中、一度も腹痛が起きなかったことです。かなり憂慮してましたから。


もしかしたら、無理してでも体を動かして外出したほうが、いいのかなとも思いますが、それで余計にダメになることもあるので、なんとも言えないところです。


無理せずに、徐々に運動量を増やす感じで行ってみます。







2017年9月14日木曜日

どうしたら平和になるのか、知ってる人はいるのだろうかと


pixabayで「平和」で検索したら、この猫さんが出てきました




朝、絵画教室の駐車場に車を止めたら、ぐらぐら揺れました。地震です。


教室が終わって車に乗り込み、運転をはじめる前にiPhoneを開いて眺めていたら、死者を出したO15感染についての続報や、「日本列島を核で海に沈めるべき」という北朝鮮の声明などが、目に飛び込んできました。


別に今日に限ったことではありませんが、おだやかな、心温まるような話は、なかなか見当たりません。

(´・ω・`)



学校で、世界の歴史を習いながら感じたことは、戦争や革命、テロなど、人為的に多くの人の命が失われるような事態が起きるときには、そういう事態を招き寄せてしまうような、構造的なゆがみや歪みが、社会全体のなかにあるということです。

そういうふうには、学校の先生は教えなかったような気がしますが(授業をまじめに聞いていませんでした(^_^;)、事実の並び具合を普通に見ていれば、誰しも自然と感じることだろうと思います。


差別や貧困は、苦しんでいる当事者が、社会のなかでマイノリティだったり、物理的・精神的に遠距離であるうちは、容易に無視されますが、そうでなくなった途端、よくも悪くも、社会を変えようとする大きな力が生み出されてしまうものではないかと思います。


誰だって、貧しい暮らしに追いやられたり、侮辱されたりしながら、苦しみつづけるのも、殺されるのも、嫌ですから。


国というくくりは、ほんとうに面倒な、難しいものだなと思います。

国民の多くが、自分が不幸なのは「国」のせいだと思えば、力はいずれ「国」そのものをどうにかする方向に向かうでしょうが、「国」の側が先手を打って、「うちが不幸なのは外国のせいだ」という方向に、国民をぎゅっとひとくくりに締め上げれば、国が内側から壊れてしまうことは、防げるかもしれません。


そのせいで、日本の上空を、気持ちのよくないミサイルなどが通過していっているのかな…というのは、ものすごく短絡的な考え方かもしれません。そんな「国」が、内側をぎゅうぎゅう縛って外側にミサイルを飛ばすようになってしまったことにも、やはりその「国」だけの問題では片付かない原因があったわけでしょうし、その原因となった事態も、さらにさかのぼったところに、よんどころない歪みがあったから引き起こされたのでしょうし……


歴史の流れのなかでは、一つを間違うと、いつまでも、どこまでも負の因果が続くのだとすれば、これほど救い用のないことはありません。



なんとかならないものですかね。



ヨハン・ガルトゥングという、社会学者でも数学者でもあるノルウェーの人が、私がつたない頭で考えた、社会の歪みのことを、「構造的暴力」という言葉で説明して、そのような暴力のない状況を「積極的平和」とする、と言っているそうです。


著書がいくつも翻訳されているようなので、そのうち、読んでみようと思います。

平和を作り出す方法が書いてあるかもしれませんから。










2017年9月13日水曜日

読書(できてない)メモ 益田ミリ「今日の人生」

紙の本は極力買わないようにしているのですが、
(少し早めの終活の一環として)


益田ミリ氏の「今日の人生」は、電子本が出ていないようなので、誘惑に負けそうになっていて、つらいです。(´・ω・`)






ネット上で、少し見られるようなので、指をくわえつつ、そちらを眺めています。

みんなのミシマガジン「第1〜47回 今日の人生」
http://www.mishimaga.com/kyonojinsei/047.html




自分の"今日の人生"は、どんなだっけ。

言葉にするのが難しいので、ラクガキで。





違和感の赤い四角形。

どこに行くでもなく、何かするでもなく。

深呼吸を忘れる日々。













2017年9月12日火曜日

漫画メモ 「ボールルームへようこそ」



「ボールルームへようこそ」という漫画に、ハマりつつあります。

Amazonで見る


やりたいことも、取り柄も自信も、主張したい自己もない平凡な少年(中三)が、路上でカツアゲされている最中に、なぜかダンスと出会ってしまい、周囲を巻き込みながら、踊る自分を突き詰めていく…そんなお話です。

埋もれていた天才性が見いだされて、目を見張るほどの成長を遂げていくという物語が「楽しい」のは、なぜなのか。

自分はそんな天才性とは無縁だと思っていても、何かがグロテスクなほど勢いよく育っていく様子(物語)を見ることで、不思議なエネルギーを充填されるような気がしてくるのが不思議です。

私の他にも、そんなふうに感じる読者が多いからこそ、こうした物語が人気になるのかもしれません。

でも、このエネルギーって、何なんでしょうね。






( _ _ ).。o○




春先に心身の体調を崩してから、ずっと中断してたのですが、そろそろまた自分の状態を直視する勇気が溜まってきたので、諸々の健康管理週間を少しづつ再開することにしました。


んで、昨日から、体重の記録をつけ始めました。


記録をつけるのをやめた時点から、六キロほど増えてしまっていました。

まずはこの増えた分を、ゆっくり落とそうと思います。


不思議なんですけど、記録とっているだけでも、結構体重が落ちることがあります。
自分の体に、きちんと意識を向けるからかもしれません。

ダンスはとても踊れそうにありませんが(歩くのも痛いありさま…orz)、健康管理、がんばります。



2017年9月11日月曜日

短歌の日記 2017年9月11日






Twitterに流しているものを、記録しておきます。

いわゆる備忘録。

昨今の健忘っぷりを思うと、気づかずに全く同じ歌を詠む可能性が、なくもないので。(´・ω・`)




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肝臓をお皿にのせてGOT GPTらの数値を語る


人の血を嫌うマダニと人の死を厭うヒアリの異種恋慕譚


ながつきのあかいゆうひにうらぶれた脳をかざして薔薇色にする


うつせみの人のたましい膨らまし夜空にあげてて堕ちるのを見る


錆びかけてネジも足りない人だけど  たましいだけはぬるぬるしてた


あれはきっと太陽みたいなものでしょう毒の光を出したとしても


中指が人差し指に追われてる小指は何処にも行けないでいる


不安とか持ちきれなくて柔らかな土偶みたいにずぶずぶ沈む











うつ病クエスト…いまさらながらマインドフルネス


鬱で受診した初日に、精神科の主治医さんが、私に言いました。


「どんな抗鬱剤よりも、ちゃんと寝ることのほうが、効果が高いんですよ」


というわけで、とにかく最優先で睡眠を整えることにしました。

病院で処方されている抗鬱剤(レメロン錠…ミルタザピン)と、睡眠薬(ゾルピデム錠)は、「ねる前」に飲むようにとの指示ですので、夜の九時半と時間を決めて、そのあたりに飲むようにしています。


