2017年6月5日月曜日

障害者の生み出す商品の流通…就労支援施設や介護施設のお仕事を袋小路にしない試み


あだきち君が九歳のときに作ったポスター


あだきち君は、特別支援学校卒業後、地元の介護施設に通所していますが、クラスメートの多くは、就労支援施設に入り、そこで働いています。

地元には、就労支援施設のA型とB型がありますが、あだきち君が卒業を控えた時点では、定員がぎりぎり一杯のところが多いように聞いていました。その後、少し増設や新設されたようですが、特別支援学校の通学者が多い地域ですので、遠からずすぐに一杯になるのじゃないかと思います。

あだきち君の在学中、いくつかの就労支援施設を見学しましたが、どこも、「仕事を作り出す」ことで苦戦している様子でした。

スイーツを作っている施設の1つは、地域の売店や施設などに売り込みをかけているそうなのですが、障害者が働き手であることを理由に、仕入れに難色を示すところもあったとか。

機械の部品を整理したり、廃品を解体したりという、手作業の仕事の下請けをしている施設も、利用者さんの状況に合わせて、工賃を生み出せる仕事を確保することがとても大変だと話していました。

いろいろな機会で、障害者施設の製品を販売するお店やバザーを見るたびに、お店の人に話を聞いたりしていた時期もありましたが、障害者の身内や関係者が、自分たちのコミュニティ内で購入してさばくようなことも多いという話で、何か残念な思いでした。


働く力をもった障害者がいても、その人に合った仕事がなければ、収入にはならない……

そこで大切になるのは、仕事と働き手の出会いをコーディネートする存在なのだろうなと、漠然と思っていましたが、世の中が少しづつそちらのほうに力を入れてきていると感じられるニュースが、新聞に出ていました。


今朝の朝日新聞の記事を、一部引用します。


障害ある人の商品、ここから安定した流通へ 拠点や常設店 

障害のある人がかかわった商品を集め、在庫や品質を管理しながら販売する試みが始まっています。安定的に品物を流通させる仕組みをつくることで、多くの人に商品を手にとってもらい、障害者の収入を増やすことが目標です。
(中略) 
出品しているのは、障害者総合支援法が定める「就労継続支援B型」の施設。一般企業で働くのが難しい人の就労と訓練の場で、雇用契約を結び最低賃金を得られるA型に対し、雇用契約を結ばずに通って工賃を受け取る。
厚生労働省の統計では、B型施設に通う人の1ヶ月の全国平均工賃は1万5033円(2015年度)。
朝日新聞 2017年6月5日(月)朝刊より


記事に掲載されていた事業所や施設などのホームページを探してみました。


「Good Job!センター香芝」
奈良県香芝市

http://goodjobcenter.com/
http://goodjob-online.com/eccube/html/


商品が、素敵すぎます。(∩´∀`)∩
オンラインショップがあるのが、いいですね。


「すたじおぽっち」
兵庫県明石市
http://www.meioukai.com/web/poti/index.html
「すたじおぽっち」のブログ
http://meioukaipochi.blog.fc2.com/

こちらの創作も、とても心引かれます。


「KURUMIRU」
東京都福祉保健局・自主製品魅力販売プロジェクト

http://kurumiru.metro.tokyo.jp/

見ているだけでワクワクしてくる商品ばかりです。

いいなあ。



あだきち君も、いつか、こんなお仕事に関われたなら、どんなに素敵かと思います。

あだきち君、19歳の朝勉強



前回(2017年6月2日)と同じように、今朝もあだきち君と勉強しました。

時間は、だいたい三十分。


今朝の学習メニューは、こんな感じです。

・漢字の読み書き
・足し算、引き算、九九
・時計の読み方
・物語の音読


漢字は、あいかわらず「父と母」で苦戦中。

どうしても「父」を「はは」と読んでしまい、「父」と書くべきところに「母」と書いてしまいます。

読みの問題では、「一万円」を「いちにちじゅう」と読んでしまうので、これも繰り返し練習。

あだきち君は、「いちまんえん」を、日常生活で扱うことがありませんし、「万」という言葉を使う機会も少ないので、しかたがないところではあります。




日常使わない言葉を覚えるため、学習の負担をかけるのは、効率の面から考えれば、もったいなとことであるのかもしれません。

あだきち君は、たくさんのことを覚えられませんから、使用頻度の高い言葉やフレーズを絞り込んで教えるべきかもしれないということは、よく思います。

でも、日常的に使う言葉というのは、文章、活字のなかに、あまり出てこないことが多いのです。

あだきち君は、活字を読むことが好きなので、理解できる語彙や漢字を、もっと増やしてやりたいという気持ちがあります。知っている言葉がでてくる文章を見ると、あだきち君の目の輝きが、ぜんぜん違うからです。

