2017年4月9日日曜日

雨降りの日曜日


お題は「満身創痍」。ずいぶん前のラクガキ



一昨日は、ほげ子さんの入学式
昨日は買い物と、作り置きお総菜の試作

情けないことに、いくら寝ても、疲れがあまり取れません。

( ̄。 ̄;)

夜中の二時頃、目が覚めてしまって、もう一度眠るまで、だいぶ時間がかかったような気もします。そのせいかもしれません・

息切れ、関節痛、なんとなくめまい。

更年期障害、今日もバリバリ活躍中。。。

そういえば、婦人科の主治医に、関節痛のことを訴えても、あんまり更年期障害の症状だと思わなかったみたいでした。婦人科で関節痛を訴える人、少ないのでしょうか。でも、ネットで「更年期障害の症状」を検索すると、関節痛を説明している医療記事系のサイト、結構あるんですけども。なんにせよ、痛いです。(´;ω;`)


さて、動けない動けないと、気落ちしてもしかたがないので、できることだけやって、あとは休むことにします。


どうも昔から、自分がどれほど疲れているかを把握することが難しいのですが、最近では、自分がどう感じようと、疲れているとほんとうに「動けなく」なるので、ある意味、対処がカンタンになりました。

動けなかったら、動かない。栄養補給して、休む。これしかないですから。

動けなくなってしまう前に、もうちょっと何かシグナルがあれば便利だと思って、いろいろ探していたのですが、1つ見つけることができました。

動けなくなる手前までくると、文章が書けなくなります。
Twitterで呟くのも、かなりきつい。

「書けなくなったら、動けなくなるまで秒読みだから、早めに休む」

これを、疲労度の判断基準にしようと思います。


(__).。oO

こんな具合に体力がないので、ブログに書きたいことがあっても、すぐには書き込めず、そのうちに何を書くつもりだったか忘れてしまったり、書く意欲を逃してしまったりすることが、増えてしまいました。

それで、対処法として、何か思いついたらすぐにどこかにメモするか、ツイートしておいて、あとからブログに書くことにしました。一度でも文字列にしておくと、忘れにくいし、書きたいと思った時点での意欲も薄れにくいようです。


(__).。oO

そんなわけで、かきそびれていたことを、ぽつぽつと追記。

米軍によるシリアの空爆その他、戦争の記事ばかりが目に付くなかで、こんな記事を見つけて読みました。二年前のリテラに掲載されたもののようです。

少し引用します。

元零戦パイロットが安倍晋三首相を批判「戦前の指導者に似ている」


4月3日、米「ニューヨーク・タイムズ」に、第二次世界大戦時、零戦のパイロットだった男性のインタビューが掲載された。原田要さん、98歳。元大日本帝國海軍エースパイロットである。 
 原田さんは真珠湾攻撃では上空直掩隊として艦隊上空を警戒し、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦に参加。ガダルカナル島の戦いで撃墜され、重傷を負いながらも帰国し、教官となって終戦を迎えた。総撃墜数は19機。自らの経験を記録したいくつかの著書を残している。 
「Retired Japanese Fighter Pilot Sees an Old Danger on the Horizon(元日本人戦闘機飛行士は差し迫った古い危機をみる)」──そう題された「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、長野で行われた原田さんの講演会の描写から始まる。彼はゆっくりと壇上に上がると、セピアに色あせた写真を掲げたという。それは、革のフライトジャケットを着込んだ、若かりし頃の自分の姿だった。そしてこう語った。 
「戦争ほど恐ろしいものはありません」 
「私は、あなたたちに私自身の戦争体験を伝えたい。若い世代に、私と同じ恐怖を体験させないために」
「私は零戦のコックピットから戦争を見ました。いまだに私が殺した兵士たちの顔はよく覚えています」 
「戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです。彼らを憎んだり、知りもしないでいることはできません」 
「戦争は人間から人間性を奪うのです。全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれることによって」 
「私は気がつきました。戦争が、私を人殺しへと変えてしまった。私はそうありたかったわけではないのに」 

 人を殺したくない、そう思っていても、人を殺してしまっている──戦場の現実を知る当事者の言葉は、重い。 (2015年4月24日)



私は戦争を体験していませんが、幼いころから、親の世代の戦争体験を直接聞かされて育っていますから、戦争なんて、大嫌いです。人間相互の憎悪が深くうずまく戦禍は、自然災害よりもさらに恐ろしいと思っています。

