お題「シャチ」
ときどき、知らない老人男性に怒鳴られることがあります。
二年に三回とか、そのくらいですから、頻度としては、それほど多くはありませんが、極めて不愉快なので、ちかごろでは、機嫌の悪そうな顔をした老人男性には、用心して近づかないようにしています。
私のほうに落ち度らしきものがあって怒鳴られたということは、あまりありません。
だいたい一方的な、理不尽な罵倒です。怒鳴られやすいタイプなのかもしれません。
ずいぶん前になりますが、信号待ちで立っていたとき、後ろから自転車で走ってきた老人男性が、軽くぶつかってきたことがありました。
驚いて振り返ると、その老人男性は、いきなり私を怒鳴りつけました。
「だから危ないって言ったんだ! 気をつけろ!」
だからもなにも、事前に「危ない」なんて言われていませんし、気をつけようもありません。
腹は立ちましたけど、こういう人に物を言ってもしかたがないと思い、そのまま黙って去りました。
このときの老人男性の怒鳴り声には、怒りだけでなく、何か切羽詰まった感情が凝縮されていたように思います。
「俺は悪くない! 悪いのは俺の失敗じゃない、全部お前たちの責任だ!」
そう、世の中全体に訴えたかったのかもしれません。
もちろん、私の知ったことじゃないのですが、うっすらとした病理を感じて、このときは後々まで気持ちが暗くなつたことを覚えています。
■怒鳴る中学教諭(60)
どうやら、老人男性に怒鳴られている主婦は、私だけではないようです。
生徒に体罰、事情説明中の母にもけがさせる 長野の教諭
http://www.asahi.com/articles/ASK50759SK50UOOB012.html
長野県白馬村立白馬中学校で5月23日、男性教諭(60)が生徒に平手打ちなどの体罰を加え、説明を聞きに来た生徒の母親にもけがを負わせていたことが31日、村教育委員会への取材でわかった。(後略)
六十歳という年齢を「老人」といっていいものかどうか、ちょっと悩むところではありますが、ここまでいくと、もう精神的な病気のたぐいではないのだろうかと、考えてしまいます。暴力に自制のきかない人が教壇に立つことは、ほんとうに危険ですので、やめてほしいと思います。
■怒鳴る老人をどう考えればいいのか
怒鳴る人、キレる人が増えているという話もあるようなので、ちょっと検索を書けてみたら、こんな記事がありました。
キレる中高年、精神科医が指摘する哀しき理由
(週刊ダイヤモンド)
http://diamond.jp/articles/-/125629
「長年生きてきた中高年は、多くの不安を抱え続けています。頼るべき親もいない、先生もいない。そして、人は先が見えないと不安になりますが、実は先が完全に見えきってしまっても、同じくらい不安になるのです」
(医療法人社団榎本会榎本クリニック池袋の山下悠毅院長の言葉)
「人の心の中には“不安を溜めるバケツ”があり、私たちが日常の中で感じている様々な不安はそのバケツに溜まっていきます。そして、それがいっぱいになったところに別の不安が生じると、ついには不安がそのバケツから溢れ出し、それが「怒り」という二次感情となって出現するのです」(同前)
「中高年の不安」というのは、おおかたは、解消の方法がありません。
年齢的、体力的、その他いろいろな面で、無理ができなくなっていますし、大きな希望も持ちにくくなります。
私にぶつかってきた自転車の老人男性も、自分の衰えや、「いつか本当に大きな事故を起こしてしまうかもしれない」という、無意識の不安を感じていて、それが被害者である私に対する怒りになったのかもしれません。
でも、先行きが不安だからといって、怒りにかられて誰かに当たっても、どうにもなりません。
いまの自分にできることをやって、気持ちを充足させる、これから行き着く先の暗がりではなくて、足元や回りに明かりをともして、不安に取り憑かれないようにする。
難しいですけれども、そんなふうに気をつけることができたら、あらゆる落ち度を他人のせいにして怒鳴りつけるような、暴走老人はならずにすみそうな気がします。