ここを書いているおかーさんこと、私は、とーっても、粗忽です。
ものごころついたときには、年相応のことが出来ないことで、周囲を困らせ、自分も当惑していた記憶があります。
幼稚園には年中から入りましたが、自分でまともに靴を履けるようになったのは、年長なってからでした。いつも、誰か大人がそばにいて、靴を履かせてくれていました。詳細は覚えていませんけれども、一人でできなかったから、まわりが見かねて介助に入ったのだと思います。
幼稚園では、とにかくよく叱られていました。でも、なぜ叱られるのか、ほとんど分からないままでした。いま思うと、よほど集団行動からハズれたことばかりしていたのでしょう。
幼稚園の年長のとき、大地震が町を襲いました。
たまたま平日の昼間で、幼稚園にいた時間帯でした。
揺れ始めたとき、私は、他の大勢の子どもたちと一緒に、お遊戯室にいました。
ガラガラガラと、すごい音がして、あたりのいろんなものが、倒れてきて、お遊戯室のなかを転がり始めました。
それを見て、ぼーーーっと、立っていたのか、座っていたのか、よく覚えていないのですが、揺れが収まって、あたりを見回すと、お遊戯室のなかには、誰もいませんでした。それで、当惑しながら、なんとなく園庭に出てみると、子どもたちはみんな整列して、立っていました。お遊戯室から出てきた私をみつけた,担任の先生が、しまった、という顔をしたのを、いまもよく覚えています。
私は全く気づかなかったのですが、揺れ始めた時点で、おそらく先生がたは、急いで子どもたちを誘導して、園庭に連れ出したのだと思います。たった一人、私だけが、建物のなかに残っていたのです。建物が倒壊していたら、いま、このブログを書いている私は、存在していなかっただろうと思います。
1968年、十勝沖地震。
当時は幼くて分かりませんでしたが、多くの死傷者を出し、家屋倒壊を引き起こしたと、ネットの記事にありました。
私の住んでいた町は、震度5だったそうです。
で、とにかくそんな具合に、幼いころから、周囲の様子を見て動くとか、いろいろ察して行動するとかいうことが、とことん、苦手でした。運動もへたくそ。歩くことすら、かなりダメでした。
小学校にあがっても、似たようなことで、よく困りました。
体育のときや、教室の移動のあるようなときには、よく一人だけ、教室に取り残されていました。気がつくと、まわりに誰もいないのです。
忘れ物があまりにも多く、準備品の勘違いも多く、混乱の日々でしたが、幸い勉強が出来たので、あまり先生に叱られることがありませんでした。忘れた宿題は、授業がはじまる直前に片付けました。定規を忘れたときには、消しゴムで線を引き、消しゴムを忘れたときには、あの手この手で文字を消したり、ごまかしたりしました。
そんな状態で、高校までなんとかクリアしたものの、大学に入って、いよいよ、ごまかしようがなくなりました。
授業ごとに教室が変わること。
行動範囲が一気に広がり、把握して行動するのに膨大なエネルギーが必要となってしまって、疲れ果ててしまうこと。
人間関係がめんどくさくて、ひたすら憂鬱になってしまうこと(そもそも人の顔と名前が、まともに覚えられない…)。
その他もろもろ、とにかく学生生活が大変で、単位取得するだけでも、命が削れるような思いをしたものでした。
あだきち君が生まれて、二歳で自閉症らしいと分かってから、さまざまな知的障害について、本をたくさん取り寄せたり、普及しはじめたばかりのインターネットを使うなどして、とにかく情報を集めようとしました。いろいろと調べていくうちに、注意欠陥障害というものに行き当たり、どうも自分はコレなのではないかと思うようになりました。
ただ、私は多動の傾向は全くなく、むしろ不動な人間ですので、ADHDというのは違うだろうなと思っていました。
そのうちに、いろいろと研究が進んできて、私のようなタイプの人間を割り振ることのできる分類項目が、出来てきたようでした。
こことは別の、駄文専門に書いているブログのほうに、エイメンクリニック方式のチェックリストの結果について、書いた記事があります。
目玉ブログ「注意欠陥すぎて、アプリがiPhoneのなかで迷子になる件、その他」
https://medanadakki.blogspot.jp/2016/07/iphone.html
上の記事にも書きましたが、これでいくと、「不注意 9」「過集中 3」ということになります。
不注意のせいでしくじったことを、過集中でフォローする……まさにそんな人生であると、自分でも思います。(^_^;
で、まあ、自分でも困った人だと思うわけですが、うちの子どもたちの困り感は、多かれ少なかれ、私に根っこがあるような気がしていて、申し訳ないなあと思うこともある次第です。orz
ただ、あねぞうさんも、あだきち君も、ほげ子さんも、私よりも出来る部分や、タフで有利な部分を、たくさん持っているのも事実です。
私は人付き合いがかなり苦手ですが、あねぞうさんには、そういうところはありません。友だちには困らない人です。
あだきち君は、重い知的障害のせいで、コミュニケーションにはかなり難アリですけれども、自分なりの社交術、他の人とかかわるスキルを持っていて、意外と穏やかに社会参加が出来ています。
ほげ子さんは、子ども時代の私に輪をかけたくらい、忘れ物の多い人ですが、早い時期から、自分なりの対処法(ごまかし方、ともいいます)を、いろいろと考えて編み出しています。
それと、私は、とんでもない方向音痴ですが、子どもたち三人は、それほどでもありません。
たぶん三人とも、いろいろ苦労することもあるでしょうけれども、いまは世の中が、こうした問題に対して、だいぶ理解が進んできていますし、自覚することで生活しやすく工夫することもできますから、きっと、大丈夫と思っています。
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