2016年2月27日土曜日

二十二年後

朝から、悲しい記事が流れてきた。

脳性まひの息子、首絞めた朝 愛した44年、母絶望
http://mainichi.jp/articles/20160222/ddn/041/040/012000c


記事から抜粋。

重度の知的障害と肢体不自由を併せもつ重症心身障害児・者は2012年4月時点で全国に約4万3000人と推計される。 うち約7割の約2万9000人は自宅で家族らの介護を受けて暮らしている。介護する親の高齢化が進んでおり、「自分が死んだら子供はどうなるのか」と悩む 人が増えているという。


心身障害児・者だけで、これだけの人数である。
これに、息子のレベルの重度知的障害者を足すと、どれくらい増えるのか。
考えると、心の底から暗くなる。

けれども、記事には疑問もある。

記事で、母親がケアマネージャーに訴えたというくだりがあるけれども、次男への施設のあっせんはしていなかったのか。通所すら、なかったのか。記 事を読んだだけでは、休みなく、絶え間なく、主に母親だけで介護していたように思えてしまうが、福祉の生活介護サービスは、ほんとうに全く受けていなかっ たのだろうか。

記事のなかには、障害者用のスポーツ施設をよく利用していたという話も出ているから、生活面で全く福祉の恩恵がなかったとは、思えないのだけど…。


母親が事件を起こす数年前まで暮らしていたという、奈良県大和郡山市のホームページをひらき、福祉課の情報を見てみた。

障がい福祉サービスの内容
http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/fukushi/welfare/syougai/000975.html

いろいろあるようなのだけど、利用は難しかったのか。
これらをフルに利用すれば、相当に助かるはずである。すくなくとも、記事を一通り読んで想像されるような、24時間介護に追われて孤独に追い詰められる…ということは、ないと思うのだが、甘いだろうか。

裁判所の判決が、母親を「身勝手」という言葉で批判したというのも、そのあたりの事情を踏まえてのことではないのかと推察する。 そうでなければ、あまりにもきつい言葉だ。

とはいえ、私は重度心身障害児(者)の親ではないから、当事者の事情や苦しみが完全に分かるわけではない。まして、四十四年の介護生活は、重度知的障害の息子と私の付き合いの二倍以上にもなる。積み重なった疲労と絶望に覆われて行く心は、察するにあまりある、としか言えない。


記事から再び引用。


「長年介護を頑張ってきた親ほど、『まだできる』と無理する傾向がある。しかし、高齢者に重度障害者の介護は相当な負担だ。家族の状況次第では、専門家が助言して施設などが介護を担う仕組み作りを急がないと、悲劇は繰り返されるだろう」と指摘する。




息子が四十代になるのは、二十二年後である。
そのころ、私は、家族は、どうしているだろう。
皆で健やかに暮らせるような仕組みを、作り上げることができているだろうか。


何も分からない。

ただ、どのようになっても、絶対に絶望しないこと。
それが、親の最後の、最低限の仕事であり、義務ではなかろうか。


2016年2月24日水曜日

生活介護について

息子は、今年三月の高校卒業後、地元の障害者施設への通所が、ほぼ決まっています。

いや、ほんとうは、ほとんど決まっているというか、本決まりに近い状態なのですが、肝心の施設と、まだきちんと入所契約についてのやりとりをしていないので、気持ち的に「ほぼ」とつけています。

 この施設で、息子は、昨年春に、一週間の作業実習を受けています。

 そのときの施設側との反省会で、就労継続支援B型と、生活介護のどちらを希望するかという話が出ました。

 迷いましたけれども、学校の先生方の意見もうかがいながら、まず生活介護のほうで通所をはじめて、いろいろな体験をしながら、将来的に就労継続支援B型を目指してみる方向でいこうか、ということになりました。どちらも、同じ施設内の事業として行われているので、このような移行が可能だとのことでした。

