2016年7月31日日曜日

あだきち君の日曜日/テンプル・グランディン博士の動画


昨日のあだきち君

いつも通り、朝五時には起床。
お洗濯物を乾してくれて、テレビをみながらくつろいでいました。

九時すぎから、福祉事務所の支援外出。
科学館につれていったいただいたそうです。
暑かったせいか、お昼ご飯は、あまり食べられなかったとのこと。

そういえば、金曜日の通所施設でも、お昼のお弁当は、三分の一ほどしか食べなかったと、連絡帳にありました。少し、夏バテ気味かもしれません。

たくさん汗をかくからでしょうか、少し、肌荒れもしています。
スキンケア、がんばらないと。
お薬を塗っても、ついついいじってしまいますから、傷が膿んでしまったりすると、治るまで大変なのです。福祉事務所のスタッフの方も、よく拭いてくださっているようでした。



テンプル・グランディン博士の動画


あだきち君がまだ小さかったころ、テンプル・グランディン博士の著書「我、自閉症に生まれて」と出会いました。

まだ幼児だったあだきち君の、日々炸裂する自閉モードと格闘していた私にとって、博士の綴る全てのエピソードが、目の前にある問題を読み解くための大いなる鍵のように思えて、ただただ心強かったものでした。




そのグランディン博士の貴重なスピーチの動画が、ネットに上がっていました。
うかつなことに、気づかずにおりました。


テンプル・グランディン: 世界はあらゆる頭脳を必要としている




おもわず、拝むような気持ちで拝聴。

著書の中の博士と同じように、鋭く、活力あふれる語り口で、聴衆を魅了しておられます。


初めのほうで、博士は、ひらひらしたものに恐怖する、ウシの習性について語っています。


あだきち君も、小学校のころ、ベランダの洗濯物に強いこだわりがありました。


恐怖に直結するものではありませんでしたが、気になって気になってしかたがなく、やがてそれに独自の意味づけをするようになっていきました。


「ベランダに洗濯物があると、晴れる。洗濯物がないと。雨が降る」


そう信じたあだきち君は、どしゃぷりの雨の日に、どうしてもベランダに洗濯物を干さなくてはならないと思い詰めて、大パニックになったことも、ありました。( ̄。 ̄;)


当時の日記を引用します。
小学五年のときの、夏休みの記録です。


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2008年08月01日 (あだきち君、10歳)


六時前に起床。
そのあと、すぐにあだきち君も起床。そして、大パニック。


カーテンのしまっているベランダ窓をにらみつけ、


「今日は、雨です!」


と怒鳴ったかと思うと、洗濯機のところに走っていき、悲鳴をあげながらバスタオルなどを数枚つかみ取って、ベランダに飛び出していった。

数ヶ月前に、ベランダの手すりを乗り越えようとした事件があったので、青くなって引き留めたのだが、あだきち君の行き先は手すりではなく、物干し竿だった。

(我が家はマンションの四階。あのとき、あねぞうさんが止めなければ、落ちていたかもしれない)


気圧が低下すると、洗濯物を外に干して天候回復を願うというのは、あだきち君が一年生のときに始まった儀式行動である。どうも、


・晴れているときは洗濯物は外にある

 →・外に洗濯物を干せば、晴れる


という関連づけをしてしまっているらしいのだ。


困ったことなのだが、理屈を教えようにも教える方法がないし、洗濯物に頼る前は、窓の外に見えるクレーンが悪の元凶だと思い込んでいて大変だったりしたので(工事現場を見るたびに絶叫していた。しかも折悪しく、その年は小学校に改装工事が入っていた)、とりあえず黙認している。



血相変えて、タオルを数枚干したけれども、バニックはおさまらない。洗濯物で気圧が上がるわけではないから、当然なのだが、あだきち君には分からない。

怒り狂って風呂に突入し(すでにお湯はいれてあった)、悲鳴をあげてびしょぬれのまま飛び出すということを、六回ほど繰り返して、なんとか気圧や気温と体調との折り合いがついたのか、ようやく沈静化した。



これから療育。
今日は午前・午後の二回。


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あれから八年。
あだきち君は、いまでも天気が崩れそうになると、気持ちが不安定になります。

けれども、ベランダに突進するようなことは、もうありません。
自分なりに、動揺を抑え、気持ちを静める手段を、いろいろと身につけてきています。


それでも、雨の日など、施設の窓辺に立って、しくしくと泣いている日もあると聞きます。

洗濯物のひらひらや、雨の記憶に、さまざまな思いが結びついて、哀しくなってしまうのかもしれません。どんな思いがあだきち君の内側にあるのか、いつか、言葉で教えてくれたらと、願っています。








2016年7月30日土曜日

相模原の事件報道より。匿名であることを止めたご家族の思い


隠せない思い



今日の朝日新聞朝刊に、ほんとうに素敵な写真がありましたので、おもわずiPhoneで撮りました。

あの相模原の事件で、ひどい怪我を負ってしまった、森真吾さんと、ご両親です。




記事から、少し引用します。

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被害者匿名 家族ら葛藤

今回の事件で、神奈川県警は犠牲者やけが人の氏名を公表していない。当事者たちの思いは複雑だ。
 胸を刺されて入院中の森真吾さん(51)の母の悦子さん(79)は、園で16年前に開かれた運動会で笑顔を見せる真吾さんの写真を取りだした。「これ、よく見てください。うちの真吾です。かわいいでしょう」(中略)
 園に入って約20年。重い障害があり、言葉を発することが困難だ。これまで、近所の人や親戚にもほとんど伝えずにいた。
 それが事件で変わった。
 事件当日、園を訪れた正英さん(82)の姿がテレビに映った。翌27日の朝日新聞の取材では名を伏せるように求め、匿名で報じられた。報道で気づいた親戚などから、安否を案じる電話が入り始めた。他メディアの取材に実名で応じると、色々な所から連絡があった。「これまで家族で十分愛し合って、ひっそり生きてきた。事件で急に表舞台に引っ張りだされた」

 一人ひとりの声を聞くうちに、「息子が生きていてくれただけでいい。恥ずかしいなんて言っていられない。隠してもいられない」と思うようになった。(中略)障害者を侮辱する発言をしていたという植松容疑者(26)には明確な怒りを感じる。「真吾は障害で何もできないかもしれない。でもかわいい、いとおしい私たちの息子なんです」


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息子さんは、私と同世代。
幼少期は、いまよりもずっと、障害者に対して差別や偏見のきつい時期だったはず。
それをご家族で乗り越えて、我が子の安寧を、ずっと守ってこられたのだと思います。


多くの障害児、障害者の家庭も、同じだと思います。
苦しみながら、七転八倒しながら、人生を送っています。


立場の弱い存在を追い込む言葉



今日もあちこちで、障害者福祉と、重度の障害者の存在が、国の財政を圧迫するという意味合いの発言を、たくさん見かけました。役に立たない人間に自分の税金を使われたくないという言葉も、たくさん、目に入れました。


それに対して、私には、返す言葉がありません。
言い返す気力も、ありません。

あだきち君を抱きしめて、そういう言葉によって、世の中から指弾される痛みに耐えながら、生きるしかないのでしょうか。


社会保障はほんとうに社会の「お荷物」なのか?



でも…

お金のことだけで、少し、意見を言うとするならば。

あの犯人が、たった一人で引き起こした凄惨な事件のために、どれだけの「税金」が使われることになるのか、また、どれだけの人々から、希望と安心感と、生産性につながる精神的活力を奪い去ってしまったか、その、決してお金には換算できない喪失を、無理矢理にでも合算して、総額を試算してみてくださる方が、いてもいいと思うのですが。


一部で無駄だ負担だお荷物だと言われている、この国の社会保障が、どれだけ多くの人々の人生を支え、結果的に生産性を高め、社会の安定に寄与しているのか、本気で考えてみるべき時期ではないでしょうか。








あだきち君の偏食の記憶/亜麻の実


日常



朝起きたら、あだきち君がすでに起きて、待ち構えていました。


「パン、たべる!」


あだきち君の視線の先には、おとーさんがパン焼き器で焼いてくれてる、自家製の食パンがありました。

カットしていないので、切って、オーブンで焼いてくださいと、あだきちくんは、注文しているのです。



パン焼き器を買ったのは、あだきち君がまだ幼児のころだから、もう十数年も前になります。


MKというメーカーの、自働ホームペーカリー、ふっくらパン屋さん (HBH915)という製品ですが、古いので、もう販売していないようです。

いまは、もっと多機能のものが、いろいろと出ているようですが、うちは、使い込んだ機械で十分満足。焼けるときの、香ばしい香りが、大好きですヾ(〃^∇^)ノ。



偏食の思い出


このパン焼き器を買った時期というのは、あだきち君の偏食が、すさまじかったころでもありました。
なにしろ、基本的にカレーと味噌汁しか、食べなかったのです。

ご飯やおかずは、カレーか味噌汁のなかに投入すれば食べてくれるので、やせ衰えてしまうようなことはありませんでしたけども、いろんなものをぐちゃぐちゃまぜたお皿は、普通に食事を楽しむという状況からは程遠くて、このまま大きくなってしまったら、本人も周囲も大変だなと、ずいぶん思い悩んだものでした。

もちろん、外食なんて、とても不可能。
たいていの子供たちが大好きな、唐揚げやハンバーグにも、見向きもしなかったですし、そもそもレストランに入ることが無理でした。


小学校入学前まで、1日2時間半だけ、家庭保育園で御世話になっていましたが、園で出していただくおやつは、ほとんど食べられませんので、食べられるお菓子を持たせて預けていました。家で食べられるものでも、外に出ると口に入れてくれないこともあったので、おやつ選びも大変でした。

あの手この手で、食べられるものを増やそうとしていましたが、何をやってもうまくいかず…ほとんに手強い偏食でした。

それが、5歳くらいで、突然、「普通のサンドイッチ」を食べられるようになったのです。

その日のことは、いまもよく覚えています。

病院の待合室で、あまりにも待たされて、お腹が空いてしまったからでしょうか、それまで絶対に口にいれなかった、たまごサンドを、ぱくっとやってくれたのです。

そのときのうれしさは、たとえようもありませんでした。


パン焼き器を買ったのも、いろいろなパンを作って、あだきち君と一緒に楽しみたいという思いからでした。

障害の改善のために、必要な栄養をしっかり取らせたいという思いも強かったので、いろいろと工夫もしました。



亜麻の実パン



亜麻の種を入れたパンなんていうのも、焼いています。
すっかり忘れていましたが、昔の日記をひっくり返していて、見つけました。



2005年08月18 (あだきち君・6歳)


ネット注文してあった、亜麻の実が、どっさり届いた。 

亜麻の実には、自閉症児の血中濃度が低いといわれている必須脂肪酸類が豊富に含まれている。 

加工されて「亜麻仁油」として売られているものもあるけれど、酸化されやすい油なので日持ちせず、加熱にも向かないので、料理には使いにくい。酸化を避けるためにサプリ状になったものもあり、あだきち君はそれを毎日飲んでいるけれど、アメリカ製のサプリはやたらとデカく(ダンゴ虫の約二倍)、かなり飲みにくい。 

