2019年11月17日日曜日

過去の出来事を言葉にする難しさ


昨日、あだきち君は、福祉サービスのお出かけで、母校である特別支援学校の学園祭に連れて行ってもらったそうです。

卒業して3年になりますが、学校には、まだあだきち君を教えてくれた先生方が残っていて、声をかけてくださったとのこと。ありがたいことです。

帰宅したあだきち君に、「どの先生にあったの?  」と、担任だった先生型の名前をいろいろ聞いてみたのですが、「先生に、あった」というばかりで、残念ながら、お名前まではわかりませんでした。


たぶん、先生がたの名前を忘れてしまった訳ではないと思うのですが、何を聞かれているのか、どんなふうに答えていいのかが、よくわからないのだと思います。

過去の出来事について、思い出しながら語ることは、あだきち君にとっては、とても難しいことのようです。

それには、たぶん、記憶の想起の問題もからんでいるのだと思います。

昨日のことと、何年も前のことが、あだきち君のなかで、区別がついていないように思えることもあります。


目覚めた瞬間、夢の内容が現実のように思えることがありますが、あだきち君にとって、記憶のなかの過去の経験は、歳月に関係なく、ごちゃまぜになっているのかもしれません。

どんなに教えても、あだきち君の自発語に、時制の表現が現れないことも、おそらくは、記憶のありかたに由来することだろうと思っています。


2019年11月14日木曜日

シリアの自閉症の子どもたち

ここのブログは、重度自閉症児の育児と、しょーもない日常雑記について、ひたすら「日本語」で書いているブログなのに、アクセス解析で出てくる結果が、ちょっと変です。


・閲覧者の三分の一が、海外(アメリカとかウクライナとか)
・検索ワードが、自閉症とも育児とも全く関係のないものばかり



ちなみに、今日の主な検索ワードは、



シリア,化学兵器,アサド



でした。(´・ω・`)


そんな物騒な話題について書いたっけと思って、自分でも検索したてみら、ほんとに書いていました。すっかり忘れてた・・・

ポケモン、シリア、自閉症の子供たち…
https://abcdmeno.blogspot.com/2016/07/blog-post_23.html


シリアの自閉症の子どもたち、その後、どうしているのか。


そう思いながら、「シリア 自閉症」で検索してみたら、今年の六月のニュース記事が見つかりました。


戦地で暮らす自閉症の子ども、必要なケア受けられず シリア
2019年6月24日 12:00 発信地:シリア
https://www.afpbb.com/articles/-/3231519

一部引用させていただきます。


トルコとの国境付近にある小さな町アルマナーズ(Armanaz)は、シリア内戦で多くの戦死者を出したイドリブ(Idlib)県の中心部に位置する。だが住民のロバ・ガナム(Roba Ghanam)さんの不安は、内戦の他にもある。 
それが始まったのは数年前、息子のアイハム君(8)が言葉を発さず他の人々と交流しないことに気付いた時だった。またアイハム君は寝ていることが多く、幸せそうに見えなかった。 
 アイハム君は3歳から医師の診察を受けるようになったが、シリアでの自閉症の認知不足が障壁となった。最終的に、ハマ(Hama)県北部の医師から自閉症と診断された。 
 「シリアでは大きな問題があります。特に自閉症や特殊ニーズに対する認知という点で」とガナムさんは言う。 
(中略) 
 イドリブ市に住むハレド・アシ(Khaled Ashi)さん一家では、子ども3人のうち14歳のアラー君に自閉症がある。アシさんは、自閉症への認識不足のためにアラー君が周囲から粗末な扱いを受けることが多いと感じている。アシさんによると、アラー君の学校は現在、戦闘のせいで休校しているが、アラー君は学校に通っていた時、一人きりで過ごすことが多く、他の子たちと交流しなかった。 
「息子のような子どもの場合、仲良くなるためには常にそばにいて、いろいろなことを何度も一緒にする必要があります」とアシさんは言う。「特別な学校や、安全な医療施設も利用できない状況です。ここには何もありません。あるのは爆撃と死だけです」

 だが、どこを探せばいいかさえ分かっていれば、支援は提供されている。ガナムさんは2017年6月、アルマナーズ近郊のカファルタクハリム(Kafr Takharim)にあるサナド・センター(Sanad Centre)を見つけた。この施設は、特殊ニーズや障害、学習障害のある子どものケアに特化し、約80人の患者を抱えている。 
 ガナムさんは、アイハム君が7歳になるまで息子が自閉症であることを受け入れられなかったと打ち明ける。サナド・センターを見つけた後、アトマ(Atme)からアルマナーズへと引っ越し、同センターでボランティアとして働き始めた。 
 内戦や周囲の無知があっても、アシさんは将来への希望を捨てていない。特に、人々が見せる姿勢の変化には大きな期待を抱いている。

「人は一般的に、自閉症がある大人や子どもに思いやりを持っています」

とアシさん。「そうした人々を助けてくれたり、面倒を見てくれたりすることが多いです」 
By Zouhir Al Shimale , Adam Lucente
(c)Middle East Eye 2019/AFPBB News


シリアのイドリブの町をgoogleストリートビューで眺めようとしたのですが、路上を移動することはできず、いくつかの地点で画像が見られるようになっているだけでした。

画像表示可能なマークのなかに、イドリブ大学という表記があったので、開いてみたら、廃墟のような校舎が現れました。









イドリブでは、今年(2019年)、学校や病院などの民間施設を狙った大規模な攻撃が続いていたとのこと。


空爆続くシリア北西部、4月末からの3か月間に40万人以上が避難 国連
2019年7月27日 13:04 発信地:サラキブ/シリア




自閉症の子どもたちが、不安なく、幸せに暮らすことのできる国は、誰もがしあわせに生きられる国であるはずです。一日も早く、世界中が、そうなることを祈るばかりです。











尿素とアンモニアの関係について他人事でなく体験した日記


昨日、一泊のショートステイを終えて帰宅したあだきち君は、とても穏やかで、上機嫌でした。

いつもよりも、汚れ物も少なかったので、トイレの失敗もなかったのかなと思っていたのですが・・・。


あだきち君の荷物を片づけて、一段落したところで、居間に置いてある自分のパソコンで作業をしていると、とんでもないにおいがただよってきました。


一言でいうと、強烈な刺激臭。


もう少し具体的に描写するならば、うわさに聞くところの、ホンオフェという発酵食品を思わせるような、とてつもないアンモニア臭です。(T_T)



エイの肉を壺等に入れて冷暗所に置き、10日ほど発酵させるとエイの身に含まれる尿素などが加水分解されてアンモニアが発生して出来上がる。

世界有数でアジア最強とされる強烈な臭気は、口に入れた状態で深呼吸すると失神寸前になるともされ、臭気は納豆の14倍、キビヤックの5倍である。 
近年は日本のバラエティ番組で、スウェーデンのシュールストレミングに匹敵するアジアの臭い食品として扱われ、日本テレビのバラエティ番組『ワールド☆レコーズ』2004年7月4日放送分で取材陣が木浦へ赴き、宴席でふるまわれたホンオフェを喜んで口に入れた現地の男性が涙しながら食す様子を描写して「食べた人にしかわからない爽快な刺激があるのだというが」と説明し、実食したウッチャンナンチャンの内村光良は「小便だよ、小便」と形容した。

(ウィキペディア「ホンオフェ」のページから一部引用)