九時半に飲むと、だいたい十時過ぎから十一時前には、眠りにつくようです。


この週間が始まって以降、平均睡眠時間が、一日六時間になりました。
それ以前は、五時間前後でしたので、だいたい一時間、眠る時間が延びたことになります。


という話を、すでにもう日記に書いたような気もするのですが、読み返すのもめんどくさいので、書いときます(^_^;)。


睡眠時間が増えたせいなのか、抑うつの症状は、少しづつ軽くなっているように感じます。


今残っている、主な症状をメモしておきます。


・外出中に強い腹痛に襲われること。

・食欲があまりないこと。

・指などの関節の強い痛み。

・読み書きがとても億劫であること(とくに長い文章を書くことが、しんどい)


これだけでも、かなりつらいので、もうちょっと良くならないかなーと思って、マインドフルネスというのを実践してみようと思い立ちました。


といっても、どうやるのかよく分からなかったので、参考書を入手。


ビギナーのためのマインドフルネス瞑想
マガジンハウス





Amazon の読み放題で、PC版のKindleにDLして、必要なところをイッキ読み。


んーと…


今、自分に起きていることを、ありのままに認識する。

でもって、座って、ほぐして、ゆっくり腹式呼吸。


これだけやれば、とりあえずおっけーみたいなので、やってみました。


腹式呼吸は、おなかの筋肉をつかって、十五秒くらいかけて、息を限界まで吐ききってから、鼻からゆっくり息を吸い込むとのこと。



なかなかの大仕事です。

じわっと、汗出ます。


すぐに気が散って、腹式するのを忘れてしまうので、iTunesで、瞑想っぽいサウンドをかけながら、やってみました。


気が散っても、音楽に気がつくと、「あ、腹式腹式」と思い出すことができます。


問題なのは、「今、自分に起きていることを、ありのままに認識する」ことなのですが…


いやー

脳内外に、雑音が多すぎて、こりゃストレスフルにもなるわと、改めて実感しました。(´・ω・`)


ひたすら脳内フラッシュされる、心配事の数々。

身体のあちらこちらの痛みと、だるさ。冷え。

これまでの人生における不愉快な記憶が、ランダムかつフラッシュモブ的に随時再現されてしまう不具合。


こういう、「脳内に起きていること」を、ことさらに認識しようとすると、余計に具合悪くなりそうですので、そうではなくて、体の外で起きていることに意識を向けてみました。


iTunesでDLした、いかにも瞑想っぽい(と欧米人が感じるような)曲。

床につけている、足の裏の感覚。

腹式呼吸のおかげで、じんわりと、汗ばんだ全身。

机の上にある、ハロウィーンの、かわいい置物。




百円ショップで入手したもの。
いとしいです。



腹式呼吸は、三十分続けると、セロトニン濃度が上昇すると、上の本に書いてありますが、さすがにそこまで続けるのは゜むずかしそうです。


なので、何かやりながらでも、できるだけ腹式で息をすることを心がけて、様子を見ようと思います。









2017年9月10日日曜日

知的障害者「愛護」デー??

pixabayで「愛護」で検索して出てきた画像…





Twitterで流れてきて知ったのですが、今日(9月10日)は、


知的障害者愛護デー


という日なんだそうです。


この文字列を見たとたん、なんともいえない違和感を覚えたので、いったいどういう経緯で制定された「デー」であるのかを、ネット検索で調べてみました。


すると、あちこちに、この「デー」に関する説明がありました。


【牛タンの日】9月10日は何の日?【まとめカレンダー】
https://matome.naver.jp/odai/2140741366192022301/2140741753595860003


・知的障害者愛護デー
日本精神薄弱者福祉連盟(現在の日本知的障害福祉連盟)が1964年に「精神薄弱者愛護デー」として制定。



へー……。


というわけで、「日本知的障害福祉連盟」のホームページに飛んでみたのですが…

http://www.aigo.or.jp/

こちらを「サイト内検索」してみても、「知的障害者愛護デー」に関する記事は、存在していないようでした。


また、あちこち眺めてみても、この「デー」にちなんだイベントや活動なども、見当たらない様子です。


どうやら、この「デー」は、有名無実化しちゃった可能性が高そうです。



それにしても、人間に対して「愛護」するという表現を使うことに対して、ぬぐい去れない違和感を感じます。

それは、広く知られている「動物愛護(週間)」という言葉の影響もあるのかもしれません。


「動物愛護」であれば、うるわしい慈愛に満ちた、人としての適切な行動を連想できるのに、

「知的障害者愛護」

と言われると、なんだかうっすらと、人権無視した親切の押しつけ的な気配を感じてしまうのは、どうしてなのか。

自分が、重い知的障害を持つあだきち君の母親だから、ことさらにそういう感じを持つということも、もちろんあるのかもしれません。

でも、記念日を制定して、「その日(だけ)は知的障害者をしっかり愛護しましょう」という取り組みを行うことは、これからの知的障害者福祉の向かう方向とは、相容れないものであるように思うのです。


この「デー」が制定されたのは、1964年。

まだ「精神薄弱者」という言葉が現役だった時代です。



有名無実化しちゃっているものであるなら、いっそのこと、取り消しちゃえばいいのにと思うのですが。


こういうのって、どうやって取り消すんでしょうね。(´・ω・`)





2017年9月9日土曜日

読書というより抜き書き日記「生の技法」


pixabayで「人口」と検索したらなぜか出てきたお写真…借ります。




ほんとうに、すこーしづつ、読み進めています。


安積純子 立岩真也 岡原正幸  尾中文哉  著
生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学
(生活書院)



Amazonで見る




そのまま引用すると、ディスプレイではとても読みにくいので、適当に改行を入れます。

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まとめよう。

世間の人々が代表する文化は、たくみに、自立生活に関わる人々を排除する。

公共の場で生きる障害者には、好奇心からする凝視、邪魔者扱い、憐れみ、一方的な激励など。

介助者には、称賛、激励、もの好きだなという侮蔑、そして禁止。

こうして「健常者文化」に組み込まれない人々は、プラスとマイナスの両方向に排除されていくのである。この圧倒的な力に、個人的に対処していくのは、骨の折れる仕事だ。


そこで必要となるのは多分、集合的な運動によって、わたしたちの身体の奥深くに根ざした価値・規範あるいは日常的な解釈枠組を崩していく試みであろう。


(「生の技法」 第5章 コンフリクトへの自由 介助関係の模索 文庫版 p215)

