家の前を横切っていった人(あねぞうさん画) |
上の絵は、現実にあねぞうさんが目撃した人を描いてみたとのこと。
羽織ったコートの袖口だか裾だかから、武器のようなものがチラリと見えていたそうですが・・・
松葉杖じゃないですかね。(´・ω・`)
引用元 Amazon
確かに、先の方だけ見ると、ちょっと戦闘用の装備品のようなイメージが、なくもないですね。
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NHKのホームページに、相模原やまゆり園の事件についての記事が掲載されていると、Twitterで知りました。
19のいのち 障害者殺傷事件
亡くなってしまった方々を、やさしいイラストと、世話をされていた職員さんたちの言葉で、伝えています。
見ていて・・・
なんともいえない、やりきれない思いに駆られました。
亡くなってからではなく、もっとずっと前から、こういう暮らし、こういう人生、こういう共生、支え合いが、社会の中に存在していること、それか、たしかに価値あるものであることを、真摯に伝える努力があれば、あのような犯行と、それに共感を寄せるような多くの言葉は、生まれずに済んだのではないかと思えたからです。
大きな力を持つマスコミの方々は、こうしたネガティブで凄惨な事件がないと、なかなかこんな記事を作ってくれません。
そう思うと、こんな小さなブログで、あだきち君の日常を書き続けることにも、意味があるのではないかと思えてきます。
あだきち君のように、自分では気持ちを外に発しにくい障害をもった人たちが、穏やかに暮らしていける世の中であることを願って、これからも書きつづけようと思います。
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あだきち君は、世話をしてくれる方々や、学校の先生がたに、ずっと「やさしい子」だと、言われつづけています。
やさしい人だと、家族の私も思います。
争いごとが嫌いで、学校時代には、クラスで先生に𠮟られている子がいると、間に割って入って、
「ごめんなさい!」
と謝っていたそうです。
家族が厳しい口調で会話しているだけで、もしかしたら喧嘩かもしれないと、不安になってしまうのか、
「おやすみ! おしまい!」
と言います。それで、あだきち君のいるところでは、穏やかに会話するようになりました。
私が体調を崩して寝込んでいたりすると、そばにずっといてくれたりします。特に何かしてくれるわけでなくても、しずかに、寄り添ってくれるあだきち君の様子に、心があたたかくなります。
あだきち君のおかげで、助かったことや、気づかされたこと、救われたことも、出会ったことも、たくさんあります。
あだきち君は、なくてはならない、かけがえのない人です。
誰かにとって、かけがえのない人であることは、その誰かを幸せにする存在だということでもあります。
うちの家族は、あだきち君といっしょにいることで、元気に暮らしています。
私たちが社会に貢献できる存在であるとするなら、それは、あだきち君の存在があるからこそだと言えます。
おとーさんは毎日がんばって働いていますし、あねぞうさんや、ほげ子さんも、これから世の中に出て、活躍していくことでしょう。
誰かの存在を、無駄だ、生きている意味がないと決めてしまう方に、聞いてみたいです。
あなたの存在は、あなた以外の誰を支え、誰を生かしていますか?