2002年6月25日火曜日

【過去日記】愛着・密着・シャイな主張


※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/17) 



  うちの近所には深夜営業のスーパーが数件ある。
  日中、子供を引き連れて買い物に出るのはめちゃくちゃ大変なので、夫が仕事から帰ったあとで、私が一人で食材を買いに出ることにしている。

  で、このごろ、私が夜、一人で買い物に出ようとすると、息子に大泣きされるようになった。
  「普通の子供たち」よりも、およそ3年遅れで出てきた、「人見知り」や「他への愛着」の一環として現れている感情表出なのだと思うのだが、とにかく激しくて、毎度毎度、私としっかり目を合わせて、

「この別れに引き裂かれてはもう生きていけない~~~」

という迫力でもって泣かれるから、出かけるたびに、こちらもなかなかしんどい思いをする。

 ちかごろでは、私がバッグに手をかけただけで、外出の気配を察知して、密着ガードするようになってしまった。

  二年前まで、息子は、私がそばにいようがいまいが、見向きもしない子供だった。それが今では、このありさまである。息子の中に、こんな濃い感情があるなんて、以前は想像することもできなかった。でも、あったのである。

  家で過ごしているときの息子は、しょっちゅう、私に抱きつきにくる。「抱っこしてー」とせがむのではない。背後や側面から、そっと歩み寄ってきて、自分でぎゅっと、私の腕や肩を抱きしめるようにして、またそっと立ち去っていく。なんだか熱烈なのかシャイなのか分からないが、とにかくそういうやりかたで、始終愛情表現している。

  昨年、ベテランの児童心理の先生の面接指導を受けたとき、

 「この子は、自閉症というには、内面に持っているものが豊か過ぎますね。人に対する感情もとても豊かですよ。それにものすごく傷つきやすい、繊細な面を持った子ですね」

  と言われたことを思い出す。そのころは、息子がまわりの自閉の子とそれほど違っているようには思えず、むしろいろいろな面での発達の遅ればかりが目立っていたから、先生の言葉がなんだかピンとこなかったのだが、先生は、当時から息子の、寂しがりやで愛情たっぷりの資質を見ぬいてくれていたのかもしれない。

  そういえば、心理の先生は、このとき、おもしろいことを教えてくれた。お絵描きについての話である。

  子供たちは、自我や自意識が芽生えてくると、上手に丸が描けるようになってくる。他人との関係を結ぶ力が育ってくると、直線が描けるようになってくる、というのである。理由はわからないが、なんだか不思議と、そういうふうに、心の発達とお絵描きの能力が、関わりあって発達していくらしい。

  息子は、丸を描けるようになったのは早かったが、直線はなかなか描けなかった。いまもあまり上手ではないが、先月あたりから、なんとか点から点へ、線を結ぶことができるようになった。

  もちろん、ことのことは、どの子供にも一概に言えるわけではない。他人と会話が出来るようになる前に、文字がすらすら書けるようになってしまう自閉の子もいる。文字はもっぱら線の組み合わせで出来ている。つまり、上の説が普遍的なものであるとするなら、文字がすらすら書けるということは、他者との関係確立が達者な子供であるということになってしまうわけだが、そういうことはないと思う。

  ただ、コミュニケーションができないのに文字が描けるようになっている自閉の子は、もしかしたら、人間に対してではなく、さまざまな事物や抽象概念に対して、愛情ではなく文字記号を仲立ちにして、多くの結びつきを確立しているために、線が自在に引けるようになっているのかもしれない、ということも思う。もちろん私の想像でしかないことである。


2002年6月24日月曜日

【過去日記】言葉の記録・「おおきい」


※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/17)


 きのう、突如として、息子が「父との会話」を成立させた。

父「おい、息子!」
息 「・・・・・」
父「来い。出かけるぞ」
息「なんだってんだよ」
父「なんだってんだよ、じゃないだろ。公園へ行くぞ!」
息 「こーえん?」
父「そうだ。行くぞ」
息 「こーえん!」

