2017年5月13日土曜日

生きづらさと、割り切り

ふにゃもらけと、おかーさん



iPhoneアプリの「ふにゃもらけ」と、「MiiTomo」をコラボさせて撮影してみました。

どちらも大好きな、癒やし系アプリです。
継続することが苦手な私(おかーさん)ですが、この二つは、だいぶ長続きしています。



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雨降りの土曜日です。

あだきち君は、福祉サービスでお出かけしました。
楽しみで楽しみでしかたがなかったようなのですが、外に出たら雨だったので、ちょっと顔が曇っていました。外で思いっきり体動かそうと思っていたのかもしれません。

おとーさんは、仕事で出張。一泊二日。関西のほうにいくので、いろいろとお土産候補をLINEで送りつけていますが、いまのところ反応ありません。

551蓬莱 豚まんとか、たべたいなあ。

Amazonでも売ってた




ほげ子さんは、今日の予定だった運動会が来週に延期になったので、昼近くまで寝ていました。

お昼は、お弁当にするはずだったサンドイッチを、あねぞうさん、ほげ子さんと三人で作って、食べました。


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■目標は一万なんだけど…



一日に一万字くらいは文章を書きたいなと思っているのですが、なかなか達成できません。

がんばっても、せいぜい四千字。

これがなぜか歩数と連動していて、一日一万歩を目指しているのに、多くても四千歩前後で終わる日が多いです。(iPhoneのアプリで計測)


歩数のほうは出不精が原因ですが、文章については、集中できる時間がまとまって取れないせいだと思います。細切れの時間を継ぎ合わせて何かをするということが、とても難しいのです。

集中していないときの私(おかーさん)は、非常に気の散りやすいタイプです。あれこれと目移りして、なかなか物事に取りかかれません。細切れの時間では、集中できる前に終わってしまうので、結局何もできません。


せっかくまとまった時間が取れたときでも、何かあって作業が中断すると、そのたびに集中力がリセットされてしまいます。

本来、過集中しやすいタイプで、何か始めると、集中して作業スピードを上げることが得意なのですが、その分、途中で邪魔が入ると、集中してた意識は一気に散漫になって、元の木阿弥状態。しかもメンタルをざっくり削られます。

昨日はほんとに間が悪くて、パソコンに向って数分たつと、来客などがあるということが、何度も何度もつづきました。

玄関チャイムが鳴るたびに、横転事故を起こしたような気分になります。

イメージ的に、こんな感じで……


https://www.youtube.com/watch?v=pfAkSlODdPc




これ、カーレースのゲームみたいですね。ものすごくリアル…最後、車が透き通るので、現実じゃないって分かりますけども。


こんな具合に、やってることが中断するたびに、精神的にズッコケますので、夕方くらいはに、ヘトヘトに。

夜には体調まですっかり悪くなって、ダウンしました。( ̄。 ̄;)

具合が悪いのに加えて、「今日も、やろうと思っていたことが、なんにもできなかったなあ」という、残念な気持ちが重なりますので、さらに気分が下降……

情けないんですけど、そういうタイプの人間であることを自覚して、工夫をしながら、無理せずやっていくしかありません。自己コントロール、大事ですね、ほんと。



■いろいろな、生きづらさ




特別支援教育ジャーナリストの、中谷美佐子さんという方のブログを拝見しました。

ASD(自閉症スペクトラム)の生きづらさ
http://ameblo.jp/inclusionclass/entry-11525667019.html

このブログに引用されている、片岡聡さんという方の意見陳述(抜粋)が、なんとも身につまされる内容となっていました。

片岡さんは、東大の薬学部で臨床薬学の博士となり、専門職を得ていながら、ASDの生きづらさのために退職を余儀なくされてしまったとのこと。

どれほど大変な思いをされてきたのかと想像すると、ため息が出ます。

私(おかーさん)は、ASDではありませんが、部分的に多少近い性質を持っています。他に、不注意系の特徴も、たくさん持っています。ですので、社会での生きにくさは、それなりに経験しています。

対人関係のつらさ。
いくら努力しても適応できない、集団生活でのさまざまなルール。
予定の管理や、事務的な手続きでの度重なる失敗。
ド方向音痴。
片付けられない。
その他もろもろ。

小学校から大学院中退までの、20年間の学校生活は、まさに七転八倒と言いたくなるような歳月でした。すっかり若返らせてくれると言われても、あの時代に戻ることだけは、御免被ります。そもそも若いころは、社会生活から受けるストレスで、体調は常にボロボロ、痛いところのない日というものが、ありませんでしたから。(´;ω;`)

ブログ記事の最後のほうに、事務手続きの複雑さが、社会参加の障壁になっているというお話があります。

私(おかーさん)は、書類の記入が心の底から苦手です。やろうと思うと、とんでもなく時間がかかる上に、書き込む欄をすっかり間違えたり、書くべき項目を勘違いしたりという、有り得ないようなミスを連発させます。

学校関係や、あだきち君の障害福祉関係の書類を記入すると、かなりの高確率で、記入不備箇所に赤字・付箋付きで差し戻されます。よほど気をつけているつもりでも、そうなりますので、毎度、きつねにつままれたような気分になります。

そういう作業が本質的に苦手だということもありますが、それ以上に、長年積み上げた失敗経験からくる強烈な苦手意識が、なけなしの能力をいっそう萎縮させているのだろうなと感じます。

私の程度の困難ですと、本人の努力不足や、単なる不注意として責められることがほとんどだと思います。

「苦手なのが分かってるんだから、きちんと気をつければいいじゃない」と言われれば、まったくその通りですし、自分でもそう思いますから、なんとかしようとするのですが、どうにもうまくいきません。

不登校問題などでも分かるように、日本の社会では、「たいていの人ができることは、できないほうがおかしい(努力が足りない・甘えている)」とされますから、できないことを抱えて暮らすのは、二重、三重に、大変なストレスになります。

そういうストレスに耐え続けて、何かいいことがあるならまだしも、苦しいだけで何もないことがほとんどだとするなら、エネルギーを無駄に消耗しているだけでしょう。

無駄なことは、やめよう……というわけで、いまではたいていの書類は、おとーさんに書いてもらうことにしています。

ズルかもしれませんし、逃げだと言われればその通りですが、苦手なことで苦しみ続けるよりも、受けられる支援は素直に受けて、エネルギーの消耗を抑えたほうが、生産性は遙かに上がりますし、結果的にみんなのためにもなるんじゃないかと思います。

毎度毎度、書類に付箋を貼り付けて差し戻す方々の手間も、はぶけますし、いいことづくめです。

その上で、私(おかーさん)は私で、自分が得意なことに傾注すればよいわけです。

今現在、そういう分担ができる環境にあることを、心からありがたく思います。
(もっとも、私が苦手なことを押しつけられている、おとーさんには、別の言い分があるかもしれません(^_^;)。

もちろん、分業や支援を受けることが難しい場合もたくさんありますが、そんなときにも、自分を追い詰めないで、抜け道を探す方向に意識を変えていくようにしたいものです。