 で、障害福祉サービスをうけるには、それぞれのサービスに必要な受給者証というのを、自治体からもらう必要があります。

息子の希望する施設に通所するためには、生活介護の受給者証が必要です。
そこで、まだ在学中ですが、年度初めからの通所が可能になるように、昨年のうちに福祉課に相談に行きました。

すると、まず、市の職員の方と、息子、親の三人での面談の予定が組まれ、息子の状況や生活について、数多くの質問をされました。これは、アセスメントというものらしく、この回答をもとに、どの程度の介護が必要かがはかられ、障害支援区分の認定というものが行われます。

この際、医師の意見書というものが必要になりましたが、きわめて健康な息子には、かかりつけの病院というものがなかったため、書いてくれるお医者さんを探すのに、かなり困りました。どこの病院に相談しても、

「少なくとも半年くらい通院した方でないと、書けない」

と、断られてしまったのです。途方にくれましたが、福祉課の方と相談しながら、お医者さんを探して、地域の精神病院にお願いし、息子を診てもらった上で、意見書をいただくことができました。


息子の区分は4でした。

区分認定がされますと、今度はサービスを利用するにあたっての「計画案」というものを作成することになります。これは、保護者が作るのではなく、自治体指定の支援事業所の方にお願いすることになります。うちの場合、短期入所、行動援護のサービスも申し込んでいて、それらも全部、同じ事業所さんで計画案をまとめていただきました。何度も家に足を運んでいただき、お世話になっています。

このあと、介護施設との契約をして、入所の正式決定ということになるのだと思いますが、いまのところ、まだ施設側からは連絡が来ておりません。不安になって、数日前に電話をしたところ、もうしばらくお待ちくださいとのことでした。施設と学校とは、やりとりしているそうで、息子が入ることは、すでに施設側では予定していて準備も進めているそうなので、まあ間違いはないだろうと思います。

学校の卒業という大きな節目にが近付いていて、次のステップである施設入所も決まっている状態なのに、当の施設との直接のやりとりがないというのは、若干、心もとない気はしますが、焦らずにお待ちすることにしようと思います。( ̄ー ̄;)


















2016年2月19日金曜日

見事な生活習慣…

毎日早寝する習慣の息子は、日の出前には起きている。

早いと三時台から、もぞもぞ、ごそごそ。


居間のカーテンを前回にして、朝焼けを静かに見ている。

その後、タイマーで洗い上がっている洗濯物を干したり、台所の残り物で、一人で朝ごはんにしたり。お気に入りのDVDを見たり。


六時には、親を起こし始める。

親のほうは、深夜に就寝している。 しかも、日の出前からの物音で目を覚ましているから、睡眠が、かなり足りない。


今週は、きつかった。
たぶん、平均睡眠時間は四時間を割っている。


明日は、土曜日。
とくに予定もないはず。

お昼寝しよう(TдT)。









2016年2月17日水曜日

福祉サービスのこと、手続きのこと

私のもの覚えが悪いせいだとは思う。

でも、ほんとに、いろいろあって複雑で、どうにも頭に入らない(;▽;。

でも当事者だし、分からないでは済まされない。
息子のためにも、自分で調べて、噛んで含めるように脳に記憶せなくてはならない。


まず、知的障害のひとのための療育手帳。
これは、都道府県知事が発行するもので、自治体によって、いろいろな名前がついていたりするようだ。

うちの件では、手帳の判定は、18歳までは児童相談所で行われる。
地図を調べて、まだ幼児だった息子を車に乗せて、おそるおそる出かけていったことは、いまも覚えている。ガランとしたプレイルームでの面談。人も入れそうな巨大ドールハウス(だったのか?)のあるお部屋での、知能検査。息子は重度の知的障害があるけれど、最初の判定はB(中程度)だった。その後、年齢が進むにつれて、判定が中から重に進み、いまは最重度となっている。