それで、できればもっと自然な食品の形で食べさせられたらと思い、実そのものを売っている店をネットで探してみたら、楽天で見つかったので、さっそく注文。すぐに届いた。 

亜麻の実は、粉末状になっているものを注文したのだけど、丸ごとの実もサービスで少しつけてくれていた。 

さっそく試食してみた。アーモンドよりも少し小さい感じで、くるみとピーナッツとカシューナッツを足して三で割ったような味である。 

あねぞうさんは「うまいね」と言っていた。
あだきち君は、感想は言わないけれど、黙って食べていたから、嫌いではなさそうである。 


それほどクセがないから、粉末タイプのものであれば、どんな料理に使っても、大丈夫そうである。とりあえず、パンでも焼いてみようかと思う(自動パン焼き機があるのだ)。 



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亜麻の実(フラックスシード)は、楽天で検索すると、いまも販売されているようです。
当時はあまりレシピも見かけませんでしたが、クックパッドにいろいろありました。

パンにパンケーキ、スムージー、和え物など……

楽しそうですヾ(〃^∇^)ノ。
また作りたくなりました。

ただ、亜麻の実、かなり固いので、ミルサーなどで粉砕してからお料理につかわないと、消化されにくいようです。そのミルサーを壊しちっゃたので、亜麻の実を買うのを中断して、そのまま忘れて十数年たってしまった…のでした。orz


あ、その後のあだきち君ですが、小学校五年くらいで、偏食がほとんどなくなり、爆発的に食べるようになってしまい……いま、90kgの巨体と化しています。(;.;)








2016年7月28日木曜日

生きる意味も、人生のオールも、本人のもの


ツイッターで、とてもすてきなツイートをみつけました。

ねこかめさん、とおっしゃる方の、息子さんの言葉です。

件の殺害事件の犯人が「最初は障害者に対し不憫だと思ったがそのうちこの人達のゴールはどこだろうと考えるようになり抹殺しようと思った(要約)」という供述をしているとニュースで見た息子(8歳)が「人生にゴールなんか無い!生きるだけだ!生きる意味を他人が勝手に決めるな!」と憤慨している。

胸のすく言葉に、救われる気持ちがしました。



あだきち君の連絡帳より


施設でのあだきち君の様子を、職員の方が、毎日連絡帳に書いて知らせてくれます。

今日は、午前中に漢字ノートで練習をしたとのこと。
少し落ち着かなかったとありました。
ノートにびっしり書いてある漢字、ちょっとマスからはみ出して、踊っています。
少し暑くて、寝不足気味だからかもしれません。(^_^;

お昼ご飯はしっかり食べて、午後はくつろいで過ごしていたようです。



昔の日記から

前回の日記に書いた「センチメンタルなファシズム」ということについて、あだきち君が小さいころにも、日記に書いたことがあったのを、思い出しました。

もともとは大江健三郎氏のエッセイに、そうした考え方があったのを読んで、共感したのだったと思います。

当時の日記を掘り返したので、趣旨を変えずに文章に手を入れつつ、貼ってみます。
(古い日記、なんだかトケトゲしくて、自分でも読んでいて疲れるので……余裕がなかったんですね)


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2002年6月3日  (あだきち君・4歳)

 今日は、障害児の出生率を下げるために、出生前診断を受けるべきかどうかという議論を見かけた。完全な水掛論。当事者の気持ちなど知る由もない、無神経な人々。そんな議論によって推し進められようとする「正義」が、いま生きている障害児にとって、どんな意味があるというのか。 


 「重度心身障害児はかわいそうだから、生まれる前に殺しましょう」 
 「親や社会のエゴで重度心身障害児を中絶するのは道徳的でない」 


 どちらの意見にも、共感ができない。

 同じように、次のような議論がなされていたとしたら、どうだろうか。
 いままさに、介護をなさっている方々の心に、響くところがあるとは思えない。

「認知症の老人はかわいそうだから、早めに安楽死させましょう」
「家族や社会のエゴで痴呆老人を安楽死させるのは、道徳的でない」 


 こうした他人事の感傷や道徳感覚が、当事者にとって何の役に立つというのか。

 センチメンタリズムはファシズムの始まりだというようなことを、大江健三郎がエッセイに書いていたのを思い出す。ほんとにその通りだが、、センチメンタリズムの対極が、道徳やマナー感覚の押し付けでは、どちらに転んでも、当事者の救われる道はなさそうである。 


 そんな議論は放っておけばいいのに、障害児療育についてネット検索をかけるたびに、そういうものが、有意義な情報と一緒に引っかかってきてしまうのが、つらい。目に入れたくなくても、入ってしまうからである。

 障害児の親同士が、罵倒論争をやっているのも見かけた。生身の人間同士なら、せいぜい陰口で終わるところが、ネット上で顔が見えないものだから、取り返しのつかないところまで言い合ってしまう。よせばいいのに、とは思わない。見苦しいまでに誰かを罵り尽くすことで、踏みしめる土台が固まるというなら、そうすればいい。何もかも飲み込んで許しながら、物も言わずに苦しい人生を生きるなんて、そんな簡単にできるはずがないのだから。

 でも大抵の人は、自分の吐いた毒にやられて、かえって余計に苦しむように見える。 


 親がなにかを罵ろうが、吐いた毒に中毒しようが、障害と共に子供は生きて、育っていく。 




 あだきち君が、急に、絵本をよく読むようになった 
 今日はディズニーランドの解説本のような絵本を、じーっと見つめながら、ページをめくっていた 

 その前は、リアルな挿絵の多い、動物の絵本。 
 明日は、何を読むだろう。 


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大江健三郎氏のエッセイ、どれだったろうか……思い出せません(´;ω;`)。

センチメンタリズムがファシズムのはじまりというのは、あの相模原の犯人の手紙の文面に、そのまま当てはまるように思います。14年前の私も、そうした思考に、強いアレルギーを持ったようですが、読み返してみると、なんだか言葉足らずで、書くべきことを書けていない気がします(今もですけど)。


これを書いた日の私は、「かわいそうだから~」という感傷で、あだきち君の感情には目もくれずに、一方的に不幸だと決めつけてしまうような、きもちのわるい「優しさ」に対しても、あだきち君と家族が、ここで生きている苦しみや喜びとは無関係な、血の通わない一般論で「殺すべきではない」という正論をかかげられることについても、いらだちしか感じなかったのでした。


要するに、私が言いたかったことは、上に引用した、ねこかめさんの息子さんの

「人生にゴールなんか無い!生きるだけだ!生きる意味を他人が勝手に決めるな!」

という言葉で、足りてしまうと思います。




これを書いていて、あだきち君が小学校の支援学級に通っていたころ、クラスの男の子たちが、TOKIOの「宙船」のCDを、毎朝繰り返し再生して、熱心に聞いていたのを思い出します。






「おまえが消えて喜ぶものに おまえのオールをまかせるな」


私も一緒に聞きながら、あだきち君が、この歌詞の意味を分かってくれて、自信をもって生きていつてくれたらいいなと、思ったものでした。


もっとも、あだきち君は、歌に支えられなくても、堂々と人生を楽しんで生きています。
弱いのは、親の私だけでした。(^_^;



そういえば、あだきち君は、最近、本をあまり読みません。
なにか、勧めてみようかな。。。


「かわいそうだから殺してあげよう」という発想

今朝のあだきち君/平日通所



画像は、今朝のあだきち君。
加工ソフトで、コルクに印刷したような風合いにしてみました。

今日は、普通に施設通所の日。

朝、送っていったら、施設の敷地内に、やぐらのようなものが組み立てられつつありました。何かイベントがあるのかなと思ったのですが、うっかりして、施設の方に聞くのを忘れて帰って来てしまいました。

それで、ネットで情報を探してみたのですが、それらしいものが、見つかりません。

施設のほうでは、日々の様子を伝えるようなホームページなどは作っていないようでした。


施設の職員さんたちは、ほんとうにお忙しいですから、ネットに発信するような余裕はないのだろうと思います。

でも、もっと中の暮らしの様子や、取り組みを、外に伝える機会が増えてくれば、知的障害者の施設に対する、暗く救いのない場所であるかのような一般的なイメージが、変わっていくのではないかと思っています。

私も、ここに、あだきちくんの日々の通所の様子を書きつづけようと思います。

施設が、人間らしく、与えられた人生を真摯に生きようとしている人たちのための場所だと、伝えられたらいいなと思います。


事件に感じた、センチメンタルなファシズム…



相模原の事件の犯人が、衆議院議長にあてて書いたという手紙のなかに、


「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」
「障害者は不幸を作ることしかできません。」


などとあり、それがある程度のリアルティを帯びているように受け止められるるためでしょうか、犯人に対しては憤りを感じるといいつつも、障害者の安楽死等については一考の余地があるといった発言をしている人が、ネット上に少なからず見受けられました。


こういうのを、センチメンタリズムにコーティングされたファシズム、というのではないかと思います。


「かわいそうだから、殺してあげよう。そのほうが本人のためにも社会のためにもなるから」


そういう発想です。
気の毒な人々を救うためにという、とんでもない大義名分を掲げて、社会貢献が難しいという理由で最も弱い立場の人々の命を、一方的に奪うという行為を、正当化するのです。


そして、センチメンタリズムにコーティングされているがゆえに、知的障害のある方々が暮らす現場をほとんど知らない、ごく普通の方々が、「もしかしたら、そのほうがいいのかもしれない」と、容易に同調してしまえる、そして、それが一定の世論を形成する可能性を持つ……


これは、ほんとうに恐ろしいことではないかと思います。


介護の職場、知的障害者の生活支援が、そんなに甘いものではないことは、よくわかっています。なにしろ、18年も、あだきち君の親をやっているのですから。

いまだって、疲れ切った表情になることも、もちろんあります。


でも、疲れきった顔なんかしていたら、あだきち君を守れないのだなと、今回ほんとうに強く思いました。


かわいそうだから世の中のために殺してあげようという、気持ちの悪い笑みを浮かべた殺戮者。


そんなものに、負けるわけにはいかないのです。




すこし、昔の話を…


横綱級の広汎性発達障害児。
自閉傾向は、日々炸裂……

あだきち君の幼児期には、ほんとうに大変なことが多かったのですが、楽しいことも、たくさんありました。

いまはもう、その全部が、あたたかい思い出として残っています。
あたたかいというのは、月並みな言い方ではありますが、そのあたたかさが、ここにくるまでの道のりを、支えてくれたのは間違いありません。


以下は、古い日記です。
以前は自分のホームページに公開していましたが、そこをたたんでしまったので、手元のハードディスクに残したhtml書類から、貼り付けてみます。

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2002年12月1日  (あだきち君・4歳)
 あだきち君は、私のパジャマが好きである。あるいは、パジャマを着ている私が好きである。
 あだきち君を産むときに新調した、あずき色の授乳用パジャマがとくに好きで、昼間でも私にそれを来てくれとせがむ。羽織るだけでなく、ちゃんとボタンもかけなければいけないらしい。
 私が着てやらないと、パジャマを両手で抱えてほっぺたに押しつけたりしている。そんなに好きならアンタも着てみなさいよと言って、あだきち君にパジャマをかぶせようとしたら、恥かしがって逃げていった。照れるほどのことなのか。

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アメリカ同時多発テロが、2001年。
これはその翌年の冬の記録です。
あだきち君は、テロの年に就学前施設に入園しましたが、どうも合わなくて、退園。

上の日記のころは、5歳になる直前で、週三回ほど、民間の療育教室に通いつつ、ほとんど自宅で過ごしていました。


あだきち君は、おかーさんの着る服に、いまもちょっとしたこだわりをもっています。

最近では、着るものを選んでよこすことはなくなっていますが、着方には、なかなかうるさく口を出します。(あ、言葉ではなく、手を出してきます)

