あねぞうさんとほげ子さんの影響で、「ジョジョ」シリーズを読み始めて、いま、かなりハマっています。
昨日、第五部を読み終わりました。
ジョジョの奇妙な冒険 第5部
前々から思ってましたけど、「スタンド」って、解離した自分の一部みたいな存在ですね。
自分のスタンドと、まるで保護者か仲間であるかのように、会話する人たちもいますので、なおさらそんな印象が強くなります。
さらに、この第五部のラスボス、ディアボロは、完全な二重人格者であることが、後半分かります。
性格だけでなく、顔や体格、見た目の年齢まで変わってしまうほどの別人格であり、お話の最後まで、一人に統合されることはありませんでした。
おもしろいことに、ディアボロは、自分の子どものころの人格であるらしい「ドッピオ」を、我が子のように慈しみ、ほめそやしながら、保身のために利用し尽くしています。自分の一部として大切に思う気持ちはあっても、弱い自分そのものとして受け入れる気持ちはなく、道具の一種として認識しているために、統合があり得なかったのかなと想像ます。
ディアボロに二重人格が生じてしまった経緯は、物語の中では詳しく語られませんが、おそらくは、強い恐怖と、自分に対する嫌悪感が原因なのだろうと想像できます。
このひとは、マフィアの頂点に立つほどの器量を持ちながら、自分の弱点を強烈に憎み、いつか誰かに追い落とされてしまうかもしれないという、強い恐怖にさいなまれ続けています。実の娘を憎み、執拗に殺そうとするのも、娘が自分の弱点となると考えていたからでした。
弱さを受け入れられるだけの強い精神力があれば、ディアボロの人生は、全く違ったものになっていたかもしれません。
というわけで、作者が解離性障害を意識して作品を作ったのかどうかは、分かりませんけれども、家族がそういう状況を抱えているので、ついつい、お話に対する思い入れが強くなります。
それにしても、ディアボロのスタンド「キングクリムゾン」、能力「エピタフ」……
King Crimson Epitaph
歌詞が、ディアボロの心境のようにも聞こえてきます。
といっても、英語難しくて、意味がよくわからないんですけども……
混沌が俺の墓碑銘となるだろう
ひびわれて途切れた小道を這いつくばって進むように
皆でそれが出来るなら、笑って傍観することもできるだろうが
俺は明日が恐ろしい
俺はきっと泣いているのだろう
そうだ俺は明日が恐ろしいんだ
泣いているに違いないんだ
めっちゃ怖がってる歌だということだけは、分かります。(´・ω・`)
にほんブログ村