 前に児童相談所で判定をうけたのは、息子が17歳になった二日後だった。
そのときに、担当になった方から、 「ここで受けるのは、今回で最後ですね」と言われた。
次回の判定は、18歳以降になるので、県立のリハビリテーションセンターというところに、行くことになるそうだ。

次回の判定は、平成31年の年末。
覚えておかなくては。。。

この療育手帳のおかげで、うちは自動車税、交通機関の料金の減免などを受けている。

この手帳とは別に、息子は、いくつかの受給者証を持っている。

一つは、移動支援のための受給者証。これは、県ではなく、市から発行されているもので、県の療育手帳を取得していることが、発行の条件となっているらしい(いま知った)。

移動支援事業は、自力での外出が困難な障害者(児)が、社会生活を行う上で必要な外出をしたり、社会参加をするための移動の介助、介護を行うもの。

息子は、六年ほど前から、余暇活動やリクレーション参加のために、利用させていただいている。いろいろなところに外出して、幅広い経験をさせていただいたことで、ほんとうに大きく成長させてもらった。このサービスを使うようになる以前は、慣れない場所を拒否してパニックを起こすために、家族で外食することも難しかった。いまはどこへでも、穏やかに出かけられるようになっている。

ただ、財政が厳しいため、来年度から、事業所への報酬を削る方向で制度を変えていくことになるようで、これまで通りの利用は難しいと言われている。


他の受給者証については、また改めて。















2016年2月16日火曜日

今日の息子くん

支援学校の高等部卒業まで、残り1ヶ月を切った。

今日は、ダンスと家庭科の授業があるそうだ。
家庭科は、藍染の作業とのこと。昇降口まで送り届けて、いってらっしゃいと声をかけると、

「いって、らっしゃい!」

と返事をして、にこにこしながら校舎に入っていった。

まだ、挨拶は「こだま」になってしまうことが多い。「いってきますだよ」と言うと、「いってきます」と言い直してくれる。分かってはいるのだと思うけど、即座に返すのは、まだまだ難しいのだろう。


会話の流れの中で、相手の音声を聞き取りながら、自分でも適切な言葉を選んで発声するということが、息子にとっては、とても難しい。ものごころついたころから、ずっと練習してきているけど、挨拶、質問への応答は、まだまだ難関だ。きっと、そういう作業には、脳のワーキングメモリーや、管理制御するアプリケーションみたいなものが、たくさん必要なのだろう。


それでも、十数年のあいだに、ずいぶん話せるようにはなってきている。話すことより、書くことのほうが、息子にとっては意志の疎通がラクであるらしいことも、わかっている。


大人として、社会とかかわりながら暮らしていくために、これからも、言葉の力を増やしていけるよう、支えてやりたい。



今朝も、家を出る前に、一緒に日記を書いて、単語と漢字の練習をした。私が元気で付き合えるうちは、ずっと続けようと思っている。


まずは、あと10年。











あ。。。。よごれてもいい服を着せてと、連絡帳にあったのに、忘れた。


まあ、いいか。しかたがない(;_;)。





2016年2月15日月曜日

どうでもいい話

ふと思い出した、古い曲がある。


また逢う日まで 尾崎紀世彦。



昔から、不思議だった。

この歌詞の二人は、なんで別れるのだろう。

円満な同棲解消のようだけど、お互いの間で、口にできないような、重大な「なにか」があったことが、歌詞から察せられる。

けれども、「また逢う日」が来ることを、積極的に想定したい間柄でもあるらしい。

話せば二人とも傷ついて、何もかも失うような、別れの理由。
次に会うまで、どこで何してるのか、知りたくもないという状況。

両方とも、実は重婚で、お互いの婚姻関係を解消してから再会しましょうという、暗黙の了解のうちに一時離散するのではなかろうか・・・・なんてことを想像してしまうのは、最近の不倫報道に、すっかり頭が毒されたからだろうか(;´Д`)。