「空襲があって、防空壕から出てみたら、畑のうねごとに、死体が寝ていた」

「戦争につれて行かれた兄弟が、骨になって戻ってきた」

「家の屋根に上って、燃える町を、ずっと見ていた」

どれも、昭和ひとけた生まれの方々から聞いた話です。
こんな思いをせずに、半世紀も平和のなかで暮らせていたことを、心からありがたく思います。

ところが、国を守るためには戦争もやむなしという意見の人、いま、ずいぶん増えているようで、気持ちが悪くてたまりません。

それだけでなく、他国を排斥し、中傷し、文化まで否定するような声も、よく聞くようになりました。

数日前に、記事のタイトルになっている、百田尚樹さんという作家さんが、雑誌「SAPIO」の2017年5月号で、

「中国を偉大な国と勘違いさせる『漢文』の授業は廃止せよ」

というタイトルの記事を書いておられるというツイートが流れてきて、頭の中がぽかーんとしました。意味や意図が、全く分からなかったのです。( ̄。 ̄;)

その記事を探して、全文を読んでみました。内容はこんな感じでした。


・中国が尖閣諸島を「侵略」しているのに、日本人のなかの「中国への漠然とした憧れ」のために、ちゃんと対峙できずにいる。

・学校での漢文の授業などが中国への勘違いである「漠然とした憧れ」を醸成し、中国に対する危機感を鈍らせているから、そうした教育は廃するべきだ。

・中国の侵略を防いて戦争を抑止するために、日本は軍備をどんどん上げて、移民や中国人の土地取得に規制をかけるべきだ。


素朴な疑問というか、想像なんですけども……

両方の国が、相手に負けないようにと、囲碁のシチョウみたいに、軍事費をどこまでもどこまでも上げていったら、その負担は、どこまでも国民に回ってきますよね。

税金がどかっと上がれば、生活が苦しくなって、日本はますます少子化が進むでしょうし、教育、福祉、医療関係の予算がカットされれば、優れた人材も減り、健康に働き続けられる人も、減るんじゃないでしょうか。

結局どちらの国も、国が弱って、最終的には立ち行かなくなるんじゃないですかね。というか、国としての基礎体力が弱いほうが、先に衰弱しちゃうような……(´・ω・`)



「疑心暗鬼」という故事成語があります。
出典については詳しく知りませんが、十一世紀ごろの漢籍のようです。

相手が自分を滅ぼそうとしているのではないかと怖れ、武器をかき集めれば、相手も怖れて、ますます鎧を重ねてまとう……昔の中国の人たちも、この言葉を日本語の文章に取り入れた日本の祖先たちも、存在しないものを妄想して怖れるアホらしさが、よく理解できていたのでしょう。


最初に引用した、原田要さんの言葉を、再度引用します。

「戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです。彼らを憎んだり、知りもしないでいることはできません」 

異なる文化のなかで生まれ育った者同士が、簡単に相容れることのできないのは、当然です。人間は一人一人、違っています。それは同国人であっても、家族であっても、同じことです。

相容れないから、異文化間摩擦が起きるわけですが、違う者同士が出会うからこそ、単独では為し得ないような、飛躍的な発展もあるわけです。文明についての歴史は、そのことを教えてくれているはずです。

そして、よくよく個人的に付き合ってみれば、似ているところや同じところも、たくさんみつかってきます。

殺戮者として敵国の兵士と相まみえ、相手の断末魔の表情を見据えた刹那に、そのことに気づかざるを得なかった、原田要さんの心の痛み、つらさは、計り知れないものがあります。

こういうことを、お互いに理解しておくことこそが、シチョウ的軍備増強などよりも、はるかに強力な、戦争回避のための下地となるような気がするのですが、違っているのでしょうか。


他国の文化を知る機会を封じ、安易に他国の住民を軽視し憎悪する流れを作れば、戦争を止めようとする働きは、どんどん弱まっていくかもしれません。



そんな時代が来てしまったら…

福祉(予算)のお世話になっているうちの子どもたちのように、ハンデのある人たちは、どれほど生きにくくなることか。


(__).。oO

なんてことを、クルセイダーズのストリートライフのアルバムをiTunesで探し出して聞きつつ、つらつらと書いていました。






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