休み明けの朝は、あだきち君にとって、不安が高まる時間のようです。
平日は、介護施設への通所だと分かっているはずなのですが、納得するまで、何度でも私に確認します。
「きょう、◯◯(施設名)? △△(行動援護でお世話になっている福祉事業所の名前)?」
今朝も二十回ほど聞かれたと思います。
その都度、丁寧に予定を知らせ、その瞬間は分かったような表情になるのですが、数分後にはまた聞いてきます。
音声で聞いた情報だと、それが実現するという確信が持てないのだろうと思います。
音声が頼りないのであれば、文字列ならどうなのか。
あだきち君は、文字が大好きで、ものの名前はすべて、文字から覚えています。
パッケージに入ったお菓子や飲み物の場合、パッケージにプリントされている商品名を、そのまま記憶し、さらに同種類の食べ物全体にまで汎化するということまで、やってのけます。
それくらい、目に入る文字は、あだきち君にとって、ゆるぎないものなのです。
けれども、未来の予定については、文字で書かれても、どうしても納得いかないらしいのです。
予定がわかるように、張り紙をしたり、カレンダーを作ったりしてみても、なかなか受け入れがうまくいきません。
たとえば、
「今日は月曜日です。◯◯へ行きます」
という張り紙を、あだきち君がよく見る壁などに貼りつけても、さっと目を通すと、すぐにはがしてしまうのです。
ホワイトボードなどに書いても、サッと消されてしまいます。
今日の予定ではない貼り紙は、はがさないので、たぶん、予定を文字列にして貼られることが、受け入れがたいのだと思います。
あだきち君が、なぜ、予定を書かれることを嫌うのか。
もしかすると、予定は毎日変わるものだから、見えるところに文字に書いて残してほしくない、ということなのかもしれないと、私は思っています。
自閉症の人の特徴として、「過剰な記憶」の問題があるということを、以前、本で読んだ記憶があります。
テンプル・グランディン博士(高機能自閉症)の手記だったかと思うのですが、過去を思い出そうとすると、膨大な記憶を検索することになるため、とても大変だというエピソードもありました。それは、何万枚もある写真のなかから、必要な一枚を探すような作業だという譬えで語られていたように記憶しています。
「我、自閉症に生まれて」 |
会話のできないあだきち君の記憶力については、客観的にうかがい知ることが難しいのですが、日々の様子を見ていると、おそらくは、グランディン博士に近い状況が脳内にあるのではないかと思っています。
あだきち君は、いま二十一歳ですが、三歳ごろに見ていたビデオの中に、ちょっとだけ出てきた音楽を、突然口ずさんだりすることがあります。
また、方向音痴の母親に似ず、一度行った場所については、道順まで、ほぼ記憶できている様子があります。
運転中、私が道を間違えると、いらいらして、ごくまれにですが、
「ちがう」
と口に出すこともあります。
文字列の記憶は、あだきち君にとって、非常に鮮明に残るもののようですので、毎日違った予定が掲示されると、過去の情報と今の情報の区別が難しくなって、混乱するということが、あるのかもしれません。
そのため、長時間目に入らないように、サッと剥してしまうのかもしれないと、私は想像しています。
では、どうすれば、月曜の朝のあだきち君の不安を軽減できるのか。
どうすれば、未来の予定を納得できるようになるのか。
まだまだ、試行錯誤が続きます。
テンプル・グランディン博士の本を読んだのは、もう十数年も前になります
。
ひさびさに再読したくなりましたが、家の中のどこに埋もれているのか……探すのが大変そうです。