そういう読みの喜びから、実用優先だけでは見えてこない、新しいステップが生まれてくるかもしれません。そう願っています。


音読、読解用のテキストとして、この本を買いました。

井上憲雄「小学校学習漢字1006字がすべて読める漢字童話」
本の泉社


Amazonで見る



今日は、最初に掲載されている、「ダバラン王」という作品を、最初の数行、一緒に何度か音読しました。


今日読んだ箇所を、引用します。


むかしある国に、オボロン王というよくばりな王さまがいました。
オボロン王は、とてもりっぱなお城にすんでいて、町や村の人ちからたくさんのお金やたべものをあつめていました。 
1年の漢字 「ダバラン王」より




あだきち君は「町・村・人・お金」は問題なく読めましたが、「オボロン王」は、どうしても「おぼろんたま」と読んでしまいます。三回ほど教えて、読み直しをしましたが、今日は「たま」から脱却できませんでした。

その他、「よくばり」という言葉も、理解語彙ではなかったようで、何度もつっかえていました。たしかに、あだきち君をまじえた会話で「よくばり」という単語を使うことは、まずありません。いい意味の言葉ではないけれど、少し耳に入れる工夫をしてみます。








2017年6月4日日曜日

日曜学校(二回目)…スッパで漁してたペテロさんは着衣泳でイエス様の元に……




ほげ子さんの学校の課題で、教会の日曜学校に通うことになりまりした。
今日は二回目。

賛美歌とお祈り、それから聖書についてのお話を聞きました。

今日のお話は、漁をしようとしていたペテロが、復活したイエスと再開したところについてでした。


以下、お話を聞いた上での、ほげ子さんの理解と、私の解釈を合体させたものを、まとめてメモしておきます。

(キリスト教について無知ですので、理解が盛大に間違っているところもあるかと思います)


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イエス様が磔になったとき、ペテロさんは、ニワトリが鳴く前に、