たしか、「もやしもん」という漫画では、このホンオフェの匂いを、夏場の田舎の公衆便所に譬えていたと記憶しています。

私も遠くなりゆく昭和世代の田舎出身なので、その譬えで、ホンオフェの匂いの真髄を想像することができたのですが、我が家には、そんな超ド級の発酵食品などありません。

自家製のぬか漬けは作っていますが、常に冷蔵庫保存していますし、そもそもほとんどキュウリしか漬けていませんから、アンモニアの発生は考えられません。


となると、これは絶対、あだきち君の汚れ物の臭気だと思ったのですが、ショートステイから帰宅後に、バッグのなかの汚れ物は、全部取り出して洗濯カゴに入れましたから、居間に臭気が漂う道理はありません。そもそも汚れ物を手に取ったときに、そんな匂いはしていなかったのです。


おかしい。でもマジで臭い(T_T)。

あだきち君本人の全身を含め、疑わしいものをかぎまくって臭気のもとを探すこと、三十分。


ブツは、私のパソコン机の下から出てきました。


理由はわかりませんが、あだきち君は、強烈なアンモニア臭を放つトランクスを、私のパソコン机の下の見えにくい場所に、放り込んだらしいのです。


隠ぺい工作なのか。
いたずら心なのか。



トランクスにしみ込んだ尿が、細菌によって分解されてアンモニアになって激臭を放つまで、どれくらいの時間がかかるのかは分かりませんが、昨日はちょっと暖かかったので、細菌の繁殖も早かったのでしょう。


汚れ物は洗濯カゴに入れてね、おかーさんの机の下に放り込むのはやめてねと、あだきち君に何度もお願いしましたが、おだやかに聞き流されました。(T_T)










2019年11月13日水曜日

復活してしまったトイレ問題をイメトレで解消するのは難しい件




昨晩、あだきち君は、ショートステイで介護施設に一泊しています。

帰宅は今日の午後の予定。


一泊だけのショートステイですが、あだきち君の荷物は大きくなります。

着替えのための衣類が、多いのです。

昨日は、ざっとこんな感じでした。

・ズボン 4着
・長袖シャツ 4着
・トレーナー 1着
・Tシャツ   1着
・パジャマ上下
・トランクス 5-6枚
・靴下 1足



一番かさばるのは、ズボンです。

普段の通所でも、二つは持たせています。


理由は、トイレ(小)での失敗があるからです。

お漏らしをするということは全くないのですが、用(小)を足すときに、


「まだ出ている最中に、終わったことにして、"しまってしまう"ために、ズボンが汚れる」


ということがあるのです。


誰かがそばにいて、意識の集中が途切れないように声をかけていれば、失敗はないのですが、介護施設では、あだきち君は、行きたいときに自分でトイレにいきますし、その都度職員さんが付き添えるわけではありません。


介護施設での職員さんとの面談のたびに、いろいろと改善策を話し合ってきたのですが、いい方法が見つからないまま、現在に至っています。



トイレでの失敗については、いくつかの理由があるのだろうと思っています。


もともと、あだきち君は、排尿の感覚の鈍さや、コントロールの難しさを持っています。


幼児期のあだきち君は、おしっこをしたいかどうかが、自分ではなかなか分からない様子でした。

トイレトレーニング中は、時間をみはからって、トイレにつれていってみても、体が緊張してしまうのか、出なくなってしまっていました。

何十分もトイレ前で励ましつづけても全く出ず(いま思えば逆効果でした…)、トイレから出た途端に、ジャーっ・・ということも、あったように記憶しています。


自分でトイレができるようになったのは、小学生になって一か月目くらいでした。

成功したのは、学校のトイレ。

周囲の子どもたちが、当たり前のようにトイレを使うのを見ていたことが、有効なイメトレになったのではないかと、私は思っています。


その後の12年間の学校時代では、トイレでの失敗というのは、ほとんどありませんでした。

それが介護施設に通所するようになって、出てきたということは、学校でのイメトレによる効果が切れてしまい、もともと持っていた、排尿感覚やコントロールの鈍さにほうに、支配されるようになってしまったということなのかもしれません。


あだきち君が通っている施設は、学校よりもずっと少人数ですし、重度の身体障害を持つ利用者さんも多いので、トイレで、頻繁に他の利用者さんと一緒になるということもありません。

「ちゃんとできている」人の姿を、日常的にあまり目にしなくなったことが、大きな理由だとすると、改善の方策を探すことは、なかなか難しいということになります。



イメトレが有効だとはいえ、まさか、男性のトイレシーンを動画などにとって、iPadか何かで、繰り返し見せる・・・というわけにもいかないですし。


いや、それがもしも有効なのだとすれば、実行すべきなのかもしれませんが・・・



モデルになってくれそうなのは、おとーさんしかいませんし、きっとおとーさんは嫌がるでしょうし、そんなモノを撮影するのは私だってイヤですし、さらに「それ」を延々と自宅で視聴されるというのは・・・・





もうすこし、考えてみることにします。(´・ω・`)





2019年11月11日月曜日

赤ちゃんの泣き声で、自閉症の早期発見ができるようになる?





赤ちゃんの泣き声を分析するアプリによって、自閉症の早期発見が可能になるかもしれないという、とても興味深い記事を読みました。


精度90%で「泣き声の意味」を当てる (2018年6月10日)
https://tabi-labo.com/288382/journey-chatter-baby


記事URLが変更になったり、消えてしまうことがあるかもしれないので(そういうことが、よくあります…)、一部引用しておきます。



「ChatterBaby」は、アメリカのUCLAで研究しているブレーンたちの知識がいっぱい詰まった、赤ちゃんの泣き声を“翻訳”してくれるアプリだ。精度は約90%を誇る。 
だけど、泣き声の意味を当てるだけが「ChatterBaby」の特徴じゃない。赤ちゃんが抱えている脳の異常を見つけられる可能性だってある。 
もともとは、耳の聞こえない親をサポートするためにアプリは開発された。 
ワクチンを接種したときやピアスホールを開けたとき(欧米っぽいのだが……)に、赤ちゃんの泣き声をサンプルとして集める。そして、子育て経験が豊富なお母さんに、どんな理由で泣いているのかを予測してもらう。同じような答えになったら、人工知能に学習させる。これらのステップを繰り返す。
分かるようになったのは3種類。「お腹が減っているとき」と「痛いとき」、「わめいているとき」だ。ちなみに、視覚的に分かるようにグラフでも表示される。 
現在、ユーザーが赤ちゃんの泣き声を分析したときは、その音声が研究材料の一部としてUCLAのサーバーに登録される。 
これは、泣くという行為がどのように成長に関係するのかを調べるためだという。また、泣き声を分析していけば自閉症の早期発見につながるのではないかという仮説も、膨大なデータを集める理由の1つになっている。 
使う人が多くなればなるほど、アプリの精度は上がっていくし、新たな発見のきっかけになるかもしれない。「ChatterBaby」は、日本でも無料でダウンロードできる。



「ChatterBaby」は、いまのところ、英語対応のみのようで、ユーザーの評価も少ないようです。


気になるのは、集積されていく膨大な量の音声データから、どのように発達障害の音声パターンを見分けるのかということです。

音声データを提供した赤ちゃんたちが、成長後に「自閉症と診断されたかどうか」というデータは、このアプリでは集められないと思うのですが、どうなのか。


APP STOREでは、「ChatterBaby」のデータ利用について、次のように説明されていました。


What happens to my data?
We store it for science on a server that is HIPAA-compliant, removing as much information as possible that links your data to you individually. We are interested in discovering whether abnormal vocalization patterns in infants can predict neurodevelopmental delays such as autism. Odds are, a human being will never actually hear your baby’s audio sample; a computer script will run some math on it and throw the answers in a big spreadsheet to do even more math. For more information, see the Consent Form you agreed to when launching the app: link to consent.