ポロシャツのようなものは、とにかく首元まできっちりと、ボタンをかけなければ、我慢がならないらしくて、一番上をあけていたりすると、わざわざかけてくれたりします。

冬などは、出かけるときに、私のコートを持ってきて、手渡してくれます。

たぶん、あだきち君のなかに、「おかーさんの服装は、こうあらねばならない」的な規範があって、私がそれを破っていると、イラっとするのだろうと思います。


でも、あだきち君自身は、自分の服装は、ほんと、いいかげんです(^_^;。

自宅にいるときは、Tシャツに、トランクスいっちょ。

そしてシャツは、なぜかたいてい、裏返しの、後ろ前に着ています。
ほぼ九割、そのように着ているので、まちがいなくわざとやっているのだと思うのですが、理由はさっぱりわかりません。

「あだきちくん、シャツ反対だよ」

と、声をかけると、ささっと脱いで、正しく着直します。


洋服の縫い目が身体にあたるとつらいという話を、自閉症のかたの手記などで見ることがあります。
あだきち君は、皮膚感覚がそんなに過敏ということもないと思うのですが、シャツを必ず裏返しに着るのは、縫い目があたらないほうが心地よいからなのかもしれません。


でも、必ず後ろ前に着る理由は、さっぱり分からないのでした(^_^;。



2016年7月27日水曜日

あだきちくん、ショートステイ三回目/さまざまな報道



あだきち君が、ショートステイから帰って来ました。ヾ(〃^∇^)ノ


いつも自分で書いてくる連絡帳には、こうありました。


きょうは おとまりです
ゆうごはんも いっぱいたべます
おふろにはいります


昨日の夕方あたりに、書いたのでしょうか。


職員さんたちが書いてくださった記録には、リラックスして、楽しく過ごした様子が、細やかに書いてありました。

昨日は、近所の公園まで歩いていって、ブランコをたくさんしたあと、遠回りして施設にもどったとのこと。


晩ご飯を九割がた食べたあと、本を読んだりしながら、自分のお部屋でくつろいで、午後十時には就寝。

夜中に一度起きてトイレに行き、寝直して、朝六時には起床。

朝ご飯は、完食だったそうです。


ただ、朝方、寝ぼけていたのでしょうか。洗面所かトイレで、ズボンをぬらしてしまったようで、着替えを全部使ったとのこと。洗濯物を、どっさり持って帰りました。



昨晩は、相模原の事件があまりにもつらくて、朝まで眠れず、すっかり体調はヨレヨレですが、あだきち君のニコニコ顔を見たら、元気が戻ってきました。今夜は、ちゃんと眠れそうです。


けれども昼間は、仕事をしながら、ずっとネットでニュースを追いかけていました。
あまりにもつらいし、犯人の顔を見るのも苦しいけれど、どういうものであるのかを、しっかりと見ておかないといけないと思いました。


知れば知るほど、やりきれなさが増すばかりではありますが…。

事件現場からは遠い、岩手県の、福祉施設の方々の声が取材されていました。


「理解し合えるのに」 県内障害者施設職員、心痛める

(岩手日報社)
http://this.kiji.is/130823459974006268



 相模原市の障害者福祉施設で26日、入所者らを刺した疑いで逮捕された元職員の容疑者(26)は、「障害者がいなくなればいい」「意思疎通のできない人を刺した」などと供述しているとされる。障害者の尊厳を踏みにじる言動に、日々障害者らを支える県内の施設職員からは「障害があっても、楽しくよりよい生活を送ってほしいと願っているのに」と、ショックや悲しみの声が上がった。 

陸前高田市高田町のひかみの園の菅野正明園長(58)は「障害者にはいろいろな人がいるが、職員はそれぞれ個性として接している。容疑者は障害者が皆、人権のある一人の人間だという理解に欠けていたのではないか」と唇をかむ。 

盛岡市上飯岡の緑生園(細田重憲理事長)の佐藤啓悦総務課長(61)も「障害者の命や暮らしを守ろうとしているわれわれの仕事を否定する行為だ」と嘆く。 

新里久雄業務課長(54)は「入所者に罵倒されるなどつらいことも多いが、少しずつでも相手が成長する姿に喜びを感じられる仕事なのに」と心を痛める。 

 北上市二子町の障害福祉サービス事業所とばせ園の佐々木進園長(68)も「コミュニケーションを図っていれば、どんな障害のある人とでも理解し合えるはずだ」と強調する。

 一戸町中山の県社会福祉事業団中山の園(鈴木豊所長)の細谷優光副所長は「不審者の侵入は想定しておらず、類似施設での事件発生にまさかという気持ち」と衝撃を受ける。ニュースで事件を知った利用者もおり、必要に応じて精神面のケアも検討している。



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小学校のころ、岩手に住んでいたことがありました。

学校に特殊学級がなく、知的な遅れのある子も一緒に、同じクラスで学んでいました。
たしか、テルちゃんという名前の、大柄な女の子で、元気で、やさしくて、でもいつも男の子たちにからかわれていました。

あのテルちゃんも、もしかしたら、この記事の施設のどこかで、暮らしているかもしれません。

元気でいるといいなと、ひさびさに顔を思い出しました。




もう一つ、毎日新聞の記事を引用します。
記者の方には、重度自閉症のお子さんがいらっしゃるとのことでした。


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相模原の障害者施設殺傷
障害者福祉、改善の陰で=論説委員・野沢和弘

(毎日新聞)
http://mainichi.jp/articles/20160727/ddm/002/040/058000c



 腹の底から力が抜けていくような衝撃をどう受け止めたらいいのだろう。「障害者は生きていても意味がない」と植松聖容疑者は話したという。生きる意味のない人などいない。その当たり前のことを26歳の容疑者が理解できないことに私たちは言葉を失うのだ。
(中略)
 わが国の知的障害者をめぐる状況はこの15年で大きく変わってきた。支援費制度(2003年)、障害者自立支援法(06年)など福祉サービスに関する制度はめまぐるしく変わり、地域福祉の予算はこの10年で3倍近く増えた。入所施設での自由のない集団生活を権利侵害とする考えが広がり、少人数の家庭的なグループホームで暮らす人が増えている。 
 権利擁護に関しても、障害者虐待防止法が12年に施行されてから、職員による体罰や身体拘束の防止が図られるようになった。施設内には虐待防止委員会が置かれ、自治体などによる職員研修も盛んに行われるようになった。14年には国連障害者権利条約が批准され、今年4月からは障害者差別解消法が施行された。 
 もちろん、日本の障害者福祉が直面している課題はまだ多い。現在も入所施設には計約12万人が暮らしているが、利用者の高齢化が進み、地域のグループホームで受け入れられない行動障害のある人や医療的ケアの必要な障害者が集まる傾向があるため、職員に掛かる負荷は相対的に大きくなっているといわれる。 
 その一方、福祉業界は慢性的な人手不足となっており、質の高い職員の確保に苦労している施設は多い。他の産業に比べて月10万円近く低いといわれる賃金水準が人手不足の原因とされるが、離職理由では「職場で相談できる人がいない」「法人の理念がわからない」など施設経営側に起因する問題の方が多いといわれる。 
 福祉サービスの拡充に見合うだけの人材確保と育成ができていない現場では虐待リスクも高まっている。実際、毎年多数の虐待通報が自治体に寄せられている。今回の事件がこうした課題の延長にあるとは思いたくないが、障害者へのゆがんだ価値観や自らの精神的な弱さを抱えた人が福祉現場に職を求めてくるのをチェックするだけの余裕がないのも事実だ。 
 ただ、多くの障害者福祉の現場では職員たちが夢や生きがいを持って仕事をしていることを忘れてはならない。今回の惨劇が障害者福祉のイメージを不当におとしめることは避けながら、悲劇を繰り返さないための方策を探っていくことが必要だ。


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ほんとうにその通りと思う記事だけれど、とくに最後の段落は、多くの方々の心に届けばよいと思います。今回のような事件があるたびに、知的障害者の介護現場が過酷で悲惨で救いがないものだというイメージばかりが、肥大して広がっていく様子があり、それを強く危惧しています。

きれい事で済まないのは、事実です。

けれども、あだきち君をずっと見守ってくれた、支援学級と支援学校の先生がたや、福祉事務所のスタッフの方々、療育教室の先生がた、病院、そして施設の方々は、ともに生きる仲間として、私たち親子と向き合い、助けてくださってきています。泣いたり、笑ったり、時にはぐったり疲れたり、ため息をついたり、かと思うと、実りある瞬間を共に迎えていっぱい喜んだりしながら、歩んできているのです。


どんな人であっても、重度の心身障害者となる可能性があります。
また、そのような状況の家族を持つ可能性があります。

障害に限らず……どのような状況になっても、勇気をもって暮らしていける世の中であること、支える手を信じられることは、いまはそうしたハンディとは縁がない暮らしをしておられる、どなたにとっても、すばらしいことではないかと思うのです。









相模原の事件と、障害者福祉について




ゆうべは、明け方までどうしても眠れませんでした。


相模原の事件の報道を読み続け、犯人の言動や、警察などの対応の詳細が伝わってくるにつれて、どうにもやりきれない気持ちになったからです。

ネットには、多くの憤りの声が寄せられています。
犯人に同調して、重度の知的障害者の生きる権利を認めない、いわゆるヘイト発言をするような人は、少数であったように思います。


多く目について、気になったのは、「知的障害者の介護をする職場の環境、待遇が劣悪だったから、犯行に至ったのではないか」という推測です。


劣悪な環境で働いている方は、誰もが、大量殺人鬼になり得る、そういう認識であるのでしょうか。


ブラック企業は過労死者や鬱病による自殺者を多数出していますが、経営陣を大量殺戮したという話は、あまり聞かないように思うのですが……


何か、釈然としないものを感じつつ、それでも、介護職の方々、障碍者施設の方々の待遇は、ぜひとも改善されてほしい、精神的に追い込まれるようなことは、絶対にあってはならないと、強く願います。


重度の我が子と、常に共に暮らし続けた親であるからこそ、預かって守ってくださっている施設の方々の、責務の重大さ、過酷さは、切実に理解できます。だからこそ、支え合って、共に生きていくような関係でありたいし、そのために何ができるかを、常に考え続けています。


もう一つ、楔のように心に刺さってくる言論があります。

障害者が、国家予算の負担になる、お荷物であるという考え方。

相模原の犯人も、衆議院議長にあてた手紙に、(殺戮によって)世界経済が活性化するという妄想を綴っていたようですが、障害者に対する、似たような意識から生まれた言論は、ネットを探せば、いくらでも見つかります。今回の事件で、そうした意見が、布団を叩いてわいてきたほこりのように、巻き上がっている様子が見えました。


なぜ、こうも偏狭な考え方が、真理であるかのように語られてしまうのか。


そして、そうした考え方に対するカウンター的な意見が、心情論や道徳論がメインになっているため、全くかみ合わないまま推移してしまっていることも、ほんとうに残念でなりません。


私は経済のことに疎いのですが、障害者がいなくなれば、国家予算が助かるとか、大多数の人々の経済的負担が軽減されて、うまくいくようになるという考え方には、心情論を抜きにしても、どうも納得いかないのです。ほんとうに、そうなのでしょうか。

介護産業の市場は、とてつもない巨額になりつつあるとか。

単純に考えて、いま、福祉サービスを受けている障害者が、全員、「消えて」しまったとしたら、その市場も消えてしまうわけですから、関わって暮らしている方々の生活は、とんでもないことになるのでは……

世の中は、すでに、心身にさまざまなハンディのある人と、そうでない人とで、共に生きる仕組みを、否が応でも作り上げてきているののに、その現実を無視して、建設的な未来像を描くことは、到底できないのではないか。そのように思います。

