2016年2月27日土曜日

二十二年後

朝から、悲しい記事が流れてきた。

脳性まひの息子、首絞めた朝 愛した44年、母絶望
http://mainichi.jp/articles/20160222/ddn/041/040/012000c


記事から抜粋。

重度の知的障害と肢体不自由を併せもつ重症心身障害児・者は2012年4月時点で全国に約4万3000人と推計される。 うち約7割の約2万9000人は自宅で家族らの介護を受けて暮らしている。介護する親の高齢化が進んでおり、「自分が死んだら子供はどうなるのか」と悩む 人が増えているという。


心身障害児・者だけで、これだけの人数である。
これに、息子のレベルの重度知的障害者を足すと、どれくらい増えるのか。
考えると、心の底から暗くなる。

けれども、記事には疑問もある。

記事で、母親がケアマネージャーに訴えたというくだりがあるけれども、次男への施設のあっせんはしていなかったのか。通所すら、なかったのか。記 事を読んだだけでは、休みなく、絶え間なく、主に母親だけで介護していたように思えてしまうが、福祉の生活介護サービスは、ほんとうに全く受けていなかっ たのだろうか。

記事のなかには、障害者用のスポーツ施設をよく利用していたという話も出ているから、生活面で全く福祉の恩恵がなかったとは、思えないのだけど…。


母親が事件を起こす数年前まで暮らしていたという、奈良県大和郡山市のホームページをひらき、福祉課の情報を見てみた。

障がい福祉サービスの内容
http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/fukushi/welfare/syougai/000975.html

いろいろあるようなのだけど、利用は難しかったのか。
これらをフルに利用すれば、相当に助かるはずである。すくなくとも、記事を一通り読んで想像されるような、24時間介護に追われて孤独に追い詰められる…ということは、ないと思うのだが、甘いだろうか。

裁判所の判決が、母親を「身勝手」という言葉で批判したというのも、そのあたりの事情を踏まえてのことではないのかと推察する。 そうでなければ、あまりにもきつい言葉だ。

とはいえ、私は重度心身障害児(者)の親ではないから、当事者の事情や苦しみが完全に分かるわけではない。まして、四十四年の介護生活は、重度知的障害の息子と私の付き合いの二倍以上にもなる。積み重なった疲労と絶望に覆われて行く心は、察するにあまりある、としか言えない。


記事から再び引用。


「長年介護を頑張ってきた親ほど、『まだできる』と無理する傾向がある。しかし、高齢者に重度障害者の介護は相当な負担だ。家族の状況次第では、専門家が助言して施設などが介護を担う仕組み作りを急がないと、悲劇は繰り返されるだろう」と指摘する。




息子が四十代になるのは、二十二年後である。
そのころ、私は、家族は、どうしているだろう。
皆で健やかに暮らせるような仕組みを、作り上げることができているだろうか。


何も分からない。

ただ、どのようになっても、絶対に絶望しないこと。
それが、親の最後の、最低限の仕事であり、義務ではなかろうか。