ひさびさに、サックス博士の本を開いています。
いまはKindle版も出ているようですが、手元にあるのはサックス・コレクションのハードカバー版です。付箋がいっぱいはさんであります。
「本を書くとき一番最後にきめることは、最初に何を書くかである」とパスカルは言った。私は如何に見られるような奇妙な話をいつくも書いて、整理して、順にならべおえた。表題もきめたし、エピグラフも二つ選んだ。いまやなすべきことは、いったい私は何をしたのか、そしてなぜしたのかということを、とくと考えてみることである。
二つのエピグラフ、それも全く対照的なエピグラフは、私の中にある二面性に通じるものがある。アイヴィ・マッケンジーのことばのなかでは、医者と自然科学者は対照的なものとされているが、私は、自分が自然科学者と医者との両方であると感じている。病気と人々との両方に、同じように関心を持っている。また、適当でない言い方かもしれないが、私は理論をあつかう人間であり劇作家でもある、と思っている。科学にもロマンチックなものにも同じように引かれており、その両者を、人間をとりまく条件のなかに、とりわけ病気(シックネス)のなかに、たえず見てきている。(病気こそは、人間の条件のうちの最たるものと言えるだろう。なぜならば、動物でも疾病(デイジーズ)にはかかるけれど、病気(シックネス)におちいるのは人間だけなのだから)、
オリバー・サックス「妻と帽子をまちがえた男」11頁
サックス博士が選んだエピグラフは、次の二つです。
病気について語ること、それは『千夜一夜物語』のようなものだ。
ウィリアム・オスラー
自然科学者とちがって医者が問題にするのは、一個の生命体、すなわち逆境のなかで自己のアイデンティティを守り抜こうとする個人としての人間である。
アイヴィ・マッケンジー
最初に読んだのは、十五年ほど前になります。育児の最中によく読めたと思うぐらい、自閉症や発達障害に関する書籍を集めて読みました。その大半は処分しましたが、サックス博士の本は、いまも残してあります。
あだきち君の療育に役立てようとして買った本や、脳の問題や障害についての知識を得ようとして取り寄せた本は、時がたつにつれて必要度が下がりましたが、サックス博士の文章には、生きている限り鮮度の落ちることのない魅力があります。
「病気こそは、人間の条件のうちの最たるもの」と言い切る博士が見て描く「人間」は、まさに病気とともにあります。病気や障害が、治るか治らないか、回復するのかしないのか、どうすればいいのかといったことに翻弄されていては分からなくなってしまうことがあるのを、教えてくれる本だと思います。