働き手としての、障害者の労働力、パワーも、いま見直されて、取り上げられる過程にあるようです。

多くの売り上げを出す福祉作業所、地域の生活に溶け込み、地道に支えている作業所さんも、たくさんあるはず。

ほんとうに、障害者は、国家予算のお荷物であるのか、幅広い視野と知見を持った方々から、しっかりした議論と意見が出てくることを、心持ちにしています。



またまた、本文にとくに関係のない画像(^_^;。いくぞうさん作。気が抜けます。



昨晩は、眠れないまま、ショートステイをしていたあだきち君に、頻繁に思いを馳せました。

おかーさんは、あだきち君の将来のために、何ができるのか……

どうしたら、こころやさしいあだきち君たちが、この世の中で穏やかに、しあわせに、人生をまっとうできるのか。


答えは、簡単には見つからないのでしょうけれども、昨日の非道な事件のようなものに、希望を持つことを妨げられることだけは、あってはならないと思っています。


希望を持ち続ける。
このような暴力に対して、唯一、私ができる、カウンターカルチャーです。






2016年7月26日火曜日

相模原の事件……








とんでもない事件の報道を見て、胸のつぶれるような思いにかられています。

ブログを更新しようかどうしようか、少し考えましたが、やはり書くことにします。


……


今日は、あだきち君のショートステイの日です。

朝、着替えなどまとめてカバンにいれて。
連絡帳に、あだきち君の様子を書いて、持ち物表を挟み込んで。
大事な水筒に、わかしたてのお茶を、すこしさまして、いれて。

あだきち君用の日記帳には、「たくさんお手伝いして、楽しんでね」と書き込んで持たせました。

そして、いつも通り、車で施設に送りました。

今日は曇り空で、いまにも降り出しそうな色合い。あだきち君は、こういう空模様の日は、あまり落ち着かなくなることが多いです。そのことも連絡帳に書いたのですが、いつもよりも穏やかな様子で、ニココニしながらお部屋に入っていきました。

前の晩に夜勤だった職員さんと、少しお話が出来ました。

あだきち君は、公園に散歩にいくと、いつもブランコを楽しむのですが、小さい子供たちに「乗りたい」といわれると、ちゃんとゆずってあげているとのこと。そのことを、職員さんたちに、すごく褒めてもらったそうです。お話から、施設の方々に、大事に見守っていただけていることが、よく伝わってきて、ほんとうにうれしくなりました。


お話のあと、あだきち君の施設の駐車場で、車を出す前に、iPhoneをちょっと開いて……ニュースを知りました。


相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」、入所者刺され19人死亡 26歳男逮捕


きっと、続報がたくさん出るのでしょうから、ニュースサイトにリンクは貼りません。
ツイッターのトレンドも、この事件に関する言葉で占められています。


報道を見てすぐ、神奈川に住んでいる、お友だちの息子さんのことを思いました。
無関係だったろうか。巻き込まれていないだろうか。。。

事件の概要を読んでみると、150人が居住する施設とのことでした。
お友だちの息子さんは、たしか自宅から作業所に通っていたはずなので、きっと巻き込まれてはいないと思いましたけれども、事件を知って、どれほど心を痛めていることか。





もう何年も前から、いつか、こういうことが起きるのではないかと、ずっと危惧していました。

あだきち君が、地元の小学校の支援学級に通っていたころも、支援学校に移ってからも、そして福祉サービスで、いろいろな場所に出かけるようになったときにも、学童で過ごすようになったときにも。


インターネットで重度自閉症の情報を集めるようになってすぐ、ネットの世界に、知的障害者に向けられたヘイトの言葉、それも存在そのものを否定する思想が、あふれるほど書き込まれていることを、知りました。

いまでも思い出すのが、はじめて見た2ちゃんねるに、「婚約者の兄弟が自閉症なので処刑してほしい」と訴えていた、適齢期の女性(自称)の書き込みです。義理の親となる予定の人に、暗に介護の手伝いを要求されているような気がするからというのが、書き込みの理由だったようでした。

いわゆる釣りという記事だったのかもしれませんが、たとえ当事者ではなかったのだとしても、「処刑」という言葉を、ためらうことなく書けるものなのだなと、そのことに心寒くなる思いがしてなりませんでした。

その後、ネット上にはいくらでもそういう言論があるのだと知るに至り、すっかり慣れてしまいましたけれども、世の中には一定数(かどうかは分かりませんが)、そういう言論を匿名で行うことに、何の抵抗も罪悪感もない方々が存在しているのだという思いは、常に心のなかにあります。

そして、それが、ネット上での言葉だけのことで済んでいるうちは、まだマシなのだということも、不本意ながら思うところではありました。



#障害者なんていなくなればいい


事件後に出頭したという犯人は、上のように言っていたとのこと。


何があって、またこの人自身にどのような問題があって、そのように思うに至ったのか、これから分かってくるのでしょうか。


でも、私が気になるのは、この人の個別の問題よりも、この言葉が今後、どのように世の中に響いていくのかということです。



障害者なんていなくなればいい、という言葉の対極にあるのは、インクルージョンの考え方だろうと思います。

障害があってもなくても、誰もが社会のなかで居場所を見つけ、ともに支え合いながら生きていける社会……インクルージョンについて、そのように書くと、ただの夢物語でしかないように思えてきますが、その夢物語を、根元から切って捨ててしまったとき、そのむこうがわに現れてくるのは、一体何であるのか。


誰もが、生きている限り、障害や病気などのハンディを持つ可能性があります。

自分ではなく、自分の家族、大切な人が、重い障害や病気などのために、とてつもなく生きにくい状況に置かれる可能性は、どなたにも存在しています。


「障害者なんていなくなればいい」、その願いが叶った先に現れるものは、生きたいと願っている人が生きられなくなる、あるいは生きられなくされてしまう、ディストピアであるかもしれません。



16年前、あだきち君が重度の知的障害があるとわかってすぐに、今後生きていく世の中が、少しでも明るく、優しいものになることを願いながら、ずっと療育に励み、できる限りのことをしてきました。寄り添ってくれる人々、仲間と、楽しく暮らせる大人になってほしい、そういう思いからでした。


また、そうして暮らしていくなかで、知的障害者の問題が、隔離された限定的なものではなく、いろいろな意味で多くの人々、多くの社会の側面に繋がるものであることを、私たち家族は身をもって理解するようになりました。


「障害者なんていなくなればいい」と、心のどこかで思っている方には、その願いだけが叶ったとしても、その先に、結局のところ幸せなど何もないのだということに、いつか気づいてほしいです。



私が、ここに、こういうことを書いても、あまり、何も変わらないことでしょうけれども……


















2016年7月25日月曜日

あだきち君のくだもの狩り・小学生新聞・ダークな必需品

暑い日が続きますが、家族みんな、ヨレヨレしながらも、なんとかやっています。( ̄。 ̄;







先週末の支援外出で、あだきち君は、果物狩りに連れて行ってもらったそうです。

摘みたてのブルーベリーをたくさんいただいて、ご満悦だったと、スタッフの方から聞きました。


ほげ子さんは、塾の夏期講習と、学校のサマースクール、宿題その他で、大忙し。。。


そのほげ子さんが、毎日読んでいる…ような、あまり読んでいないような小学生新聞に、こんな記事がありました。


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「模擬原子爆弾」展示

    今年も新潟・長岡に

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いまから71年前の1945年7月に「模擬原子爆弾」が落とされた新潟県長岡市の長岡戦災資料館で、今年も実物大模型が展示されています。(8月31日まで) (中略)

模擬原爆は45年7~8月、全国18都府県に49発が落とされました。広島と長崎に原爆を投下する前後に、「訓練」として繰り返されたものです。長崎に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」と同じ型と重さ(約4.5トン)ですが、中身は普通の爆薬でした。全国で400人あまりが犠牲になりました。(今井尚)

2016/07/25 朝日小学生新聞
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はずかしながら、おかーさんは「模擬原子爆弾」というものの存在を、この記事ではじめて知りました。


ウィキペディアには、「模擬原子爆弾」という項目は立項されていないのですが、同じものとして、「パンプキン爆弾」の項目がありました


大勢の人を無差別に殺戮するための兵器に、かぼちゃと名付けるセンスの薄ら寒さを、70年もたってしまった今になって指摘しても、仕方がないのかも知れません。当時、マンハッタン計画に携わっていた人たちは、きっと、心がどうにかしてしまっていたのでしょう……



重い障害や、難病のある子供たちの希望ある人生は、国を挙げて殺すことを是とするような世の中とは、相容れないと感じます。

毎日毎日、ひどすぎるニュースばかりで……やりきれなくて、たまりません。


歴史上の、あまりにも心ない所業を、心ある、痛みを深くしる人たちが、なんとか埋め合わせよう、償おうとしてきているのだということ、そういう心を持つ人たちも、世界中にいるのだということを、ときおりしっかりと反芻しておかないと、昨今の荒々しい、テロや戦争の報道を見続けるだけで、何かを諦めてしまいそうになる気がします。


なので、探してみました。


原子爆弾というものの考え方のもとを生み出して、その製造の後押しをしてしまったアインシュタインは、生育歴や人生のさまざまなエピソードから、おそらくは自閉症だったろうという説がありますが、戦後、原爆投下された日本に対して、涙ながらに謝罪をしたという逸話が残っています。

また、アメリカ人ジャーナリストで、名著「笑いの治癒力」の作者であるノーマン・カズンズは、自らの難病と闘っただけでなく、原爆で孤児になった子供たちや、ひどい怪我をした女性達を支援する運動を繰り広げたということも、よく知られるところです。



…ちょっと元気でました。


あねぞうさんが、レッチリの新曲を練習しています。



dark necessities 







Dark necessities are part of my design
Tell the world that I'm falling from the sky


ダークな必需品は俺のデザインの一部であります。

俺は空から落ちてくるよって、世界に伝えろ。

……原爆じゃないですよね。(´・ω・`)








2016年7月24日日曜日

あだきち君と、買い物



今日は日曜日。

あだきち君にとっては、おとーさんと買い物に出かける日です。


朝起きると、


「買い物! マルロク!」


と、アピールをはじめます。

「マルロク」というのは、半年くらい前から言い始めた言葉なのですが、何を意味するのか、家族の誰にもわかりません。確実に、何か根拠、出典があるはずなのですが、いまのところ、手がかりなし。解読には、かなり時間がかかりそうです。



あだきち君が買い物に出かけられるようになったのは、小学校に入ってからでした。

五歳くらいまでは、スーパーにつれて入ろうとしても、大パニックになってしまい、買い物どころではありませんでした。ケーキ屋さんなどの小売店も、ドアの前に立っただけで全面拒絶。日々の買い物は、生協の宅配サービスやネット通販などでカバーするしかありませんでした。


小学校に入学したころから、したいに落ち着いてきて、二年生にあがると、手をひいてスーパーに連れて行くことも、それぼど大変ではなくなってきました。


あだきち君が小学二年のときの様子を、当時の日記から引用してみます。




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2005年5月8日

朝から大荒れ。
理由はいろいろ。天気が気に入らないとか、蛍光灯がムカツクとか、洗濯物が好みじゃないとか。

カンシャクが収まらないので、午前中、おとーさんに買い物に連れ出してもらった。パニック抑制には外出が一番。

あだきち君もリュックを背負って、牛乳とりんごジュースの一リットルパックを三本、自分でかついで帰ってきた。

それで、とりあえずすっきりしたようだったのだけど、夕方、またパニック再発。
洗濯物を取り込むのを見ていて、気に入らなかったことを思い出してしまったらしい。

今度は私がドライブに連れ出した。駐車場にいくまでゴネていたけど、車にのったとたんに楽しくなったようで、すっかり収まった。

そのまま、市内のブックオフへ。

二人であれこれ言いながら(あだきち君は、言葉は話さないけど、本にはいろいろ意見があるのだ)本を見てまわって、何冊か買った。


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この日のことは、もう覚えていないのですが、こんなことは、ほんとうにしょっちゅうありました。

