2017年5月14日日曜日

ドキュメンタリー「山田孝之の東京都北区赤羽」を見てボーゼンとする。自分のありか・軸って何だろうか


ネットで、「あなたがガチギレするとこうなる」という診断があったので、やってみたら、こうなりました。







ステータス、あちこち振り切ってます。ほとんど人間兵器。ヤバいやつです。

こんな潜在パワーありませんから、当たってないと思います。


(´・ω・`)




■人と言葉と帰属社会



もう何年前だったか忘れましたが、コラムニストの天野祐吉氏が、江戸・東京文化を紹介する番組に出ていて、終わりのほうで、とても奇妙な発言をしていたのを覚えています。

正確な記憶ではないのですが、だいたい、こんなニュアンスだったはずです。


「”だんなことば”でも覚えて、余生を送りたい」


余生を、ではなかったような気もします。
粋に、かっこよく、スタイリッシュに。そんな意味合いも感じられる発言でした。

それを聞いたとき、失礼ながら、

「言葉だけ覚えて、そこのコミュニティに所属できる気でいるのだろうか、この人は」

と、内心、舌打ちしたいような気持ちになりました。

その番組で紹介されていた、”だんなことば”の話者である「旦那衆」は、江戸の町人のなかでも特別に裕福な階級に所属する人たちで、その立場を背景にした、独特の話し言葉や、ふるまいの習慣もっているということのようでした。

そういう古くからある、特定地域の特殊で特権的な階級の、型の出来てしまっているコミュニティに、言葉ばかり真似て入り込んでも、結局浮いた存在になるだけで、ちっとも格好よくなんかないんじゃないかしらと。

晩年になってから、好きこのんで嘘くさいキャラにならなくてもいいでしょうに……なんて、いささか批判めいた気持ちを持ったわけです。


こういう文化的なポジションの問題は、表層的に真似してみたところで、何か本質的なものを得られるというものではないと、私は思っています。

よく、江戸っ子は三代続けて江戸に生まれて、ようやくなるものだという言い方があって、排他性の表れだというとらえ方をされるようですけれども、土着の立場というのは、良くも悪くも、そういう重たい地縁血縁、住んできた歴史がなければ、決して「それ」そのものにはなり得ないという面があるのだと思います。


私(おかーさん)自身、幼少期から言語形成の臨界期まで、それなりに広い範囲で転居するうちに、どこの方言もネイティブとしては話せないまま、居心地悪く大人になった人間なので、言葉の問題を含めた文化的な立ち位置、ありようについては、いささか過敏です。


私は本州の北のほうの、リンゴの産地て有名な県の生まれですが、おもしろいことに、方言研究者が私のアクセントを分析的に見ると、全体的に百年くらい前の山梨県あたりのパターンになっているのだそうです。

山梨県には住んだこともなければ、行ったこともほとんどありません。
まして百年前の山梨県には、親族全部洗っても、ほぼ、縁もゆかりもありません。

幼いころから、転居する先々で、いろんな方言や生半可な共通語をつぎはぎで取り入れて抱えてきた結果、現存しない言葉が、自分の中に醸成され、定着してしまったようです。

そんなわけで、かなり長い間、他の誰とも共有関係にない自分の話し言葉が、実に嘘くさくて、何か演技でもしてとりつくろって発言しているかのようで、ものすごく嫌いでした。どこにいてもよそ者という、孤独感もありました。長々とお国自慢をする人に出会うと、内心、もやーっとした気持ちになったりしたものです。かといって、どこかの言葉を真似て、形だけでも帰属しようという気持ちも起きませんでした。だってそれって、ただの真似っこ、インチキでしょうと。


最近は、そんなことは気にならなくなりましたけれども、いまでも、話し言葉よりも、こうして書いている文章のほうが、より自分のものだと感じられます。


言葉ばかり表面的に真似しても、どのみちネイティブとしてその言葉を使う集団に属する人々と同じにはなれないし、誠実な意識で同じになろうとすればするほど、違和感に苛まれて、自分の目指すものの嘘くささに対して、孤独を感じるようになるのではないか、というのが、私の考えです。

それに、そういうデリケートな部分で孤独であることと、アイデンティテイの有無とは、また別の話です。

だいたい私以上に、言葉や文化のギャップに直面している人は、世界中にいくらでも存在しています。難民、移民という立場の人々の苦労とくらべるのも申しわけないくらい、かつての私の葛藤など、ちっぽけなものです。

結局私は自分の身近に、同じタイプの話し言葉を共有して帰属意識を持てるような集団をを持ちませんでしたが、とりあえず日本語は使えますから、とくに暮らしていくのに支障はありません。

いま住んでいる街は、住人の出身地域がかなりグローバルなことになっています。そこいらじゅうから外国がや遠方の方言が聞こえてくるのですから、話し言葉が少しばかり百年前の山梨方言チックだろうと、気にしてつついてくるような人は、誰もいません。

だからもう、あの番組の天野祐吉氏に舌打ちしたくなるような気持ちは残っていないです。

それに、「”だんなことば”でも覚えて~」が、天野祐吉氏の、人生をかけた憧れ、願望だったのだとすれば、嘘くさいと決めつけるのも、また間違いではあるのでしょう。天野祐吉氏は、天野祐吉氏なりに帰属先を求めている孤独な人だったのかもしれないですから。

