2017年4月11日火曜日

あだきち君のニューロンのこと

十数年前に描いた「ニューロン君」の絵…



上に貼り付けたへたくそな絵の、ニューロン君は、あだきち君の障害が分かって、はじめてのホームページ(閉鎖済)を作っていたころに、表紙に飾っていたものです。

当時は、脳関連の本を、手あたり次第に読んでいました。
あだきち君の脳の中で、一体何が起きているのか、知らずには居られなかったからです。

一歳前後から、あだきち君の頭は、なんだか急に大きくなっていきました。あまりにも大きくなるスピードが速くて、頭皮の成長が追いつかず、髪の毛の生え方が不自然だったことを覚えています。

しかも、本来ゆるく隙間があるはずの、頭のてっぺんあたりの頭蓋骨同士が、一部癒着してしまって、前後に線状に盛り上がっていました。

あだきち君の脳の異常は、精密検査をすることで、さらに詳しく分かりました。

細かな検査結果については、当時のメモなどを引っ張り出さないと分かりませんが、ざっと覚えているだけでも、これだけのことがありました。

・小脳の発達不良(正常の三分の二ほどの大きさしかない)
・脳下垂体が小さい
・後頭部に、ぽつぽつと脳出血のあと
・右脳の血流がよくない
・大脳の発達不足

医学のシロウトがいくら本を読んでも、こうした異常の起きる原因や、改善方法が、おいそれと分かるものではありません。

けれども、いくらか想像することはできました。

やたらと頭が大きくなってしまったのは、脳の健全な発育、発達に必要な、アポトーシス(細胞死・不要な細胞の刈り込み)が、正常に起きてこなかったからではないのか、ということ。

大脳の発達不足は、ニューロンが情報を伝達するための配線である軸索を包み込んで絶縁している、ミエリンという物質が、何らかの理由で「足りていない」せいではないか、ということ。


パソコンのハードディスクを掘り起こしたら、十五年ほど前に書いた、私の日記が出てきました。かなり長いですが、一部手直しをして、貼り付けてみます。


この日記を描いた当時、あねぞうさんが六歳、あだきち君は四歳。
ほげ子さんは、まだ生まれていませんでした。

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【2002年12月14日の日記…】

自閉症児イアンの物語」で、ミエリン破壊の部位についての記述がある。
少し長いが、興味深い話なので、書きとめておくことにする。

イアン少年は、極めて重い症状を持った自閉症児である。
知覚過敏が甚だしく、厳格な常同行動に縛られ、新しい出来事は拒絶する。同じビデオを何千回も見て過ごす。パニックも頻繁に起こす。

言葉の発達も遅く、話し言葉には深刻な問題を抱えている。運動能力の発達も遅れている。自宅では自分の部屋に引きこもり、ベッドから引きずりおろした布団ので隠れ家をつくり、そのなかに入って過ごしている。食事は豆腐とマフィンばかりである。

彼を日本の障害児施設に連れていけば、かつてのあだきち君と同じように、まちがいなく「重度の精神遅滞」と言われ、知的な能力の存在する可能性はない子供としての扱いを受けるだろう。施設には、イアン少年のような子供が何人もいるのである。

けれどもイアンは、書き言葉については正しく学習ができていて、自力でパソコンを使うことによる「筆談」が可能である。書かれたことから伺い知る限り、知的な発達も正常であるらしいと分る。常同行動に囚われている自分を客観視して語ることさえできる。

このような、発達上の甚だしいアンバランスが生じる理由について、著者はブローカ失語ととの関連性から、説明を試みている。

(以下「自閉症児イアンの物語」からの引用)

ブローカ失語の病因に関するさまざまな研究から、リーバーマンは、大脳皮質の前頭前野がなめらかな発話と同時に新しい発話、つまり記憶にあるのとはべつの新しいセンテンスの発声に決定的な役割を果たすと考えている。

逆に、前頭前野の損傷、あるいは左側頭葉のブローカ野とつながる皮質下の神経回路(それに円滑で連続的な種々の運動にかかわる基底核や脳幹)の損傷が、これまではブローカ野の損傷のみに帰因すると思われていた症候群にかかわっているのではないか、というのだ。