「イエスなんて人、俺は知らないから! ぜんっぜん知らないから! これっぽっちも知らないから!」

と言って逃走してしまいました。そのことを、ペデロさんは、ずっと、恥じて、悔いていました。

けれども嘆き暮らしていては、飢え死にしてしまいます。生きていくためには、働かなくてはなりません。

もともと漁師だったペテロさんは、魚を穫ろうと思い立ちました。

「俺は漁に出る。そのまま漁師に復帰するつもりだ」

裏切ってしまった自分には、イエス様の弟子を名乗る資格はないという気持ちもありました。

すると、他の弟子たちも「漁に連れてってくれ」といいます。

「なら、みんなで転職するか!」
「おう! ついていくぜ、兄貴!」

というわけで、もともとリーダー格だったペテロさんは、他の弟子たちを率いて、ガリラヤの湖に漕ぎ出しました。

ところが、みんなで一晩中がんばったのに、たったの一匹も釣れません。

明け方、働き疲れた弟子たちが、舟の上でぐったりしていると、岸辺のほうから、


「魚は釣れたかーい」


という声が聞こえました。

岸辺からは百メートル近く離れていましたが、その声は、弟子たちの耳に、凜々と響いてきます。

どこかで聞いたことのあるような、でも聞いた覚えのないような、不思議な声でした。


ペテロさんが、声に向って、「ぜんっぜん釣れねーよ!」と返事をすると、岸辺の声が、こう言いました。

「舟の右に網を打ってごらーん。何か獲れると思うよー」

ほんとかい、と思いつつも、ペテロさんたちが言う通りにしてみると、舟に引き上げられないほどの魚が、わさわさと網にかかっています。

ペテロさんは思いました。
なんだか昔、これとおんなじようなことがなかったかな、と。

一晩中、漁をしても魚が獲れなかったのに、ある人の言葉通りに網を下ろしたら、とんでもない大猟だったということが。

でも、もしもそうだとしたら、どうすればいいのか。
いまさら自分に、"あのかた"に会わせる顔があるのだろうか。

ペテロさんは岸辺の人物が誰であるかということを、心の中ではっきりさせる勇気をもてないまま、魚のぎっしり詰まった網を悶々とひっぱっていました。

すると、一緒に舟に乗っていた弟子の一人が放った一言が、ペテロさんを一気に追い詰め、心の逃げ場を塞ぎます。

「ねえ……あの岸辺の人って、イエス様じゃない?」

その弟子は、メンバーのなかでは一番若くて、そしてイエス様にとても愛されていたということを公言してはばからないほど、イエス様に傾倒しきっていた子でした。よく言えば純粋無垢で一途なのですが、一途なあまり他人の抱える懊悩など知ったこっちゃない、という、強烈に無神経な一面もありました。

イエス様にとても愛されていた弟子(自称)は、さらにペテロさんに追い打ちをかけます。

「だってほら、こんな遠くまで届くあの凜々としたお声、生きてたころのイエス様そのものでしょ? それに、前にもイエス様、ペテロさんに魚いっぱい穫らせてくださってたじゃない。絶対間違いないって!」

「いや、でも、いくら復活したからって、こんなに都合よくホイホイ現れてくださるものかな……」

「やだなあペテロさん、イエス様のこと『知らない』って連呼しちゃったからって、そんなに気後れしなくっても、いいのにー」


ペテロさんの心の傷口にどっさり塩を塗りつけたことに気づかないまま、イエス様にとても愛されていた弟子(自称)はニコニコ笑って、岸辺の人影に向って「イエス様~」と呼びかけています。人影も、それに答えて手を振る様子が見えます。

こうなったら、恥も後悔も面目なさもかなぐり捨てて、イエス様のもとに向かい、許しを請うしかありません。

けれども舟は、網いっぱいの魚を引きずっていますから、すばやく漕ぐことができません。

魚を捨ててしまえば、全員で舟を漕いでイエス様のもとに向かうことができますが、それでは今日食べるものがなくなります。みんな一晩中働いて、クタクタで、とてもお腹が空いていました。漁師チームのリーダーとして、ペテロさんは、食べ物を捨てろと指示することは、どうしてもできませんでした。


考えた末、ペテロさんは、他の弟子たちに向って、こう言いました。

「あのな……俺一人で先に泳いで岸に帰って構わないか? うかうかしてると、イエス様、またどっか行っちゃうかもしれないから。すまんが、みんなは舟で魚を運んでもらいたい」

そう言われた他の弟子たちは、内心、いろいろと思うところはあったかもしれません。少しでも早くイエス様に会いたいと思う気持ちは、みんな同じでしたから。

けれども、ペテロさんの言葉に反対する弟子はいませんでした。
なぜかというと、岸まで泳ぐ体力が残っているのは、ペテロさん一人だけだったからです。

腕のいい漁師だったペテロさんは、スタミナ抜群、身体能力バッチリで、かなりのマッチョボディの持ち主でもありました。徹夜明けででも、山ほどの魚を引きずった舟なんかより、遙かに早く泳ぐ事ができるのです。

ほかの弟子達は、疲労困憊、空きっ腹のヘロヘロで、立っているのもやっとの状態です。

「うん、いいよ、先に行ってイエス様つかまえといて! ボクたちは後から行くから!」

イエス様にとても愛されていた弟子(自称)が、きっぱりと、そう言ったので、なし崩し的に他の弟子たちも頷く流れになりました。

そんなわけで、ペテロさん一人で泳ぎ渡ることになったものの、ペテロさんの心は、まだ忸怩たる思いに囚われていました。

なんか俺、またしても、保身を選んじゃったんじゃなかろうかと。
仲間のために魚は確保しなくちゃなんて、ほんとはただの言い訳で、やっぱり許してもらえる自信がないし、許してもらえないところを他の弟子たちに見られたくないから、一人だけ先に行こうなんて思ったんじゃないのかなと。