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こうした「排除」を、あだきち君の親である私も、当然受け続けてきています。

「(障害児の)お母さんたちは、偉いねえ。ボクにはとうてい出来ませんよ」

と、私に向かって言った人物は、障害児施設の管理職という立場の人でした。
(あいた口がふさがらなかったのは、言うまでもありません)


けれども、そういう「健常者文化」のなかでは、実のところ、健常者たちも健常を維持することが難しいという状況があります。

だって、病人だらけじゃないですか。(´・ω・`)

多すぎる精神疾患、成人病。


鬱のために私が通っている精神科は、待合室が患者さんと付き添いの人々で、いつもたいていキツキツぎゅうぎゅうです。

認知症の専門病院でもあるために、お年寄りの患者さんがとても多いのです。
介助している方々も、ほとんどは、若いとは言えない年齢であるように見受けます。

厚生労働省の試算(2015年1月)によれば、日本の認知症患者数は2012年時点で


約462万人

びっくりするような数字です。

65歳以上の高齢者の約7人に1人だとのこと。

認知症フォーラム より
https://www.ninchisho-forum.com/knowledge/kurashi/003.html


これは、あだきち君のような、知的障害児・者の総数より、はるかに多い人数です。


ちなみに、内閣府のホームページのデータによると、日本の知的障害児・者の総数は、


54万7千人


とのこと。

内閣府 第1編 障害者の状況等(基礎的調査等より…)
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/gaiyou/h1_01.html



単純に、認知症の人数と(身体・知的・精神)障害児・者の人数を合計すると、軽く1000万人を超えるように思うのですが……



認知症患者や障害児・者が、それだけの人数がいるということは、関わっている家族、介助者、学校や施設の人々の人数は、さらに多くなるはずです。


それは、日本の人口の、相当な割合を占める人数になると考えるのが、自然な気がします。


どれだけ障害者を精神的に排除しようとしても、気がつけば自分が排除される側に置かれているということが、そのうちに、いたるところで起きるようになるのではないでしょうか。


「大変ですねえ(他人事)」
「頑張ってくださいね(無関係)」
「分相応に引っ込んでいろ(排除)」


と言える立場の人が、いずれマイノリティになる日は、遠くないかもしれません。



そのときに、人々はどのように振るまうようになっていくのか。


考えるべき問題だと思います。それも早急に。







ひどいシブァ神(ラクガキ)→バザーに出す就労継続支援施設の品→短歌


何も見ずに描いたシヴァ神らしきなにか



もうすぐ、ほげ子さんの学校の学園祭があります。

そのバザーに出す品物を、さきほど宅配に出してきました。

バザーへの献品は三種類以上、全家庭のノルマとなっていて、未使用・新品に限るとのこと。


自宅には適当な品物がなく、いまは買い物にでる体力もないので、売れそうな品物をネットで探して、取り寄せました。


三つの品物のうち、一つは、障害者の方が制作販売しているアクセサリーにしました。


もっと前から分かっていたら、障害者の就労継続支援の施設で制作された製品を発注したり、ショップに買いに行ったりして、たくさん出せたのに……と、ちょっと残念です。来年は早めに準備しようと思います。




( _ _ ).。o○


長い文章が書けないので、短歌を作るようになりました。

ちょこちょことツイートしているので、どうせだから、どこかに応募してみたら、脳の景気づけになるかしらかしらと思いついて、「短歌研究」という、短歌の雑誌を取り寄せてみたのですが…







今月号は、公募がないようでした。(´・ω・`)


まあ、のんびりいきます。


長い読書はできせんが、対談集のようなものは、比較的読みやすいので、そういうのを選んで読んでいます。

このムックに掲載されている、穂村弘氏と俵万智氏の対談を読みました。

俵万智:史上最強の三十一文字(KAWADE夢ムック 文藝別冊)




知らなかったのですが、お二人は、自分と同い年でした。

もうすこし言葉の数の多い感想は、またいずれ…。






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昨日と一昨日、ツイートした歌。


この秋はトンボが私を避けて行く「ボタンが違う」と虫語で告げて


生きるために通い続けた病院は墓場の角を東に曲がる


音沙汰のない歳月を首に巻き何かが実る果樹園に行く


自己像に三題噺を添えてみる「生まれた」「こじれた」「それがどうした」



足もとに知らない穴があいていてダメな自分の模型が落ちた


(推敲)
足もとに知らない穴があいていてダメな自分がぼろりと落ちた



秋の日は部屋に小さな穴を掘り言葉にならない種子をうずめる


体力がぷつりと切れた 怒髪天色のスカートはいて倒れる



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2017年9月8日金曜日

「生の技法」の拾い読み…


pixabayからお借りした、にゃんこ。本文とはとくに関係ない。


外出中の読書は疲れてしまうので、なるべく控えているのですが、病院の待ち時間があまりにも長いので、「生の技法」をまたちらちらと拾い読みしていました。

(前回の読書記録 → 切れ端読書日記 「生の技法」をちょっぴりだけ読んだ)

読んだところから、少し引用。



「車椅子で介助してくれてる女の子がいるんだけど、いつも駅に行くときに『上げてください』って言うわけ。『あの車椅子を上げてください』って。彼女がね、でも、私は三回ほど我慢したわけ。彼女が変わるまでっていうか、自分で気がつくまでね。だけど三回目にね、『車椅子上げてくださいじゃ、私が乗っていないみたいだって、私が上がるんだから、私の立場にたって、上がるのを手伝ってくださいとか、上がりたいんだけど手を貸してくださいとか、そういう言い方にしてくれ』って言ったらば、すごくわかる子だから、『あっ、ごめんなさい、すいませんでした』って言ったんだけど、また次のときに、『これ上げてください』ってね」


こういった、介助者による障害者の意志や思いへの侵害は、自由に身体を動かせる者が「必要と思って」行う、無自覚的な性質を帯びている。この意味で、障害者の主体性に反する侵犯行為は、個々の介助者に起因するというよりも、より構造的な仕組、たとえば、行為の効率性を自明のうちに最優先させてしまう社会構造(まさに私たちが住む世界)に起因すると考えてもいいかもしれない。だが、主目的を実現するまでのプロセスで現れる、介助者のなにげないしぐさや発話は、それが無自覚的な表出であるだけに、かえって雄弁に、当人の本来的な居場所(障害者への関わりや位置)を表現してしまうことにもなっている。


「生の技法」(文庫版) 第5章 コンフリクトへの自由  介助関係の模索 P195-196



読んでいて、もやもやと胸の奥底から湧き上がる気持ちがあります。


私は障害者ではありませんが、世間的な価値基準のなかでは、わりと「使えない人間」に分類されるタイプであることを、自覚しています。それは、子どものころからそうでした。