この頃は、パニックの頻度がかなり多くて大変だったのですが、一緒に買い物に出かけられるようになっただけ、ずいぶんラクになったのでした。


買い物を克服できた理由は、たぶん、

「ついていけば、好きな食べ物をゲットできる」

というふうに、学習したからだろうと推測しています。

本来、スーパーのように、雑多な音があちこちから聞こえてくるような環境は、とても苦手だったのですが、好物の「牛乳」「りんごジュース」などを買ってもらえるという見通しを持つことで、だんだんパニックを起こさずに済むようになったのでしょう。



あだきち君は、今日もおとーさんと二人で、駅前のスーパーで買い物をして、食材をどっさり背負ってくれました。








2016年7月23日土曜日

マイケル・J・フォックス、コールドプレイと共演/あだきち君の小さいころの思い出

ツイッターに、こんなニュースが流れてきました。


マイケル・J・フォックスがコールドプレイのライブに飛び入り参加!
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の名シーンを再現


http://www.tvgroove.com/news/article/ctg/5/nid/29438.html


マイケル・J・フォックスが、自閉症の子にも愛される、コールドプレイのメンバーと共演して、映画の名シーンと同じ曲を演奏しています。

動画(その後非公開になったようです…)を見て、いろいろな記憶がわき上がり、感無量でした




子供たちが、まだ小さいころ、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大好きで、ビデオを何度も見ていました。マイケル・J・フォックス、自分と同世代の、いい俳優さんだなあと思っていました。

ところが、なかなか新しい出演作が出なくなって、どうしたのかと思っていたら、自叙伝が出版され、パーキンソン病と闘っていたことが分かりました。



マイケル・J・フォックス「ラッキーマン」



出版されたのは、2003年。
あだきち君が、jまだ小学校に入る前だったはず。

すぐに買って、読みました。

以下は、当時書いた読書メモ。
文章がだいぶ堅苦しいのは、大目に見てください。orz


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2003/1/31

マイケル・J・フォックス「ラッキーマン」(ソフトバンクパブリッシング株式会社)を読み終えた。

 感想がすらりと口から出るような作品ではない。難病を持つものとして、あるいは難病を抱える家族とともに暮らすものとして、この本によって示される真実は、計り知れないほど重く、貴重である。

 才能ある俳優である著者が、職業的成功の絶頂に近いところに達したとき、著者の内側に潜んでいたパーキンソン病は、徐々に姿をあらわし始めた。不治の病は、普通に受けとめれば絶望的なものである。

けれどもパーキンソン病は、皮肉という形で著者の人生を裏返しにし、欠落や欺瞞を暴き立て、晴れやかできらびやかな多くのものを奪い去り、結果的に著者が本来持っていた、真に豊かに生きるという才能を、見事に成熟させた。
 
 マイケル・J・フォックスという人の魅力と才能と幸運が、悲惨な脳・神経の病気を、理不尽な人生の桎梏ではない、もっとかけがえのない何かに変えていく過程は、奇跡のようである。すべての難病患者がこのような過程を経験できるわけではないとしても(「まった」なしで終わりが訪れるような病気もあるのだから…)、この本は、書かれてほんとうによかったと思う。

 かつて、映画「レインマン」が公開されたとき、自閉症という、深刻な知的障害に対する理解が、アメリカ全土で十年分進んだ、と言われたそうである。さらに、映画で主役を演じたダスティン・ホフマンが注意欠陥障害であり、トム・クルーズが読字障害であるということをカミングアウトするに及んで、それぞれの障害の認知度は飛躍的に高まったはずである。映画や、それに関わる人々の影響力は、ほんとうに大きなものであると痛感する。

 マイケル・J・フォックス自身も、「ラッキーマン」のなかで、注意欠陥多動性障害という用語は使わないにしても、そう診断されても不思議はないような幼少期のありさまであったことを書いている。

 なにしろ、あまりの落ち着きのなさのため、リタリンの使用を勧められたこともあったというのだから。

 また、彼の低身長について、パーキンソン病の問題と結びつける記述はなかったけれど、私は少し気になった。低身長も脳の異常に由来する問題である。成長ホルモンの分泌にかかわる下垂体に異常はみられなかったのだろうか。下垂体には、成長ホルモンだけでなく、脳そのものの発達にかかわるホルモンを分泌する場所があったはずである。それらはどうだったのか。もしも広範囲に軽度な脳の異常を持っているのだとすれば、それは成人後にパーキンソン病が人生の舵取りをしようとして姿をあらわすことと、何らかの関係はなかったのか・・・・・

 そうしたことが全てはっきりするのは、何年後のことなのだろう。

 「ラッキーマン」がアメリカで出版されたことと、マイケル・J・フォックスがパーキンソン病研究に貢献するための財団をつくったことを報じる新聞記事を、私は切り抜いてとっておいてある。パーキンソン病の治癒の可能性は、近未来に実現するだろうといわれているそうである。これは、パーキンソン病の患者だけでなく、類似する、あるいは関連している可能性のある神経難病の患者にとっても、たいへんな朗報である。

 ところが、その記事が出たのと同じ日の、同じ紙面に、アメリカのブッシュ大統領が、パーキンソン病の治癒に関わる研究分野の許可に難色を示している、という記事が掲載されていた。このバカチンのスカタンのちんくしゃの猿顔の・・・・・とさんざんな悪態をつぶやきながら、それも切り抜いておいたものだ。

 前のブッシュ大統領が湾岸戦争で使用した劣化ウラン弾のために、従軍したアメリカ兵の家庭では多くの重度身障児が生まれたという。攻撃された側の国では、さらに多くの難病児が為す術もなく命を落していっただろう。

 いままた、息子のブッシュ大統領が数週間後にイラクに攻め込もうかどうしようか、韓国やグアム島の兵力を増強しようかというニュースが飛び交っている。戦争に使う資金の、ほんの何分の一かでもあれば、どれほど多くの命が未来に希望を持てるようになることか。

 「ラッキーマン」をほぼ読み終わったとき、子供たちといっしょに「バック トゥ ザ フューチャー」の2作目と3作目のビデオを見た。

 2作目の最初のところで、ドクが、「自分の未来など、知らないほうがいい」といって、マーティを諭すシーンがある。

 その後、マーティが未来を浅ましく知ろうとしたことが原因で、彼らの生きる「現在」の世界が凄惨な廃墟になってしまうという展開になる。

 3作目のラストのところでは、やはりドクが「未来は白紙だ。自分の力で作るものだ」ということを晴れやかに宣言し、機関車型タイムマシンでハデに去っていく。

 このシリーズのあらゆる箇所に、主演を演じていた「ラッキーマン」の著者の人生を示唆する部分があるように思えてならないのだが、こじつけにすぎないだろうか。


(引用終わり)
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これを書いた時期は、医学的シロウトの主婦に出来る範囲で、脳に関する情報をひたすらかき集めて、自閉症との関連性を考え続けていました。

パーキンソン病に強い興味を持ったのは、あだきち君が、幼児期に小児科で、自閉症状の改善のために、ドーパミンを増やすための投薬を受けていたからです。

パーキンソン病は、ドーパミンの不足によって起きる病気とされていて、当時、自閉症児の脳内でも、ドーパミンの不足があるのではないかと、言われていたようでした。


(あ、もちろん、パーキンソン病治療の黎明を描いた、オリバー・サックス博士の名著、「レナードの朝」を読み、映画化された作品も見ています。)


その後、自閉症に関してのさまざまな研究が出ましたけれど、私はそれを追いかけ続けるだけの余裕も能力もなく、日々の暮らしに追われながら、あだきち君の成長に寄り添って、いままで過ごしてきました。

けれども、マイケル・J・フォックス氏のことは、ずっと、心にありました。

数年前に、パーキンソン病のコントロールが出来ていない、強い振戦のある状態で、テレビ出演をして、大きな話題になっていました。テレビで見て、想像していたよりずっと元気そうだけれども、やっぱり大変なんだなと思ったのを覚えています。


探してみたら、動画がありました。






このときの様子が頭にありましたから、その後はきっと、少しづつ悪化して、いろいろなことが不自由になっているのではないかなどと、勝手な想像をして、つらくなるのがいやだったものですから、あまり情報を追いかけずにいたのです。


だから、コールドプレイとの共演で、堂々と、いまを楽しんでいる姿を見て、ほんとうに、この方はすごいなと、思ったのでした。



なつかしい、若かりし日の、バック・トゥ・ザ・フューチャーでの演奏の様子。。。






よい年のとりかたを、見せてくださっていますね。


↓ 中古で1円だそうです。Kindle化は、まだのようなので、希望しときました。






ポケモン、シリア、自閉症の子供たち…


ポケモンGOが配信開始されました。


【速報】「ポケモンGO」ついに日本でも公開開始!~iOS、Android版とも


さっそく我が家でも…と思ったのですが、なんと、古い端末ではダウンロードできないとのこと。あねぞうさんのスマホは、アウトでした。( ̄。 ̄;)


さらに、子供たちのiPadでは、wifiの使える場所でしかプレイできないため、必然的に家のなかだけで遊ぶことに。まあ、iPadのディスプレイ見ながら歩き回るのは、ちょっと危なそうなので、かえってよかったかもしれません。


おとーさんのiPhoneはダウンロードできますが、「もうゲームは増やさん」とのことで、やらないようです。


結局、ポケモンを探して町をうろつくことのできるのは、我が家では、私一人ということに(´;ω;`)。


さみしいですが、あだきち君と散歩しながら、のんびり、まったり、ポケモン捕まえることにします。



そのポケモンGOですが……


こんなニュースが流れてきました。


「僕を助けに来て」 

ポケモンGO人気をシリアの子供支援に (BBC)

http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-36863666?ocid=bbc-japan-twitterjapan


ポケモンの絵を持っている子供たちの表情が…

疲れ切って絶望している老病者のようにしか、見えません。


この子たちは、どんなものを見て、どんな思いをしながら、育っているのか。


この表情に近いものを見た記憶があります。
広島の、原爆体験者の方々による、絵画のなかの人々です。


あれと同じ苦しみが、いまも世界ではそのまま存在しているのかと思うと、たまらない気持ちになります。



自閉症の子たちや、難病の子たちは、どうしているのか…

もしも自分が、そういう地域に暮らす、難病と自閉の子の親だとしたら…


探してみたら、自閉症児の親御さんだという方が、シリア難民としてアメリカに移り住んだけれとも、住みつづけられるかどうか分からないという報道がありました。



米国で拡散するイスラム恐怖症 20州以上の知事がシリア難民受け入れに難色 「テロリストじゃないのに…」

http://www.sankei.com/premium/news/151128/prm1511280014-n1.html


シリア西部のホムスで雑貨屋を経営していたが、内戦で自宅が破壊されたため、2013年3月にシリアを脱出し、ヨルダンの難民キャンプに避難した。妻と幼い子供が2人いる。
 「長男が自閉症になったうえ、家族の健康が悪化した」(ハッサムさん)といい、国連経由で難民申請した。米国に移り住んだおかげで、長男は治療を受け始め、ハッサムさんはパン屋で仕事を見つけた。
 この半年は新天地での幸せをかみ締める毎日だったが、13日にパリで起きた同時多発テロで情勢が変わった。事件が米国に波及する懸念から、ニュージャージー州のクリスティー知事が「孤児であっても駄目」とシリア難民受け入れを拒む姿勢を打ち出したのだ。
 「自国政府に空爆されたのに、どこに行けというのですか? われわれはテロリストではありません」(ハッサムさん) …産経ニュースの記事から引用