マッチョな見た目のわりに、思い切りのよくないペテロさんが、そんなことをぐるぐると思い煩っていると、体がどんどん冷えてきました。

ここは少し体を温めてから行くべきかと、脱ぎ捨ててあった上着を拾って羽織ったところで、イエス様にとても愛されていた弟子(自称)が言いました。

「うん、やっぱり素っ裸でイエス様に会うのはまずいよね。さすがペテロさん。じゃ、行ってらっしゃーい」

どーん、と背中を突かれて、ペテロさんは上着を着たまま湖面にざぶーんと落下しました。

もはや観念して、岸辺まで泳ぐしかありません。

思いがけず着衣泳になったせいで、だいぶスピードが削がれたものの、舟よりはだいぶ速く、ペテロさんは岸辺に着きました。


(以下略)

(参考資料 ヨハネによる福音書、)





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おかーさん「着衣泳、大変だったろうね」
ほげ子さん「やっぱり、スッパじゃいかんと思う」
おかーさん「いや、スッパってあんたね」
ほげ子さん「だってペテロはスッパで漁してたんでしょ」
おかーさん「そうだけど、でもスッパはどうなのよスッパは……」




スッパ
全裸の別の言い方。 (ピクシブ百科事典より)



復活したイエス・キリストと弟子ペテロとの荘厳な再会のシーン、台無しのワードチョイスでした( ̄。 ̄;)。



Kindle版、unlimitedで出てました



2017年6月3日土曜日

「目玉漢字ドリル」はじめました(続くかどうか不明)






「うんこ漢字ドリル」が、なんと200万部も売れているとか。


うんこ漢字ドリル、ついに200万部「質にこだわった」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASK5D5JFMK5DUTFL00T.html


今日、本屋さんでちょっと見たのですが、例文が力作ぞろいで、かなり面白い内容になっていました。


ほげ子さんにも買ってあげたかったのですが(嫌がってましたが)、残念ながら、小学生用だけで、中学生用のがないんですね。

というわけで、中学一年で習う漢字の問題を、自作してみることにしました。



題して、「めだま漢字ドリル」。ヾ(〃^∇^)ノ

光村図書出版株式会社の「国語 1」の内容を参考にしています。



【問題 1】

(1) その植物は、クキの先に、まるで目玉のような花がついていた。

(2) 彼の目玉は、フダンはあまり光っていない。

(3) 敵と味方、ソウホウの目玉がぎらりと光った。

(4) 彼の目玉の奥には深い悲しみのアトが残っていた。

(5) 目玉の形をした、アマいゼリーを作った。

(6) あまりにもカラい料理のせいで、目玉がひっくり返った。

(7) 珍しい目玉のスケッチが、どんどんチクセキされている。

(8) 彼は目玉をエガくことで、心の平安を保っていた。

(9) 動物の目玉をヒカクすることは、とても楽しい。

(10) 彼女は王様から奪い取った目玉をポケットにカクしていた。







【解答】

(1)茎
(2)普段
(3)双方
(4)跡
(5)甘い
(6)辛い
(7)蓄積
(8)描く
(9)比較
(10)隠す


「目玉漢字ドリル」、シリーズ化したいです。
(続くのでしょうか…)






2017年6月2日金曜日

「学校」を出たあとの重度自閉症の子の暮らし…あだきち君の漢字練習


あだきち君が八歳のときに書いたもの



PCのハードディスで、懐かしいものを見つけました。

上の写真は、2007年の夏に、夏休みの宿題として、書写をしていたものです。



「くるり」というグループの、赤い電車という歌の一節です。



赤い電車


曲を聴きながら、がんばって、何枚も、何十枚も、練習していたものでした。



今年二十歳になるあだきち君は、いまでも勉強を続けています。

1日の勉強時間は、長くても三十分ほどですが、あだきち君にとっては、とても大事な時間となっているようです。

なにしろ、私(おかーさん)が勉強の時間を忘れていると、アピールが凄いのです。

どんなアピールかというと、勉強道具の入ったバッグを、何度も何度も持ってきて見せて、

「かける?」

といって、フックにかけたり、食卓の椅子にかけたりするのです。勉強するときに、かならず持ってくるバッグなので、それを再現することで、勉強したい気持ちを表現しているのだと思います。

