2017年1月28日土曜日

松葉杖の人・相模原のこと・あだきち君




家の前を横切っていった人(あねぞうさん画)



上の絵は、現実にあねぞうさんが目撃した人を描いてみたとのこと。


羽織ったコートの袖口だか裾だかから、武器のようなものがチラリと見えていたそうですが・・・



松葉杖じゃないですかね。(´・ω・`)


 引用元 Amazon




確かに、先の方だけ見ると、ちょっと戦闘用の装備品のようなイメージが、なくもないですね。





(__).。oO


NHKのホームページに、相模原やまゆり園の事件についての記事が掲載されていると、Twitterで知りました。




 

19のいのち 障害者殺傷事件




亡くなってしまった方々を、やさしいイラストと、世話をされていた職員さんたちの言葉で、伝えています。



見ていて・・・


なんともいえない、やりきれない思いに駆られました。



亡くなってからではなく、もっとずっと前から、こういう暮らし、こういう人生、こういう共生、支え合いが、社会の中に存在していること、それか、たしかに価値あるものであることを、真摯に伝える努力があれば、あのような犯行と、それに共感を寄せるような多くの言葉は、生まれずに済んだのではないかと思えたからです。





大きな力を持つマスコミの方々は、こうしたネガティブで凄惨な事件がないと、なかなかこんな記事を作ってくれません。



そう思うと、こんな小さなブログで、あだきち君の日常を書き続けることにも、意味があるのではないかと思えてきます。

あだきち君のように、自分では気持ちを外に発しにくい障害をもった人たちが、穏やかに暮らしていける世の中であることを願って、これからも書きつづけようと思います。






(__).。oO


あだきち君は、世話をしてくれる方々や、学校の先生がたに、ずっと「やさしい子」だと、言われつづけています。


やさしい人だと、家族の私も思います。


争いごとが嫌いで、学校時代には、クラスで先生に𠮟られている子がいると、間に割って入って、


「ごめんなさい!」


と謝っていたそうです。


家族が厳しい口調で会話しているだけで、もしかしたら喧嘩かもしれないと、不安になってしまうのか、


「おやすみ! おしまい!」


と言います。それで、あだきち君のいるところでは、穏やかに会話するようになりました。


私が体調を崩して寝込んでいたりすると、そばにずっといてくれたりします。特に何かしてくれるわけでなくても、しずかに、寄り添ってくれるあだきち君の様子に、心があたたかくなります。



あだきち君のおかげで、助かったことや、気づかされたこと、救われたことも、出会ったことも、たくさんあります。


あだきち君は、なくてはならない、かけがえのない人です。



誰かにとって、かけがえのない人であることは、その誰かを幸せにする存在だということでもあります。


うちの家族は、あだきち君といっしょにいることで、元気に暮らしています。

私たちが社会に貢献できる存在であるとするなら、それは、あだきち君の存在があるからこそだと言えます。


おとーさんは毎日がんばって働いていますし、あねぞうさんや、ほげ子さんも、これから世の中に出て、活躍していくことでしょう。





誰かの存在を、無駄だ、生きている意味がないと決めてしまう方に、聞いてみたいです。


あなたの存在は、あなた以外の誰を支え、誰を生かしていますか?