2016年7月21日木曜日

自閉症と、過剰な記憶…重度の場合、どう解決していくのか


Woman exciteの「発達ナビ」というコーナーに、自閉症の過剰な記憶についての記事がありました。


経験や記憶を「忘れられなくて困る」そんな息子と向き合った話

http://woman.excite.co.jp/article/child/rid_Hnavi_35025544/

記事の中のお子さんは、1年以上も前に、暴力的なトラブルになった相手に、いきなり仕返しをしてしまい、問題になっています。





「突然相手から椅子をぶつけられたから押し返した。そうしたらぼくだけ先生に怒られた。だから今度は僕が先にやった。やり返しただけだ!。」

息子は1年前にトラブルになった際、大人の仲裁に納得できずにモヤモヤする気持ちを忘れられなかったらしいのです。かつてのトラブル相手を見つけたとたん、モヤモヤした記憶が鮮明によみがえり、半ばパニック気味になっていたのでしょう。

誰も息子の気持ちが理解できなかったとしても、私にはわかります。

納得ができないことは、息子の中で未消化のまま終わらないのです。(記事からの引用)



嫌な記憶がフラッシュバックしてしまい、大きな苦痛となってしまうということは、多くの人が経験することだと思います。

ただ、自閉傾向のある子どもたちは、その頻度や、フラッシュバックの鮮明さ、キツさがただごとでないのです。

しかも、自分の心ををなぐさめたり、なだめたりする方法も持たないまま、長い期間、苦しみ続けています。


同じような記憶の問題を、うちのあだきち君も、抱えています。

記事のお子さんは、知能に後れもなく、よく会話も出来るので、お母さんとお話し合いをして、自分の気持ちをフラッシュバックから解放する道を見つけ出すことができています。


けれども、あだきち君のように、会話が困難で、言語による介入が難しい場合は、手のほどこしようもないまま、問題が長引いてしまいます。


けれども、ひょんなことから問題がなくなったり、いつのまにか解決していたりすることも、わりとあります。


たとえば、病院問題。

あだきち君は小学校低学年のときに、病院で、採血やカンチョウをしたことがあるのですが、それがよほどイヤな体験だったらしく、以後、


 病院  =  破滅の象徴



と思い込んでしまって、どうにもならなくなってしまいました。

インフルエンザらしき症状が出ても、病院のエントランスからテコでも動かず、大絶叫、大暴れ。しかたなく、医師にお願いして、エントランスで診察してもらったこともありました。

あねぞうさんの通院に付き合ってくれるときは、そうでもないのですが、「今日は自分の診察ではない」と納得するまでは、不安で不安で仕方がなく、パニックになりかけますから、おやつやオモチャで盛大に気を引かなくてはなりませんでした。

病院だけでなく、学校での健康診断も、毎度、大惨事……

小学校のあいだは、私はもちろんのこと、担任の先生、保健の先生、手の空いている男の先生が他数名、そして学校医と、合わせて六、七人くらいの人手がなければ、聴診器を当てることもできませんでした。


この病院・診察不能の件では、長い間、ほんとうに悩んでいました。

もしも、大きな病気になってしまったら、どうしたらいいのか。
検査どころか、診察も受けられずにいたら、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。


でも、支援学級・支援学校の先生がたの、根気よい指導が功を奏して、高等部に入るころには、健康診断の恐怖はなんとか克服。


また、福祉事務所の支援外出の経験をたくさん積むうちに、いろいろな場所に対する適応がよくなって、「病院的に見える建物」に対しても、あまり抵抗がなくなっていきました。


そして、高等部二年の冬のこと。
熱は出ないものの、一ヶ月も咳がつづき、家で休ませても一向に良くならず、次第にひどくなるものですから、どうにも心配で、とうとうあだきち君を病院に連れていくことになりました。


あらかじめ、病院に電話をいれて、重度の自閉で診察に恐怖感が強いことなどを伝えたところ、「まずは、連れてきて見てください」と言っていただけたので、おそるおそる、車に乗せて、病院の前に行ったところ、あだきち君は、パニックを起こすどころか、


「びょういん!」


と言って、にこにこしているではありませんか。
そして、以前はテコでも中に入ろうとしなかったのに、余裕でエントランスを通り抜け、さっそく見つけた売店にかけより、


「ジュース、のむ!」


と宣言。待ち構えていた受付の方々も、様子をみて、そのまま診察室に上がってくださいと言ってくれたので、エレベーターに乗せましたが、拍子抜けするほどの平常心ぶり。

そのまま待合室に行き、診察の順番を待っていたのですが、その間も、咳き込みながらもニコニコ顔。いよいよ診察室に入るというときも、うれしそうにしていて、立ったままではありましたが、聴診器もしっかり当ててもらうことができました。

病名は、肺炎。
処方薬は強力で、一ヶ月もおさまらなかった咳は、ほんの数日で治ってしまいました。



その後、介護施設入所のために、医師の診断書をいただく必要があって、精神病院に連れて行きましたが、あだきち君は三時間も待たされたにもかかわらず、パニックの片鱗も見せず、ゆうゆうと構えていてくれました。


ただ、いまでも注射だけは、どうしてもダメなようです。

強い痛みを伴う記憶を、言葉での説明なしに、納得して受け入れてもらうためには、どうしたらいいのか……まだまだ、課題は続きます。