こんな状況に、どんな言葉をつづればいいのか、わかりません。

自分に出来ることが、なにかあるのかどうか、考えてみましたが、思いついたのは、こんなふうに思っているのだということを、伝えることだけです。



自閉症児と難病児の親である私は、いかなる理由であれ戦争も、内戦も、テロも、差別政策も、心の底からお断りであると。

その気持ちに、国境や民族の違いなんて、無関係であると。



シリアを含めて、世界中のどこでも、だれもが安全にポケモンを探して遊べたら、どんなに楽しいでしょう。





2016年7月22日金曜日

ポケモンGOと自閉症は相性がいいらしい…あだきち君、できるかな



ポケモンGO、日本ではじまるの、いつでしょうね。




アメリカのほうの情報が聞こえてくるたびに、かなーり、待ちきれなくなっています。(^_^;


こんなニュースもありました。


ポケモンGOで自閉症の少年に大きな変化「任天堂に感謝」

http://news.livedoor.com/article/detail/11790642/


ニューヨークに住む、六歳のラルフィー君は、ポケモンGOのおかげで、強いこだわりを克服できたのだとか。


よかったなあ……と思います。
そして、うらやましいなあ、とも(^_^;。


(__).。oO


我が家はみんなゲーム好き。
あだきち君も、例外なく、小さなころからゲーム機に触って育っています。

でも言語的なコミュニケーションが難しいので、いわゆるRPGは、一人ではプレイできません。

以前、モンスターハンターの勇壮なオープニングが大好きで、よく一人でゲーム機の電源をいれて、長い時間眺めていました。





これを、お店のディスプレイで見て、あだきち君が一目惚れしたのです。

結構こわいと思うのですが、音楽が、あだきち君の好みの、壮大なオーケストラ風だったのも、よかったのかもしれません。

ほんとうは、プレイもしてみたかったのだと思うのですが、武器の選択や、クエストの内容の理解など、難しい要素が多すぎて、ちょっと無理だったようでした。

自分ではやらないかわりに、家族にやらせて、それをずーっと見ていました。


あだきち君が自分でプレイできるのは、直感的な操作でクリアしていけるタイプのゲームです。


下に貼らせてもらった動画は、Wii Sports Resortの、飛行機のゲーム。

プロペラ機を操縦して、小さなポイントを通過していきます。







支援学校中学部時代のあだきち君は、これを、足で操作して、ラクラクとクリアしていました。

あだきち君は、意識を集中すると、腕の存在を忘れてしまうことがあるのです。
いまでも、右手で字を書いていると、左手は、だらーんと下に下ろしていることが多いです。どうもそういう脳の回路になっているらしくて、なかなか改善しません。

そんなわけで、ゲームのコントローラーの操作は、足のほうがラクなのです。

wiiのコントローラーは、コントローラー自体の動きをセンサーで感知して、ゲーム内のキャラの動きに反映させます。
そのあたりも、足で操作するあだきち君にとって、相性のいい要因だったのでしょう。


プレイステーションのリモコンや、ゲームボーイなどの携帯ゲームの操作は、多くの場合、両方の手指を使わないと難しいため、あだきち君には難易度が高かったようです。



でも、ポケモンGOが始まったら、あだきち君と一緒に、あちこちに出かけてみたいと思っています。
もしかしたら、ポケモンをゲットすることに、興味をもってくれるかもしれません。

中学部のころよりは、だいぶ手の動きも改善してきていますし、言葉の理解も進んでいます。


一緒にポケモンの名前を覚えながら、あちこち出かけたら、楽しそうです。

あだきち君が、直感的に操作できる感じだと、いいなあ…。





2016年7月21日木曜日

自閉症と、過剰な記憶…重度の場合、どう解決していくのか


Woman exciteの「発達ナビ」というコーナーに、自閉症の過剰な記憶についての記事がありました。


経験や記憶を「忘れられなくて困る」そんな息子と向き合った話

http://woman.excite.co.jp/article/child/rid_Hnavi_35025544/

記事の中のお子さんは、1年以上も前に、暴力的なトラブルになった相手に、いきなり仕返しをしてしまい、問題になっています。





「突然相手から椅子をぶつけられたから押し返した。そうしたらぼくだけ先生に怒られた。だから今度は僕が先にやった。やり返しただけだ!。」

息子は1年前にトラブルになった際、大人の仲裁に納得できずにモヤモヤする気持ちを忘れられなかったらしいのです。かつてのトラブル相手を見つけたとたん、モヤモヤした記憶が鮮明によみがえり、半ばパニック気味になっていたのでしょう。

誰も息子の気持ちが理解できなかったとしても、私にはわかります。

納得ができないことは、息子の中で未消化のまま終わらないのです。(記事からの引用)



嫌な記憶がフラッシュバックしてしまい、大きな苦痛となってしまうということは、多くの人が経験することだと思います。

ただ、自閉傾向のある子どもたちは、その頻度や、フラッシュバックの鮮明さ、キツさがただごとでないのです。

しかも、自分の心ををなぐさめたり、なだめたりする方法も持たないまま、長い期間、苦しみ続けています。


同じような記憶の問題を、うちのあだきち君も、抱えています。

記事のお子さんは、知能に後れもなく、よく会話も出来るので、お母さんとお話し合いをして、自分の気持ちをフラッシュバックから解放する道を見つけ出すことができています。


けれども、あだきち君のように、会話が困難で、言語による介入が難しい場合は、手のほどこしようもないまま、問題が長引いてしまいます。


けれども、ひょんなことから問題がなくなったり、いつのまにか解決していたりすることも、わりとあります。


たとえば、病院問題。

あだきち君は小学校低学年のときに、病院で、採血やカンチョウをしたことがあるのですが、それがよほどイヤな体験だったらしく、以後、


 病院  =  破滅の象徴



と思い込んでしまって、どうにもならなくなってしまいました。

インフルエンザらしき症状が出ても、病院のエントランスからテコでも動かず、大絶叫、大暴れ。しかたなく、医師にお願いして、エントランスで診察してもらったこともありました。

あねぞうさんの通院に付き合ってくれるときは、そうでもないのですが、「今日は自分の診察ではない」と納得するまでは、不安で不安で仕方がなく、パニックになりかけますから、おやつやオモチャで盛大に気を引かなくてはなりませんでした。

病院だけでなく、学校での健康診断も、毎度、大惨事……

小学校のあいだは、私はもちろんのこと、担任の先生、保健の先生、手の空いている男の先生が他数名、そして学校医と、合わせて六、七人くらいの人手がなければ、聴診器を当てることもできませんでした。


この病院・診察不能の件では、長い間、ほんとうに悩んでいました。

もしも、大きな病気になってしまったら、どうしたらいいのか。
検査どころか、診察も受けられずにいたら、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。


でも、支援学級・支援学校の先生がたの、根気よい指導が功を奏して、高等部に入るころには、健康診断の恐怖はなんとか克服。


また、福祉事務所の支援外出の経験をたくさん積むうちに、いろいろな場所に対する適応がよくなって、「病院的に見える建物」に対しても、あまり抵抗がなくなっていきました。


そして、高等部二年の冬のこと。
熱は出ないものの、一ヶ月も咳がつづき、家で休ませても一向に良くならず、次第にひどくなるものですから、どうにも心配で、とうとうあだきち君を病院に連れていくことになりました。


あらかじめ、病院に電話をいれて、重度の自閉で診察に恐怖感が強いことなどを伝えたところ、「まずは、連れてきて見てください」と言っていただけたので、おそるおそる、車に乗せて、病院の前に行ったところ、あだきち君は、パニックを起こすどころか、


「びょういん!」


と言って、にこにこしているではありませんか。
そして、以前はテコでも中に入ろうとしなかったのに、余裕でエントランスを通り抜け、さっそく見つけた売店にかけより、


「ジュース、のむ!」


と宣言。待ち構えていた受付の方々も、様子をみて、そのまま診察室に上がってくださいと言ってくれたので、エレベーターに乗せましたが、拍子抜けするほどの平常心ぶり。

そのまま待合室に行き、診察の順番を待っていたのですが、その間も、咳き込みながらもニコニコ顔。いよいよ診察室に入るというときも、うれしそうにしていて、立ったままではありましたが、聴診器もしっかり当ててもらうことができました。

病名は、肺炎。
処方薬は強力で、一ヶ月もおさまらなかった咳は、ほんの数日で治ってしまいました。



その後、介護施設入所のために、医師の診断書をいただく必要があって、精神病院に連れて行きましたが、あだきち君は三時間も待たされたにもかかわらず、パニックの片鱗も見せず、ゆうゆうと構えていてくれました。


ただ、いまでも注射だけは、どうしてもダメなようです。

強い痛みを伴う記憶を、言葉での説明なしに、納得して受け入れてもらうためには、どうしたらいいのか……まだまだ、課題は続きます。



2016年7月20日水曜日

広汎性発達障害と、命にかかわる問題行動について…




ああ、やっぱり障害名が出たのか……
そうつぶやいて、深いため息がでるような記事が、今朝の新聞に掲載されていました。



小2に飛び降り強要、小4両親に1千万円賠償命令

http://www.asahi.com/articles/ASJ7M5K4CJ7MUTIL03F.html



 東京都内の小学校に通っていた当時2年生の女子児童が2013年、同じ小学校の4年生の女子児童に命じられてマンション屋上から飛び降り、重傷を負ったとして、2年生の女児と両親が4年生の女児の両親に3千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が19日、東京地裁であった。(中略) 
判決によると、13年1月、当時10歳だった4年生の女児は、8歳だった2年生の女児が学校の前で縄跳びを振り回しているのを注意。さらに説教しようと9階建ての自宅マンションの屋上(高さ約26メートル)に連れて行き、「飛び降りろ。ここから落ちて死んでしまえ」と言って飛び降りさせた。2年生の女児は木の枝に当たるなどして一命は取り留めたが、肋骨(ろっこつ)や足の骨などを折る約11週間の重傷を負った。 
 4年生の女児は重度の難聴で両親は専門のクリニックに通って育て方の指導を受けていた。また、事件後に社会性の乏しさなどがみられる広汎(こうはん)性発達障害と診断された。 
 判決は、年齢や障害などを考慮して、4年生の女児に責任能力はなかったと判断。その上で、両親の監督義務について「専門家に相談するなど子育てに相当の努力を払った」と認める一方、「他者が思い通りに動かないと怒りを持つ女児の傾向に気づいておらず、対応は不十分だった」として賠償責任を負うと判断した。




起こされてしまった事件は、あまりにも深刻で、どなたにとっても、取り返しのつかないものです。

被害にあったお子さんが命を落とさなかったことは、ほんとうに不幸中の幸いでありましたが、だから良かった、という簡単な話ではないはずです。


監督義務についての、「対応は不十分だった」という判決の言葉の先に、「どのような対応をすべきだったか」という提案が、絶対に必要だと思うのですが、それは裁判所の仕事ではないのでしょう。