データはどうなりますか?科学用の、HIPAA準拠したサーバーに保存し、データを個別にリンクする情報を可能な限り削除します。乳児の異常な発声パターンが自閉症などの神経発達遅延を予測できるかどうかを発見することに興味があります。人間が赤ちゃんのオーディオサンプルを実際に聞くことはありません。コンピュータスクリプトが計算を実行し、大きなスプレッドシートに回答を投げてさらに計算を行います。詳細については、アプリの起動時に同意した同意フォーム:同意へのリンクを参照してください。



この説明だけでは、詳しいことはわかりませんが、まずは正常な発声パターンと、そこからはずれた発生パターンをさぐっていく、というところでしょうか。


自閉症を含めた、発達障害の早期発見は、早期対応による治療・教育の効果など、子どもへの恩恵が大きければ、とても望ましいものとなりますが、見つかっただけで、後のケアにつながらなければ、親にとっては、微妙なものとなりそうです。


「アプリにそう言われたけれど、どうすればいいのか・・・」と、乳児の我が子を前にして、親が途方にくれるだけというのでは、早期発見などないほうがましということになりかねません。


早期発見だけではなく、脳神経のどの部分の発達に問題があるのか、それを少しでも改善するには、どうすればいいのか・・・というところまで、明らかになってくれるといいなと思います。







2019年11月10日日曜日

スーパーでのお買い物



日曜日の午前中は、おとーさんと二人で、スーパーに買い物に行くのが、あだきち君の決まり事です。

力持ちなので、重い荷物をリュックサックに入れて、苦も無く背負って歩いてくれます。

この習慣は、特別支援学校の中学部か高等部あたりから始まって、成人後のいまも、ずっと続いています。


でも、赤ちゃんのころから、幼児期までのあだきち君は、スーパーがとても苦手でした。

五歳くらいまでは、入口まで行っただけでもパニックになってしまうため、店内に入ることも難しい状態でした。知覚過敏のために、スーパーの照明や雑音などが、耐えがたく感じられたのだろうと思います。

知覚過敏は徐々に改善して、小学校の高学年になるころには、家族と一緒に買い物を楽しめるようになりました。


けれども、同時に困った問題もいろいと出てきました。


まず、ほしい商品を見つけると、黙って持ち帰ろうとしてしまうこと。


お店を出てから、あだきち君が手に商品を持っているのに気づいて、あわてて戻って謝罪した上、買い取ったということもありました。状況的には万引きと変わりませんから、ほんとうに気を使いました。


その後何年もかけて、学校や療育教室などでも買い物の練習などを続けるうちに、「お店に並んでいるものは、お金を払ってから、持ち帰る」ということが分かるようになり、持ち去りはなくなりました。


でも、それで一安心というわけには、いきませんでした。

今度は、お店で欲しいものを見つけると、どんどん買い物かごに放り込むようになったのです。

全部を買い与えることはできませんから、棚に戻すことになるのですが、それがパニックやカンシャクの引き金になることもありました。


買わずに我慢する、あるいは、買い物かごに入れてしまったものを、カンシャクを起こさずに棚に戻す、ということができるようになるには、たくさんの経験と、長い時間が必要でした。


そうこうするうちに、「親が見ていないスキを狙って、ほしいお菓子や飲み物を、買い物かごにこっそり忍ばせる」という、高度な技を開発してしまう、ということもありました。

レジでの清算中に、買う予定のなかったお菓子や飲み物が、買い物かごの底のほうに入っているのに気づいて、「やられた!」と心の中で叫ぶということが、何度あったか分かりません。


その注意力や観察力を、もっと別なところで活用してくれればと、切実に思ったものですが・・・


「どうしても欲しい」という強い気持ちがあるからこそ、そういう能力を発揮できたのでしょう。


成人してからは、お買い物で問題を起こすことは、ほとんどなくなっています。






2019年11月9日土曜日

寝不足の土曜日、呼びかけと、対話


あだきち君の声で起こされて、枕元のiPhoneを開いて時刻をみたら、まだ朝の4時半でした。

早起きのあだきち君ですが、いつもなら、6時すぎるまでは家族を寝かせておいてくれます。

何かあったのだろうと思うのですが、寝起きは身体が痛くてすぐには起き上がれないので、あだきち君の声を聞いていると、しきりに、お姉ちゃんの名前を連呼しています。


あー、これは、積み木を見失ったんだなと気づきました。

あだきち君は、家にいるときには、お姉さんのあねぞうさんが幼児の頃に遊んでいた、平べったい積み木を4個、手に持って過ごしています。

積み木には、お姉さんの名前が書いてあるため、あだきち君の中では、「お姉ちゃんの名前 = 積み木の名称」ということになってしまっているのでした。


私が動けずにいるうちに、同じくあだきち君の声で起こされた、あねぞうさんが、積み木を発見してくれたようでした。



あだちき君は、言葉が出るようになってからも、家族を名前で呼ぶということを、滅多にしません。名前は分かっていると思うのですが、自分から誰かに呼びかける、という発想がないようなのです。

私もこれまで、「おかあさん」と呼ばれたことは、数えるほどしかありません。
正確に数えていたわけではありませんが、たぶん、10回はこえていないと思います。



でも、あだきち君は、名前を呼ばれると、ちゃんと、「はい」と答えます。

学校生活のなかで、そういう振る舞いを習得したのだと思うのですが、応答しているという意識は薄そうで、名前が聞こえたら条件反射的に「はい」という音声をあげるのだという、機械的な反応のように見えます。


どうしたら、あだきち君「対話」という概念を持ってもらうことができるのか。


人を名前で呼ばないこと。
物に書かれた所有者の名前を物の名前と思ってしまうこと。

これらは、どこかで繋がっている問題のようにも思います。















2019年11月5日火曜日

「はだしの天使」と、あだきち君の幼少期



あだきち君は、介護施設のショートステイの日です。


「きょうは、おとまり!」


と、朝から数回確認して、満足そうな表情で出かけました。


今夜一泊して、明日の午後に帰ります。



・・・・・・・・




今日、Amazonの読み放題の書籍を眺めていたら、「はだしの天使」という漫画が目に入りました。

重度の自閉症児ユウタと、彼を守り育てていく家族の物語です。



 Amazonで見る




本書のほかにも、自閉症児の育児を取り扱った小説や漫画などのフィクョン作品が多数出ていますが、これまでほとんど読んでいませんでした。


あだきち君がまだ子どもだったころは、こうした作品を少し読みかけてみても、身につまされるというか、気持ちがつらくなるばかりで、先を読む気にならなかったのです。


けれども、あだきち君が大人になったいま、フィクションの世界で、自閉症児や、その育児が、どのように描かれているのか、あらためて読んでみたいと思うようになりました。そういう気持ちの余裕ができた、ということかもしれません。