  なかなか感動的であった。
  「なんだってんだ」という言い方は、ずいぶん前に、息子が使用語彙として獲得していたものであるが、久しく使っていなかった。

  息子は、ほとんどオウム返しをしないのだが、ときどきこのように、相手の言葉を返すやりかたで、「会話」を組み立てようとすることがある。

  いま、これを書いていたら、息子が、木製の汽車のオモチャを持ってきて、私の手に握らせた。息子は私の椅子の後ろで、ミニカー用の坂道を出してきて遊んでいたのだが、その坂道で汽車のオモチャも走らせてみようと思いついたらしい。ところが、汽車はミニカーよりも大きいので、坂道にうまく乗らない。そこで困って、私に頼りにきたのである。けれど、私だって出来ないものは出来ない。「これは、大きいから、ダメだよ」と教えると、息子は、

 「おーきい。だめ。だめ!」

  と言いながら、顔を歪めてカンシャクを起こし、ドカッと私の背中を叩いた。叩くのは絶対に許さないことにしているので、すぐに厳しく叱った(体罰はやらない)。すると、息子は、もう一度、小さな声で、「おーきい」とつぶやき、その遊びをやめた。どうやら状況を理解し、納得したらしい。

  こんな具合に、ちかごろの息子は、抽象的な概念や言葉を学習しつつある。

  話は変わる。

  いろんな障害児・難病関連のサイトなんかを見て回っていると、「うちの子が○○症かもしれない!!」という心配に駆られた人が、サイトのオーナーに思いの丈やら質問を、大長文でぶつけまくっているのを、ときどき目にすることがある。

  気持ちは分かる。ほんとに分かる。

  たいていの人は、障害や難病のことなんて何も知らずに暮しているのだし、その得体の知れないモノに我が子が襲われているのかもしれないと思ったら、少なくとも最初のうちは、不安でいてもたってもいられなくなるのが普通の人情だろう。私にもそんな時期があったかなー(実はほとんど無かったのだが)と思いながら、そういう質問の長文を眺めていると、

 「いま妊娠三ヶ月なのですが」

  とか、

 「これから妊娠するかもしれないんですけど、夫の遠縁に自閉症者がいると分かって」

  なんて書いてあったりするから、読んでいるほうはガクッとくる。もう心配で思いつめて、「生まれた子が障害児だったらどうしようと思うと、食事も喉を通らない」なんてことも書いてあったりする。それは正常なつわりなのでは、と思うのだが、ご本人は、もう真剣に、命がけで悩んでいる。だから、実際にそういう障害や病気を持った子供たちの親に、シツコイほど、クドいほど、質問をぶつけてしまう。それも、あまり前向きでない、障害児や難病児になる可能性をあらさがしするような質問ばかり、書き連ねてしまう。

この人たちは、障害や難病のことを知りたいのではない。ただもう、自分の子が障害児や難病児でない証拠を、どこかで見つけて安心したいだけなのだ。占いにすがって未来の不安を打ち消したい人の心理に似ている。

  そういう人を見かけると、なんだかちょっと、残念な気持ちになる。

  この人きっと、自分の子供が生まれてみて、障害でも難病でもないってわかったら、きっと、

 「あーよかった!」

  って、言うんだろうなあ。そして、そうやって不安に駆られて吐くほど悩んだことなんて、きっと「笑い話」とか「いい思い出」とかになってしまうんだろうなあ。

  それは別にいいんだけど(障害や難病で苦しむ家庭なんて、一軒でも少ないほうがいいに決まっている)、でも、そういう人たちにとって、実際に障害や難病を持っている子供たちの存在って、何なんだろうって、思ってしまう。

 「はやとちり」した「笑い話」のネタの一部? 

 それとも単なる貧乏クジ?

  なんだかなあ、と思う。

  息子が障害児だとはっきり分かってしばらくしてから、私は、自分の幼稚園時代の恩師に手紙を書いた。問い合わせや質問が目的ではない。ただ、報告するだけの手紙だった。

  恩師からの返事には、「職場で、自閉の子を何人も見てきましたが、みんなそれぞれの道筋を通って、ちゃんと成長していきます。がんばりなさい」と書いてあった。とてもうれしかった。ちゃんと成長していく力があるんだから、成長させてやらなくちゃ、と思った。それで力が出た。

