2016年7月31日日曜日

あだきち君の日曜日/テンプル・グランディン博士の動画


昨日のあだきち君

いつも通り、朝五時には起床。
お洗濯物を乾してくれて、テレビをみながらくつろいでいました。

九時すぎから、福祉事務所の支援外出。
科学館につれていったいただいたそうです。
暑かったせいか、お昼ご飯は、あまり食べられなかったとのこと。

そういえば、金曜日の通所施設でも、お昼のお弁当は、三分の一ほどしか食べなかったと、連絡帳にありました。少し、夏バテ気味かもしれません。

たくさん汗をかくからでしょうか、少し、肌荒れもしています。
スキンケア、がんばらないと。
お薬を塗っても、ついついいじってしまいますから、傷が膿んでしまったりすると、治るまで大変なのです。福祉事務所のスタッフの方も、よく拭いてくださっているようでした。



テンプル・グランディン博士の動画


あだきち君がまだ小さかったころ、テンプル・グランディン博士の著書「我、自閉症に生まれて」と出会いました。

まだ幼児だったあだきち君の、日々炸裂する自閉モードと格闘していた私にとって、博士の綴る全てのエピソードが、目の前にある問題を読み解くための大いなる鍵のように思えて、ただただ心強かったものでした。




そのグランディン博士の貴重なスピーチの動画が、ネットに上がっていました。
うかつなことに、気づかずにおりました。


テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている




おもわず、拝むような気持ちで拝聴。

著書の中の博士と同じように、鋭く、活力あふれる語り口で、聴衆を魅了しておられます。


初めのほうで、博士は、ひらひらしたものに恐怖する、ウシの習性について語っています。


あだきち君も、小学校のころ、ベランダの洗濯物に強いこだわりがありました。


恐怖に直結するものではありませんでしたが、気になって気になってしかたがなく、やがてそれに独自の意味づけをするようになっていきました。


「ベランダに洗濯物があると、晴れる。洗濯物がないと。雨が降る」


そう信じたあだきち君は、どしゃぷりの雨の日に、どうしてもベランダに洗濯物を干さなくてはならないと思い詰めて、大パニックになったことも、ありました。( ̄。 ̄;)


当時の日記を引用します。
小学五年のときの、夏休みの記録です。


------------------------------------------------------------
2008年08月01日 (あだきち君、10歳)


六時前に起床。
そのあと、すぐにあだきち君も起床。そして、大パニック。


カーテンのしまっているベランダ窓をにらみつけ、


「今日は、雨です!」


と怒鳴ったかと思うと、洗濯機のところに走っていき、悲鳴をあげながらバスタオルなどを数枚つかみ取って、ベランダに飛び出していった。

数ヶ月前に、ベランダの手すりを乗り越えようとした事件があったので、青くなって引き留めたのだが、あだきち君の行き先は手すりではなく、物干し竿だった。

(我が家はマンションの四階。あのとき、あねぞうさんが止めなければ、落ちていたかもしれない)


気圧が低下すると、洗濯物を外に干して天候回復を願うというのは、あだきち君が一年生のときに始まった儀式行動である。どうも、


・晴れているときは洗濯物は外にある

 →・外に洗濯物を干せば、晴れる


という関連づけをしてしまっているらしいのだ。


困ったことなのだが、理屈を教えようにも教える方法がないし、洗濯物に頼る前は、窓の外に見えるクレーンが悪の元凶だと思い込んでいて大変だったりしたので(工事現場を見るたびに絶叫していた。しかも折悪しく、その年は小学校に改装工事が入っていた)、とりあえず黙認している。



血相変えて、タオルを数枚干したけれども、バニックはおさまらない。洗濯物で気圧が上がるわけではないから、当然なのだが、あだきち君には分からない。

怒り狂って風呂に突入し(すでにお湯はいれてあった)、悲鳴をあげてびしょぬれのまま飛び出すということを、六回ほど繰り返して、なんとか気圧や気温と体調との折り合いがついたのか、ようやく沈静化した。



これから療育。
今日は午前・午後の二回。


---------------------------------------------



あれから八年。
あだきち君は、いまでも天気が崩れそうになると、気持ちが不安定になります。

けれども、ベランダに突進するようなことは、もうありません。
自分なりに、動揺を抑え、気持ちを静める手段を、いろいろと身につけてきています。


それでも、雨の日など、施設の窓辺に立って、しくしくと泣いている日もあると聞きます。

洗濯物のひらひらや、雨の記憶に、さまざまな思いが結びついて、哀しくなってしまうのかもしれません。どんな思いがあだきち君の内側にあるのか、いつか、言葉で教えてくれたらと、願っています。