どんな人にとっても、自分の意志や存在を、さも当然のように無視される経験は、とても心を傷つけるものであるはずで、そうした対応を、幼少期から恒常的に受けていれば、心の育ち方に、大きな悪影響を及ぼすことは、簡単に想像できます。


上の談話の方も、きっと、底知れないほどのやり場のない痛みを心の中にため込みながら、長い時間を送ってこられたのでしょう。それは私の体験などとは比べ物にならないほど、深刻であったはずです。


けれどもおそらく、こうした感情は、「人の世話になっているのだから(自分ではできないのだから)、そのぐらいは飲み込みなさい」という、常識的な圧力によって、もみ消されていくのではないでしょうか。


私は曾野綾子氏という作家さんが昔からとても「苦手」なのですが、曾野氏の著作「人間にとって成熟とは何か」のなかには、政治家の野田聖子氏について、


「自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、か、感謝が全くない」


という、驚くべき批判が書かれているのだと、ネットニュースの記事で読みました。

AERA 衆院議員・野田聖子が語る「障害児の息子がくれたもの」
https://dot.asahi.com/aera/2016110400084.html?page=2



この曾野氏のような感覚を、おそらくは多くの日本人が共有しているはずです。国民の負担によって暮らしていくことに、「申し訳なさ」を感じるのが当然である、と。


そういう「申し訳なさ」を背負うことについて、背負っている側から、背負わせている側に異を唱えることは、とても難しいことであろうと思います。


「生の技法」が、こういう問題について、どんな考えを示しているのか・・・

タイトルの「技法」とは、どんな意味なのか。

早くもっと読みたいのですが、目が痛くてなかなか進みません。
紙の本、つらいです(T_T)。


あ、そうか。テキスト版を送ってもらえばいいんだった。
なぜそこを忘れていたのか(^_^;)。




ひさびさに更年期クエスト……肩回しと腹式呼吸とマッサージで、足のむくみを撃退

ColorMEで塗った塗り絵…




更年期の時期に入って以来、もう五年以上も手足のむくみからくる痛みで悩んでいるのですが…


昨日、たまたまテレビでみた、リンパマッサージをやってみたら、猛烈に効きました。



NHK カラダのヒミツ 美と若さの新常識
http://www.nhk.or.jp/beautyscience-blog/2017/115/279210.html


このページの下のほうに、「むくみ解消の決め手は鎖骨とスポンジ」とあります。


リンパ液の流れは、鎖骨付近にある「静脈角」という場所なのだそうで、まずそのあたりのリンパのつまりを解消するために、肩回しから入るのがポイントなのだそうです。

足のむくみをとるためにも、この肩回しは欠かせないのだとか。


肩回し、ほんの数回やっただけで、動悸がして汗が出るぐらい、キツいです。

いったいどんだけリンパが渋滞してるのかと…(^_^;)。



肩をほぐしたら、足のつけねからはじめて、足全体を、下から上へとやさしくマッサージ。

強くもんでしまうと、かえってリンパの流れが滞ってしまって効果がないそうです。


そして、もう一つ大切なのが、腹式呼吸


赤ちゃんに学ぶ リンパ呼吸

http://www.nhk.or.jp/beautyscience-blog/2017/115/279211.html



しっかりと腹式呼吸をすることで、おなかの奥の「乳び槽(にゅうびそう)」と呼ばれる部位にある、たくさんのリンパの通り道が、圧力を受けて、溜まったリンパ液を一気に押し流すのだとか。



もう、情けなくなるほど、効きました(T_T)。




肩回しと、腹式呼吸、忘れないように日常のなかに取り入れようと思います。
(と、ここに書いて、家族にも周知しておけば、きっと忘れないはず…)






2017年9月7日木曜日

トイザらスのこと

pixabayからお借りした、あひるの行列



アメリカのトイザらスが倒産しそうだというニュースが、ネットに流れていました。

米トイザらス 破産手続き申請も選択肢に
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129921000.html


ネット通販に、お客を取られてしまったとのこと。

トイザらスもネット通販に対応しているのに、それでも負けてしまったということは、大型店舗の維持が負担になったということなのかなと想像しました。

あの広いお店が、よかったのに。
いまの親御さんたちは、子供と一緒におもちゃさんには行かなくなってるのかな。

(´・ω・`)

あねぞうさんや、あだきち君が、まだ幼児だったころ、近くのトイザらスに、よく足を運びました。

とくに、あだきち君が重い発達障害だと分かってからは、少しでも興味の持てるおもちゃを見つけ出したくて、かなり血まなこになって、売り場を歩き回ったものでした。

私(おかーさん)にとっても、トイザらスのぬいぐるみ売り場は、憩いと癒やしのスポットでした。

棚いっぱいに、ぎっしり並んだぬいぐるみたちを見るだけで、うっとにと幸せな気持ちに。

その結果……

うちには、あふれんばかりの、ぬいぐるみたちが……


これもpixabayから拝借

いや、ここまでではないですが(~_~;)。


うちから一番近いトイザらスは、車で十分ほどのところにあります。
なんだかひさしぶりに、出かけてみたくなりました。


もう子供たちは、トイザらスのおもちゃをおねだりする年齢ではないですが、もしかしたら、何か掘り出し物があるかもしれません。

そういえば、なんだか、TKGの調理器が、おもちゃとして販売されるとか。

Twitterで、タカラトミーさんをフォローしていたら、関連記事がたくさんリツイートされてきました。


究極のTKG
http://www.takaratomy-arts.co.jp/specials/tkg/




なんだか楽しそうです。

主婦としては、洗浄が面倒じゃないかなとか、置き場所を取らないかなというあたりが気になりますけども…

うちの子どもたち(とくにTKGが大好きなほげ子さん)が小さいころだったら、大喜びしたと思います。


究極のTKGは、十月発売とのこと。

あだきち君の手作業や余暇によさそうなおもちゃがあるかどうかも気になるところ。
十月になったらトイザらスへGO~。












切れ端読書日記 「生の技法」をちょっぴりだけ読んだ

かわいらしい革製のしおりは
「すてあーず」という就労継続支援B型の施設で制作されたものだそうです。





数日前に届いた本。

安積純子 立岩真也 岡原正幸  尾中文哉  著

生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学

生活書院

文庫版で、あとがきも入れて、663ページあります。

読むことの苦しい読書になるだろうなというのは、分かっていて購入しました。

とくに第四章「施設の外で生きる  福祉の空間からの脱出」では、生活の場としての福祉施設の抱える、多くの闇の部分や、入所者だった方々の呪詛にも似た批判の言葉が、取材されて、書かれているはずです(こらえしょうがなく、四章を先にナナメ読みして一部確認)。