  私もときどき、未来の心配に取りつかれた人の質問攻めにあうことがあるが、そういう人には、幼稚園のときの恩師が贈ってくれた言葉と同じものを贈る。障害が軽いとは言えない息子のことを根掘り葉掘り聞き込み調査され、「あーよかった。うちの子と違うわ」とはっきり言われたことがあって以来、そういう目的の比較調査には応じる気になれない。ちょっとかたくなな態度かもしれないが、
でもイヤなものはイヤだから。



2002年6月22日土曜日

【過去日記】突然出る言葉

※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)

  おととい、風呂場で息子に水遊びをさせた。上の子(いっそU子にしてしまおうか)も一緒に、シャボン玉をやったり、シャワーを出し放題にして、噴水ごっこをしたりした。

 息子は、それが衝撃的に面白かったらしい。

 ひとしきり遊んで風呂場から出そうとしたら、姉と一緒に風呂場に閉じこもり、内側から鍵をかけてしまったので、姉のほうを一喝して鍵を開けさせ、「水遊びは終わり!」と言って、風呂場から引きずり出した。

 すると息子は、

「おわり! おわり! おわり!」

  と見事な発音で叫び、また風呂場に戻ろうとした。が、再度「水遊びは終わり」と言い聞かせ、着替えをさせると、落ち着いて従った。

  息子が「おわり」という言葉を使ったのは、これがはじめてだと思う。親の言葉を即座にマネすることなど、普段はめったにないのに、感情が高揚して、何かに必死になっているようなときは、このように明瞭な言葉がいきなり飛び出してくることがある。このあたり、脳の中の言葉に関わるシステムがうかがい知れるようで興味深い。

  以前、医療ミスで脳内の海馬という部分が壊れてしまった男性のドキュメンタリーを見たことがある。海馬が破壊されると、体験したことがらを、長期記憶として保存することができなくなるという。見たり聞いたりしたこと全てを、ほとんど数分で忘れてしまい、記憶に残らないため、生活に著しい支障をきたす。ところが、そういう障害のある人でも、強い個人的感情に結びついたような出来事であれば、比較的長い間、記憶していられることがあるという。ドキュメンタリーの中では、男性が、自分の子供と外出したときの一連の出来事の中で、子供の身を心配した瞬間の記憶だけが、帰宅後まで残っていた。

  強い感情に結びついた記憶や行動は、脳のなかで、何か特別の、バイパスのような神経の道筋を通って、呼び起こされたり引き起こされたりするのではないのだろうか。そしてそれは、脳内の障害のある部分をうまく迂回して、正常に近い回路を作ることもできるのではないだろうか。

  もちろん私の夢想に過ぎないことであるが、息子が時々、奇跡のように明瞭な言葉を語るのを耳にするたびに、そういうことを考えるのである。

2002/06/22

2002年6月20日木曜日

【過去日記】神経伝達物質

※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)
 


 きのうの日記のタイトルに「神経伝達物質」と書いておいて、その話を書き忘れている。
  うつ病をやったことがある。

  根っからノー天気なところのある性格なので(加えて怠慢・無責任)、長引かずに軽快したのであるが、かかっている最中の苦しさというのは、筆舌に尽くしがたいものであった。

  真っ先に出た症状は、読み書きが出来ないということだったが、それとほぼ同時に、音楽鑑賞ができなくなった。音という音が、わずらわしくてたまらなかった。会話中に意味を取ろうとすると、圧迫感を伴う雑音のようなものに脳が侵食されるような気がして、たまらない気分になった。

  それから一ヶ月ほどすると、家事がひたすら苦しくなった。とくにつらいのは、炊事だった。洗いものをしようとして流しの前に立つのに、ふと気づくと、何もせずにボーゼンと立ったままでいた。皿洗いには、細かな観察と複雑な視点変換、手指の運動や触覚の利用が要求される。その全部が、苦しくてならなかった。

  反対に、ゾーキンで床を拭き続けるような、単調な作業は、比較的ラクだった。規則正しい床の木目が、作業の支えになってくれるような気がして、のろのろとではあるあが、いつまでも、いつまでも、拭き続けることができた。ところが、そういう場合、作業をやめることが大変な苦痛になった。
  最後にうつ病的になったのは、息子の障害が分かったあとだった。