「はだしの天使」の一巻目を読んでみて感じたのは、なんともいえないなつかしさでした。

ユウタの問題行動として描かれているエピソードのほとんどが、あだきち君もやってきたことだからです。

公園に遊びにいって、他の子どもの頭から砂をかけてしまったこと。

外を歩いているときに、有刺鉄線を握ろうとするので、目を離せなかったこと。

水のある場所が、大好きだったこと。


「普通の子」と同じようなことは何もできないと思っていたのに、「普通の子」たちと過ごす時間を持ったあと、いつのまにか行動を学んでいたこと。



私にとっては、もう遠い思い出になりつつあることばかりですが、いま現在、同じような思いをしながら、重度自閉症のお子さんを育てている方々もいるのだなということも、読んでいて思いました。


幼少期の自閉症児を育てる環境、20年前よりも、よくなっていると思いたいのですが、どうなのか。



続きの巻もAmazon読み放題で読めるようなので、ゆっくり読んで見ることにします。






2019年11月3日日曜日

iPadの電池消耗と、余暇の問題


あだきち君の愛用のiPadの充電がうまくいかなくなりつつあります。

もう何年も使い込んでいるので、電池が弱ってきたのかもしれません。
電池の消耗が早くなり、100%充電するのにも、時間がかかるようになっています。

マインクラフトで集中して遊んでいる最中に電池が切れることは、以前は、あだきち君のパニックの引き金に一つになっていました。

最近では、しっかり充電していれば、ゲーム中に画面が消えることはないということを理解して、早めに自分で充電するようになっています。

また、電池が切れてしまっても、ひどいパニックにはならず、こらえることができるようになりました。それでも、電池切れが大きなストレスであることは変わりません。



iPadは、あだきち君にとって、数少ない、そしてかけがえのない、余暇のお供です。

壊れてしまう前に、買い替えも意識しなくてはならないのかもしれません。

でも、ずっと同じ仕様の端末で、同じゲームができるものではないだろうということは、この十数年の、パソコンその他の変化や進化のスピードを考えれば、予測がつくことでもあります。


いずれ、何か別のものに、余暇活動を切り替える必要が出てくることでしょう。



できれば、IT関連のように、変化が激しくて費用もかかる機器に依存しなくてもいいような、紙や筆記用具などがあれば済むような活動に、うまくシフトできるといいのですが、そういうものには、なかなか興味を示してくれません。


どうしたものかと、ずっと思案しています。












2019年10月31日木曜日

持ち物と、伝え方


昨日に続いて、今朝も快晴。

あだきち君は機嫌よく介護施設に出かけました。


施設には、連絡帳のほか、一日分の着替えを多めに持っていきます。
ときどき、トイレでの失敗があるからですが、とくに汚れていなくても、帰り際に、着替えてもらうことが多いです。

脱いだ衣類は、以前は、施設のほうで、ビニール袋に入れて持たせてくれていたのですが、最近になって、汚れ物を入れるための袋を家庭で用意する方式に変わりました。

それで、大きめのビニール袋や、スーパーのレジ袋などを持たせるようにしたのですが、数日続けて、「袋がありません」との伝達が、施設のほうからありました。


たしかに持たせたはずだから、きっと何かの手違いだろうと思って、少し多めに袋を持たせてみても、やっぱり「ありません」と連絡帳に書かれてきます。


もしやと思って、家の中を探したら、部屋の隅の目につかないところに、持たせたはずの袋が、どっさり置いてありました。

いつもとは違う持ち物が、カバンのなかにあるのに気づいたあだきち君が、施設に出かける前に、自分で出してしまっていたようでした。


それで、袋を持たせるということを、あだきち君本人に、ちゃんと伝えていないことに気づきました。



あだきち君とは、ごく限られたやりとり以外の会話がほとんど成立しないので、言葉で伝えておくということを、うっかり忘れてしまうことが多いです。


言葉だけでは100%伝わらないかもしれませんが、朝、カバンに袋を入れるときに、理由を説明することを繰り返せば、袋が必要なものだと、あだきち君も察してくれるかもしれません。


明日から、そうしてみようと思います。






2019年10月30日水曜日

霧の朝・ブログの整理

久しぶりの快晴です。

今朝はかなり霧がでていて、あだきち君が心配そうに窓の外を眺めていましたが、介護施設に出かける頃にはすっかり晴れわたり、ひさびさの青空になりました。


晴れた日が大好きなあだきち君は、機嫌よく介護施設に出かけました。


そういえば、今朝、めずらしく、あだきち君が、


「テレビ、つけて」


と言って、私にテレビのリモコンを渡してよこしました。


居間のテレビのチャンネル権は完全にあだきち君が掌握していて、他の家族がリモコンを触るのを嫌がるほどなのに、どうしたんだろうと思って画面を見てみると、電源は入っているのに、変な表示が出ていて、番組が映らなくなっています。


 B-CASカードをさしこんでください


表示にそうあるのですが、普段テレビを全く使わない私には、なんのカードだか分かりません。

よく驚かれるのですが、幼少期からテレビを見る習慣がなかったため、どの放送局がどのチャンネルであるとか、ほぼ知りません。


それでも以前は、「NHK総合は1チャンネル」ぐらいのことは知っていましたが、地デジだのBSだのという時代に入った時点で、覚えるのを諦めました。(´・ω・`)

番組を見ないから、チャンネルなど知らなくても自分では困りません。


でも、映らなくなったときに、どうしていいかわからないと、あだきち君が困りますし、最悪、パニックになってしまいますから、知っておく必要があります。


なにはともあれ、どうにかしようとして、B-CASカードなるものを探してみたところ、日に焼けて色が変わったクレジットカードみたいなものが、テレビのわきから飛び出していましたので、それを差し込みなおしたら、番組が映るようになりました。


一体いつから、テレビにカードを差し込むようになったのでしょう。

そんなテレビは、入院病棟の個人用に貸し出す有料テレビぐらいのものだと思っていました。長女のあねぞうさんが入院していたとき、テレビカードを自販機で買って、幼児番組を見せていたものでした。


B-CASカードについては、ウィキペディアの記事を読んで、ざっと理解しました。


時代は令和になりましたが、私はいまだに昭和レベルの常識で暮らしているようです。




・・・・・・・



ここのブログを、テーマ別に分類しはじめました。
まだ整理しきれていませんが、だいたい次のような項目に分けてみています。



  • 日常   主にあだきち君の日々の様子を書きますが、家族の話も出てきます。

  • 介護施設 あだきち君が通所している介護施設に関する話題を書きます。

  • 自閉症  自閉症についての一般的な話題や、あだきち君の自閉症の問題について書きます。

  • 障害者福祉 ニュースなどで気になったことや、うちでお世話になっている福祉サービスについて書きます。

  • 療育 あだきち君が、これまで受けてきた療育や、自宅でやってきた療育などについて書きます。



  • 書籍  読んだ本について書いています。自閉症や発達障害関連以外の本の記事もあります。

  • 雑録  上の分類に当てはまらないような、雑多な話題です。



漫然と書き続けていて、記事数が増えてしまっているので、整理には時間がかかりそうです。








2019年10月29日火曜日

雨の朝の忘れ物


朝、介護施設のバスにあだきち君を乗せるために家を出ると、雨でした。

家の窓から外を見たときには、降っていない様子だったので、傘を持たずにマンションのエレベーターを降りたのですが、エントランス前のじは、降り始めたばかりの雨に濡れていました。