「じゃ、勉強しようか」

と声をかけると、すぐに用意して着席できますから、「勉強する」という表現は理解しているのだと思いますが、自分の口から、ストレートに「勉強したい」「勉強する」という言葉を使うことが、まだ難しいのでしょう。そのあたりも、課題の一つです。


このところ、口に手をいれて「おえー」っとしたり、自分の頭をバンバン叩くなど、極端な自己刺激行動が増えてきて、どうも情緒不安な様子なので、勉強の時間を少し増やすことにしました。


勉強のほうの今週の課題は、文章をしつかり読んで、質問に答えることと、新しい漢字熟語を少し覚えること。それから、計算問題などを、一人で仕上げて、間違ったところを、自分で消して書き直すこと。

ふるまいの課題は、作業中などに、口をしっかり閉じていること。

声をかけながら、一緒にがんばっています。


今朝は漢字の書き取り問題を中心に、三十分ほど頑張りました。

最近、繰り返し間違えるのが「父」「母」。

「ちち と はは」という問題で、必ず「母と母」と書いています。「父」という漢字は、ちゃんと「ちち」と読めるのに、なぜか書き取りになると、父が母に入れ替わります。

今日は、「方角」を「方魚」と書いていました。「角」の字は、結構前に練習して、覚えていたはずなのですが、しばらく書かないうちに、「魚」とごっちゃになってしまったようです。たしかに、上半分のパーツ、よく似ています(^_^;。


今朝の勉強中は、よく集中していて、視線もよく合っていました。
三十分ほど、みっちりやったのですが、その間、常同行動のたぐいは一切出ませんでした。あだきち君なりに、充実感があったのだと思います。

常同行動のことは、お世話になっている施設や福祉法人のスタッフの方々も、ずいぶん心配してくださって、適切な関わりを模索していただいています。

特別支援学校を卒業したあとの、長い人生を、どうやって充実させて、心穏やかに暮らしていくか。

重度の知的障害者にとっての、大きな課題です。

言葉を話さない、あだきち君の気持ちを汲みながら、道を探していこうと思います。



2017年6月1日木曜日

怒鳴る男性老人…怒鳴られやすい私は怒鳴らない年寄りになりたい


お題「シャチ」


ときどき、知らない老人男性に怒鳴られることがあります。

二年に三回とか、そのくらいですから、頻度としては、それほど多くはありませんが、極めて不愉快なので、ちかごろでは、機嫌の悪そうな顔をした老人男性には、用心して近づかないようにしています。

私のほうに落ち度らしきものがあって怒鳴られたということは、あまりありません。
だいたい一方的な、理不尽な罵倒です。怒鳴られやすいタイプなのかもしれません。

ずいぶん前になりますが、信号待ちで立っていたとき、後ろから自転車で走ってきた老人男性が、軽くぶつかってきたことがありました。

驚いて振り返ると、その老人男性は、いきなり私を怒鳴りつけました。


「だから危ないって言ったんだ! 気をつけろ!」

だからもなにも、事前に「危ない」なんて言われていませんし、気をつけようもありません。

腹は立ちましたけど、こういう人に物を言ってもしかたがないと思い、そのまま黙って去りました。

このときの老人男性の怒鳴り声には、怒りだけでなく、何か切羽詰まった感情が凝縮されていたように思います。

「俺は悪くない! 悪いのは俺の失敗じゃない、全部お前たちの責任だ!」

そう、世の中全体に訴えたかったのかもしれません。

もちろん、私の知ったことじゃないのですが、うっすらとした病理を感じて、このときは後々まで気持ちが暗くなつたことを覚えています。



■怒鳴る中学教諭(60)


どうやら、老人男性に怒鳴られている主婦は、私だけではないようです。

生徒に体罰、事情説明中の母にもけがさせる 長野の教諭
http://www.asahi.com/articles/ASK50759SK50UOOB012.html


長野県白馬村立白馬中学校で5月23日、男性教諭(60)が生徒に平手打ちなどの体罰を加え、説明を聞きに来た生徒の母親にもけがを負わせていたことが31日、村教育委員会への取材でわかった。(後略)

