2017年6月1日木曜日

人間には、自分と違う存在をヘイトする本能みたいなものがあるのだろうか。あるのだろうな。






少し前になりますが、Twitterの記事を眺めていたら、"死ね殺せ"を乱発するタイプのヘイトスピーチが目に入りました。

その発言者の攻撃先は、ある種のマイノリティでした。
そのまま引用したくないので、趣旨を汲んで創作したものを例文としてあげてみます。


不気味深海生物ブロブフィッシュは生きていてはいけない生物だぴょーん。
あんなの生きててもしかたがないっぴょん
あいつらの保護なんてお金のむだぴょん 殺せぴょん
ブロブフィッシュを増やそうとするヤツごと皆殺しぴょん! 





【衝撃】世界で最も醜い生物ブロブフィッシュ
https://www.youtube.com/watch?v=8zm4G3BNYro




いや、ほんと、不思議な魚ですね。
醜い、というのとは違う気がします。ただただ、不思議。

人の顔のようになっているのは、もともとの姿ではなく、深海から水揚げされてしまったことで、体が変わってしまったからなのだとか。



実際にツイートされていた文章は、もちろん希少深海生物「ブロブフィッシュ」についてではなく、人間にむけて書かれていました。

どんな人たちがヘイトのターゲットにされていたかは書きません。書きたくありません。

ただ、私がわざわざこうして話題にしようとしていろところから、ご想像いただけるのではないかと思います。

ちなみに語尾は「ぴょん」などではありませんでした。くどいようですが、上の作文は私の創作です。でもまあ、内容はほぼこんな感じでした。(´・ω・`)

対人のヘイトスピーチということで、当然、Twitterのポリシーに反する発言ですから、発言削除やアカウント停止の対象となる可能性があります。

Twitterのポリシーを引用してみます。

https://support.twitter.com/articles/20175057?lang=ja

ヘイト行為に対するポリシー表現の自由は、人々が恐怖によって発言できないという状況では意味を成しません。Twitterは他者の発言を抑制する嫌がらせ、威圧、脅しを禁止しています。Twitter上で、これらのルールへの違反を見つけた方はご連絡ください。

本件に関するTwitterのポリシー
Twitterルールには以下の記載があります。 
 ヘイト行為: 人種、民族、出身地、性的指向、性別、性同一性、信仰している宗教、年齢、障碍、疾患を理由とした他者への暴力行為、直接的な攻撃、脅迫の助長を禁じます。また、以上のような属性を理由とした他者への攻撃を扇動することを主な目的として、アカウントを利用することも禁じます。 
Twitterでは下記の例をはじめとした、個人または特定の集団へのあらゆる嫌がらせを禁止しています。 
強烈な身体的脅威
個人または特定の集団の怪我、死亡、病気を望む発言
大量殺人、暴力事件、または特定の集団が標的または被害者となっている具体的な暴行をほのめかす発言
法的または社会的に守られるべき特定の集団に恐怖を感じさせるような行動
中傷、悪口、人種や性差別的発言など、他者の尊厳を低下させる内容を繰り返す行為や、それらによって相手の品位を損なうような投稿


当然ですが、めちゃめちゃ、マトモです。


「皆殺しぴょん」的なヘイト発言が、どうなるかなと思って見ていましたら、たまたま見かけたらしい複数の方々が、運営への通報を含む、抗議行動を集団的に起こしたようで、該当発言は削除されました。

削除は運営が行ったのか、書いたご本人が行ったのかは、分かりません。

そのご本人は、抗議行動に対して、

「なんか意味わかんないヘイトを受けたぴょーん」

と、強い怒りを表明していて、ご自身のヘイトスピーチについては、一切反省してませんでした。

残念なことですが、この「ぴょん」の人のように、全く悪びれずにヘイトスピーチを行う人は、あまり珍しくもありません。

そして、ヘイトスピーチを行う人のほとんどは、「ぴょん」の人と同様に、は殺戮が大好きな変質者というわけではないんだろうと思います。

ちなみに「ぴょん」の人は、自然や動物を愛好し、それに関した写真や話題をシェアしながら、趣味嗜好を同じくする仲間達と穏やかにコミュニケーションを取ることのできる、ごく「普通の人」のようでした。

そういう「普通の人」が、自分とは関わりのない、マイノリティである人々に向って、「殺せぴょーん」「皆殺しぴょーん」と、全世界に公開されているTwitterで、当然のことのように書いてしまうところに、気持ち悪さを感じるわけですが、考えてみたら、そういう具合に常識化した差別というものは、「ホロコースト」などの例を引くまでもなく、ずっと昔から、ごく当たり前にあったことなのでした。


集団にあって、排他に向かわせる感情、欲求というものは、動物のなかに本能レベルで存在している仕組みなんじゃないかと思います。なにしろ排他が全く存在しない文化というものを想像できません。文化という枠でくくれるものは、多かれ少なかれ、何かを排することでまとまりを持っているものでしょうから。

しかたがないのかもしれないけれど、本能を野放しにするのと同様、あまり行きすぎれば「殺せ」「死ね」となって危険になってしまうから、理性や教育でコントロールする必要がある……そういうことなのだろうと思います。


Twitterのポリシーは、そんな人間の本能レベルのところから生まれてくる様態に、打ち勝つことができるのかどうか。

なんだかもう、ヘイトスピーチを憎んでいるはずの人たちの言葉が、「差別はよくないから差別主義者を徹底排除しろ」みたいに、ヘイトをヘイトするヘイトスピーチになっちゃったりしているのを見るにつけ、これは簡単にはいかない問題だろうなあと、ため息が出ます。


どこかでみんなで、立ち止まって考えてみたらいいんじゃないかと思うんです。

あなたが「殺せ」と叫び、「皆殺し」にしたいほど、排除を願う、"その人たち"が、ほんとうに皆殺しになって、あなたの所属する集団のなかから消滅したとき、あなたは幸福になるのですか。


排他がもしも本能であるなら、一つの排除が完了したとき、その本能は、また別の排除を執り行おうとして、ターゲットを探すことになるでしょう。もともと人間は多様さを抱えた種族ですから、行きすぎた排他の行き着く先は、集団内純化などではなく、滅亡であることは間違いありません。それで、ほんとうにいいのかどうか。