2017年5月6日土曜日

しんどい映像作品に挑戦しては敗退する連休


お題は「とら」……いつ、どうして描いたのか、全く覚えていない。



iTunesが私に「おすすめ」してくれる曲目リストのなかから、一日に一曲は聞くようにしています。

たいてい、「なぜ、私にコレを勧めるのだろう」と、考え込みたくなるような曲が入っています。


今日のリストの冒頭は、この曲でした。


Valgeir Sigurðsson – Dissonance





ヴァルゲイル・シグルズソンという、アイスランドの音楽プロデューサーのアルバムに収録されている曲だそうです。

ぜんぜん知らない方だったのですが、wikiを見ると、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のサウンドトラックのエンジニア、プログラマーであったとのこと。



Björk feat. Thom Yorke - I've Seen It All





ヴァルゲイルは、この曲に流れている、印象深い列車の音を製作した人なのだそうです。

 


この『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という映画、超トラウマ級の鬱作品であることが知られています。私は未見。あらすじは知っていますし、見よう見ようとは思い続けていますが、何年たっても、通して見る勇気がありません。ネット上の動画で、ちらちらと覗いては、どうにもつらくて、撤退しています。


遺伝的な眼病ために失明を予告されている、セルマという移民の女性が、同じ病気を持つ息子の手術費を男に奪われ、それを取り返そうとして男を殺してしまいます。奪還したお金で息子の手術は受けられるようになったものの、セルマは逮捕され、弁護士をつけることもできず、絞首刑に…。


ビョークが演じるセルマの死刑執行直前からのシーンが、YouTubeにあがっています。
(非常に痛ましく、自分でも通して見られないものですので、あえてリンクを貼りません)

セルマは、息子の手術が成功したことを知ったあと、絞首刑用の太い縄を首に巻いたまま、夢に溶け込むような表情をしながら、生涯最後の歌をうたうのですが、歌い終わる前に死刑が執行されるようです。

歌の場面だけは再生してみるのですが、最後まで見られず、執行前に、ストップボタンを押してしまいます。切れ切れにしか作品を知らないせいもあるのかもしれませんが、どうしても、彼女の死を納得できないのです。


あまりにも苦しい、報われることの極端に乏しい人生を、否応なしに受け止めて、わずかに許された自由意志で、絞首刑という残酷極まりない選択をして、残して逝く息子の幸せだけを夢見ながら殺されていく、若い移民の女性。

そのような人生が自分に降りかかることを考えれば、どうしたって拒絶感を止めることはできないわけで、それがそりまま、作品に対する否定的な気持ちになる人も、少なくないだろうと思います。

セルマを最後までさ支え続けた心の中の音楽(ミュージカル)とともに、その凄惨な人生を見せつけられることは、作品に対して好意的な観客であっても、とてつもないストレスであり、苦痛であったはずです。作品を絶賛しするレビューを書いている方々でさえ、処刑シーンはとてつもなく不愉快だったと書いておられました。

けれども、その運命のグロテスクさを敢えて差し引かずとも、セルマという女性はどうしようもないほど魅力的で、うつくしくて、心にざっくりと刺さって残り続けるような存在感があります。

https://www.youtube.com/watch?v=N8FJyhnC2Eo





これは、どうしようもない、悲惨な人生を与えられてしまった人全てに贈られつづけている、賛歌であるのかもしれません。

世界中で、理不尽な運命に巻き込まれ、悲惨な人生を送り、死んでいかなくてはならない命すべてが、大きな意味のある、重いものだと知らしめる力が、この作品にはたしかにあるように感じられます。少なくとも、セルマの運命に涙した人であるなら、他者や他国、多民族の人々を迫害したり、彼らの上に爆弾や科学兵器をふりそそいだり、殺戮したりすることに無関心であったり、安易に肯定したりはしないだろうとも思います。

全部通して鑑賞できていない映画について、いろいろ書くのもどうかと思いますが、この連休の思い出として、書き残しておきます。


■「ぼくらの」



ダンサーインザダークを見る勇気がもてなかったかわり、というわけではありませんが、もう一つ、長年逃げ続けてきたアニメ作品を、昨晩、はじめて鑑賞しました。


「ぼくらの オープニング」



鑑賞したといっても、かなり端折って全編をナナメ視聴した感じなのですが、それでも十分に重い作品でした。

大雑把な理解ですが……
なんだかよくわからない超越者の意志によって、自分の生きている次元の地球を救うために、多次元の地球の人々と戦って死ぬことを決定された子どもたちの物語。勝てば自分たちの地球は救われますが、勝っても負けても、子どもたちは死ぬと決まっています。

どんな人間だって、人生の起承転結の果てにやがて死ぬわけですけれども、この物語のなかで選ばれてしまった子どもたちは、転結を極端に前倒しされた上に、全世界を守るために絶対に勝たなくてはならないという、強烈な重責を与えられ、納得ずくで自覚的に死んでいかなくてはならないだけに、残酷さが際だって感じられます。、

ただ残酷なだけで終わらないのは、限界状況に置かれた子どもたちが、死を前にして、自分の人生に関わっている親しい人々との関係を見直して、この上なく深めていく姿があるからです。それはある意味、極めて丁寧に、満を持して訪れる、思いやり深い死であるとも言えます。世の中には、もっとどうしようもなく毟り取られて終わる人生が、いくらでもありますから…。

でも、だからといって、見て幸せになる作品ではありません。
どんなに意味深い人生になるのだとしても、子どもが命を代償にしなければならないというのは、厳しいです。

いつか原作も読んでみたいですが……やはり、つらいです。