自閉症の情報を探して、ネットで記事を検索していて、あまりにも胸の痛む事件の報道を見つけてしまいました。
銃乱射と自閉症
銃乱射の中、先生は自閉症の児童をかばって絶命した。
銃規制法案の審議で米上院議員が語ったこと
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/16/the-most-powerful-moment_n_10518376.html
アメリカ・フロリダ州オーランドの銃乱射事件を受け、アメリカ上院議会では、テロ容疑者に対する銃の購入を規制する法案の採決を求め、民主党議員が長時間の演説(フィリバスター)を行った。(中略)
コネチカット州サンディ・フック小学校で2012年12月14日、アダム・ランザ容疑者(当時20)が銃を乱射し、児童20人と大人の女性6人が殺害された。マーフィー氏が地元から立候補して議員に当選して1カ月足らずで起きた惨事だった。
演説も終盤に差し掛かった6月16日午前2時を回った頃、マーフィー氏は、あの悲劇の最中にあって最も心を打つ、ある人物の行動を回想した。
銃が乱射されている最中、1人の教師が自閉症の6歳児童を、これ以上の恐怖を与えまいと両腕で抱きかかえていた勇気ある姿だった。
アン・マリー・マーフィー先生はディラン・ホッケリー君を見つけ、彼を抱きかかえました。どうしてそのようなことが分かったのでしょうか? それは、警察が教室に乗り込んだとき、命を落としたディラン君が、マーフィー先生の腕に抱かれていたのを目撃されたからです」とマーフィー議員は語った。
「上院議会の演台で2時間、6時間、さらには14時間であっても、ただそこに立っているだけなら勇気を必要としません。有権者の90%が変化を望んでいるときに、銃規制のロビイング活動のために立ちあがるのにも、勇気は必要ありません。
しかし、殺人現場から逃げず、銃撃犯と顔を合わせ、その場で6歳の子どもを抱きかかえ、腕の中にいる小さな子供のために、ほんのわずかだけでも心の安らぎを与え、その代わりに死を受け入れることは、勇気を必要とするのです。
マーフィー先生にそれができるなら、オーランドの事件やサンディ・フックの事件が二度と起こらないようにするには自分たちに何ができるかを自らに問いかけなくてはなりません。(ハフィントンポスト日本版から引用)
この事件については、うっすらとした記憶はありましたが、自閉症の子が先生に抱かれたまま射殺されたというところまでは、知りませんでした。
亡くなったお子さんは、どれほど怖く、苦しかったことでしょう。
教え子を守ろうとした先生の、極限での思いは、もはや想像を絶します。
犯人も自閉症だった
改めて、Wikiで事件のあらましを読んでみました。
サンディフック小学校銃乱射事件
犯人も、幼少期に自閉症の診断を受けていた、とのこと。
精神病院に入れようとした母親との間に軋轢があり、事件の前に母親を殺していたそうです。
大量殺人や銃器に対して、強い執着があったとも。
銃器は、母親が買ったものだということですが、息子の求めに応じて買い与えたものだったのでしょうか…。
暴力や殺戮に対して、何かとてつもないこだわりができてしまい、周囲も止める手立てを見いだせないまま、行くところまで行ってしまった…そんな印象を受けました。
殺されてしまった母親、学校の先生と子どもたち、そして本人…すべてが、痛ましくてなりません。
この犯人が、犯罪を起こさずに済むような治療教育が可能だったのかどうかは、私には分かりません。けれども、真剣に考えるべきことだろうと思います。
あだきち君の場合
いまは穏やかなあだきち君も、幼児期には、時折、他害のひどくなることがありました。
一番ひどかったのは、三歳で、就学前施設に通所しはじめたころだったと記憶しています。
三歳から四歳くらいまで、私は打ち身やひっかき傷が絶えず、常に自分の身をガードしながら、あだきち君のそばにいました。よくひっかかれるたは、二の腕のあたり。ずっと傷だらけでしたが、もう痕は残っていませんので、それほどひどいものではなかったのだと思います。
頭突きも、かなり強烈でした。
自分がされた時の痛みは、もう覚えていませんけれども、当時通っていた施設の男の先生が、みぞおちに、あだきち君の頭突きをまともに食らって、しばらく息ができずにいたことは、よく覚えています。目の前に私が一緒にいたので、我慢なさったのでしょうが、もしいなかったら……先生、ブチ切れなさっていたかもしれないなと、いまでも思います。
あのころ、「これ、いつまで続くのかな」と、思ったことが、何度かありました。
暴力というものは、たとえ幼い我が子からのものであっても、心を麻痺させ、理性や感情を圧殺する力があるものだと思います。
ですので、親であっても、暴力を黙認して受け止めつづけることは、絶対にしてはならないと、私は思っています。親の心の防波堤が破れてしまったときに、子どもを守れなくなってしまう可能性があるからです。
そんなわけで、他害に対しては、ほんとうに根気よく、というかもう執拗といっていいくらいの気持ちで、対処し続けました。
手や頭突きが飛んできそうになったら、とにかく寸止め、真剣白刃取りです。
あまり反射神経のよろしくない私ですが、常に緊張して、かなりの高確率で、あだきち君の石頭をキャッチしつづけました。
そして、きつく叱ることなく、「しません」とだけ言って、あとは強い反応を見せず、スルーします。
こちらが大騒ぎしてしまうと、あだきち君は、そのことを何度でもフラッシュバックして、再現してしまうからです。
当時は、いつかおさまる日が来るのだろうかと、心許ない気持ちでしたが……
気がつけば、いつのまにか、あだきち君は、頭突きも含めて、他害などほとんどしない人になっていました。
いまでも、ごくたまに、1~2年に一回くらい、パニックに近い状態になって、親に八つ当たりしてくることが、あります。
そのときには、私に向かって(おとーさんには、やらないのです)、軽く手を上げてしまったりするのですが、叩いてしまった瞬間から、あだきち君は、絶大な罪悪感にかられてしまうらしく、
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
と、泣きながら謝り倒すモードに入ってしまいます。
暴力が、ほんとうに嫌いになってしまったようでした。
さらには、人が言い争ったり、もめたりする状況に対しても、強いアレルギーを持っていて、学校に通っていたころは、クラスメートが喧嘩をしたり、先生に叱られていたりすると、割って入って、「ごめんなさい」と叫び続けていたとか。
小学校でも、支援学校の中等部、高等部でも、そんな様子だったと、担任の先生がたから、伝え聞いています。
コネチカット州の犯人も、幼少期から、暴力に固執しないように、コントロールできるような療育を受けていたなら……全く違う、有意義で心地よい、可能性に満ちた人生があったのかもしれません。
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