施設の問題が、虐待や差別ばかりではないということは、以前、肢体不自由の障害者による講演会に参加して、詳しいお話を聞いたことで、知っていました。



その講演者の方々は、食事や排泄を含む生活全般に介助が必要なお体の状態でしたが、養護学校卒業後に入所した生活施設を退所して、福祉サービスを利用しながら、一人暮らしをされているとのことでした。

施設の何が、具体的にどう不満であったのかは、あまり明確には言葉にはされませんでしたが、退所して「一人暮らし」をすることが大きな希望であったということを、強く語られていて、そのために、施設で生涯を送ることの苦しさが、浮き彫りにされてくるのを感じました。


施設の運営方針のもと、強く管理されること。
保護のために外界から隔離され、積極的に外の世界に関わる自由がないこと。
大人としての自然な意志を、頭から否定され、認められることが少ないということ。



そうした状況に置かれつづけることは、知的な問題を持たずに成人された方々にとっては、絶望的な苦しみであっただろうと想像されます。

施設での虐待や、不適切な対応がなかったとしても、やはり苦しい場所であったはずで、だからこそ、「一人暮らし」を実行するに至ったのでしょう。


なぜなら、「虐待」や「待遇の悪さ」がなかったとしても、「管理」や「隔離」がある限り、内部には現実の一元性・避難所の不在・アイデンティティの剥奪・服従する生活などの様々な「住みにくさ」が生じ、かつ施設外の領域にも「健常者」/「障害者」という区別が生み出されるからである。
(「生の技法」文庫版 p183)


知的な発達障害のある場合にも、同じ問題に必ず直面するのではないかと思います。

あだきち君は、重度の広汎性発達障害で、会話はほとんど困難であり、二~三歳児程度の生活スキルしかありませんけれども、自分らしく人と関わることや、新しい出会いが大好きな青年です。

将来的には、あだきち君も、生活の場としての施設に入ることになるだろうと思いますけれども、個として認められず、人と人とのつながりが薄く、管理の度合いの強いタイプの場では、おそらく気持ちが持たないだろうと思います。


健常な大人たちですら、社会のなかで疎外されて、深く病む場合も多い世の中です。

施設に暮らす障害者たちが、人として健やかに生きるための条件をすべて得られるようになるには、社会全体が、いまの状況からは想像できないほど成熟していかなくてはならないだろうと思うと、気が遠くなるような思いがします。

ネットで障害者の話がでると、生産性を持たない存在であることを批判し、おぞましい言葉で侮辱するような匿名の声が、少なからずあがってくるような現状が、いつの日か、よい方向に大きく変わることがあるのかどうか……


あると信じて、自分にできることをしていくしかありません。


あ、上の「生の技法」は、文庫版を買うと、本文のテキストデータをもらえるようになっています。巻末に引換券が印刷してあって、それを編集部に送ると、折り返し送ってもらえるようです。詳しくは本書をご確認ください。

ん?
なぜ電子版で出さないのかな……



うつ病クエスト(17) カルディ、いこうかな…


こんばんわに。何もみずに描いたシリーズ。前にも貼ったような気がするけど、まあいいや。






あんまりテレビをみないんですが、今朝はたまたま、あだきち君がワイドショー的な番組をつけているので、ずっと耳に入ってきています。


議員さんの不倫の話がいくつも。
「一線」を越えたかどうかという、記者の方々の追求と、「超えてません」の返事。
それからまた、不倫をしたらしいという議員さんの汚職の話と、辞職の話。

そのあとは、妻が怖くて自宅に帰れない夫の問題。帰宅恐怖症というそうです。

本も出てた。




書籍の説明を読んだ限りでは、主に夫の恐怖症について書かれた本のようです。
妻や子供も、同じ問題を抱えている場合がありそう。




こんなのばっかり見ていたら、さすがに心がぐったりしてきたので、あだきち君に「チャンネル変えて」とお願いしたのですが、なんだかニコニコ笑ってシカトの構え。

仕方が無いので、自力で変えました。


不倫その他のネガティブな報道を避けようとすると、あとは幼児番組か料理番組しかありません。

料理番組を見るとにしました。


おいしそうな、鶏肉料理。
カルディで売っている「フォロミール」という、ちょっと変わったドレッシングを使っています。
おいしいんだそうです。
ネットでもまとめられてました。


カルディで買える謎のドレッシング「フォロミール」が激ウマすぎる
https://matome.naver.jp/odai/2145994892219151201

【レシピ】フォロミールドレッシングの温野菜サラダ
http://kaldi-online.com/item/RECIPE_A00019.html


カルディのドレッシング、以前、おとーさんが何か買ってきて使ってたのが、美味しかったんだけど、これだったかな、違ったかな。(聞いてみたら、違うらしい)


お料理の番組、なごみます。
作って食べたくなります。



……なんだか、世間でため込んだストレスを、「食」で解消しようとする流れに、しっかり乗せられたような気がしました。(~_~;)。


そして、食べ過ぎたりして糖尿病を患ったりすると、今度はバッシングされる側になるわけですね、世の中に。



大炎上!長谷川豊「人工透析患者は死ね」と暴言
https://matome.naver.jp/odai/2147442769155632201



増幅された社会的なストレスをテレビで眺めて、ストレスをため込んで、テレビで提供される癒やしの料理番組を眺めて食欲を増進させて、つい食べ過ぎて体を壊し、今度は国の予算を食いつぶす患者として、またマスコミの肥やしになる……


そうこうするうちに、あだきち君が施設に出かける時間がきました。

おとーさんと一緒に、施設のバスが来る場所まで行きます。

あだきち君は、自分が家を出るときは、かならずテレビを消していきます。


家のなかが、静かになりました。



世界は平和になりました。(´・ω・`)



私の場合、テレビなんか見ないほうが健康的です。



( _ _ ).。o○


前置きが長くなりました。

今朝の状態。

手が痛い。マジ痛い。握れない。関節腫れてる。
iPhone持ってるのもキツい。

もうこれどうしようかと。

以前も同じ状態になって、外科でリウマチの検査をしたことがありますが、結果は「灰色」でした。

強い痛み止めをもらいつつ、ステロイドや、リウマチの治療薬を試してみましたが、リウマチのほうの薬で副作用が強く出たため中止。その後、痛みが自然と軽くなったので、外科の治療はやめました。


いま外科にいっても、また原因がはっきりしないまま、痛み止めだけの対処療法になりそう。


しばらくは手の安静第一で、様子を見ようと思います。あいたたた。


キーボードは打てるけど、ボールペンで、あだきち君の連絡帳を書くなんていう作業は拷問に近いので、おとーさんに頼んでやってもらいました。



2017年9月6日水曜日

よるの日記…芸術と表現の自由の問題というにはアレすぎる話。

前の日記に貼った、ムンクのシリコン型の画像が、ツイッターで、なぜか不適切画像と認識されてしまい、表示されないという現象に出くわしました。

問題の画像は、これ。




どこも「不適切」じゃないと思うんですけども、何度やってもダメ。


ところが、この画像を横にすると、Twitterは普通にUPさせてくれるんです。







縦だとダメで、横だとOKとは・・・・。


Twitterさんは、もしかすると、私がiPhoneで撮影した「ムンクのシリコン型」を、ろくでなし子さんが頒布したものと同系統の3D芸術ではないかと判定しのではなかろうか・・・・



ちがいますから。
これ、どっからどう見ても、ムンクの叫びですから。(´・ω・`)。
Amazonで普通に買えますから!