  当時、単純な作業に延々とこだわり続ける、無表情な息子の様子が、自分のうつ病の病態と重なった。自閉の子の脳とうつ病の大人の脳は、たぶん、神経伝達物質に関わる面で、部分的に似たようなことになっているのだろうと感じた。

  自閉症児に、抗鬱剤を投与して、状況の改善を図る治療法があることを知ったのは、その後のことである。本を読むと、大人の自閉症者でも、人によっては、ある種の抗鬱剤が、生活をラクにする場合があるという。ただし、みんなに効くというわけでなく、また処方の量も難しく、逆に悪化する人も少なからずいるそうである。

  息子の主治医に、抗鬱剤の投与について相談したことがある。処方については賛成してもらえなかったが、息子に、うつ病の人と似たような特徴があることは理解してもらうことができ、音楽によって改善を図るようにと進められた。幸い息子は、うつ病のときの私とはちがって、音楽をわずらわしいと思うことはないようである。息子の好きな音楽ビデオを、ステレオで聞けるようにするなどして、鑑賞環境を整えて以来、息子の状況は少し改善してきたような気がしている。




【過去日記】問題行動・神経伝達物質


※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)


  二年半前、二歳だった息子が自閉症かもしれないと気づいたときから、ずっと、こういう日記をつけている。パソコンの不調で飛んでしまったデータもあるけれど、一度書いたことは忘れにくいもののようで、なんとかこれまでの経過を頭に残すことは出来ている。

  息子の成長の過程は、他の子供たちとはずいぶん違っている。
 大雑把に言うと、「遅い」ということになるのだろうが、同じ道筋をゆっくり進んでいるというよりも、全く別の、迂回路やら裏道やら、異次元空間の道やらを、気ままに歩いているという感じがする。

  それでも、息子は、たしかに「成長」している、と感じる。
 部分的に見ると後退することも多いけれど、息子なりの、オリジナルな成熟の方向に向かっていることは確かだと思う。

  息子は、どんな大人になるのか。
  それはまだ、私にもわからない。
  昨年の息子にはできなくて、今年の息子に出来ることは、けっこうある。

  ・手をつないで、安全に道をあるけるようになった。
   (昨年はいやがって、大変だった)

  ・慣れない場所でパニックを起こしても、十分ほどで収まるようになった。

  ・スーパーマーケットのBGMに、耐性が出来た。

  ・「待ってて」というと、しばらくの間、じっと立って待っていることができるようになった。

  ・スプーンやコップを使って、一人で飲んだり食べたり、できるようになった。

  ・着替えが、ほとんど一人でできるようになった。
   (昨年までは、完全に着せ替え人形状態だった)

  ・靴を自分で脱ぎ履きするようになった。

  ・おまるに座ってうんちができるようになった。

  ・動くものを、目でよく追えるようになった。

  ・手をつかって物をいじる頻度が増えた。
   (昨年までは、手より足のほうが器用だった)

  ・人見知りをするようになった。

  ・型はめハズルが得意になった。

  ・ゆっくりなら、ひも通しも、なんとか出来るようになった。

  ・ままごと遊びらしきことを、するようになった。

  ・絵本を読むようになった。

  ・見たいビデオを自分で棚から選んで、親のところに持ってくるようになった。

  ・ほんのちょっとだけ、言葉が増えた。

  ・「おいで」「おふろだよ」「ごはんだよ」などの呼びかけに、正しく反応する。

  こうやって並べてみると、一年の進歩というのは、けっこうすごいものがある。息子、よくがんばっていると思う。

  しかし、問題もいろいろ残っている。

  ・ルールを学んで(推論して)、他の子供たちとの遊びに参加することが出来ない。

  ・言葉によるコミュニケーションがとにかく乏しい。

  ・発音に、かなりの難あり。

  ・遊びのバリエーションが増えない。積み木を一定の形に並べるだけ。とにかく何でも、ただ並べるだけ。

  ・模倣、ものまねができない。

  ・おしっこのタイミングが分からず、オムツが取れない。

  ・ウルトラ偏食男。
   (ごはんダメ。生野菜ダメ。大抵のおかずダメ。魚ダメ。外食ダメ。お茶ダメ)

