2017年6月4日日曜日

日曜学校(二回目)…スッパで漁してたペテロさんは着衣泳でイエス様の元に……




ほげ子さんの学校の課題で、教会の日曜学校に通うことになりまりした。
今日は二回目。

賛美歌とお祈り、それから聖書についてのお話を聞きました。

今日のお話は、漁をしようとしていたペテロが、復活したイエスと再開したところについてでした。


以下、お話を聞いた上での、ほげ子さんの理解と、私の解釈を合体させたものを、まとめてメモしておきます。

(キリスト教について無知ですので、理解が盛大に間違っているところもあるかと思います)


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イエス様が磔になったとき、ペテロさんは、ニワトリが鳴く前に、

「イエスなんて人、俺は知らないから! ぜんっぜん知らないから! これっぽっちも知らないから!」

と言って逃走してしまいました。そのことを、ペデロさんは、ずっと、恥じて、悔いていました。

けれども嘆き暮らしていては、飢え死にしてしまいます。生きていくためには、働かなくてはなりません。

もともと漁師だったペテロさんは、魚を穫ろうと思い立ちました。

「俺は漁に出る。そのまま漁師に復帰するつもりだ」

裏切ってしまった自分には、イエス様の弟子を名乗る資格はないという気持ちもありました。

すると、他の弟子たちも「漁に連れてってくれ」といいます。

「なら、みんなで転職するか!」
「おう! ついていくぜ、兄貴!」

というわけで、もともとリーダー格だったペテロさんは、他の弟子たちを率いて、ガリラヤの湖に漕ぎ出しました。

ところが、みんなで一晩中がんばったのに、たったの一匹も釣れません。

明け方、働き疲れた弟子たちが、舟の上でぐったりしていると、岸辺のほうから、


「魚は釣れたかーい」


という声が聞こえました。

岸辺からは百メートル近く離れていましたが、その声は、弟子たちの耳に、凜々と響いてきます。

どこかで聞いたことのあるような、でも聞いた覚えのないような、不思議な声でした。


ペテロさんが、声に向って、「ぜんっぜん釣れねーよ!」と返事をすると、岸辺の声が、こう言いました。

「舟の右に網を打ってごらーん。何か獲れると思うよー」

ほんとかい、と思いつつも、ペテロさんたちが言う通りにしてみると、舟に引き上げられないほどの魚が、わさわさと網にかかっています。

ペテロさんは思いました。
なんだか昔、これとおんなじようなことがなかったかな、と。

一晩中、漁をしても魚が獲れなかったのに、ある人の言葉通りに網を下ろしたら、とんでもない大猟だったということが。

でも、もしもそうだとしたら、どうすればいいのか。
いまさら自分に、"あのかた"に会わせる顔があるのだろうか。

ペテロさんは岸辺の人物が誰であるかということを、心の中ではっきりさせる勇気をもてないまま、魚のぎっしり詰まった網を悶々とひっぱっていました。

すると、一緒に舟に乗っていた弟子の一人が放った一言が、ペテロさんを一気に追い詰め、心の逃げ場を塞ぎます。

「ねえ……あの岸辺の人って、イエス様じゃない?」

その弟子は、メンバーのなかでは一番若くて、そしてイエス様にとても愛されていたということを公言してはばからないほど、イエス様に傾倒しきっていた子でした。よく言えば純粋無垢で一途なのですが、一途なあまり他人の抱える懊悩など知ったこっちゃない、という、強烈に無神経な一面もありました。

イエス様にとても愛されていた弟子(自称)は、さらにペテロさんに追い打ちをかけます。

「だってほら、こんな遠くまで届くあの凜々としたお声、生きてたころのイエス様そのものでしょ? それに、前にもイエス様、ペテロさんに魚いっぱい穫らせてくださってたじゃない。絶対間違いないって!」

