むかし描いた辛気くさいラクガキ。お題は失念。なんだっけ。 |
エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を読み始めました。
なんで読み始めたかというと、Kindleで無料本としてDLできるようになっていたからです。
若干、活字中毒気味なので(その割りには活字より漫画の読了本のほうが多いのですが)、常に何か読む物が手近にないと、落ち着きません。で、たまたま目に付いたこの作品をDLして、開いたのですが…
雲が重苦しく空に低くかかった、もの憂い、暗い、寂寞とした秋の日を一日じゅう、私はただ一人馬にまたがって、妙にもの淋しい地方を通り過ぎていった。そして黄昏の影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱なアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。 (アッシャー家の崩壊の、冒頭)
ええと、このあとの話をがさつにネタバレしますと、アッシャーさんはひどい神経症をこじらせたあげく、重病人の妹を生き埋めにしたものの、妹はゾンビよろしく這い出てきて兄を巻き添えにして共に死亡。その後アッシャー家は真っ赤な閃光を放ちながら物理的に崩壊……するようです。
私なら、アッシャーさんに会うやいなや、引っ越し、もしくは福祉サービスの大々的な導入を強力に勧めると思います。(´・ω・`)
いきなり崩壊する家は、耐震その他の構造に重大な欠陥があるのは間違いありません。そんなとこに住んでたら、神経だって病むでしょう。
あとは、重病人で余命いくばくもないような妹の介護を、その病んだ人に任せっきりの状況は、とてもいけません。外からの支援が絶対に必要です。
もちろん、ポーの生き居てた世界と、彼が描く物語世界は、福祉や建築基準を云々できる時代じゃなかったんでしょうけれど、こんなゴシックホラー的な暗くて苦しい生き方や死に方をしないために、いろんな制度や技術が発達してきて、それを政治が導入してきたわけですから、いまの人間は、そこにもどっちゃったらダメなんだと思うわけです。
でも現実には、いまだって病気や障害があって、十全に対応できる家族の余力がなければ、ゴシックホラーはいくらでも現実化してしまうんですよね。
政府の方々は、介護保険の自己負担をどんどん増やす方針のようです。
自己負担、自己責任……
言葉にするのは簡単ですが、どうにもならない状況の人に、「どうにもならないのは自己責任です」という現実をつきつけることが、この先どういう結果を生んでいくのか。
アッシャー家が、家と人ごと被ったような、ゴシックホラー的な状況が、どんどん増えないことを、祈るばかりです。