女子児童のご両親は、どうすればよかったのか。

専門家に相談していたにもかかわらず、広汎性発達障害の診断が、事件後になされているのは、どうしてだったのか。


学校関係者、就学時健診のときの担当者、そして相談していた専門クリニックの担当者は、これまで、どのような対応をしていたのか。



二度とこのようなことが起きないためにも、ここに至ってしまうまでの責任を、両親だけに負わせることの、危険性を感じずにはいられません。



まず、学校関係(幼稚園・保育園・教育委員会など)、病院、自治体の障害児福祉担当者(発達相談の窓口など)…そうしたところでの、継続的な情報の共有が、親御さんへの支援の前提条件となると思います。


そして、障害の可能性が分かり、親が受け入れる覚悟ができた時点で、即座に、幅広い知識や経験のある療育者との連携ができれば…どれほど心強いことか。



2歳になったばかりのあだきち君を、市発達相談に連れていったときに、発達教育を大学で学んでこられたという、担当の方から言われた言葉を、私はいまでも忘れることができません。



「●●県のほうに、四百万円払うと、終身預かってくれるような施設も、ありますよ」

「福祉行政はアテになりませんから、もう一人、下の子を作って、将来支えてもらうことを考えてはどうですか」




これは、いまから17年前の話です。
もう、こんな声がけがされていないことを、全力で祈りたいと思います。





2016年7月19日火曜日

自閉症の力士のニュース

ネットで、川口という自閉症の力士の記事を読みました。
新序出世披露で1番出世を果たしたのだそうです。



川口 自閉症、いじめ乗り越え1番出世 〈日刊スポーツ〉


 小学校高学年の時、自閉症と診断された。中学ではいじめにも遭ったという。「1年ぐらい人間不信だった。母親さえ信じられなかった」。転校した中学と鹿児島城西高では特別支援学級に通ったが「歴史を勉強したくて。でも歴史の授業はないと言われたので」と高1で中退。夢を失いかけた時、幼少期にテレビで見ていた北桜(現式守親方)を母親が紹介してくれた。
 183センチ、111キロ。少林拳、水泳、ゴルフ、砲丸投げなど多彩な経験を持つが、前相撲は3戦全敗だった。戦艦が大好きで、特に好むのは「金剛型4番艦霧島」。神懸かった活躍に憧れ「誰にもできない自分の相撲を取りたい」と意気込む。
(記事からの引用)



つらい思いを、たくさんしてきたのだろうなと、想像されました。
相撲の世界で、ぜひ、夢を叶えてほしいと思います。


川口が在籍していたという、鹿児島城西高は、私立の学校で、普通科、体育科、ファッションデザイン科などの他に、軽度の知的障害の子のための福祉共生専攻科があって、就労支援のための教育を行っているそうです。


鹿児島城西高・福祉共生専攻科
http://www.nissho.ac.jp/kjh/gakka/welfaresymbiosis/


私の住む地域には、こうした私立学校は、まだないので、興味深くホームページを読みました。


知的なハンディは軽いのに、学校という集団への適応が難しいために、学習の機会を狭められてしまう自閉症の子どもたちは、少なくないのではないかと思います。

そういう理由で、高校進学時に、普通高校ではなく、支援学校を選ぶ子が多くなっているためでしょうか、あちこちの支援学校は、入学者が定員を大きく上回り、パンク寸前の状態だとも聞きます。

知的障害深刻な教室不足(読売オンラインの記事)

http://www.yomiuri.co.jp/local/tochigi/feature/CO004129/20131007-OYT8T00216.html


あだきち君の母校も、増え続ける入学者数に教室の数が追いつかず、毎年のように、校舎内の模様替えが行われ、図書室や、会議室が、次々と教室に変身していきました。

もっともっと、学習の場の選択肢が広がって、多くの子どもたちが自分に合った学びの経験を出来るようになればいいなと思います。






2016年7月18日月曜日

療育の出前


こんな記事を、読みました。


自閉症の子供の療育を支援、イノベーション女子 熊 仁美



イノベーション女子、という耳慣れない言葉に首をかしげつつ、開いて読んでみると、記事は、次のような文章で、はじまっていました。



「もう少し見守りましょう」「ありのままを受け入れよう」
自閉症の子供を持つ親たちは、決まって一度はそんな言葉を掛けられる。でも、それって子供たちの可能性を奪ってはいないか?
ADDSの共同代表の熊 仁美(31)は、ずっとそんなふうに考えていた。たとえば米国の多くの州では、子供に支援が必要だと判断されれば、公費でセラピストが家庭に派遣される。
「早期に療育を始めないと、子供の権利侵害になるとさえ考えられている。でも、日本にはエビデンスに基づく療育というものがまったくと言っていいほど広まっていないんです」

読んで、まず、ため息が出ました。


「もう少し見守りましょう」
「ありのままを受け入れよう」


いまもまだ、幼い自閉症視の親御さんたちは、こんな言葉をかけられているのだろうか、と。


いまから17年ほど前、2歳になったばかりのあだきち君が、どうやら自閉症らしいと分かったとき、私は即座に治療教育の必要性を感じて、それを施してくれる場所を探し回りました。

当時はまだインターネットもそれほど一般的でなく、「自閉症」で検索しても、せいぜい三万件くらいしか検索結果が出なかったように記憶しています。

そのなかから、応用行動分析、という言葉を拾い出し、他にも、早期療育について説明している病院のサイトや、個人の試みを紹介するサイトを読みあさったものでした。


同じ頃、ネットで知り合った、自閉症児の親御さんたちとも、いろいろやりとりしてみたのですが…


驚いたことに、当時、そうして出会った親御さんの多くは、早期療育に否定的でした。


「重度の自閉の子に勉強させるなんて、かわいそう!」
「ありのままの自分の子どもを受け入れられないのは、親のエゴでは?」
「愛されて幸せなら、何もできなくてもいいじゃないですか」

そうした内容を、わざわざ個人的にメールを送ってくださった方々も、いました。


けれども、そうしていろいろ言われても、あだきち君に療育が必要だという思いは、変わりませんでした。


幼児期に、病院で、「障害が重くて、字の読み書きも、言葉を話すことも、おそらく難しいのではないか」と言われて、就学前の施設では、「机上の訓練など、この子には役に立ちません」と断言されていた、あだきちくんの人生は、療育教室での、十七年間の積み重ねによって、はかりしれないほど豊かになったと思っています。


お話を、上の記事に戻します。

イノベーション女子として紹介されている、熊仁美さんという方は、応用行動分析手法に基づいた専門的な療育をベースに、学生セラピストたちを家庭に派遣する事業をされているそうです。


あだきち君の幼児期に、キャサリン・モーリスという自閉症児の母親の書いた、「我が子よ声を聞かせて」という手記を読んだのですが、著者は、二人の自閉症の我が子のために、毎日、自宅にセラピストに通ってもらっていました。手探りの闇鍋のような状態で、毎日あだきち君と向き合っていた私は、それを読んで,心の底からうらやましいと感じたものでした。

自閉の子の親にとって、おそらくいちばんつらい、幼児期の暗くて長い、出口の見えないトンネルのような日々を、生活の場で、一緒に寄り添って歩いてくれる専門家がいてくれることは、どれほど大きな救いになることか。

(あ、でも、セラピストに家に来てもらうには、家をちゃんと片付けておかなくてはいけないという大難関があるわけで、それは「とても片付けられない主婦」であった私にとっては、大変な壁であったろうとは、思います…)

なにはともあれ、こうした療育を、すべての発達障害の子どもたちが、あたりまえのこととして、(できれば経済的な負担をあまり背負わずに)受けられるようになってほしいと思います。









〈「だっきたんぐる」の登場人物〉


あねぞうさん……長女。20歳。もうすぐ夏休み。
あだきち君……息子。18歳。自閉傾向のある重度の広汎性発達障害。療育が大好き。
ほげ子さん……末っ子。11歳。二年前から、ADHDの薬を服用中。塾で勉強中。
おかーさん……ここのブログを書いてるひと。とても注意欠陥気味。そういえば昔予備校の先生でした。
おとーさん……我が家では唯一「まとも」と自認してるけど、実はそうでもない。




調子に乗って増やしまくった、その他のブログ

読書関係
目玉ブログ
 じゃ、勉強しようか
F家の廊下






家のなかの一番快適な場所が、あだきち君の居場所


あだきち君と私は、だいたい朝の五時くらいに起きます。

あだきち君は、目が覚めると即座に活動開始。

カーテンをざざっと開けて、日によっては部屋の換気。
それから、テレビをつけ、台所にいって、晩ご飯の残り物とかで軽く朝食。
そして、洗濯物を乾します。洗濯機のタイマーで、だいたい五時には洗い上がっているのです。



おかーさん(私)はというと、五時に目覚めたあと、しばらくの間は、お布団の中で、あだきち君の様子をうかがっています。寝起きはよいほうなのですが、無呼吸症候群(重症)などをわずらっているせいで、年中お疲れ気味なので、無理せず、できるだけ体を休めるようにしているのです。


お布団のなかで半ば二度寝しつつも、あだきち君の様子から、意識は離しません。
困ったこと、危ないことをしている様子があれば、即座に飛び起きる心づもりです。


お休みの日のあだきち君は、朝の一仕事を終えると、お風呂に入ることが多いです。
朝風呂、大好きなのです。

今朝も、お風呂場の方から、機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてきましたので、ああ、入ってるな~と思っていたのですが……


なんだか、鼻歌の響きが、お風呂のときとは、様子が違います。


下のおかしな絵は、我が家の人間の室内分布図……のつもりです。
(こういう、間取りとか配置図とかを描くのが、絶望的に苦手なんです(´;ω;`)









私は「畳の部屋」で寝ながら、あだきち君の動きに耳を傾けています。

お風呂場は、ドアや壁を隔てているとはいえ、声がよく反響しますので、鼻歌を歌うとよく聞こえます。


ところが、今朝の鼻歌は、なんだか響きが弱いのです。
しかも、ちょっと遠い感じ…


一体どこにいるのだろうと思って、起き出して、様子を見に行きました。


あだきち君は、風呂場の向こうにある、あねぞうさんの部屋の入り口に佇んで、あねぞうさんが爆睡しているのを見下ろしつつ、ニコニコしながら鼻歌をうたっていました。


あねぞうさんの部屋は、最近まで、書庫&物置相当のスペースでした。

断捨離決行で大量の本とモノを処分して、スペースが出来たので、いまは、あねぞうさんが居住しています。

このお部屋、十数年来、モノに占拠されていて、人が長く過ごすことのなかった部屋だったため、エアコンがほとんど新品同様で、ものすごく効きがよいのです。



あだきち君は、一仕事して暑くなったので、ここに、涼みにきていたのでした。



家のなかで、いちばん過ごしやすい場所、居心地のいい場所が、常に、あだきち君の居場所です。






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2016年7月17日日曜日

自閉症の方々の絵画展…


NPO法人「虹色の風」という方々が、

「Peace & Piece Arトン展 未来へ~」

と題した、自閉症の方々の絵画展を、渋谷区恵比寿の日仏会館で開くという新聞記事を見ました。


http://mainichi.jp/articles/20160715/ddl/k05/040/129000c


今月の15日から、21日までとのこと。

行ってみたいけれど、あだきち君の送り迎えのある日は、地元の町からあまり離れたくないので、ちょっと考えているところです。


ネット上に、自閉症のアーティストのためのギャラリーを作ってくださらないかな…
そしたら、たくさんシェアできるのに、と思いました。


NPO法人「虹色の風」は、多くの自閉症の人々が、よい人生を送れるようにとの願いから、自閉症を広く知ってもらうための活動をしている集まりだそうです。代表理事で、美術指導を行っている、平山淳子さんという方の息子さんが、自閉症であると、ネットに残っていた昨年の新聞記事にありました。