2016年2月14日日曜日

農耕ゲーム

ファーミングシミュレーター 15という、農耕ゲームが、とてもおもしろいらしい。

PS版、PC版、android版と、出ているようだ。

iPhone版は、あるのかなと思ったら、無料でDLできるようだった。


やるなら、画面の大きいPS3か、PCかなと思う。

私がゲームをすると、息子がそばでよく見ているので、やりながら、いろいろ話ができるかもしれない。

 

問題は、プレイするヒマがあるかどうか・・・・。

 

 

2016年2月13日土曜日

おでかけ

息子は朝から移動支援でおでかけ。
朝八時半に、お迎えのワゴン車が家まで来てくれた。
挨拶しながら車内を覗きこむと、元のクラスメートがにこにこ顔で座っていた。
スタッフの方々にいざなわれ、息子もウキウキとした表情で、乗り込んで座る。
今日は、どこへいくのだろう。

移動支援という福祉サービスを利用しはじめて、今年で六年目になる。

お出かけにつれていってもらうようになってしばらくしてから、あの東北の大震災があった。
うちのあたりは、震度5強。家屋に被害はそれほどなかったけど、本棚の本は滝のように落ち、洋服ダンスが壊れた。

息子は当時中学一年。泣いたり叫んだりは、一切しなかった。おびえた様子もなかった。
けれども、その後、ものをあまり食べなくなり、声もほとんど出さなくなった。
夜は服を脱がず、何かあるとすぐに飛び起きる。パニックは起こさない。気持ちを押しめていることが、食欲や発生に影響しているのだろうと思えた。

学校はすぐに授業を再開したけれど、食べず、眠れずという状態では、登校させる気にならなかった。余震がつづいて不安だったこともあり、通っていた療育教室も、移動支援も、しばらくは休ませようと思っていた。

けれども、移動支援のスタッフさんが、「こんなときだから、近場で気晴らしを」と、あたたかな言葉で誘ってくださった。療育の先生方も、「いつも通り暮らすことが、気持ちを取り戻すのに一番必要だから」と、私を説得してくださった。


不安だったけれど、移動支援と療育、ともに再開。もちろん学校にも登校した。
息子はまもなく、よく食べて眠れる生活を取り戻してくれた。


震源から何百キロ離れたところでも、重度自閉の子たちは、大変だった。
普段通りの暮らしを取り戻すのに、周囲の多くの方々の理解と支えが必要だった。

震源にいて、暮らしをすぐには立てなおすべくもなかった方々は、どれほど、つらかったことだろう。




世の中には穏やかでない情報が多くながれている。
戦争、不況、国際的ないさかい、天災……
そんな報道をみるたびに、心から思う。
いろいろな事情、理由で、繊細すぎる命を持って生まれてしまった子どもたちと、彼らを囲む人々みんなが、ずっと、安心して暮らせる世の中になるようにと。


2016年2月12日金曜日

世界の悲鳴

plagという情報拡散アプリを眺めていたら、遠い国から、こんなのが流れてきた。

http://plag.com/post/337994982/

何度も眺めて、これ、蜘蛛かしらと気がついたときには、下にぶら下がってるコメントが、ものすごいことになってた。


どの国のひとも、概ね蜘蛛は苦手らしい(^_^;)。


あ、plagのカードは、PCからだと、開かない場合もある模様。。


書籍の表紙の画像と、著作権の問題

読んだ本の記事をブログに書くとき、表紙の画像も載せたくてたまらない。
文章だけでもいいけど、画像があったほうが絶対面白い。

と、強く思うのは、諸事情で、紙媒体から電子媒体に切り替えつつあるからかもしれない。


もともと、本をたくさん集めるのが大好きだった。
自分の好きな本だけ並べた書架を眺めるだけで、うれしくなる。

けれども、そうやって集めた結果、本の物量が生活空間を圧迫する事態となった。
本が詰まりすぎてヒトが入れない書庫。
道なき道をたどっていかなければ机にたどり着かない書斎。
どちらの部屋も、3.11の大地震のときには、大袈裟でなく、ナイアガラの滝状態に。


