(この投書について歌人の穂村弘氏が回答している朝日新聞の記事…おや、このかた、私と同い年)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12894051.html?rm=376
(前に書いた日記…人生に読書と教養が不要と考える大学生は観光マインドを持ち得るのか)
https://abcdmeno.blogspot.jp/2017/04/blog-post_20.htmlといっても、いまは目の状態がかなり悪いので(視力自体かなり悪い上に、片目に軽い障害があります)、活字の本を、紙の本、とくに活字の小さい文庫本などを、昔のように、イッキ読みすることはできません。
それで、PC版のKindleで、ダウンロードして、時をでっかくした上で、少し引用などしながら、日記に書いてみようと思います。ささやかな、一人読書会です。
テキストをしっかりと読むことよりも、目に入ったテキストから好き勝手に連想したことを、つらつらと書き留めるだけのものになりそうですが、そこからまた何か新しいものにたどり着くかもしれないので、まあいいかと。
てなわけで、今日の一冊は、これ。
三木清「人生論ノート」
数日前に、たぶんNHKだと思うのですが、この本についての番組をやっていて、あだきち君が、なんだか真剣に聞いていたのです。もっとも、聞きながら熟睡してしまいましたけども。
(調べてみたら、やっぱりNHKでした。)
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/64_jinseiron/guestcolumn.html
その後、この本をお友だちにも勧めていただいたので、これはもうご縁だと思い、読んでみることにしました。
AmazonのKindle版が、0円になっています。
本文は、旧字旧かなですが、引用する文章は、新字、新かなに改めます。
(ときどき改め忘れるかもしれません)
私はあまり病気をしないのであるが、病床に横になった時には、不思議に心の落ち着きを覚えるのである。病気の場合のほか真実に心の落着きを感じることができないというのは、現代人の1つの顕著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病気の一つである。
実際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病気の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなかろうか。これは青年の健康観とは違っている。恢復期の健康観は自覚的であり、不安定である。
三木清「人生論ノート」より
学生のころなどに、当然、多少は読んで(目に入れて)いて、家にも文庫本があるはずなのですが、ほとんど記憶していませんでした。三木清が、たった四十八歳でなくなっいたことも、今回はじめて知りました。
三木清の死因は、ウィキペディアの記事によれは、戦時中、治安維持法の被疑者をかくまったために、衛生状態が劣悪な刑務所に入れられてしまい、そこで疥癬にかかったことから、腎臓病を併発して、そのために獄中で亡くなってしまったのだといいます。見つかったときには、独房の寝台から転がり落ちていたとのこと。
亡くなったのは、1945年9月26日。つまり終戦後だったのに、釈放されないまま獄死したことになります。
上に引用したのは、「人生論ノート」の冒頭にある、「死について」の一部です。
いつごろ執筆されたものかは分かりませんが、ここで語られている「病気」は、獄中での死因となった疥癬や腎臓病ではなかったろうと想像します。それらは「恢復」しなかったはずですから。
疥癬の合併症として、糸球体腎炎があるようですので、死因となったのは、それだったのかもしれません。
糸球体腎炎などの腎臓病は、いまでは、即座に死につながる病気ではありませんので、末期的な症状がどのようなものであるかについて、詳しい情報はネット上ではなかなか見つかりません。
けれども我が家には、長年、糸球体腎炎と部分的に症状の重なる、ネフローゼ症候群と闘ってきた、あねぞうさんがいますから、いくらか想像することは可能です。
重いタンパク尿からくる、強い全身の浮腫。
そのために、脳や心臓などの臓器が、広範囲にわたって不具合をきたし、強い倦怠感、高血圧によるひどい頭痛、けいれん、視覚障害などの脳障害の症状があらわれ、身動きもとれない苦しい状態になっていったのではないかと。
現代でしたら、ネフローゼ症候群を発症すると、ステロイド剤を点滴で大量投与して、タンパク尿が消えていくのを待つことになります。タンパク尿が消えれば、浮腫や高血圧もおさまり、死の危険も遠ざかります。
あねぞうさんが、二歳で最初にネフローゼを発症したとき、担当した主治医に、「ステロイドのパルス(点滴による大量投与)をする」と言われ、思わず「それ、大丈夫なんですか? ステロイドって、副作用すごいですよね」と聞いたところ、
「これやらないと、死んじゃうんですよ」
と、はっきり言われたことを思い出します。
私の人生で、死をもっとも身近に、間際に口をあけているものとして感じられた瞬間です。
ステロイドが発見されたのは1920年1930年ごろのようで、それらが抗炎症効果の高い医薬品であることがわかり、発見者がノーベル賞を受賞したのは、1950年だったとのこと。
三木清が獄中にあったころの日本では、ステロイド剤は、まだ使われていなかったのではないかと思います。たとえ釈放されていたとしても、そしてステロイド剤が輸入されていたとしても、終戦直後の日本では、無治療のまま、放置されていたかもしれません。
「人生論ノート」を書いた時点で、三木清は、自らの人生が、思想のために刑務所のダニに食われて疥癬となり、その感染症による免疫系の暴走によって腎臓を破壊されて、強制終了させられるとは、考えていなかっただろうと思います。その苦しさを思うと、なんともいえない恐ろしい気持ちになります。
けれども、三木清において、死を受け止める準備は、とっくに出来ていたのかもしれません。
四十歳をもって初老とすることは東洋の智慧を示している。
それは単に身体の老衰を意味するのでなく、むしろ精神の老熟を意味している。
この年齢に達した者にとっては死は慰めとしてさえ感じられることが可能になる。
死の恐怖はつねに病的に、誇張して語られている、今も私の心を捉えて離さないパスカルにおいてさえも。
真実は死の平和であり、この感覚は老熟した精神の健康の徴表である。
どんな場合にも笑って死んでゆくという支那人は世界中で最も健康な国民であるのではないかと思う。
三木清「人生論ノート」より
独房の寝台からころがり落ちる刹那、穏やかに死に溶け込み、慰められていたのかどうかは、知りようもありませんが、そうであってほしいと思うほかはありません。
中途半端ですし、なんだか妙な方向へ走りましたが、今回はこれぐらいで。