  ・耳が敏感すぎるため、耳掃除がほとんど出来ない。ムリにやると、吐く。

  ・人と物を分かちあって使うことができない。取られると我慢できず、パニクる。

  ・奇声を発する。

  ・見知らぬ建物に入るとき、とりあえず、パニクる。

  ・危険や不潔を察知する能力に乏しい。

  ・齧る。叩く。

  ・放っておくと常同行動のモードに入る。

  ・放っておくと、いつも寝転んで、ダラダラしている。

  ・放っておくと、家中を真っ暗にして、暗がりのなかで遊んでいる。

  ・砂を食べる。

  まあ、いろいろとある。

  しかし、昨年までは、上に書いた「出来るようになったこと」の項目も、全部「できない」項目だったのだから、やはりこれはすごい進歩だと言える。

  こうしていろいろ書いていると、自閉症といわれる障害の本体というものは、一体何であるのかという疑問が、ふつふつと湧き上がってくる。

 脳の異常であるというのは、たしかにその通りだろう。けれども、これほど多彩な問題が表面に現れてくる以上、脳内の問題も単一なものではありえないはずである。
  
 病院などで診断を受けると、「自閉症は生涯治らない」ということを、必ず言われる。

 しかし、現実に、目に見えて改善されている部分がたくさんあるわけだし、自閉症の三大特徴といわれる、「言語遅滞」「こだわり」「コミュニケーション障害」についても、徐々にではあれ、成長、成熟の兆しを見せている。このまま成長していけば、「普通の、無難な大人」になることは出来ないとしても、社会のなかで自立することが可能なだけのスキルを身につけることは、できるのではないかと思わずにはいられない。

 実際に、職業的自立を果たし、問題を抱えながらも、介護を受けずに、自力で人生を切り開くことのできる自閉の人は存在する。

  仮に、自立できるような自閉の人を「軽度」であるとするならば、障害のどの部分が軽かったということになるのだろう。「重度」の人は、脳のどこが、「軽度」の人よりも悪いというのだろう。そのことについて、きちんと医学的に説明できる人はいるのだろうか。

  どうも私には、「重度」「軽度」という判定が、障害の本体である脳の異常の度合いを踏まえたものではなくて、単に、現象として現れている行動上の問題に、適当なものさしを当てはめているだけのことのような気がしてならないのである。

  「自閉症は生涯治らない」と言われる、その根拠が、脳のどこにあるのか、教えてもらいたい。

  本当に「治らない」のなら、彼らはなぜ、毎年進歩し、成長することができるのか。


2002年6月19日水曜日

【過去日記】せがれいじりと、育児


※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)
  
  来週あたり、上の子が、ずっと前から楽しみにしているゲームソフトが発売される。

その名も

「続・せがれいじり 変珍たませがれ」

 なんか、書くのが恥ずかしい名前であるが、内容も相当はずかしい。
 言葉を組み合わせて文を作りながら、世界を完成させていくというものなのだが、その組み合わせる言葉というのが、

 「いっぽんうんこ・うんめい」

  とか、そういうのばっかりで、しかもいちいち、組み合わせた言葉を映像化して見せられるものだから、二重にバカらしい思いをさせられる。

上の子は、このゲームの前作を、徹底的にやり込んでいる。ゲーム本編を自力で何回もコンプリートしただけでなく、挿入されているミニゲームでも鍛錬を重ねてきた。だからもう、否応無しに、続編にも期待が高まっている。

  正直、教育上よくない感じのゲームである。だったら買わなきゃいいようなもんなのだが、上の子(変なやつ)があんまり楽しみにしているので、うっかり購入を約束してしまった。

 それに、私自身、なんとなく愛着も感じるのである。ゲームの主人公「せがれ」のからだつきが、どうも、うちの息子に似ているからだと思う。スリムな身体にだぶだぶしたTシャツを着て、半ズボンをはいて、ぱたぱたと「世間」を歩き回りながら、いろんなものをいじりまわすしぐさが、とても息子的なのだ。