あだきちくんに、「傘取りに、戻っていい?」と聞いてみたのですが、猛烈に不安そうな顔になったので、あきらめて、そのままバス停に向かいました。



バス停までの道のりは、徒歩三分ほど。

歩いている途中で、介護施設のバスが走ってきて、追い抜いていき、先にバス停について、私たちを待っていてくれました。


すぐにあだきち君を乗せることができたので、あまりぬれずに済みました。


あだきち君と二人の外出では、一度自宅を出てしまうと、忘れ物に気づいても、取りに戻ることが難しいです。戻ったあと、どうなるのか、予測がつかなくて不安になるのだろうと思います。たぶん、自閉症の人の多くが、似たような問題を持っているのではないかと思います。



まだ小さいころだったら、抱っこするか、手を引いて連れ戻すことができましたが、私よりもはるかに巨大になってしまった今では、力わざは使えません。


一度忘れ物を取りにもどっても、ちゃんと予定通りに出かけられるのだと、納得がいくように教えるためには、何度もそういう経験をすることが必要なのかもしれません。

でも、生活がよくも悪くも安定して、決まりきったパターンのなかで動くことに、あだきち君も家族も慣れてしまっているので、あえてそれを崩すというのは、なかなかに骨の折れることです。

あだきち君だけでなく、家族も、固定したパターンの生活に寄りかかっているのだなと、あらためて思います。



「忘れ物」という概念を、あだきち君に教えることも、おそらくとても難しいと思います。

あだきち君本人は、おそらくこれまで、忘れ物をした経験が、ほとんどありません。

外出時の持ち物、とくにカバン類のチェックにはとてもうるさいのです。


だけど一度だけ、学校の宿泊学習に行ったとき、ボストンバックとナップザックを全部忘れてきて、驚いたことがありました。


あのときは、生徒たちを乗せた観光バスが、トランクにあだきち君の荷物を積んだまま、営業所に帰ってしまったのでした。


あだきち君は、自分の荷物のないことをおそらく分かっていたでしょうけれども、それを周囲に伝える方法が分からなかったのだと思います。

荷物は、翌日になって、無事に学校に帰ってきました。あ
のときは、先生方にものすごく謝罪されて、かえって恐縮したものです。


日常的に、あだきち君の持ち物を忘れるのは、もっぱら、身の回りの支度をする私です。

あだきち君の学校時代も、プリント類の提出を忘れるのはしょっちゅうでしたし、介護施設通所の日々を送る今も、よく持ち物の準備をし忘れて、連絡帳で「◯◯が、ありませんでした」と書かれています。


子どものころから忘れ物大王だった私は、大人になってからADHDの診断を受けて、いまはコンサータを服用しています。それでいろいろ改善はしたものの、相変わらず、忘れ物と失くし物の多い暮らしを送っています。


そういう面で、おかーさんは頼りにならないということを、あだきち君はよく理解していて、一緒に出掛けるときには、私がちゃんとバッグや鍵を持っているかどうか、目視チェックしてくれることもあります。



ふと思いつきました。

雨が降りそうなときには、あだきち君が、自分から傘を持って出るようにすることを、練習してみることにします。


今日は雨がふりそうだね。
傘を持ってでかけようか。


そんなふうに、声をかける習慣をつけてみることにします。


そのほうが、傘を忘れて家に戻る練習をするよりも、見通しが明るそうです。







2019年10月28日月曜日

月曜の朝の確認行動と、予定表が使えないこと


休み明けの朝は、あだきち君にとって、不安が高まる時間のようです。


平日は、介護施設への通所だと分かっているはずなのですが、納得するまで、何度でも私に確認します。


「きょう、◯◯(施設名)? △△(行動援護でお世話になっている福祉事業所の名前)?」


今朝も二十回ほど聞かれたと思います。

その都度、丁寧に予定を知らせ、その瞬間は分かったような表情になるのですが、数分後にはまた聞いてきます。


音声で聞いた情報だと、それが実現するという確信が持てないのだろうと思います。


音声が頼りないのであれば、文字列ならどうなのか。


あだきち君は、文字が大好きで、ものの名前はすべて、文字から覚えています。

パッケージに入ったお菓子や飲み物の場合、パッケージにプリントされている商品名を、そのまま記憶し、さらに同種類の食べ物全体にまで汎化するということまで、やってのけます。


それくらい、目に入る文字は、あだきち君にとって、ゆるぎないものなのです。


けれども、未来の予定については、文字で書かれても、どうしても納得いかないらしいのです。


予定がわかるように、張り紙をしたり、カレンダーを作ったりしてみても、なかなか受け入れがうまくいきません。


たとえば、



「今日は月曜日です。◯◯へ行きます」


という張り紙を、あだきち君がよく見る壁などに貼りつけても、さっと目を通すと、すぐにはがしてしまうのです。


ホワイトボードなどに書いても、サッと消されてしまいます。


今日の予定ではない貼り紙は、はがさないので、たぶん、予定を文字列にして貼られることが、受け入れがたいのだと思います。



あだきち君が、なぜ、予定を書かれることを嫌うのか。


もしかすると、予定は毎日変わるものだから、見えるところに文字に書いて残してほしくない、ということなのかもしれないと、私は思っています。


自閉症の人の特徴として、「過剰な記憶」の問題があるということを、以前、本で読んだ記憶があります。


テンプル・グランディン博士(高機能自閉症)の手記だったかと思うのですが、過去を思い出そうとすると、膨大な記憶を検索することになるため、とても大変だというエピソードもありました。それは、何万枚もある写真のなかから、必要な一枚を探すような作業だという譬えで語られていたように記憶しています。



「我、自閉症に生まれて」




会話のできないあだきち君の記憶力については、客観的にうかがい知ることが難しいのですが、日々の様子を見ていると、おそらくは、グランディン博士に近い状況が脳内にあるのではないかと思っています。


あだきち君は、いま二十一歳ですが、三歳ごろに見ていたビデオの中に、ちょっとだけ出てきた音楽を、突然口ずさんだりすることがあります。

また、方向音痴の母親に似ず、一度行った場所については、道順まで、ほぼ記憶できている様子があります。

運転中、私が道を間違えると、いらいらして、ごくまれにですが、


「ちがう」


と口に出すこともあります。


文字列の記憶は、あだきち君にとって、非常に鮮明に残るもののようですので、毎日違った予定が掲示されると、過去の情報と今の情報の区別が難しくなって、混乱するということが、あるのかもしれません。

そのため、長時間目に入らないように、サッと剥してしまうのかもしれないと、私は想像しています。


では、どうすれば、月曜の朝のあだきち君の不安を軽減できるのか。


どうすれば、未来の予定を納得できるようになるのか。


まだまだ、試行錯誤が続きます。



テンプル・グランディン博士の本を読んだのは、もう十数年も前になります


ひさびさに再読したくなりましたが、家の中のどこに埋もれているのか……探すのが大変そうです。









2019年10月27日日曜日

日曜日はお買い物


あだきち君の発語で一番多いのは、食べ物関連ですが、その次が、一日の予定の確認です。

今日は日曜日。

あだきち君は、日曜の朝になると、


「きょうはおやすみ、です! おとーちゃん、十時、買い物!」


と言います。


いちおう十時ということになっていますが、出かける時間が遅れても、あだきち君はそんなに気にしません。

とにかく、日曜日は、おとーさんと外出して、買い物をすること。

そして、あだきち君の大好きな、明治の「おいしい牛乳」(500ml)を一本買うこと。






その行動が完了すれば、あだきち君としては、ミッションコンプリートとなるようです。


たまに、おとーさんが、仕事などで日曜日に留守のときがあります。

その場合は、私が付き添いを代行して、近くのコンビニなどで買い物をします。


日曜日に、どうしても買い物に出かけられないということも、ごくまれにですが、あります。


そういう場合でも、あだきち君は、パニックやカンシャクを起こすことなく、納得してくれるようになりました。

出かけられない日には、家族の体調が悪かったり、台風がきていたりするわけですが、あだきち君なりに、そういう状況を理解して、我慢するようです。そのあたり、大人になったなあと思います。