目を壊し、体も壊し、以前のように紙の本をたくさん読めるような状況でもなくなった。

そんなこんなで、家族のことや、残りの人生のことを考えたら、もう読み返すこともなさそうな本を処分する頃合いだろうと判断するしかなくなった。


で、電子本に切り替えた。
紙の活字は疲れて読めなくても、バックライトがあって拡大もできる読書端末なら、まだまだラクに読める。


というわけで、KindleとiPhone6+が、新しい書庫になった。


けれども、やっぱり本をたくさん並べて眺めたいという思いがある。
背表紙をずらりとそろえることは、もうできないけれど、表紙の画像なら並べられる。


というわけで、いそいそと作業をしはじめたのだけど……

画像ということで、著作権問題が気になった。
自分の持っている本の表紙を撮影したり、電子本の表紙画像をキャプチャーして、ここに貼りつけていいのだろうかと。


文章なら、引用しても問題ないけれど、表紙の画像は文章ではない。
どうなんだろうと思って、少し検索して調べてみた。

同じ疑問を持った方がやはりいたようで、詳しいお話をまとめておられた。



書籍レビューで表紙画像を掲載するのは引用にあたるか

http://ameblo.jp/tyosaku/entry-10620789485.html


厳密には著作権に障る可能性がある行為だけれど、実質的に著作権者の迷惑になっていない
場合が多く、訴えられた先例がないとのこと。(こちらのブログがUPされたのは、2010年8月)


私は好きな本のことしか話題にしないから、売上を邪魔するようなことは、たぶん、あまりないと思うし、「やっぱりまずい行為」というふうになるまでは、こそこそと貼らせてもらおうかしらと思っている。


どうしてもダメとなったら、本のイメージを自力で画像化して貼ろう。
(そっちの方が、どう考えても営業妨害)





Blog touch 試用中

iPhoneで、ここに投稿したいので、使えそうなアプリを試してみている。


これはBlog touchというアプリ。
説明全部英語だけど、まあなんとか使える。


慣れれば、ラクになるかな。

ほんと、英単語をだいぶ忘れてしまってて、こういうもののヘルプやコマンドの理解にすら、苦労する有様。思い出すのに、二手間かかる。
コピって辞書検索。情けない(;_;)。

でも一度思い出すと、今度はなかなか忘れない。
遠い昔とはいえ、一度記憶の回路が作られて残っているからだろう。


いまはもう。老いに向かう日々である。
古い機材を丁寧にメンテして、自分のクオリティ維持に努めるべきなのだろう。






2016年2月11日木曜日

今朝の料理・・・

息子はいつも、冷ややっこに、ポン酢しょうゆと牛乳をかけて、食べる。

ものすごい取り合わせだと思うのだけど、味見すると、案外悪くなかったりする。


ポン酢ミルク。
世の中には存在しないのだろうと思っていたけれど、今日、ふと思いついて検索してみたら、見つかってしまった。(;´Д`)



牛乳&ミルク酢レシピ!乳和食で美味しく減塩!小山浩子 脳梗塞予防調味料!



料理研究家の方が作り方を紹介している。
こちらは火を通して、チーズ的成分を漉し取って作るものなので、牛乳とポン酢しょうゆをただ混ぜただけの息子のやり方とは違うけれども、方向性は一緒である。


そうか、脳梗塞の予防になるのか…。


こちらの本格的ミルク酢、そのうち試してみよう。



あいさつ

十二、三年前にやっていたホームページのhtml文書を、ハードディスクの奥底で、見つけた。

内容は、まだ幼児期だった子どもたちの育児記録がメイン。ときおり読書記録。
ちらちらと開いて見ているのだけど、若かった分、言っていることがちょっぴり青い。(*ノωノ)