最近の造影法、とくに陽電子放射断層撮影法(PETスキャン)の発達によって、正常な人がさまざまな変わった質問をされたときには前頭前野が活発に活動するのに、機械的な、あるいは暗記した答えをするときには前頭前野の神経活動は不活発であり、言われたセンテンスを繰り返すときにも不活発であることがあざやかに示された。ところがブローカ野失語の患者の場合は対照的に、目新しい反応を試みるときにも、ブローカ野でも大脳皮質の前頭前野でも神経活動が劇的に低いことがわかった。「ブローカ野が人間の言語器官でないことは明白である」とリーバーマンは書いている。


 それよりも、高度に多目的な連合野として、半ルーティン化したある種の連続的動作にアクセスする働きがあると考えるべきだろう。ここから異なる回路を通じて、異なる行動の側面に入っていくらしい。・・・・・大脳皮質の前頭前野とのつながりによって、この自動化され半ルーティン化された働きが新しい手作業や、音節の発音に適用されるのだろう・・・・・

 (進化のなかで)人間の大脳皮質前頭前野が拡大し複雑化した原因のひとつは、言語が生物学的適応に貢献したためにちがいない。だが、前頭前野はほかの新しい創造的な活動のすべてにもかかわっている。情報を統合し、適切な運動反応を起こし、新しい対応を学習し、一般的、抽象的な原則を生み出す。ここは脳の「シンクタンク」なのだ。すべてが円滑に繰り返されているときには必要ないが、問題を解決したり、新しい対応を学習するときにはこの部分が働きはじめる。

 これを読み、リーバーマンがゲイトウエイ小学校でイアンの発話と単語カードの配列を観察したらと想像すると、きっと、わたしがいま驚きをもって記すように、イアンの言語の発現はブローカ失語にきわめてよく似ている、と言うだろうと考えずにいられない。言葉数の少なさ、発音するときの苦労、反響言語、統語法の不在、新しいことを言う能力が低いこと、みんなそうだ。さらに私の想像では、リーバーマンはチョムスキーやピッカートンに(三人はバーバラ・マイヤーズの教室の背後にある長いコート掛けのそばにひっそりと集まって)、この少年の発話にあきらかな問題があるのは、脳のブローカ野と大脳皮質の前頭前野が損傷を受けており、両者を結ぶ回路も損なわれているためではないか、と言うだろう。ピッカートンやチョムスキーはこの主張にあまり反論しそうにない。

たぶんチョムスキーは、イアンは書かれた言葉の統語法は理解しているように見える、それは統語法がもっと深いレベルでコード化されているからだろう、と言うのではないか。これを聞いて ピッカートンが、いま見たことは、発話のシステムである前頭前野と視覚的シンボルの言語的配列(つまり書き言葉)とは、ふつうに考えられるほど密に連携していないことを示唆しているだけ、と反論するかもしれない。すると、リーバーマンが、それはそうだ、統語法の大部分はあきらかにブローカ野によってコントロールされているが、具体的な「統語構造」は無数の神経回路を通じて直接的にほかの言語野と運動中枢に結びついており、この興味深いブロンドの少年の脳の場合、その回路の一部が断絶しているが、ほかの回路は無事で奇跡的な正確さで活動しているようだ、というのではないか。

(中略)

 大脳皮質の前頭前野が「コントロール機能の解剖学的スペース」で、「新しい創造的な活動すべてにかかわっている」のなら、また、フィリップ・リーバーマンの説得力ある主張のように、前頭前野がブローカ野そのものと同じく、スムーズな新しい発話に欠かせない基本的な領域であるなら、イアンの前頭前野の神経細胞や神経回路のミエリンが破壊されていることが、非常に遅くてたどたどしい発話と、新しい刺激や体験をふるいわけ、組み立て、コントロールする能力の障害の少なくとも部分的な原因だということになりはしないか。

前頭前野の機能の一つが、脳幹から大脳皮質に伝えられる新しい感覚的刺激を解読し、組み立て、意味を理解することなら(これが正しいことはあきらかになっているようだが)、そしてその刺激がなじみになって大脳皮質のほかの部分に刻み込まれると、前頭前野をその刺激をコントロールする任務を下りるのなら、前頭前野の障害が基本的な原因で、イアンは新しいことに対応できないと考えられるのではないか。

前頭前野、それにほかの部分とをつなげる回路の損傷とミエリン破壊のために、イアンは果てしない反復行動にしばりつけられているのではないか。この神経の損傷が、創造的な発話が非常に困難で、六歳になるまでまったくしゃべれなかった原因ではないか。

大脳皮質の(情動のコントロールに重要な役割を果たすと考えられている)前頭前野のミエリン破壊が、一見、無反応でありながら、いっぽうではわずかなことで恐怖のパニックを引き起こす原因ではないのか