「いや、でも、いくら復活したからって、こんなに都合よくホイホイ現れてくださるものかな……」

「やだなあペテロさん、イエス様のこと『知らない』って連呼しちゃったからって、そんなに気後れしなくっても、いいのにー」


ペテロさんの心の傷口にどっさり塩を塗りつけたことに気づかないまま、イエス様にとても愛されていた弟子(自称)はニコニコ笑って、岸辺の人影に向って「イエス様~」と呼びかけています。人影も、それに答えて手を振る様子が見えます。

こうなったら、恥も後悔も面目なさもかなぐり捨てて、イエス様のもとに向かい、許しを請うしかありません。

けれども舟は、網いっぱいの魚を引きずっていますから、すばやく漕ぐことができません。

魚を捨ててしまえば、全員で舟を漕いでイエス様のもとに向かうことができますが、それでは今日食べるものがなくなります。みんな一晩中働いて、クタクタで、とてもお腹が空いていました。漁師チームのリーダーとして、ペテロさんは、食べ物を捨てろと指示することは、どうしてもできませんでした。


考えた末、ペテロさんは、他の弟子たちに向って、こう言いました。

「あのな……俺一人で先に泳いで岸に帰って構わないか? うかうかしてると、イエス様、またどっか行っちゃうかもしれないから。すまんが、みんなは舟で魚を運んでもらいたい」

そう言われた他の弟子たちは、内心、いろいろと思うところはあったかもしれません。少しでも早くイエス様に会いたいと思う気持ちは、みんな同じでしたから。

けれども、ペテロさんの言葉に反対する弟子はいませんでした。
なぜかというと、岸まで泳ぐ体力が残っているのは、ペテロさん一人だけだったからです。

腕のいい漁師だったペテロさんは、スタミナ抜群、身体能力バッチリで、かなりのマッチョボディの持ち主でもありました。徹夜明けででも、山ほどの魚を引きずった舟なんかより、遙かに早く泳ぐ事ができるのです。

ほかの弟子達は、疲労困憊、空きっ腹のヘロヘロで、立っているのもやっとの状態です。

「うん、いいよ、先に行ってイエス様つかまえといて! ボクたちは後から行くから!」

イエス様にとても愛されていた弟子(自称)が、きっぱりと、そう言ったので、なし崩し的に他の弟子たちも頷く流れになりました。

そんなわけで、ペテロさん一人で泳ぎ渡ることになったものの、ペテロさんの心は、まだ忸怩たる思いに囚われていました。

なんか俺、またしても、保身を選んじゃったんじゃなかろうかと。
仲間のために魚は確保しなくちゃなんて、ほんとはただの言い訳で、やっぱり許してもらえる自信がないし、許してもらえないところを他の弟子たちに見られたくないから、一人だけ先に行こうなんて思ったんじゃないのかなと。

マッチョな見た目のわりに、思い切りのよくないペテロさんが、そんなことをぐるぐると思い煩っていると、体がどんどん冷えてきました。

ここは少し体を温めてから行くべきかと、脱ぎ捨ててあった上着を拾って羽織ったところで、イエス様にとても愛されていた弟子(自称)が言いました。

「うん、やっぱり素っ裸でイエス様に会うのはまずいよね。さすがペテロさん。じゃ、行ってらっしゃーい」

どーん、と背中を突かれて、ペテロさんは上着を着たまま湖面にざぶーんと落下しました。

もはや観念して、岸辺まで泳ぐしかありません。

思いがけず着衣泳になったせいで、だいぶスピードが削がれたものの、舟よりはだいぶ速く、ペテロさんは岸辺に着きました。


(以下略)

(参考資料 ヨハネによる福音書、)





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おかーさん「着衣泳、大変だったろうね」
ほげ子さん「やっぱり、スッパじゃいかんと思う」
おかーさん「いや、スッパってあんたね」
ほげ子さん「だってペテロはスッパで漁してたんでしょ」
おかーさん「そうだけど、でもスッパはどうなのよスッパは……」




スッパ
全裸の別の言い方。 (ピクシブ百科事典より)



復活したイエス・キリストと弟子ペテロとの荘厳な再会のシーン、台無しのワードチョイスでした( ̄。 ̄;)。



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