六十歳という年齢を「老人」といっていいものかどうか、ちょっと悩むところではありますが、ここまでいくと、もう精神的な病気のたぐいではないのだろうかと、考えてしまいます。暴力に自制のきかない人が教壇に立つことは、ほんとうに危険ですので、やめてほしいと思います。


■怒鳴る老人をどう考えればいいのか



怒鳴る人、キレる人が増えているという話もあるようなので、ちょっと検索を書けてみたら、こんな記事がありました。

キレる中高年、精神科医が指摘する哀しき理由
(週刊ダイヤモンド)
http://diamond.jp/articles/-/125629

「長年生きてきた中高年は、多くの不安を抱え続けています。頼るべき親もいない、先生もいない。そして、人は先が見えないと不安になりますが、実は先が完全に見えきってしまっても、同じくらい不安になるのです」
(医療法人社団榎本会榎本クリニック池袋の山下悠毅院長の言葉)

「人の心の中には“不安を溜めるバケツ”があり、私たちが日常の中で感じている様々な不安はそのバケツに溜まっていきます。そして、それがいっぱいになったところに別の不安が生じると、ついには不安がそのバケツから溢れ出し、それが「怒り」という二次感情となって出現するのです」(同前) 


「中高年の不安」というのは、おおかたは、解消の方法がありません。
年齢的、体力的、その他いろいろな面で、無理ができなくなっていますし、大きな希望も持ちにくくなります。

私にぶつかってきた自転車の老人男性も、自分の衰えや、「いつか本当に大きな事故を起こしてしまうかもしれない」という、無意識の不安を感じていて、それが被害者である私に対する怒りになったのかもしれません。

でも、先行きが不安だからといって、怒りにかられて誰かに当たっても、どうにもなりません。


いまの自分にできることをやって、気持ちを充足させる、これから行き着く先の暗がりではなくて、足元や回りに明かりをともして、不安に取り憑かれないようにする。


難しいですけれども、そんなふうに気をつけることができたら、あらゆる落ち度を他人のせいにして怒鳴りつけるような、暴走老人はならずにすみそうな気がします。








人間には、自分と違う存在をヘイトする本能みたいなものがあるのだろうか。あるのだろうな。






少し前になりますが、Twitterの記事を眺めていたら、"死ね殺せ"を乱発するタイプのヘイトスピーチが目に入りました。

その発言者の攻撃先は、ある種のマイノリティでした。
そのまま引用したくないので、趣旨を汲んで創作したものを例文としてあげてみます。


不気味深海生物ブロブフィッシュは生きていてはいけない生物だぴょーん。
あんなの生きててもしかたがないっぴょん
あいつらの保護なんてお金のむだぴょん 殺せぴょん
ブロブフィッシュを増やそうとするヤツごと皆殺しぴょん! 





【衝撃】世界で最も醜い生物ブロブフィッシュ
https://www.youtube.com/watch?v=8zm4G3BNYro




いや、ほんと、不思議な魚ですね。
醜い、というのとは違う気がします。ただただ、不思議。

人の顔のようになっているのは、もともとの姿ではなく、深海から水揚げされてしまったことで、体が変わってしまったからなのだとか。



実際にツイートされていた文章は、もちろん希少深海生物「ブロブフィッシュ」についてではなく、人間にむけて書かれていました。

どんな人たちがヘイトのターゲットにされていたかは書きません。書きたくありません。

ただ、私がわざわざこうして話題にしようとしていろところから、ご想像いただけるのではないかと思います。

ちなみに語尾は「ぴょん」などではありませんでした。くどいようですが、上の作文は私の創作です。でもまあ、内容はほぼこんな感じでした。(´・ω・`)

対人のヘイトスピーチということで、当然、Twitterのポリシーに反する発言ですから、発言削除やアカウント停止の対象となる可能性があります。

Twitterのポリシーを引用してみます。

https://support.twitter.com/articles/20175057?lang=ja

ヘイト行為に対するポリシー表現の自由は、人々が恐怖によって発言できないという状況では意味を成しません。Twitterは他者の発言を抑制する嫌がらせ、威圧、脅しを禁止しています。Twitter上で、これらのルールへの違反を見つけた方はご連絡ください。

