2019年11月9日土曜日

寝不足の土曜日、呼びかけと、対話


あだきち君の声で起こされて、枕元のiPhoneを開いて時刻をみたら、まだ朝の4時半でした。

早起きのあだきち君ですが、いつもなら、6時すぎるまでは家族を寝かせておいてくれます。

何かあったのだろうと思うのですが、寝起きは身体が痛くてすぐには起き上がれないので、あだきち君の声を聞いていると、しきりに、お姉ちゃんの名前を連呼しています。


あー、これは、積み木を見失ったんだなと気づきました。

あだきち君は、家にいるときには、お姉さんのあねぞうさんが幼児の頃に遊んでいた、平べったい積み木を4個、手に持って過ごしています。

積み木には、お姉さんの名前が書いてあるため、あだきち君の中では、「お姉ちゃんの名前 = 積み木の名称」ということになってしまっているのでした。


私が動けずにいるうちに、同じくあだきち君の声で起こされた、あねぞうさんが、積み木を発見してくれたようでした。



あだちき君は、言葉が出るようになってからも、家族を名前で呼ぶということを、滅多にしません。名前は分かっていると思うのですが、自分から誰かに呼びかける、という発想がないようなのです。

私もこれまで、「おかあさん」と呼ばれたことは、数えるほどしかありません。
正確に数えていたわけではありませんが、たぶん、10回はこえていないと思います。



でも、あだきち君は、名前を呼ばれると、ちゃんと、「はい」と答えます。

学校生活のなかで、そういう振る舞いを習得したのだと思うのですが、応答しているという意識は薄そうで、名前が聞こえたら条件反射的に「はい」という音声をあげるのだという、機械的な反応のように見えます。


どうしたら、あだきち君「対話」という概念を持ってもらうことができるのか。


人を名前で呼ばないこと。
物に書かれた所有者の名前を物の名前と思ってしまうこと。

これらは、どこかで繋がっている問題のようにも思います。