2016年7月30日土曜日

相模原の事件報道より。匿名であることを止めたご家族の思い


隠せない思い



今日の朝日新聞朝刊に、ほんとうに素敵な写真がありましたので、おもわずiPhoneで撮りました。

あの相模原の事件で、ひどい怪我を負ってしまった、森真吾さんと、ご両親です。




記事から、少し引用します。

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被害者匿名 家族ら葛藤

今回の事件で、神奈川県警は犠牲者やけが人の氏名を公表していない。当事者たちの思いは複雑だ。
 胸を刺されて入院中の森真吾さん(51)の母の悦子さん(79)は、園で16年前に開かれた運動会で笑顔を見せる真吾さんの写真を取りだした。「これ、よく見てください。うちの真吾です。かわいいでしょう」(中略)
 園に入って約20年。重い障害があり、言葉を発することが困難だ。これまで、近所の人や親戚にもほとんど伝えずにいた。
 それが事件で変わった。
 事件当日、園を訪れた正英さん(82)の姿がテレビに映った。翌27日の朝日新聞の取材では名を伏せるように求め、匿名で報じられた。報道で気づいた親戚などから、安否を案じる電話が入り始めた。他メディアの取材に実名で応じると、色々な所から連絡があった。「これまで家族で十分愛し合って、ひっそり生きてきた。事件で急に表舞台に引っ張りだされた」

 一人ひとりの声を聞くうちに、「息子が生きていてくれただけでいい。恥ずかしいなんて言っていられない。隠してもいられない」と思うようになった。(中略)障害者を侮辱する発言をしていたという植松容疑者(26)には明確な怒りを感じる。「真吾は障害で何もできないかもしれない。でもかわいい、いとおしい私たちの息子なんです」


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息子さんは、私と同世代。
幼少期は、いまよりもずっと、障害者に対して差別や偏見のきつい時期だったはず。
それをご家族で乗り越えて、我が子の安寧を、ずっと守ってこられたのだと思います。


多くの障害児、障害者の家庭も、同じだと思います。
苦しみながら、七転八倒しながら、人生を送っています。


立場の弱い存在を追い込む言葉



今日もあちこちで、障害者福祉と、重度の障害者の存在が、国の財政を圧迫するという意味合いの発言を、たくさん見かけました。役に立たない人間に自分の税金を使われたくないという言葉も、たくさん、目に入れました。


それに対して、私には、返す言葉がありません。
言い返す気力も、ありません。

あだきち君を抱きしめて、そういう言葉によって、世の中から指弾される痛みに耐えながら、生きるしかないのでしょうか。


社会保障はほんとうに社会の「お荷物」なのか?



でも…

お金のことだけで、少し、意見を言うとするならば。

あの犯人が、たった一人で引き起こした凄惨な事件のために、どれだけの「税金」が使われることになるのか、また、どれだけの人々から、希望と安心感と、生産性につながる精神的活力を奪い去ってしまったか、その、決してお金には換算できない喪失を、無理矢理にでも合算して、総額を試算してみてくださる方が、いてもいいと思うのですが。


一部で無駄だ負担だお荷物だと言われている、この国の社会保障が、どれだけ多くの人々の人生を支え、結果的に生産性を高め、社会の安定に寄与しているのか、本気で考えてみるべき時期ではないでしょうか。