( _ _ ).。o○


ジャミロクワイの「Automaton」というアルバムのPVを、iTunesで眺めています。




なんか、どっかの水爆実験みたいな映像から始まっていて、不穏な感じですが、そういう国際政治に触れるような感じではなく、未来社会で人工知能が向かう先の不安定さを危惧するような歌詞なのかなと想像します(英語あのれ聞き取れませんorz)。


ヒヤリングの非力さを補うために、Google Play Musicに載っていた歌詞を読んでみました。



文字になってもなお、英語の歌詞って、理解しにくい……orz。


オートマトン(Automaton)、というと、自動羊、ではなくて(羊はmutton)、自販機とかお掃除ロボットみたいな単純な動きをする機械を連想しますが、この歌のAutomatonは、強い意志と、寄る辺ない不安定な感情を持った高性能なアンドロイドといったイメージです。


どことなく、月曜日に見た実写版映画「ゴーストインザシェル」と重なる印象。




( _ _ ).。o○


そういえば、日野皓正氏のビンタ事件は、危惧したように、ものすごく面倒なことになってしまった様子です。


現状では、日野氏のビンタを非難するのか容認するのかという話を抜きにして、彼らの音楽について、(ネット上で)語ることが、難しくなってしまっています。


区長まで叩かれている状況では、世田谷区の教育委員会も、このコンサート企画の継続は、難しいのではないでしょうか。


そういう意味でも、殴ってしまったのはダメだったなあと、やっぱり思います。


私は暴力なんか大嫌いですし、教育目的を理由に手を上げる人のことも全く尊敬できません。

作家の井上ひさし氏も、前の妻への凄惨なDVが一般に知られるところとなって以来、氏の本に触るのもおぞましいような気持ちになってしまいました。作品と作者の人生は切り離して考えるべきというのは分かっていても、創作のためだといって、骨折させられ、顔がぶよぶよになるまで殴られた前妻の話を知ってしまっては、そうゃって書かれた作品を読みたいという気持ちには、どうしてもなりません。

では、作家が妻に暴力を振るいながら書いた作品には、文学的な価値などないのかというと、そこは話が違うわけで、「読みたくない」という気持ちは、作品への評価とは無関係のない、私自身の作者に対する嫌悪の感情からくるものであることははっきりしています。


それに私、太宰は読むんですよね。
殴るどころか、二股三股の浮気で妻を苦しめただけでなく、心中で女性を殺しちゃってる人なのに。
あ、もちろん嫌いです、太宰。嫌いだし、擁護する気などみじんもありません。

それなのに太宰作品を読むのは、作品そのものに読むべき価値を見いだしているからです。


井上作品を読みたくないのは、太宰よりも世代が近いこともあって、流布されているスキャンダルが、より生々しく感じるからかもしれません。



この問題、暴力禁止というだけでは、何も片付かないだろうなあと、改めて思いました。






うつ病クエスト(16) ムンク氷、ホサナ


Amazonで買い物。

ムンクの叫びっぽいシリコン型。






んで、それで作ってみた、氷。






なんか、予想とは違うタイプの、怖い氷になった。

だって、顔崩れてるんだもの。。。


( _ _ ).。o○


昨日はほげ子さんの学校のPTA活動があったので、半日、学校でいろいろやっていました。お昼をまたぐので、お弁当も持参。帰宅したら四時くらいだったかな。

行って、動いている間はなんとかなったものの、家についたらガックリ崩れ落ちるようにダメになり、夜は呆然。

一夜明けた今日も、思考活動が九割方ストライキ起こしてる。
何かしようとしても、強い縛りがかかっていて、うまく動けない感じ。


なんとか手抜き弁当を作って、ほげ子さんに持たせましたが、そのあと朝の薬を飲んだところで、完全にダウン。

二時間ほど休んで、なんとか復活。これ書いています。


ここ数日、右腕と肩の痛みが泣きそうなレベルになっていて、痛み止めが切実にほしいのですが、外科や整骨院などに出かける気にならず、ひたすら耐えるのみ。


ものを書けるような状態ではないけど、何もできない状態のいま、何も書かないでいると、「書き物すらできないのか」というガッカリ感が自分を追い込んできそうなので(そういうのがいけないんだとは分かっている)、敵(鬱?)の目を盗むようにして、ちょろちょょと書いてます。

キレギレだけど、本も読みます。主にKindleで。



何か引用しとこうと思ってたんだけど、何だったっけ。

忘れた。orz


あ、これかな。


炙った獣肉を思うさまに貪りたい。
    町田康「ホサナ」(講談社)…の、最初のほう




これだった。
でも、なんで引用しとこうと思ったのか忘れた。



あ、気力切れた。

休む。








2017年9月4日月曜日

うつ病クエスト(15) 朝の関節痛・ゴースト・イン・ザ・シェル

ColorMeという塗り絵アプリで塗った、カエル


今朝はどうにも言葉が出づらい感じなので、体調等のメモのみ。



昨晩は六時間以上は眠れたように思います。

寝起きのつらさは、中の上程度。
手指の関節の痛さも、中くらい。


なんとか起きて、朝ご飯と、ほげ子さんのお弁当作成、あだきち君の持ち物の準備や連絡帳の記入ができました。


そのあとはエネルギー切れでダウン。

眠れる感じではなかったので、iPhoneで動画を見ました。


ゴースト・イン・ザ・シェル (字幕版) 2017






劇場で見たかったのに、体調不良で行けなかった作品。


世間ではあまりいい評価では無かった様子。
とくに、原作やアニメ映画のファンの方々は、かなり辛辣な批評を寄せているようです。


でも、私はとても気に入りました。

少なくとも、先日見た「エクスマキナ」よりは、ずっとずっと心に残る作品だと思います。
(あ、エクスマキナの感想、ここに書いてなかった。そのうち書こう。)



この作品は、少佐の過去や出自を明らかにするものになっていただけでなく、公安九課の成り立ちについて、原作とは全く違った筋書きになっていたので、違和感に耐え難かったファンも多かったのかもしれません。