おそらく自閉症であったろうと言われてる、山下清画伯の本を読んだ日には、抜き書きをして、こんなことを描いている。

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 ぼくは人にあいさつしないので、えばっていると思われているかもわからないが、恥かしいからだまっているので、だまって帰っても心のなかではありがたいと思っている。ごちそうになってもお礼はいわないが、心のなかではうまいうまいと思っている。あいさつはしつけないとできないものなので、やりつけないことをやるのはぼくにはとても恥かしい。 
 世話になってもだまっているのでえばっているようでも、心ではうれしいのです。

山下清「日本ぶらりぶらり」ちくま文庫 p17


 こういうことを言われてしまうと、「あいさつをしつける」ということが、とても、つらくなる。
 規格のきまったシールのような「ありがとう」を、コミュニケーション障害の子供に百万回いわせて「しつける」ことで、子供はよけいに沈黙を選びはしないだろうか。個別的な意味をうしない、強いられて出る「ありがとう」という音声に、口に出すだけの価値が果たしてあるだろうか。口だけの沈黙よりも、心のなかの沈黙のほうが、おそろしい。
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障害の重い子に対する形式面での強い「しつけ」が、内面の言葉を抑圧してしまわないかという思いは、いまもある。「しつけ」がただの「おしつけ」になるのは、とても苦しくて、嫌なことだ。


ただ、子どもたちが大人に近づいてきた今は、社会に出たときにそとに見せる形、形式的な行為というものも、本人たちにとって大切なものだと思っている。

幼児期から、ほんとうに根気よく、挨拶することに取り組んできた息子は、18歳になったいま、挨拶の言葉をかけられれば、それに応えることができるようになにっている。

まだ、目を合わせるのは難しいこともある。声もなかなか大きくならない。
自分から挨拶をすることは、いまもかなりハードルが高い。

それでも、控えめな声色で、クラスメートや先生方に「おはよう」と挨拶を返す息子の表情には、やわらかで楽しげな気配があって、決して気持ちを抑圧して機械的に声を出しているのではないと思える。

周囲の人々への信頼の気持ち、いろいろな思い出の積み重ねが、挨拶の言葉や態度の内側に、しっかり存在しているのだと思う。


あいさつは、いいものだと、いまの私は思っている。
なので、古い記事に新しい気持ちを添えて、再掲載してみた。



他の記事も掘り起こして、再利用してみようかな。

(山ほどあるし…)












ゼンタングルと自閉っ子

うちの息子、趣味らしい趣味がない。

放っておくと、いつまでも、同じDVDをエンドレスで見てる。

それで本人が楽しめているのならまだしも、どうもそうではないように見える。

たぶん、かなり、飽きている。


18歳、少し大人びた趣味がほしいところ(親目線で)。


というわけで、しばらく前から、ゼンタングルというジャンルのお絵描きを、一緒に少しづつ練習してみている。



シンプルなパターンを組み合わせて、繰り返して、奥深い世界を描いていく。


お絵描きよりも文字を書くことが好きな息子も、文字を繰り返し書くようにして、少しづつ取り組めている。


先週、近隣の特別支援学校・学級の子どもたちの作品展があった。
息子の作品も展示されるというので、いそいそと見に行ったら、他の学校の生徒たちの作品に、ゼンタングルの手法で描かれた絵があった。コースターくらいの小さな紙に、緻密なパターンが描き込まれていた。


いつか、息子といっしょに、そんな作品をつくって楽しめるようになれたらいいなと願っている。

いまはまだ、いろいろと促さないと、形にならない。
一緒に描くことを楽しめてはいるけれど、どんなものを作るのか、見通しやイメージがもてていないので、ただの単純作業で終わってしまう。