あの番組を見てだいぶたったころ、天野祐吉氏が亡くなったことが報道されました。
満八十歳だったとのこと。

私はテレビをほとんど見ませんし、「”だんなことば”でも覚えて~」の発言に違和感を覚えて以降、天野祐吉氏の著作も、なんとなく読まなくなったので、粋なご隠居さんキャラクターになられたのかどうか、詳しくは知りません。ご自身として満足のいく、ユニークな「旦那」となられて晩年を送られたのであれば、いいなあと思います。



■山田孝之と東京都北区赤羽


なんで急に天野祐吉氏の古い話を思い出していたかというと、昨晩、このドキュメンタリーを、Amazonプライムで見たからです。


山田孝之の東京都北区赤羽



Amazonの内容紹介

俳優・山田孝之が赤羽で過ごした、2014年夏の記録
2014年夏、赤羽で俳優・山田孝之が見せた“崩壊"と“再生"を、
映画監督山下敦弘が友人であるドキュメンタリー監督松江哲明と共に記録した密着ドキュメンタリードラマ。 
役と自分を切り離すことができなくなり苦悩する山田が、漫画『ウヒョッ! 東京都北区赤羽』(双葉社)に出会い、
作者の清野とおるや漫画に登場する赤羽の住人達と交流しながら、自分の「軸」となるものを探していく姿を追ったもの。 
さらに、親友の綾野剛や、山田が尊敬する先輩たち、俳優やべきょうすけ、『モテキ』の大根仁監督、ミュージシャン吉井和哉らとの交流も記録。
“本当の山田孝之"を求めて葛藤する“誰も見たことのない山田孝之"を映したひと夏の衝撃的な記録映像。


本当の自分になりたくて、赤羽に住むという発想が、なんとも痛く、見ていて苦しく、それでいて目が離せず、どうしようもない気持ちになりながら、二話ぐらいまで見たところです。

痛いというのは、「片腹痛い」にほぽ近い感覚です。
こっけいで、せつなくて、苦々しくて、そしてなぜか自分まで恥ずかしくなってきます。山田氏の焦燥と不安感と暴走気味な行動が、どこか、過去の自分に重なるからです。



かつて、どこにも所属意識を持てず、ぽつねんとしていた頃の私には、自分を自分たらしめるような社会的な価値なんて、なんにもありませんでした。

それにくらべて山田孝之氏には、これだけ大勢の人に認められる、確固たる演劇の才能があって、家庭も子どももあって、多くのファンに慕われて、魅力的な作品の主役を演じ続けておられます。

そんな人物であっても、「自分がない、自分の軸がない」という苦しさから、演技すらできなくなって、一つの映画を撮影中止に追いやってしまうようなことになるのかと……思いっきり虚をド突かれたような気持ちになったわけです。

いや、この人……三十歳になるまで、こんなんで、よく実人生やってこれたよね、と。

( ̄。 ̄;)

山田孝之氏の人となりについては、ほとんど何も知りませんけど、ご本人だけでなく、周囲の人も、大変だったんじゃないでしょうか。

自分の軸がない(と本人が思っている)状況で、ぶれぶれのまま、いろんな活動に突き進んで、人と付き合い、恋愛も結婚もして、そこまできて、「これ全部自分じゃない」と、一括して全否定されたら、関わってきた周囲は溜まったもんじゃないでしょう。ドキュメンタリーの中で、山田孝之氏のマネージャーさんが、赤羽まで連れてこられて、おそらくは半ば事後承諾で赤羽移住を納得させられ、なんとも言えない混乱と怪しみの表情でカメラを見つめ続けていたのが、ものすごく印象的でした。


仕事ができなくなったからといって、いま自分が住んでいる街や家を放り出して、たまたま読んで感銘をうけた漫画「東京都北区赤羽」の住人達のようになりたいと考えて、唐突に赤羽に住んで、自分の「軸」を見つけるというのですから、止める人がいないほうがおかしいでしょう。

それ、自分の軸を曖昧にして演技対象に没頭するのと、どこが違うんだろうとも思いました。所詮は漫画の真似っこでしょうと。

こんな半端な考えで赤羽を利用するために入り込もうとしたら、生え抜きの赤羽の人、怒るんじゃないかしらと、薄々思いなら見ていたら、やっぱり怒っちゃった人がいました。

山田孝之氏が「東京都北区赤羽」の作者、清野とおる氏に案内されて、作中に出てくる実在の方々との酒宴に招かれ、あこがれいっぱいの表情で、その人々と握手して「よろしくお願いします」と挨拶したところで、マンガの登場人物でもある一人の男性が、握手を拒絶して、きつい指摘をします。

正確ではありませんが、記憶してるままに、その人の指摘を描き出すと…


赤羽に来て自分の軸が見つからなかったら、すぐまたいなくなるんじゃないのか。
赤羽には、苦労して長くから住んでいる人々もいれば、それでもどうしようもなくて去っていった人々もいる。
それまでお前が住んでた場所の人々はどうするんだ。申し訳なくないのか。

「お前、赤羽ナメてるだろ!」


山田孝之氏は、慌てたように、赤羽についての思いを語って伝えようとしますが、どうにも上滑りで、相手の納得のいくような言葉にはなりません。

私も全くこの男性に同感で、あまりにも(片腹)痛いので、いまそこで見るのを中断しています。

一息ついて精神力が回復したら、山田孝之氏が、ちゃんと自分の軸を、作れたのかどうか、見届けたいと思います。


ちなみに私(おかーさん)は、この山田孝之氏と同系統の軸のなさに苦しみながら、なんとかならないかと思って、大学院に行って研究職を目指しましたが……

軸らしいものができあがったと実感できたときには、当初目指したのとは、まるっきり違った場所に立っていました。まあ、人生そんなもんですね。