でも、それはそれとして、原作やアニメ映画の名場面を復刻したシーンや、世界観の緻密な描写など、映画を作った方々の、原作に寄せる愛の深さみたいなものを、たっぷりと感じさせてくれる映画にはなっていたと思います。













2017年9月3日日曜日

うつ病クエスト(14) 腹痛一回、映画鑑賞一本

CollorMeという塗り絵アプリでパンダを塗った


なんかもう更年期の症状がほとんどないので、タイトルから「更年期」をちょん切ります。産婦人科で処方されたエストリール錠、効果アリだったようです。

うつ病とともにある日常を書き留める記録です。



( _ _ ).。o○



本日のBGMは、アニメ「幼女戦記」のエンディングテーマ。






数日前に、Amazonビデオで、アニメ「幼女戦記」のシーズン1を全編視聴。

面白かったのですが、原作(ネット版)・コミックとは、脇役の主要人物たちのイメージがだいぶ変わっていて、若干不満が残りました。

とくに、ゼートゥーア准将とルーデルドルフ准将の二人。
カリスマ性を抑えられて、だいぶ地味になっちゃっていました。

イーレン・シュワルコフ中尉は、顔が完全に別人。コミック中で、砲兵を賛美する歌を歌い上げる場面が好きだったのですが、アニメでは見当たらず。残念(T_T)。

あ、でもこの砲兵賛美の歌、原作(ネット版)では、デグレチャフ少尉の心の中で歌われてるだけだったようです(わざわざ確認しました)。



映画やアニメ鑑賞が出来る程度には、気力や体力が復活してきています。


ダメなのは外出。会話。家事全般。しんどいです。

とくに、外出中に、ほぼ九割の確率で腹痛が起きるのが、つらいです。





今日の経過



朝、なんと八時過ぎに起床。こんなに遅く起きることは、この数年、滅多にありませんでした。


処方された睡眠薬(ゾルピデム錠)を飲むようになってから、中途覚醒や早朝起床がすっかりなくなって、寝坊する有様に。


これまで、一日の睡眠時間が平均五時間前後だったのが、一気に二時間ほど延びました。

睡眠時間は、睡眠時無呼吸症候群の治療器CPAPのメモリに記録されているので、とても正確。

ちなみに、無呼吸症候群の治療を始めたばかりのころは、平均睡眠時間は四時間台でした。そりゃ体も壊れるというものです。



九時半から、教会の日曜学校があるので、車で外出。
同乗者は、あねぞうさんと、ほげ子さん。

車は駅前のショッピングセンターの駐車場に入れて、そこであねぞうさんとは別行動に。

ほげ子さんと私は、教会へ向かいます。

日曜学校の今日のテーマは、信仰の父といわれるアブラハムさんと、妻サライさんに、息子のイサクくんが誕生する奇跡について。創世記に出てくるお話です。


イサクくんが生まれた時点で、アブラハムさんは百歳、サライさんは九十歳。

神が出産を予言したとき、夫婦は「ンなことあるわけない」と笑っちゃっていましたが、ほんとうに生まれたときには、喜びのあまり笑いが止まらない状態になったとのこと。イサクという名には「笑い」という意味があることを、教わりました。


それにしても、常識をぶっとばす出産です。

高齢出産では、インド人女性が、七十代で出産しているという報道を、見たことがあります。

探してみたら、記事がありました。


インド人女性が72歳で出産 ギネス記録は66歳
(2016年5月11日 15時20分)
http://www.excite.co.jp/News/world_clm/20160511/Techinsight_20160511_261750.html


おめでたいことではありますが…

若い女性であっても、出産は過酷な試練です。

体力が衰えた高齢になってからのお産は、現代であっても、命がけであることは、私自身、身をもって体験しています。(うちの末っ子の、ほげ子さんは、私が42歳のときに生まれています)。


まして古代で、九十歳でのお産となると、まさに死との接近戦であったはずで、想像するのも恐ろしい気がします。

神様、無茶言うわ……

というのが、アブラハムさんとサライさんの物語を習っての、正直な気持ちです。(´・ω・`)


他にもいろいろと考えるべきことはあるのでしょうが、脳機能が劣化してきたので、思考は宿題に。


日曜学校のあとは、車を止めたしょっびんぐせんたーで、あねぞうさんと待ち合わせをして、少しお茶をしたあと、買い物へ。

その買い物中に、お約束の腹痛開始。
なんとか予定の食材等を買い回ったところで、体力限界。

書店による元気はなかったので、そのまま帰宅。


帰宅した時点で腹痛がやわらいだので、お昼を食べることができました。


昼食後、必要なものをネット購入しようと思ってAmazonを開いたものの、イライラみたいなものが強くなって、品物を選べず、断念。頓服的に使うようにと処方されている、リーゼ錠を服用して、横になっていたら、ラクになりました。


読書やゲームをするほどの気力はなかったのですが、ぼーっとしていると精神衛生上よくない気がしたので、iPhoneに入れてあるAmazonビデオのアプリで、動画を見ることに。


見るものをなかなか決められなくて、つらかったのですが、無料視聴できるリストをざーっと読み流していたら、前から見たいと思っていた、「テルマエロマエ2」を発見。ときどき休みながら、全編視聴。楽しめました。


テルマエ・ロマエⅡ



Amazonの写真にあるDVDの箱に「世紀のSF超大作」ってありますけども、この場合の「SF」の「S」は、なんの略になるんでしょうね。

一応タイムスリップものではありますが、ルシウスがなぜ風呂で現代日本に行くことができるのか、その「科学」っぽい理屈は、全く描写されてませんので、あんまりscience(サイエンス)ではないような気がするんですけども。

私の中では、この作品は、歴史ファンタジーの棚に分類されてます。










2017年9月2日土曜日

更年期+うつ病クエスト(13) 塗り絵+αと朝の関節痛が痛い話





CollorMeっていうスマホの塗り絵アプリで蛇を「塗った」もの


昨日、塗り絵をしました。

ラクガキもできないような抑鬱感があっても、塗り絵アプリなら、画材を出してくる手間もいりませんし(抑うつ状態のときは、そういう準備がまず無理)、なんとか絵を「完成」させることができます。

できあがると、なんとなく達成感があって、ちょっと心が満足したりします。

しかもなんだか塗っているうちに、ちょっと脳が元気になるらしくて、できた塗り絵を改造してみたりするエネルギーも入手できました。


で、昨日塗って改造して遊んだのが、上の絵。
もともとの塗り絵は、こちら。






( _ _ ).。o○


うつ病のアップダウンの波を把握するために、日々の記録を取っておくといいというアドバイスを、ネットで見かけました。悪くなりそうな兆候があれば、早めに対策をとれるようにと。