本人が「楽しい創作」と思えるところまで、付き合うつもり。










まだ練習中

ここのブログ、とても書きやすいけれども、細かい仕様がまだよくわからない。
いろいろ試して練習中。

コメント欄は、半クローズド状態にしてある。
以前ブログをしていたとき、いわゆる「業者」的な方々ばかりいらっしゃって、寒々しかったのだ。


「こんにちは! とてもおもしろいブログですね! 私のブログも見てください!」

ぐらいなら、まだいいけれど、


「同じようなこと、私にもありました。気持ちとてもわかります」

みたいなコメントに、どう見ても怪しげな物品や出会いを斡旋するサイトのURLが貼ってあったり、なんてことばかり続くと、コメント欄の処理にかける手間暇がおしいと感じてしまう。



素朴に思う。
ああいう活動で、あの大勢の方々は、なにか成果を得られたのだろうか(;´Д`)。
むなしく人生の一部分を費やしただけではないのかなと、他人事ながら、心寒くなるものがある。






そういえば、以前のブログでは、トラックバックという機能がよく使われていたけれど、あれ、いまも活躍してるのだろうか。


あれやこれや、気になることはあるけれど、一気にいろいろできるほどの馬力もない。
年相応に、のんびりいこう。





2016年2月10日水曜日

iPhoneから書いてみる

Chromeでアクセスして、書いてみているのだけど、サポートされていないブラウザだと表示されている。(;_;)

iPhone専用の公式blogger用アプリがあると、いくつかのブログにあったのに、アップルストアで検索しても、でてこない。なぜだろう(~_~;)。

もうちょっと調べてみよう。



新・ロマシコボ牧場

ブラウザのアプリを、いろいろと遊んでいます。
一人だと飽きるけど、お友達が一緒だと、結構何年も続いたりします。

最近、わりとマメにやっているのは、新・ロマシコボ牧場というアプリ。

 さびれた牧場を復旧させて、発展させていくゲームです。

毎日、畑に何かをまいて、水をやって、収穫して、家畜を育てて餌をやって。
お友達の牧場に手伝いに行ったり、贈り物をしたり、もらったり。






とくに大きなドラマがあるわけでもなく、ひたすら労働の日々ですが、なぜだかじんわりと、楽しいです。


あまり時間はかけられないし、課金もしないので、発展のスピードは、遅々としたもの。


次のお正月くらいまで続けられたら、大きな牧場になっているかな。




何か形のあるものが残るわけでも、自分の何かが成長するわけでもないけど、このジャンルのゲームは、心がゆったり穏やかになる……気がする。なんらかの社会的な欲求みたいなものが満たされるからだろうか。



特に人付き合いが少ないわけじゃないけど、集団で農作業するようなコミュニテイへ参加する機会は皆無だから(体力もない)、こういうゲームで補てんしているのだろうか。農耕民族の本能的欲求みたいなものを……大袈裟かな( ̄ー ̄;)。










コメダ珈琲店で、ランチ

漠然とした焦燥感。

なーんにも、生産的なことができていない気分。

春一番で体が冷えて、持病の膝の痛みがきつい。



こんな日には、重い腰を無理やり持ちあげてでも、気分転換がしたい。



というわけで、いつのまにか近所に出来ていた、コメダ珈琲店のランチに行ってきました。
亭主と長女も同行。


車に乗り込んで、走ること五分。


お昼時だったので、近隣の主婦のみなさん、お年寄りのみなさん、デートらしき学生風のかたがたで、ほぼ満席。

それでも、待たずに座れました。


長女(あねぞうさん)が頼んだクリームコーヒー。
うれしくなる巨大さ。
















そして、私が頼んだウインナーコーヒー。


たっぷりのクリームが甘いので、お砂糖は入れずに飲みました。


コロッケのプレートは、コロッケとサラダが大盛り。




このほか、サンドイッチのセットを一つ頼んで、三人で分けあって食べて、十分満足。




帰り道は、体がホカホカして、幸せでした。
(車で五分だけど)








