2017年1月4日水曜日

一年が始まりました


お正月ムードは昨日で終わり。


今日から、あだきち君の介護施設通所開始です。





あだきた君の通所開始
あだきち君通所  (あねぞうさん画)




この絵そのままに、職員さんに迎えられて、ルンルンで施設に入っていきました。

あねぞうさんは、お昼から、調理補助のボランティアに入りました。


ほげ子さんは、塾の冬期講習が今日から再開。七時間、中学生のお兄さん達と一緒に、頑張りました。



今年も、きっといろんなことがあるのだと思います。

楽しいことも、つらいことも、悩ましいことも、きっとたくさん。


発達障害者、知的障害者に対する世の中の風は、まだまだ厳しく、冷たいことも多いです。ネットで情報検索していると、うっかり酷いヘイト発言を見かけることも多くて、気持ちが暗くなります。


自分が障害児や難病児の親になってみて、つくづく思うのは、差別発言やヘイト発言を底から支えているのは、ごく一般の、善良で平和的な市民の方々だということです。

そういう方々が、ごく当たり前の市民感覚として、

「障害児はうちの子と同じ普通学級にいてほしくない」
「障害者福祉は税金の無駄だと思う」

ということを、口に出しておっしゃっています。そして、周囲には、それに面と向かって異を唱える人は、滅多にいないのです。


そういう方々が、いつか老化や病気のために、重い障害を持ってしまったとき、その方々のご家族、とくに影響を受けて育ったお子さんは、

「障害のある人間は家族の中にいてほしくない」

と、自然に考えるようになったとしても、しかたのないことかもしれません。



さらに、福祉の力を借りて生活するとなったときに、「障害者福祉は税金の無駄だと思う」という考えを固持したままであれば、生きること自体が、負い目となってしまうかもしれません。


本当に、それでいいのでしょうか。
それは、社会としてあるべき姿なのでしょうか。


非常に悲しいことですが、政治に携わる方々、行政に大きな意見を言える立場の方々の中には、障害者や難病者に対して、否定的な意見をあらわにする方が、いらっしゃいます。

そういう意見が公的に表明されれば、非難の声はあがりますが、全面的に否定する流れにはならない・・・・そのことは、昨年の相模原の施設での虐殺事件のあとにも、あらわになりました。

だいぶ前になりますが、元東京都知事だった、石原慎太郎さんが、知事時代に障害者施設を訪問したあと、入所している方々について、


「ああいう人ってのは人格があるのかね」

という発言をしたことで、問題視されたことがありました。

当時は、うちのあだきち君の重度障害が分かったばかりの頃でしたので、前後の文脈から切り離された状態で繰り返し報道される、この言葉が、まるで社会全体の、ハンディを抱えた存在に対する極寒の空気の象徴のように感じられて、ほんとうにつらく、腹立たしい気持ちになったものでした。

私と同じ思いを抱いた方が少なくなかったのでしょう。
いまでも、この発言は取り沙汰され、批判されつづけています。


障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈 (リテラ 2016.07.27)



こちらの記事から、少しだけ引用します。


 石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。

「ああいう人ってのは人格があるのかね」
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

 ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。


石原慎太郎さんは、この他にも様々な差別的ともとれる問題発言を行っておられましたが(「ババア発言」なんていうのもありましたね…)、東京都民は、彼を都知事として選び続けました。


大多数の有権者の方々にとって、こうした発言は、都知事の資質として問題視すべきものではないという判断だったのでしょう。


私は、石原慎太郎さんという老作家を、決して嫌いではなく、いろいろな意味で、おもしろく、興味深い存在だと思っています。


政治家としての彼の発言には傷つけられましたが、彼自身が、なぜあのように、特定の存在(老婦人・重度心身障害者・同性愛者・その他)に対して、強い嫌悪を公言してはばからないのか、その嫌悪症の奥底には、どんな心理があり、生い立ちがあり、事情や理由や感情があるのか、いつか、洗いざらい外に出して、作品かしていただけないものかと、願っています。

ご本人が執筆なさるには、もう時間が足りないかもれしません。ですので、どなたかが、伝記として、あるいは小説として、書いていただけないかと思うのです。あの石原慎太郎さんという、力ない立場の人間に容赦ない暴言をぶつけてはばからないにもかかわらず、表情には常に何かに怯え恐れつづける臆病な小猿のような気配を漂わせ、その怖れのために分厚い鎧を着込まざるを得ないような印象を与えつづけている、不可思議な権力者の心の深層を、解き明かしていただけないものかと。それはきっと、日本の社会に深く組み込まれ、膿と澱を堆積しつづけている、どうしようもない差別の構造を万人に分かりやすく伝える、すばらしいエンターテイメント作品になるのではないかと予想します。


同じく差別的問題発言を繰り返す老作家として、曾野綾子さんという方もいらっしゃいますが、こちらの方には、どうもあまり興味を引かれないのが、我ながら不思議です。幼少期に、彼女の書いた「シンデレラ」の豪華絵本を愛読していたのですが、人物には心引かれません。なんでですかね。同性だからかもしれません。あと、存在がステレオタイプだからかも。