そんな記録を自分で毎日きちんと書けるようなら苦労はしないと言いたくなりそうですが、幸いにして、かなり重い状態でも、ぎりぎりまで書き物はできる体質みたいなので、とりあえず書いてみることにしようと思います。

書けない日は「鬱が超重かった日」ということですから、それはそれで記録と言えなくもありません。


てなわけで、2017年9月2日の朝の記録

六時に目覚まし時計の音で、とりあえず覚醒。

金縛りのように体が動かず、十五分ほど布団の上で呻吟。

何がつらいといって、とにかく手指および膝関節の痛みがひどくて、声を出さずに心のなかで「うおおおおおっ」と叫んでいるうちに、少しづつ動けるようになったので、無理矢理立ち上がって台所へ。

土曜日ですが、ほげ子さんが模試で登校するので、お弁当をつくる必要があります。

手抜きかましまくって、なんとか作成。
それを弁当箱に入れて蓋してナプキンで包んだところで、エネルギー枯渇。ダウン。


一休みして少しエネルギーが溜まったので、あだきち君の朝勉強のつきあい。
今日の日記を書くことと、漢字や文章音読、簡単な受け答えの練習のサポート。

そしてまたダウン・・・しそうになったけど、あだきち君が九時半には福祉サービスの外出をするので、見送るまで忍耐。

出かけるのを見送ったあと、なんだかまだ余力があるので、Amazonで、サプリケースを物色。薬の飲み忘れが多発しがちなので、管理できるようなタイプの入れ物がほしかったのだけど、なんだかしっくり来るものが見つからない。

で、いつのまにか寄り道。

シン・ゴジラに出てくるゴジラさんの第二形態のフィギュアがかわいいので、安く買えそうなものはないかと探したら、こんなのが見つかった。





観光地の土産物屋さんに売ってそうな感じ。

これはこれでかわいいけども、なんともいえない「これじゃない」感。。。





保留。


んで、10:36現在、手指の関節はまだ結構痛い。全体的に手が腫れぼったくて、ごわごわした感じ。握りにくい。

のどが妙に渇く。でも立ち上がって何か飲みに行くのがとても億劫。

気分はそんなに悪くないけど、新しいアクションを起こすのが、難しい。


しかしこのままでは、PCの前に座ったまま枯渇していくだけなので、なんとか立ち上がって何か飲んで、それから休もうと思います。


どっこいしょ。



2017年9月1日金曜日

更年期+うつ病クエスト(12)日野皓正氏のビンタ事件とクソガキの逸脱についての日記

横断歩道らしきもの



朝六時に起きて、ほげ子さんのお弁当を作り、あだきち君の介護施設への連絡帳を記入し、朝勉強と日記書きにつきあいました。

寝起きはかなりキツかったですが、なんとか家事ができたので、まずまず調子がいいのだと思います。

しかもこうして、日記を書く余力まであります。
聴覚過敏もないので、音楽聴いて楽しんでいます。


鬱の気配が遠ざかっていて、たいへんよろしい感じです。



( _ _ ).。o○


今朝のBGMは、これ。









Twitterを眺めていたら、日野皓正氏が、中学生の体験学習としてのコンサート中に、ソロで暴走して止まらなくなったドラムの中学生を往復ビンタしちゃったとかいうニュースや、それに対する意見みたいなのが流れてきました。


殴っちゃった動画というのがYoutubeに上がっていたので、ちらっと拝見。


見てすぐに、「あーこれは殴ってでも止めたくなるだろうなあ」と感じた私は、ジャズの素質、素養のない、杓子定規な人間だなと、つくづく思います。




音楽の実力で制することが出来たかもしれないのに、ステージ上で物理的に殴って止めるしかなかった日野皓正氏の負け、いやこういうのは勝ち負けの問題じゃないでしょうから、「失敗」と見るのが妥当なのでしょう、きっと。

音楽の世界では神みたいな存在の人が、音楽で暴走しちゃってる中学生にビンタしたら、いろいろダメじゃないかと思います。気持ちはわかるけど。音楽、途中でダメになっちゃったわけですし、社会的にも、企画その他、いろいろ詰んじゃう可能性高いですし。


ソロで中二病が暴走しちゃったドラムを、偉大なる暴走のトランペットで制するとか、できなかったのかなあ(無茶言ってます)。


世田谷区の教育委員会、これから大変だろうなあ(´・ω・`)。


八幡謙介さんという、ミュージシャンの方が、今回の件について、わかりやすい意見を書いておられました。


日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた



「逸脱」しなければジャズじゃない、というのは、音楽を多少かじったくらいで自分の素質のなさを悟って離れた私でも、それなりに知っていることです。(だから苦手だったわけで…)

いろいろ残念な出来事ではあります。


このビンタ問題から離れて、個人的な好みからいうと、一種類の楽器のソロパートが突出して長くなるタイプの演奏は、あんまり好きじゃありません。


なぜなら飽きるから(身も蓋もない)。


とくにドラムのソロは、短いほうが好きです。
メロディが消えて久しくなると、廃墟に置き去りにされて、どこにも帰れなくなった迷子のような気分になるからです(ごめんなさいドラム)。


はい、すみません、ジャズ、とっても苦手です。(^_^;)
逸脱した生き方、苦手です。ちゃんと「帰れる」保証がほしい(T_T)


そういえば、私が若い頃に聞いていた、日野皓正氏のアルバムには、「逸脱」をあまり感じませんでした。

ライブの音源じゃなかったからかもしれませんが、なんだか、ものすごく行儀良くトランペットを奏でているという印象すらありました。そして、そのことを、ちょっと息苦しく感じたりしていたことも、いまさらながら、思い出しました。


日野皓正氏のレコード(CDにあらず)は、高校から大学時代にかけて、ほんとにすり切れるほど聞きました。好きだっただけでなく、通っていた音楽教室の演奏会で、シティ・コネクションを弾かされたりしたからです。


https://www.youtube.com/watch?v=fejgoJTXsbg






なつかしい曲ですが、18歳か19歳だった当時、この曲のテンポが遅く感じられてならず(つまり弾いてて退屈だった)、ステージの本番ではものすごく早いテンポで、なおかつ恐ろしくメリハリを効かせて弾いてしまい、ステージから降りたあと、待ち構えていた先生に、クサいものでも見るかなような、イヤーな顔で説教されました。


でも、お客さんはとってもノッてくれてましたし、教えてくださっていた先生のことは、実はあんまり尊敬してなかったので、私としては「よくできました」の評価を自分にあげました。


音楽から遠く離れて久しくなったいまでは、ただのいい思い出ですが、私も日野皓正氏にビンタされた中学生くんと、たいして変わらない、逸脱したクソガキであったのは、間違い有りません。ジャズ苦手ですけど(^_^;)。