ただ、曜日ごとの予定へのこだわりは相当に強いので、祝祭日などで、いつもと違うパターンの日があると、相当にストレスはかかるようです。


今月は、台風で出かけられない日があったり、正殿の儀のための介護施設がお休みになったりと、イレギュラーなことが続いたためか、夕方あたりからイライラして、こだわり行動が強くなったり、悲しそうな様子になったりする日が何日かありました。


そんなときに、言葉で気持ちをやりとりできたらなあと、いつも思います。





2019年10月26日土曜日


あだきち君は、早起きです。

朝五時には目を覚まして、愛用の積み木を眺めたり、iPadで「マインクラフト」をひらいて、ゲーム世界を散歩したりしながら、しずかに一人で過ごしています。



お腹がすくと、冷蔵庫から前の晩の残り物を出してきて食べたり、姉を起こして、トーストを作ってもらったりしています。


あだきち君は、パンが大好きなのに、食パンはトーストしないと食べません。クロワッサンやスティックパンは、焼かずに食べるのに、トーストしていない食パンには手を出さないのです。


我が家にあるシャープのヘルシオは、パンをトーストする手続きがちょっとややこしいので、あだきち君は触りません。

あまりにもお腹が空いた朝など、ヘルシオの鉄板の上に食パンを並べて、その上にスライスチーズを丁寧に乗せて、家族の誰かが起きてくるのを、じっと待っていたりします。


あだきち君のために簡単に操作できるトースターを買おうかとも思ったのですが、気持ちが不安定なときに、炭水化物を再現なく食べてしまう癖があるので、見送りました。
















2019年10月25日金曜日

台風・はみがき



雨が続きます。

先日の台風19号(ハギビス)のときは、洪水が心配でたまりませんでしたが、今回きている台風も、かなり雨を降らせているようです。


あだきち君は、昨日から、落ち着きません。

介護施設でも、帰宅支援の移動中も、憂鬱そうだったり、介助の方に甘えたりしていたようです。


今朝は、雨音のする窓のそとを眺めながら、なんども予定を確認して、いらいらしている様子です。



さきほど、気象庁からも大雨洪水の警報が出たようです。


注意して一日を暮らします。




はみがき



先日、あだきち君の歯科通院のときに、歯磨き指導があったのですが、そのときにスタッフの方が使っていた、LIONの「Check-Up」というはみがきジェルの「ぶどう味」が、あだきち君がとても気に入ったようなので、購入しました。




Check-Up Amazonで見る








虫歯が増えると大変なので、毎日これで歯磨きをがんばっています。









2019年10月24日木曜日

文字の練習・障害者手帳のこと


あだきち君、今日は介護施設では、ちょっと甘えん坊だったとのこと。

帰宅のときにお世話になった方によると、なんだかしょんぼりして、遊びにも乗り気ではなかったそうです。


食欲はあるし、体調も問題なさそうなので、なにか悲しいことでも思い出したのかもしれません。



漢字の練習




あだきち君の、漢字の練習プリントです。


介護施設での自習時間に一人で書いたもの(最初の画像)は、文字が崩れてしまって、判読が難しいものも多いです。


介護施設で一人でかいたプリント


連絡帳も書いてきてくれるのですが、こういう書体ですので、本人でも読めない日もあり、家族で解読しています。


下の画像は、今朝、私と一緒に書き取りの練習をしたもの。


鉛筆を握っている手の甲に、かるく指を置いてやるだけで、手元に意識がよく集中して、読める文字を書けるようになります。


自宅で一緒にかいたプリント



介助なしでは読める文字を書かかないのは、集中力の問題だけでなく、あだきち君自身、他人が読めるように書くという意識がないからかもしれません。

それは、文字が、自分以外の誰かに気持ちを伝えることのできる、コミュニケーションの道具であるということが、本当にはわかっていないということでもあります。


そういうことを、どうやったら、あだきち君に教えることができるのか。


まだまだ、時間がかかりそうです。




療育手帳



今年は、あだきち君の手帳の更新の年にあたっています。

未成年のあいだは、更新のたびに、児童相談所で検査をうけていましたが、成人以降は、自治体が指定する病院に行かなくてはならないと言われていました。


病院への経路をgoogleマップで調べてみると、電車とバスで一時間半、自家用車だと一時間ちょっとかかるところにありました。


現在の私の体力では、往復二時間超の運転は、かなりきついものがあります。

(五十肩、老眼、更年期のあれこれ……orz)


といって、交通機関を使うのもも、不安です。
あだきち君と最後に電車に乗ったのは、もう五年ほども前になります。

もしも、駅のホームなどで、大柄なあだきち君がパニックになったら、私一人では、安全を守れる自信がありません。


暴れるようなパニックは、いまではほとんど起こすことがありませんが、慣れない場所では、どうなるか予測がつきません。



検査の日は病院から指定されるということで、ゆううつな気持ちで連絡を待っていたところ、昨日、障害福祉課のほうから、電話がありました。



「これまでの経過から判断して、今回、検査の必要はないとのことです。あだきちさんは、これまで通り、マルA(最重度)判定ということになります」



正直、ホッとしました。



東田直樹さんの絵本


東田直樹さんの「ぼくの世界」という絵本を、Amazonの、Kindle読み放題サービスで見つけたので、さっそく読んでみています。






「自閉というぼくの世界」(Amazonで見る)




テレビのドキュメンタリー番組などで見る、東田直樹さんの様子は、あだきち君の普段の姿と、とてもよく似ています。


だから、東田さんの、次のような文章を読むと、あだきち君も、こころのなかでそう感じているのかもしれないと、思わずにはいられなくなります。



ぼくが やることは
人に話しかけることではなく
光や風と 遊ぶことでした。
光は いつも ゆらゆらと
目のおくまで 入ってきて
見ているものを へんかさせます。
それはまるで
さそわれておどる ダンスのように
ゆったりと
それでいて 三拍子のリズムのように
きそく正しく
ぼくの心を おどらせました。 
そよふく風も
あらしのような台風も
ぼくの 友達でした。
風はいつも ぼくといっしょに いてくれます。
楽しい時 風は ぼくのそばで
クルクルと 笑います。
ぼくも 手を肩から ぐるぐる回して
「きょうは 雲が はやく動くね。
きみたちは どこへ行くの。」
と 笑い返します。
   (「自閉というぼくの世界」より) 


よく晴れた日の公園で、空を見上げるときや、風に吹かれているときの、あだきち君の表情は、ほんとうに幸せそうで、声に出して笑っていることも、よくあります。

けれども、知らない場所に行かなくてはならないときや、外出中に、次の予定がどうなっているのか、よくわからないときなど、あだきち君は、不安を抱えきれなくなるようです。