本件に関するTwitterのポリシー
Twitterルールには以下の記載があります。 
 ヘイト行為: 人種、民族、出身地、性的指向、性別、性同一性、信仰している宗教、年齢、障碍、疾患を理由とした他者への暴力行為、直接的な攻撃、脅迫の助長を禁じます。また、以上のような属性を理由とした他者への攻撃を扇動することを主な目的として、アカウントを利用することも禁じます。 
Twitterでは下記の例をはじめとした、個人または特定の集団へのあらゆる嫌がらせを禁止しています。 
強烈な身体的脅威
個人または特定の集団の怪我、死亡、病気を望む発言
大量殺人、暴力事件、または特定の集団が標的または被害者となっている具体的な暴行をほのめかす発言
法的または社会的に守られるべき特定の集団に恐怖を感じさせるような行動
中傷、悪口、人種や性差別的発言など、他者の尊厳を低下させる内容を繰り返す行為や、それらによって相手の品位を損なうような投稿


当然ですが、めちゃめちゃ、マトモです。


「皆殺しぴょん」的なヘイト発言が、どうなるかなと思って見ていましたら、たまたま見かけたらしい複数の方々が、運営への通報を含む、抗議行動を集団的に起こしたようで、該当発言は削除されました。

削除は運営が行ったのか、書いたご本人が行ったのかは、分かりません。

そのご本人は、抗議行動に対して、

「なんか意味わかんないヘイトを受けたぴょーん」

と、強い怒りを表明していて、ご自身のヘイトスピーチについては、一切反省してませんでした。

残念なことですが、この「ぴょん」の人のように、全く悪びれずにヘイトスピーチを行う人は、あまり珍しくもありません。

そして、ヘイトスピーチを行う人のほとんどは、「ぴょん」の人と同様に、は殺戮が大好きな変質者というわけではないんだろうと思います。

ちなみに「ぴょん」の人は、自然や動物を愛好し、それに関した写真や話題をシェアしながら、趣味嗜好を同じくする仲間達と穏やかにコミュニケーションを取ることのできる、ごく「普通の人」のようでした。

そういう「普通の人」が、自分とは関わりのない、マイノリティである人々に向って、「殺せぴょーん」「皆殺しぴょーん」と、全世界に公開されているTwitterで、当然のことのように書いてしまうところに、気持ち悪さを感じるわけですが、考えてみたら、そういう具合に常識化した差別というものは、「ホロコースト」などの例を引くまでもなく、ずっと昔から、ごく当たり前にあったことなのでした。


集団にあって、排他に向かわせる感情、欲求というものは、動物のなかに本能レベルで存在している仕組みなんじゃないかと思います。なにしろ排他が全く存在しない文化というものを想像できません。文化という枠でくくれるものは、多かれ少なかれ、何かを排することでまとまりを持っているものでしょうから。

しかたがないのかもしれないけれど、本能を野放しにするのと同様、あまり行きすぎれば「殺せ」「死ね」となって危険になってしまうから、理性や教育でコントロールする必要がある……そういうことなのだろうと思います。


Twitterのポリシーは、そんな人間の本能レベルのところから生まれてくる様態に、打ち勝つことができるのかどうか。

なんだかもう、ヘイトスピーチを憎んでいるはずの人たちの言葉が、「差別はよくないから差別主義者を徹底排除しろ」みたいに、ヘイトをヘイトするヘイトスピーチになっちゃったりしているのを見るにつけ、これは簡単にはいかない問題だろうなあと、ため息が出ます。


どこかでみんなで、立ち止まって考えてみたらいいんじゃないかと思うんです。

あなたが「殺せ」と叫び、「皆殺し」にしたいほど、排除を願う、"その人たち"が、ほんとうに皆殺しになって、あなたの所属する集団のなかから消滅したとき、あなたは幸福になるのですか。


排他がもしも本能であるなら、一つの排除が完了したとき、その本能は、また別の排除を執り行おうとして、ターゲットを探すことになるでしょう。もともと人間は多様さを抱えた種族ですから、行きすぎた排他の行き着く先は、集団内純化などではなく、滅亡であることは間違いありません。それで、ほんとうにいいのかどうか。