2016年5月27日金曜日

ジョジョ読んでたら解離が出てきた


あねぞうさんとほげ子さんの影響で、「ジョジョ」シリーズを読み始めて、いま、かなりハマっています。

昨日、第五部を読み終わりました。


ジョジョの奇妙な冒険 第5部





前々から思ってましたけど、「スタンド」って、解離した自分の一部みたいな存在ですね。

自分のスタンドと、まるで保護者か仲間であるかのように、会話する人たちもいますので、なおさらそんな印象が強くなります。


さらに、この第五部のラスボス、ディアボロは、完全な二重人格者であることが、後半分かります。
性格だけでなく、顔や体格、見た目の年齢まで変わってしまうほどの別人格であり、お話の最後まで、一人に統合されることはありませんでした。

おもしろいことに、ディアボロは、自分の子どものころの人格であるらしい「ドッピオ」を、我が子のように慈しみ、ほめそやしながら、保身のために利用し尽くしています。自分の一部として大切に思う気持ちはあっても、弱い自分そのものとして受け入れる気持ちはなく、道具の一種として認識しているために、統合があり得なかったのかなと想像ます。

ディアボロに二重人格が生じてしまった経緯は、物語の中では詳しく語られませんが、おそらくは、強い恐怖と、自分に対する嫌悪感が原因なのだろうと想像できます。


このひとは、マフィアの頂点に立つほどの器量を持ちながら、自分の弱点を強烈に憎み、いつか誰かに追い落とされてしまうかもしれないという、強い恐怖にさいなまれ続けています。実の娘を憎み、執拗に殺そうとするのも、娘が自分の弱点となると考えていたからでした。

弱さを受け入れられるだけの強い精神力があれば、ディアボロの人生は、全く違ったものになっていたかもしれません。



というわけで、作者が解離性障害を意識して作品を作ったのかどうかは、分かりませんけれども、家族がそういう状況を抱えているので、ついつい、お話に対する思い入れが強くなります。


それにしても、ディアボロのスタンド「キングクリムゾン」、能力「エピタフ」……


King Crimson  Epitaph 








歌詞が、ディアボロの心境のようにも聞こえてきます。

といっても、英語難しくて、意味がよくわからないんですけども……


混沌が俺の墓碑銘となるだろう
ひびわれて途切れた小道を這いつくばって進むように

皆でそれが出来るなら、笑って傍観することもできるだろうが

俺は明日が恐ろしい
俺はきっと泣いているのだろう
そうだ俺は明日が恐ろしいんだ
泣いているに違いないんだ



めっちゃ怖がってる歌だということだけは、分かります。(´・ω・`)





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