■あだきち君と療育
あだきち君は、今年の三月に、特別支援学校の高等部を卒業しました。
その後は、介護施設に通所しながら、二カ所の療育教室に通っていました。
学校は、小学校、中学校、高校と、入学・卒業を繰り返してきています。ですので、「いつかは終わるもの」という認識が、あだきち君のなかにはあります。
けれども、療育教室へは、幼児のころからずっと通い続けていましたので、あだきち君のなかで、「不変の習慣」として、認識されています。
それを、学校の卒業と同時に、いきなり全部切ってしまったら、大きな不安に駆られてしまうだろうと思われました。
それで、学校が終わってしまってからも、療育については、あだきち君の様子を見ながら、しばらく継続することにしたのです。
幸いにして、四月から通所をはじめた施設に、あだきち君はすぐに馴染むことができました。
そのことを確認した上で、今月いっぱいで、長年通い続けた教室の一つを、思い切って卒業することにしました。
決めるまでは、相当に悩みました。
予定調和的な環境が、心の支えになることの多い、あだきち君にとって、変わらずそこにある人間関係や、長く通うことの出来る場所は、かけがえのない宝物のはずです。
そして、それは私にとっても、同じことでした。
あだきち君と一緒に歩いてきた道のりは、平坦とは程遠いものでした。悩んだり、後ろ向きになったり、どうしていいか全く分からなくなってしまったときに、支えになってくれたのは、信頼する療育の先生がたでした。
ですので、教室を卒業することは、私にとっても、子育ての伴走者とお別れすることに、他なりませんでした。
けれども、あだきち君も、もう選挙権のある大人です。
ずっと療育を続けることは、ある意味、いつまでも子ども時代にしがみついて安心しつづけようとすることでもあると、思われました。
たとえ今年度いっぱい続けるとしても、その後、三年、四年、十年と、続けていけるのかと考えると、それはとても出来ることではありません。
どこかできっちりと、子ども時代を卒業をして、社会人としての長い人生を、どう暮らしていくのか、考えるのが、あるべき姿だと思えました。
もう一つの療育教室についても、卒業の時期を見極めていこうと思っています。
さみしいですが……
あだきち君も、親の私も、新しい人生のステージに進みます。