 答えはイエスだと私は思う。・・・・・


  ラッセル・マーティン「自閉症児イアンの物語  脳と言葉と心の世界」

  草思社  P170-177


二歳ごろのあだきち君は、イアン少年に近い深刻な症状を持っていた。いつもリビングの椅子の下で寝転がって暮らしていた。同じものしか食べず、奇声をあげ、人の顔を見ず、同じことばかりしていた。言語の世界とは無縁の子供に思われた。

二歳のときに、あだきち君はPETによる検査をうけたのだが、上で指摘されているような、前頭前野やブローカ野の異常というものは、とくに言われなかった。唯一活動レベルが低いように思われるのは右脳の一部で、それ以外の場所は、見かけ上は、よく働いていた。

ただ、この検査を受けたとき、あだきち君は、眠り薬が切れてしまい、大パニックを起こして泣き叫んでいた。あだきち君の前頭前野やブローカ野は、恐ろしい機械に挟まれて検査を受けるという体験に打ちのめされて、それぞれ勝手に発火していたのかもしれない。少なくとも検査時には、それぞれの部位の連携関係を調べるような状況ではなかった。

現在のあだきち君の全体的な状態は、七歳になったイアン少年よりもずっと軽い。あだきち君は、ほとんどパニックを起こさなくなった。新しい場所は嫌いだけれど、三十分ほど、好き勝手に探索行動をさせてもらえば、「馴染む」ことができる。親が新しい本を読んでいると、あとからこっそり、自分でも手にとって眺めていたりする。

このごろ、新しいビデオを見たいといって、自分から持ってくるようになった。いざデッキにいれてつけようとすると、逃げてしまい、やっぱりおなじみの古いビデオに替えてくれと頼みにくるのだが、それでも、本心では新しいものに挑戦してみたい気持ちがあるらしいのが伺える。「怖いけど、ほんとは見たい」のだ。そして、「もしかしたら怖いものなど、ほとんどないのかもしれない」と、あだきち君は少しづつ、気づきはじめている。

発語についても、少しづつだが、進歩している。まだまだあだきち君の口から出る言葉は少なく、たどたどしいものである。調音もへたくそで、「ありがとう」が「あいあおー」になったりする。でも、言える言葉ばどんどん増えている。二拍までの単語であれば、ほぼ正確に発音できる。頻度は少ないが、口まねでなく、自分から言葉を発することもある。

あだきち君の常同行動、反復行動は、まだまだ生活全体に残っているけれど、「抜き差しならない」というほどではない。ときどき思いきって「抜いて」しまっても、あだきち君は案外、平然としていたりする。これまでの惰性で続けているだけで、脳の損傷によって否応無しにそこに追い込まれているという感じは、もはやない。それに、常同行動自体が、毎日少しづつ、いろいろなバリエーションを生み出して、変化していったりもする。昨日と全く同じことをすることは、ほとんどない。おずおずとではあるが、あだきち君の前頭前野は、本来の力を発揮し始めているのではないか。

かつてのPETの結果から考えて(あくまでも医学の素人の考えではあるが)、あだきち君の前頭前野や言語野のニューロン自体には、損傷はないのだろうと思う。だってどこもかしこも、カンカンに赤くなって発火していたのである。

損傷をうけているのは、たぶん、それらを繋いで連携ブレーを実現させるための回路となっている神経の、ミエリンなのではないか。

あだきち君が最近になって、少しづつ「改善」してきているのは、損傷を受けていたミエリンが、少しづつ復活して、回路が次第に正しく使われるようになってきたからではないのだろうか。

あだきち君の「改善」が、ほんとうに、脳内の損傷の「回復」に由来するものだとしたら、先行きがほんとうに明るくなる。


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こういう長々しい「日記」を、当時は毎日のように書いていました。
書くだけでなく、とんでもない量の本を読んでいました。

いま、そんな体力も気力もありません。
子どもたちが小さかったころは、私も若かったんだなあと、つくづく思います(^_^;。


足りないらしいミエリンを、なんとか補充できないものかと、すさまじかった偏食の改善につとめるなど、シロウトなりに思いつく限りのことを試したものでした。

その効果があったかどうかは分かりませんが、十五年たった今、あだきち君は、できることがたくさん増えました。幼児期には、文字の習得は不可能だろうと言われていましたけれと、いまでは漢字の読み書きが大好きで、遅遅としたペースながらも、新しい漢字を習得しつづけています。