ぼくは きっと みんなとはちがうのでしょう。
少しのことにも 大声で泣き
うまく 名前を言うことすら 大変です。
この世界は
ぼくたちのような しょうがいがある子にとって
とても不安で
かかわりにくい世界です。
(「自閉というぼくの世界」より)






東田直樹さんの著作は、私にとって、あだきち君の心を推しはかるための、大きな道しるべです。








2019年10月23日水曜日

二十一歳の漢字の練習


今朝は、ひさしぶりに、あだきち君と漢字の練習をしました。


新しい熟語は、「令和」です。


その他、「今年」「十月」「十一月」など、月日に関することばをいくつか練習しました。



あだきち君は、漢字の写し書きは好きなのですが、ゆっくり丁寧に、字体を整えて書くということが苦手です。とにかく早く書いてしまおうとして、手元を注意しないので、線が重なったり、離れてしまったりして、読めない文字になってしまうことが多いのです。


「ゆっくり書いて」と、声をかけると、少しだけ意識が手元に行きますが、熟語を書き終えるまで維持するのは、大変なようです。


ペンを持っている右手に、軽く私の手を乗せるなどして、触っていると、書き終えるまで、意識を手元に集中することができます。その結果、きちんと読める文字になります。



できるだけ丁寧に、六十文字ほど書いてもらって、今朝の練習は終わりました。











2019年10月22日火曜日

正殿の儀をながめながら



今日は火曜日ですが、正殿の儀のため、介護施設も、福祉サービスでの外出も、お休みです。


イレギュラーな休日だからか、あだきち君は、朝から落ち着きません。


午前中からお風呂に入ったあとは、布団乾燥機で乾燥中の布団の横に座って、ずっと、iPadを眺めています。




せっかくなので、テレビで中継を見ようと思ったのですが、あだきち君に消されてしまいました。



YouTubeでの正殿の儀の中継をちらちらと見ていて、ふと、あだきち君に、年号を教えたことがなかったなと思いました。


あだきち君には、季節や日にちの概念はありますが、年単位となると、把握しにくいようで、自分の年齢や学年を、正確に把握できたことがありません。


いい機会なので、「令和」を教えてみようかと思います。


漢字の「和」の字は、以前練習して書けるので、「令」の字を書けるようになれば、「令和」は習得できます。



漢字の学習は、文字を見ることが好きなあだきち君にとって、自信や楽しみに繋がるものでもあります。


あとで、一緒に練習してみることにします。








2019年10月21日月曜日

成人後の暮らしと、療育の可能性


あだきち君の生活は、シンプルです。

平日は、介護施設で半日過ごし、夕方帰宅。

週に三回ほど、施設のあとに、介護福祉のサービスで、お散歩に連れて行ってもらっています。


土曜日は、福祉サービスでのおでかけ。
日曜日は、お父さんと食材の買い出し。



特別支援学校を卒業してから、ずっと、この繰り返しで過ごしています。

在学中には民間の療育教室にも通っていましたが、そちらも「卒業」しました。

年齢の上限があるものではないので、やめずに続けることもできたのですが、私の体力がもちませんでした。


療育教室の名前を、あだきち君は、やめてからも三年間、ことあるごとに言い続けていましたが、四年目に入って、口にしなくなりました。


療育をやめてしまったことを、あだきち君に申し訳なく思う気持ちはあります。

けれども、親が老いてくれば、遅かれ早かれ、いずれできなくなることではありました。
仕方がなかったと思います。



あだきち君が、いまの、穏やかで変化の少ない生活について、どう思っているのかは分かりません。


もしかしたら、不満はあるのかもしれませんし、もっと新しい経験をしたいと感じることもあるのかもしれません。


ただ、精神的には、安定はしている様子です。




けれども、ダイニングテーブルの、あだきち君の椅子には、療育の道具が入ったバッグがかけてあります。

療育をやめて、もう四年以上になるのに、そのバッグだけは、絶対に動かそうとしません。家族がそれを片づけようとしただけで、怒って止めにきます。


療育のバッグを動かさないことに、あだきち君の何らかの思いがあるのだと思います。


もしかすると、勉強がしたいのかもしれません。

でも、自分で道具を出してきて、勉強しようとはしないのです。
私に催促をすることも、ありません。

あだきち君にとって、自宅での学習は、常に、私と差し向いで行うものでした。

自立して、読み書きできるようになってほしいと願い、そう教えようとし続けましたが、とうとうかないませんでした。



あだきち君が、読み書きをするのは、いまでは介護施設で連絡帳を書くときだけに限られています。

施設の職員さんが、そばについて、その日のランチのメニューや、リクレーションでやったことなどを、口添えして書かせてくれています。


ほとんどは、職員さんの口述を書きとる形のようで、自発的に文章を書くということは、いまのところないようです。


自分で文章を書ける日がくればいいのにと、いまも私は願っています。


「自閉症の僕が跳びはねる理由」他、魅力的な本をたくさん執筆されている東田直樹さんのように。


あるいは、「もう闇のなかにはいたくない―自閉症と闘う少年の日記」の著者である、ビルガー・ゼリーンさんのように。



そのために、何かしてやれることはないかと思いつつ、方策が見いだせないまま、月日が流れていきます。





重度自閉症で発語もほとんどない、ビルガー・ゼリーンさんの本が出たときは、本当に本人が書いた文章であるのかということについて、かなりの騒動になったと聞きます。

そのときのスキャンダルに衝撃を受けて、文章が書けなくなってしまったとも。

その後、どうされているのか、気になります。


 Amazonで見る




検索してみたら、ウィキペデアに、彼の記事がありました。


Birger Sellin

Am 24. Juli 2013 wurde in Stern-TV ein Feature über den inzwischen 40-jährigen Birger Sellin mit dem Titel Ein Autist sucht Kontakt mit der Außenwelt gesendet.



2013年に、40歳になったビルガー・ゼリーンさんについてのテレビ番組が放映されたようです。


もう一つ著作が出ていて、

「ich deserteur einer artigen autistenrasse. neue botschaften an das volk der oberwelt」


というタイトルのようですが、、日本語への翻訳はされていないようです。

kindle版は入手できるようですが、ドイツ語は、私にはちと厳しいです(T_T)。



2013年に40歳だったということは、いまは46歳でしょうか。


「もう闇のなかにいたくない」を読んだのは、あだきち君が、まだ幼児だったころでした。



あだきち君が四十歳になったころ、どんなふうに暮らしているのか、まだ想像もつきません。


少しでも生活の楽しみや精神的な豊かさが増してくれるように、まだまだ考え続けることになりそうです。












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2019年6月4日火曜日

「白身魚」が「自身魚」になる理由




介護施設に通うあだきち君は、連絡帳に、ときどき、お昼のメニューを書き取ってきてくれます。

でも、字がかなり乱れていて、読み取れないことも結構あります。



昨日のメニューも、かなり判読困難だったのですが、そのカオスのなかで、はっきりと読み取れたのが、これでした。



 自身魚


謎の造語です。

深く意味を考えると、めまいを起こしそうな単語を、あだきち君は作ってしまいました。


なぜ、こんなことばが生まれてしまったのか。


連絡帳のあだきち君の文字を、じーっと見ていたら、たんなる見間違い、書き間違えではない奥深さがあるように思えてきました。


ちなみに、自宅用にも配布されている献立表には、「白身魚」と書いてあります。ミスプリで「自身魚」になっていた、なんてことは、ありません。



そして、あだきち君は、「白」という漢字が書けますし、読みも意味も知っています。


小学校のころ、「赤」「青」「黄」「茶」「黒」「白」などの色の漢字を、数年にわたって練習を続けて、しっかり覚えていますし、いまもその知識にゆらぎはありません。


だから、「白身魚」を写し書きするのに、見た通りに書かずに、わざわざ「自身魚」と書くのには、あだきち君なりの理由があるはずです。それは、なぜなのか。




・「白身」という単語を知らない

・「自身」という単語は、なんとなく知っていた

・「自身」と「魚」を続けて書くことへの違和感、意味の不整合性への気づきを持たない




こう書くと、身も蓋もありませんが、ここからもう少し深く考えてみると、日々の暮らしのなかで、あだきち君がことばの世界に感じているとまどいや、不都合さが、見えてくるような気がします。



