あだきち君が、ショートステイから帰って来ました。ヾ(〃^∇^)ノ
いつも自分で書いてくる連絡帳には、こうありました。
きょうは おとまりです
ゆうごはんも いっぱいたべます
おふろにはいります
昨日の夕方あたりに、書いたのでしょうか。
職員さんたちが書いてくださった記録には、リラックスして、楽しく過ごした様子が、細やかに書いてありました。
昨日は、近所の公園まで歩いていって、ブランコをたくさんしたあと、遠回りして施設にもどったとのこと。
晩ご飯を九割がた食べたあと、本を読んだりしながら、自分のお部屋でくつろいで、午後十時には就寝。
夜中に一度起きてトイレに行き、寝直して、朝六時には起床。
朝ご飯は、完食だったそうです。
ただ、朝方、寝ぼけていたのでしょうか。洗面所かトイレで、ズボンをぬらしてしまったようで、着替えを全部使ったとのこと。洗濯物を、どっさり持って帰りました。
昨晩は、相模原の事件があまりにもつらくて、朝まで眠れず、すっかり体調はヨレヨレですが、あだきち君のニコニコ顔を見たら、元気が戻ってきました。今夜は、ちゃんと眠れそうです。
けれども昼間は、仕事をしながら、ずっとネットでニュースを追いかけていました。
あまりにもつらいし、犯人の顔を見るのも苦しいけれど、どういうものであるのかを、しっかりと見ておかないといけないと思いました。
知れば知るほど、やりきれなさが増すばかりではありますが…。
事件現場からは遠い、岩手県の、福祉施設の方々の声が取材されていました。
「理解し合えるのに」 県内障害者施設職員、心痛める
(岩手日報社)
http://this.kiji.is/130823459974006268
相模原市の障害者福祉施設で26日、入所者らを刺した疑いで逮捕された元職員の容疑者(26)は、「障害者がいなくなればいい」「意思疎通のできない人を刺した」などと供述しているとされる。障害者の尊厳を踏みにじる言動に、日々障害者らを支える県内の施設職員からは「障害があっても、楽しくよりよい生活を送ってほしいと願っているのに」と、ショックや悲しみの声が上がった。
陸前高田市高田町のひかみの園の菅野正明園長(58)は「障害者にはいろいろな人がいるが、職員はそれぞれ個性として接している。容疑者は障害者が皆、人権のある一人の人間だという理解に欠けていたのではないか」と唇をかむ。
盛岡市上飯岡の緑生園(細田重憲理事長)の佐藤啓悦総務課長(61)も「障害者の命や暮らしを守ろうとしているわれわれの仕事を否定する行為だ」と嘆く。
新里久雄業務課長(54)は「入所者に罵倒されるなどつらいことも多いが、少しずつでも相手が成長する姿に喜びを感じられる仕事なのに」と心を痛める。
北上市二子町の障害福祉サービス事業所とばせ園の佐々木進園長(68)も「コミュニケーションを図っていれば、どんな障害のある人とでも理解し合えるはずだ」と強調する。
一戸町中山の県社会福祉事業団中山の園(鈴木豊所長)の細谷優光副所長は「不審者の侵入は想定しておらず、類似施設での事件発生にまさかという気持ち」と衝撃を受ける。ニュースで事件を知った利用者もおり、必要に応じて精神面のケアも検討している。
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小学校のころ、岩手に住んでいたことがありました。
学校に特殊学級がなく、知的な遅れのある子も一緒に、同じクラスで学んでいました。
たしか、テルちゃんという名前の、大柄な女の子で、元気で、やさしくて、でもいつも男の子たちにからかわれていました。
あのテルちゃんも、もしかしたら、この記事の施設のどこかで、暮らしているかもしれません。
元気でいるといいなと、ひさびさに顔を思い出しました。
もう一つ、毎日新聞の記事を引用します。
記者の方には、重度自閉症のお子さんがいらっしゃるとのことでした。
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相模原の障害者施設殺傷
障害者福祉、改善の陰で=論説委員・野沢和弘
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/articles/20160727/ddm/002/040/058000c
腹の底から力が抜けていくような衝撃をどう受け止めたらいいのだろう。「障害者は生きていても意味がない」と植松聖容疑者は話したという。生きる意味のない人などいない。その当たり前のことを26歳の容疑者が理解できないことに私たちは言葉を失うのだ。
(中略)
わが国の知的障害者をめぐる状況はこの15年で大きく変わってきた。支援費制度(2003年)、障害者自立支援法(06年)など福祉サービスに関する制度はめまぐるしく変わり、地域福祉の予算はこの10年で3倍近く増えた。入所施設での自由のない集団生活を権利侵害とする考えが広がり、少人数の家庭的なグループホームで暮らす人が増えている。
権利擁護に関しても、障害者虐待防止法が12年に施行されてから、職員による体罰や身体拘束の防止が図られるようになった。施設内には虐待防止委員会が置かれ、自治体などによる職員研修も盛んに行われるようになった。14年には国連障害者権利条約が批准され、今年4月からは障害者差別解消法が施行された。
もちろん、日本の障害者福祉が直面している課題はまだ多い。現在も入所施設には計約12万人が暮らしているが、利用者の高齢化が進み、地域のグループホームで受け入れられない行動障害のある人や医療的ケアの必要な障害者が集まる傾向があるため、職員に掛かる負荷は相対的に大きくなっているといわれる。
その一方、福祉業界は慢性的な人手不足となっており、質の高い職員の確保に苦労している施設は多い。他の産業に比べて月10万円近く低いといわれる賃金水準が人手不足の原因とされるが、離職理由では「職場で相談できる人がいない」「法人の理念がわからない」など施設経営側に起因する問題の方が多いといわれる。
福祉サービスの拡充に見合うだけの人材確保と育成ができていない現場では虐待リスクも高まっている。実際、毎年多数の虐待通報が自治体に寄せられている。今回の事件がこうした課題の延長にあるとは思いたくないが、障害者へのゆがんだ価値観や自らの精神的な弱さを抱えた人が福祉現場に職を求めてくるのをチェックするだけの余裕がないのも事実だ。
ただ、多くの障害者福祉の現場では職員たちが夢や生きがいを持って仕事をしていることを忘れてはならない。今回の惨劇が障害者福祉のイメージを不当におとしめることは避けながら、悲劇を繰り返さないための方策を探っていくことが必要だ。
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ほんとうにその通りと思う記事だけれど、とくに最後の段落は、多くの方々の心に届けばよいと思います。今回のような事件があるたびに、知的障害者の介護現場が過酷で悲惨で救いがないものだというイメージばかりが、肥大して広がっていく様子があり、それを強く危惧しています。
きれい事で済まないのは、事実です。
けれども、あだきち君をずっと見守ってくれた、支援学級と支援学校の先生がたや、福祉事務所のスタッフの方々、療育教室の先生がた、病院、そして施設の方々は、ともに生きる仲間として、私たち親子と向き合い、助けてくださってきています。泣いたり、笑ったり、時にはぐったり疲れたり、ため息をついたり、かと思うと、実りある瞬間を共に迎えていっぱい喜んだりしながら、歩んできているのです。
どんな人であっても、重度の心身障害者となる可能性があります。
また、そのような状況の家族を持つ可能性があります。
障害に限らず……どのような状況になっても、勇気をもって暮らしていける世の中であること、支える手を信じられることは、いまはそうしたハンディとは縁がない暮らしをしておられる、どなたにとっても、すばらしいことではないかと思うのです。