そしてまたブログをはじめている。



唐突に、何か新しいことを、やりたくなることがある。

もう発作みたいなものである。

なにか特技があるわけでも、根気や体力があるわけでもないから、たいてい、あまりつづかない。

ただ、新しいことをしてみたい気持ちだけが、ふっと目の前に現れる。

たとえば、ものすごく愛らしい子猫が、お腹をすかせたような顔で、窓からそっとのぞいていたら。
何か食べ物をあげられないかと、冷蔵庫の中身を思い描いたりするかもしれない。

そんなふうに、新しいことをしてみたい気持ちが現れる。

たまたまPCの画面に、開設してないブログサービスがのぞいていたら。
そういえば、少し書き溜めたいことがあったなと、思い返したりするのである。



別に、googleがお腹すかせた子猫みたいだと思うわけではないけれど。
なんかここ、書きやすそうだし。


 とりあえず、読んだもの、見たもの記録でもつけようか。








2016年2月9日火曜日

ゲームメモ

PS3版「ジョジョの奇妙な冒険 アイズオブヘブン」を購入。


うちの子どもたち(19歳と11歳、どっちも娘)が、いま、夢中になってプレイしている。

原作漫画は読んだことがないけれど、ゲームのストーリーを覗き見していると、キャラがとても面白い。

ゲームだけの仕様なのだろうれども、死んだはずの血縁者や知人たちが、時代を超えて、若かりし生前の姿になって出てくる。

そのあり得ないはずの人間関係のなかでうまれる会話が、妙に楽しい。

自分より年上の娘に「父さん」と呼ばれる、高校生の戸惑いをみていると、原作を読みたくてたまらなくなる。

何かがんばったら、ご褒美に買おうかな、ジョジョ。







2016年2月8日月曜日

自閉っ子の料理・・・

うちの息子は、自閉症。
それもかなりの重度クラス。

18歳になるけれど、いまだに言葉は片言。
一人で外を歩けない。

食べることが、大好き。
台所での料理はできないけれど、探究心はとても強い。
そして、新しいレシピを発明しようとする意欲も持っている。


あるとき、インスタントラーメンをお昼に出したら、息子はそれにガラムマサラをふりかけて、とても美味しそうに食べはじめた。


一体どんな味なんだろうと、おそるおそる試食してみたら……なんだか普通に、カレーうどんの味だったから、びっくり。



ちかごろでは、フリーズドライのカレーをお湯でもどして、ご飯と混ぜて、簡易ドライカレーを作ることに凝っている息子。調合をいろいろ工夫して、究極の味を追求しているらしい。お相伴するのが、怖くもあり、楽しくもあり。。
















2016年2月6日土曜日

末っ子(小5)が、サーフィンの大会の番組をみているので、便乗してチラチラ見てたら、齧った知識を得意そうに教えてくれた。

「あの波のチューブを、うまくくぐらないといけないんだけど、上の水にぶつかったり、下の岩にぶつかると、骨折とかの大怪我するんだって! 何回も命落とした人がいるんだよ!」


命は、一人一回しか落とせないよ…。


2016年2月5日金曜日

最後の日

朝、起きてぼーっとした頭で、iPhoneでPlagをぴらぴらめくっていたら、この動画が配られてきた。 




なんだかよく分からずにみていた。 
どこか海外の、うつくしい街並み。 

そこに煙がたちのぼり、あたりがゆれて、瓦が崩れ落ちる。 
悲鳴が上がる。 

これってあのポンペイの最後の日ではないかと、途中で気づいた。 


生き物が全て死滅し、崩壊しきった街に、最後の衝撃波がやってきて、動画は終わる。 



うろうろと朝の準備をはじめたところで、リアルに地震がきた。 
震源、神奈川。気持ちの悪い揺れだったから、大きくなるかと思ったら、それほどでもなく終わった。今日が最後の日ではなかった。