あだきち君が習得していることば(単語)は、ごくごく限られたものです。

正確に数えることは難しいですが、「聞いて、だいたい意味をつかめる語」を全部入れても、おそらく、200語くらいではないかと思います。

そして、その大半は、「りんご」「みかん」といった、具体的なものの名前、名詞です。
次に多いのは、「立つ」「歩く」「走る」など、あだきち君自身の動作をいいあわらす動詞です。


形のないものについてあらわすことば、感覚、状況などをあらわす言、抽象概念や、総称、代名詞的な用法の単語は、自分から使うことは、まずありません。


「自身」という単語も、使ったのを見聞きしたことはありませんし、おそらく意味を正確に把握しているわけではないと思います。


ただ、「自分」という単語はよく知っているので、その関連のことばとして、記憶しているのかもしれません。

そして、「自分」「自身」など、「自」ということばにかかわる日常的な状況について、あだきち君の意識は、強く反応する傾向がある可能性があります。


小さいころから、


「自分でやろう」
「自分のを持ってきて」


というように、「自」強くを意識させられるようなことばがけをされる機会は、とても多かったはずですし、それは介護施設に通ういまも、あまり変っていないと思います。


連絡帳も、あだきち君が「自分で書く」ものです。もしかしたら、介助してくださった方も、


「ここ、自分で書いてみてね」


と声がけしてくださったかもしれません。


そういう暮らしのなかで、献立表のなかに、「白身魚」という文字列を発見したとき、あだきち君は、食材としての魚ではなく、「自」を想起してしまったとしても、不思議ではないように思えます。


あだきち君は魚料理は大好きですが、もともと総称が苦手ですので、サバ(味噌煮・缶詰)、カツオ(たたき)、サケ(切り身のバター焼きか石狩汁)という名詞はよく知っていますが、「さかな」ということばでそれらをまとめて言うことは、ないのです。つまり、あだきち君にとって、「魚」は、印象の薄い言葉である可能性があります。





あだきち君の「自身魚」は、このようにして生み出されたことばであるように私には思えます。




そして、あだきち君のことばの習得がなかなか広がっていかないのも、このような言語感覚に由来するものだと思えます。








2019年5月31日金曜日

今日のあだきち君



介護施設で、「ムースーロー」というおかずが出たと、あだきち君が連絡帳に書いてきてくれました。

いつも、お昼をあまり食べないあだきち君が、その「ムースーロー」を、きれいに完食したと、職員さんからの連絡超に書いてありました。


どんなお料理か知らなかったので、検索をしてみたら、キクラゲと卵を使った中華風の炒め物とのこと。


動画もありました。








実は前の晩に、自宅でも、卵とキャベツのオイスターソース炒めを作ったばかりで、あだきち君に大好評でした。今日のお昼にいただいた「ムースーロー」、たぶん味は似ていただろうと思います。



・・・・・


夜の九時過ぎに、あだきち君が、半目をあけて、iPadをいじっているので、


「ねむいんじゃない?」


と声をかけたら、


「ねむい」


と、自分でも言いうので、


「うん、ねむそうだよ」


といったら、


「おやすみ」


と言いました。


こうして書くと、会話のように見えますが……


最初の「ねむい」という返事は、私の「ねむいんじゃない?」という問いかけから、動詞を抜き取っただけの、一種のオウム返しのような印象です。あだきち君は、よくそういう答え方をするのですが、ほんとうに「ねむい」からそういっているのか、単に拾った言葉を返しているだけなのか、判別がつきません。


「買い物いく?」
「いく」
「ごはん食べる?」
「たべる」
「お茶飲む?」
「のむ」

こう返事をしていても、本心からの肯定はないことも多いのです。


また、最後の「おやすみ」も、時間帯が夜であることと、「ねむい」という言葉に関係の深いものとして、連想されたから、口に出た言葉だろうと思っています。実際「おやすみ」と言ったあとも、眠る様子はなく、そのまま遊び続けていました。


こういう「会話」めいたやりとりをしているときの、あだきち君の声は、一昔前の、ひらがなテキストを読みあげるAIみたいです。


いつか、ほんとうに言いたい言葉を選んで、会話を組み立てて、自然な感情を乗せた声で話せるようになってくれたらいいなと思いながら、毎日、いろいろなことを話しかけています。








2019年5月30日木曜日

日記


暑い日が続きます。


あだきち君、今日は、福祉サービスのおでかけで、盛りだくさんのレクレーションだったようです。

公園での、たっぷりの散歩、遊具での運動。

体育のあった学校時代と違って、どうしても運動不足になりがちの生活ですので、ありがたいと思います。


介護施設では、寝具運び、掃除などのお手伝いもあるようです。
力持ちなので、楽しんで働けているのではないかと思っています。


青空を見上げながら、満面の笑みをうかべてブランコを漕ぐ、大柄な青年。


あだきち君のほかにも、そういう人が、きっと日本のあちこちにいると思います。

みんな、地域に受け入れられて、すこやかに、穏やかに暮らしてほしいと、心から願っています。




2019年5月28日火曜日

今朝の日記


二年ほどサボッていましたが、日記、再開します。

あだきち君が特別支援学校を卒業して、三年ちょっとになります。

いまは毎日介護施設に通所して、行動援護サービスのお世話にもなりながら、穏やかに過ごしています。


穏やかすぎて、あまり特筆すべきこともない……というわけでもなく、やはり日々、いろいろなことが起きています。


でも、おおむね、「いい日常」だと思っています。



あだきち君の重度障害を疑ったのは、一歳半を過ぎたころでした。それからあっという間に、嵐のように、二十年が過ぎました。

親である私たちも、還暦がもうすぐそこまできています。

この先、どんなふうに暮らしていくのか、この穏やかな日々が、どこまで続いていくのか。


愛おしみながら、書いて残していければと思います。



今朝は、あだきち君はたぶん五時起き。私もそのぐらいに目が覚めました。

七時くらいに朝食をとって(トースト、小松菜の炒め物、ミニハンバーグ)、九時すぎに通所。

暑いので、半袖Tシャツで出かけました。

介護施設のバスを待っている間、ちょっとナーバスになったのか、目をパチパチさせたりしていました。

空は曇り気味で、午後から雨という予報。気圧や天気の変化に敏感な人なので、何か感じていたかもしれません。

バスがくると、さっと表情が明るくなって、元気に乗車。
先に乗っていた利用者さんたちも、ニコニコして迎えてくれました。