重い障害があっても、いつまでも、安心と充実のある暮らしをしてほしい。人間らしく、心豊かに生きてほしい。

……親の思いは、ほんとうに同じだなと思います。




記事を見ていて、私もまた、あだきち君と一緒に、絵を描こうと思いました。


実のところ、あだきち君は、あまり絵に興味を持たない人です。

長年の練習で、模写的なことは、作業としてできるようになっていますし、色を使うことは大好きです。

でも、作品を仕上げるということに、まったく興味がないのと、絵よりも文字の読み書きのほうが好きなので、介助する私のほうも、なかなか、絵画に気持ちが向きません。



でも、やらなければ、興味は生まれませんし、もしかしたら、急に、おもしろいと思うようになる可能性だって、ないこともないかもしれません。


あだきち君は、景色を見るのがとても好きですし、ゼンタングルのような文様にも、少し興味を引かれる様子があります。

少しでも、余暇を楽しむ方法を増やすために、またがんばってみようと思います。





2016年7月16日土曜日

クーデター!? そしてやられたカスタードケーキ


朝五時くらいに目を覚ましたら、あだきち君が、もう居間でテレビをつけて、活動開始していました。

ニュースを見ているらしく、フランス、テロ…といった声が、聞こえてきています。

世界は、今日も荒れているのだなと思いながら、うとうとしていると、今度は、トルコトルコと聞こえてきます。

トルコで何かあったのかしらと、耳を澄ませていると……


クーデターが起きたという、とんでもない話でした。

トルコでクーデターか=軍が展開、群衆に発砲も―「権力掌握」と宣言

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160716-00000007-jij-m_est


【カイロ時事】トルコで15日から16日にかけ、国軍内の勢力がクーデターを試み、首都アンカラの国会周辺や最大都市イスタンブールの国際空港などに戦車部隊が展開した。
 イスタンブールでは軍が群衆に向けて発砲し、死傷者が出ているもよう。アンカラ上空では、政権側の戦闘機がクーデターを試みたとみられる勢力のヘリコプターを撃墜した。現地メディアによると、イスラム系与党・公正発展党(AKP)の本部にも兵士らが突入。同勢力は「権力を掌握した」と一方的に宣言した。
 ただ、宣言後も各地で衝突が続いており、今後の展望は不透明だ。エルドアン大統領は地元メディアに対して「クーデターは成功しないと確信している」と強調。国民に街頭へ繰り出して抵抗するよう呼び掛けた。市民の間でこれに呼応する動きも見られる。(時事通信 7月16日(土)5時30分配信 Yahooニュースより一部引用)

ぴっくりしました。

トルコ観光の広告は、よく見かけます。
テロの危険が叫ばれているとはいえ、日本から渡航されている方々も、少なくないのではないかと思いました。

外務省のホームページを見てみました。
警告の記事が、すでに出ていました。


トルコ:トルコにおける軍部による蜂起(注意喚起)
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcspotinfo.asp?infocode=2016C189


まだ注意喚起ということで、渡航の自粛を強く求めるものではない様子ですが、テレビでは、軍が空港を制圧した…というふうに言っているようです。



…こうした報道を見るたびに、その地に暮らす、自閉症の人たち、子どもたちと、その家族は、どうしているのだろうと、思いを馳せずにはいられません。

大変なのは、自閉症の人たちだけではないのですから、偏った心情であるとは思いますが、もしも自分がその境遇に置かれたらと想像してしまうのです。


トルコ在住の方が、現地の重度自閉症の子どもたちと交流したというブログを書いて折られるのを見つけました。


自閉症の子供たちとのプロジェクト
http://ameblo.jp/torukotoakko/entry-12165984288.html

書いておられるのは、琴の奏者のかた。
重度自閉症児の通う、国立の学校で、楽器や絵画などの芸術的なプロジェクトを行う計画があるのだそうです。

プログラムのご成功と、一日も早く安心して暮らせる状況に戻ることを、祈ります。。。



さて、うちのあだきち君はといますと……


居間で鼻歌を歌っていたかと思うと、台所あたりに移動して、がさごそがさごそ、音を立てています。

たぶん食べ物を探しているのだろうなと推測しましたが、残ったご飯は全部冷凍してしまっていますし、おかずの残りも、ゆうべはなかったはず。過食の心配は、そんなにないだろうと思いながら、夢うつつをただよっていましたが……


甘い判断でした。(´;ω;`)


昨日、おとーさんがKALDIで買ってきたらしき、カスタードケーキ、やられていました…。



まあ、しかたがありません。
今日のおやつは、これでおしまいです。


平和です、ほんとうに。
安心して、食べることができて、眠ることができて、社会に居場所がある。

この国が、いつまでも、重度自閉症の子が、穏やかに暮らせる国でありつづけてほしい……


全身全霊で、そう祈りつづけます。






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2016年7月15日金曜日

他害というにはひどすぎるアメリカの事例・過去のあだきち君




自閉症の情報を探して、ネットで記事を検索していて、あまりにも胸の痛む事件の報道を見つけてしまいました。


銃乱射と自閉症



銃乱射の中、先生は自閉症の児童をかばって絶命した。
銃規制法案の審議で米上院議員が語ったこと

http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/16/the-most-powerful-moment_n_10518376.html


アメリカ・フロリダ州オーランドの銃乱射事件を受け、アメリカ上院議会では、テロ容疑者に対する銃の購入を規制する法案の採決を求め、民主党議員が長時間の演説(フィリバスター)を行った。(中略)


コネチカット州サンディ・フック小学校で2012年12月14日、アダム・ランザ容疑者(当時20)が銃を乱射し、児童20人と大人の女性6人が殺害された。マーフィー氏が地元から立候補して議員に当選して1カ月足らずで起きた惨事だった。 
演説も終盤に差し掛かった6月16日午前2時を回った頃、マーフィー氏は、あの悲劇の最中にあって最も心を打つ、ある人物の行動を回想した。
 銃が乱射されている最中、1人の教師が自閉症の6歳児童を、これ以上の恐怖を与えまいと両腕で抱きかかえていた勇気ある姿だった。
アン・マリー・マーフィー先生はディラン・ホッケリー君を見つけ、彼を抱きかかえました。どうしてそのようなことが分かったのでしょうか? それは、警察が教室に乗り込んだとき、命を落としたディラン君が、マーフィー先生の腕に抱かれていたのを目撃されたからです」とマーフィー議員は語った。
 「上院議会の演台で2時間、6時間、さらには14時間であっても、ただそこに立っているだけなら勇気を必要としません。有権者の90%が変化を望んでいるときに、銃規制のロビイング活動のために立ちあがるのにも、勇気は必要ありません。
しかし、殺人現場から逃げず、銃撃犯と顔を合わせ、その場で6歳の子どもを抱きかかえ、腕の中にいる小さな子供のために、ほんのわずかだけでも心の安らぎを与え、その代わりに死を受け入れることは、勇気を必要とするのです。 
マーフィー先生にそれができるなら、オーランドの事件やサンディ・フックの事件が二度と起こらないようにするには自分たちに何ができるかを自らに問いかけなくてはなりません。(ハフィントンポスト日本版から引用)


この事件については、うっすらとした記憶はありましたが、自閉症の子が先生に抱かれたまま射殺されたというところまでは、知りませんでした。


亡くなったお子さんは、どれほど怖く、苦しかったことでしょう。
教え子を守ろうとした先生の、極限での思いは、もはや想像を絶します。



犯人も自閉症だった




改めて、Wikiで事件のあらましを読んでみました。


サンディフック小学校銃乱射事件


犯人も、幼少期に自閉症の診断を受けていた、とのこと。
精神病院に入れようとした母親との間に軋轢があり、事件の前に母親を殺していたそうです。

大量殺人や銃器に対して、強い執着があったとも。

銃器は、母親が買ったものだということですが、息子の求めに応じて買い与えたものだったのでしょうか…。

暴力や殺戮に対して、何かとてつもないこだわりができてしまい、周囲も止める手立てを見いだせないまま、行くところまで行ってしまった…そんな印象を受けました。


殺されてしまった母親、学校の先生と子どもたち、そして本人…すべてが、痛ましくてなりません。

この犯人が、犯罪を起こさずに済むような治療教育が可能だったのかどうかは、私には分かりません。けれども、真剣に考えるべきことだろうと思います。



あだきち君の場合




いまは穏やかなあだきち君も、幼児期には、時折、他害のひどくなることがありました。

一番ひどかったのは、三歳で、就学前施設に通所しはじめたころだったと記憶しています。

三歳から四歳くらいまで、私は打ち身やひっかき傷が絶えず、常に自分の身をガードしながら、あだきち君のそばにいました。よくひっかかれるたは、二の腕のあたり。ずっと傷だらけでしたが、もう痕は残っていませんので、それほどひどいものではなかったのだと思います。

頭突きも、かなり強烈でした。

自分がされた時の痛みは、もう覚えていませんけれども、当時通っていた施設の男の先生が、みぞおちに、あだきち君の頭突きをまともに食らって、しばらく息ができずにいたことは、よく覚えています。目の前に私が一緒にいたので、我慢なさったのでしょうが、もしいなかったら……先生、ブチ切れなさっていたかもしれないなと、いまでも思います。

あのころ、「これ、いつまで続くのかな」と、思ったことが、何度かありました。


暴力というものは、たとえ幼い我が子からのものであっても、心を麻痺させ、理性や感情を圧殺する力があるものだと思います。

ですので、親であっても、暴力を黙認して受け止めつづけることは、絶対にしてはならないと、私は思っています。親の心の防波堤が破れてしまったときに、子どもを守れなくなってしまう可能性があるからです。


そんなわけで、他害に対しては、ほんとうに根気よく、というかもう執拗といっていいくらいの気持ちで、対処し続けました。


手や頭突きが飛んできそうになったら、とにかく寸止め、真剣白刃取りです。

あまり反射神経のよろしくない私ですが、常に緊張して、かなりの高確率で、あだきち君の石頭をキャッチしつづけました。

そして、きつく叱ることなく、「しません」とだけ言って、あとは強い反応を見せず、スルーします。

こちらが大騒ぎしてしまうと、あだきち君は、そのことを何度でもフラッシュバックして、再現してしまうからです。


当時は、いつかおさまる日が来るのだろうかと、心許ない気持ちでしたが……


気がつけば、いつのまにか、あだきち君は、頭突きも含めて、他害などほとんどしない人になっていました。


いまでも、ごくたまに、1~2年に一回くらい、パニックに近い状態になって、親に八つ当たりしてくることが、あります。

そのときには、私に向かって(おとーさんには、やらないのです)、軽く手を上げてしまったりするのですが、叩いてしまった瞬間から、あだきち君は、絶大な罪悪感にかられてしまうらしく、


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


と、泣きながら謝り倒すモードに入ってしまいます。

暴力が、ほんとうに嫌いになってしまったようでした。

さらには、人が言い争ったり、もめたりする状況に対しても、強いアレルギーを持っていて、学校に通っていたころは、クラスメートが喧嘩をしたり、先生に叱られていたりすると、割って入って、「ごめんなさい」と叫び続けていたとか。

小学校でも、支援学校の中等部、高等部でも、そんな様子だったと、担任の先生がたから、伝え聞いています。



コネチカット州の犯人も、幼少期から、暴力に固執しないように、コントロールできるような療育を受けていたなら……全く違う、有意義で心地よい、可能性に満ちた人生があったのかもしれません。










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