 ちなみに顔は似ていない、「せがれ」の顔は黄色い矢印だけで出来ているが、R太の顔には目も鼻もある。


  「せがれいじり」の前作が出たころ、息子はまだ分厚い自閉の壁の向うにいた。

 「世間」はおろか、自分の家族にも興味のない様子で、一日中、台所の隅っこでカンヅメを積み上げていた。

 オモチャをいくら買ってやってもほとんど遊ばず、同じ年頃の子供たちのするようなイタズラも、まったくやらなかった。「世間」を駆け回っていじりまわし、言葉を駆使する「せがれ」の姿に息子を重ねながら、心のどこかで祈るような思いをしていたのかもしれない。あんなゲームにそういうシリアスな思いを重ねられるというのも異常な話かもしれないが、それだけ当時は追い詰められていたのであろう。

  ともあれ、そのような思いが天に通じたのか何なのか、今の息子はとっても「せがれ」的である。イタズラはバリバリやる。ママとむすめさんが大好きなところも、息子そっくりである。
  

2002年6月18日火曜日

【過去日記】またしても、いろいろ


※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして、書いた日時の記事として、再掲載することにしました。(2016/04/16)

  早くも日記のタイトルを考えるのが面倒くさくなっている。
  前もこんなだったっけ。

  そのうち、ちゃんと目次とか索引とか作ろうと思ってるのに、毎日「いろいろ」じゃ退屈である。どうにかしよう。

  昨日、療育に出る前に、息子が読書に熱中していて、本を手放さなかったので、そのまま本を持って出た。

  気が短くて、次から次へと興味が移り変わり、うろうろすることの多い息子なのだが、本当に集中できるものに出会うと、こんどはテコでもその場から動かなくなる。

 ちかごろは、本に集中することがとても多くなった。

  読み方も変わってきた。前は、ただページを開いて眺めるだけだったのだが、このごろは、指差ししながら文字を追うことが多くなった。以前なら、親が読み上げてやると嫌がったものだが、このごろは素直に聞いている。聞くことが、だんだんラクになってきているのかもしれない。


  杉元賢治「大追跡!!アインシュタインの天才脳 (講談社SOPHIA BOOKS) 」という本に、アインシュタイン談として、次のような話が載っている。

  「私は書くことが苦手でしたので、読むと同時に言葉を聞き、この方法でかろうじて私の意志を伝えることができました」

  一見、とても分かりにくい言葉である。アインシュタインは、喋ったり、書いたりせずに、「読んで聞く」ことだけで、意志伝達をしていたというのである。「読む」ことも「聞く」ことも、情報の受容であり、発信ではない。これだけで、どうやって意志伝達ができたのか、想像するしかない。回りの大人が筆談しながら話しかけてくるのを、「読みながら聞く」ことによって内容を理解し、身振りなどでYES,NOの意思表示をしていたのかもしれない。

  何で読んだのか忘れたが、大人になった自閉症者の言葉で、印象深いものがあった。その人は、

 「子供のころは、聞こえてくる言葉がすべて、虫食いだらけの本のようだった」

  というのである。誰かに話しかけられても、単語がデタラメに、途切れ途切れに聞こえるだけで、ひとつながりの完成した文として聞こえてこないというのである。聴覚に関連した脳の機能の異常が、こういう現象を引き起こすらしい。多くの自閉症児が、このような不完全な「聞こえ方」であるために、言葉が遅れるのだという説もあったように思う。

  息子も、たぶんそのように聞こえているのだと思う。

  息子は、個人レッスンを受けているときに、よく隣の教室の先生の声に部分的に反応してしまっていることがある。普通の聴覚の持ち主ならば、目の前の先生の声と、隣の教室の声とを区別することは簡単だろうが、息子にとっては難しいのである。複数の音源から、交互に、とぎれとぎれに言葉が聞こえてくるのだから、さぞかし鬱陶しいことだろう。

  人間の耳というのは、聞きたい音だけをクローズアップして拾いつづけることができるようになっている。騒がしい教室のなかで、隣の人とこそこそ話をできるのも、うるさい雑踏のなかで自分の名前を呼ばれたときに反応できるのも、何を聞けばいいのかという取捨選択が出来るからである。息子には、それが難しい。

  それでも、このごろは、聞き分けの技術を自分なりに身につけつつあるようで、隣の教室の説教で泣くということはなくなった。

 慣れもあるのだろうが、脳の機能が少しづつ改善されてきているのではないかという気もしている。「聞き分け」の技術を身につけはじめてから、騒音などでパニックを起こすことがなくなっているからである。