今朝、Twitterを眺めていましたら、障害のある方々が、あたたかい笑顔に囲まれて、文字の書かれたボードを持っている写真を見かけました。
事件で亡くなった方々を追悼し、障害のある方々と同じ社会でともに生きることを支持するための、キャンペーンだそうです。
http://friends4disability.org/objective/
私も、あだきち君のMiiと一緒に、参加しました。
#friends4disability
あの事件以来、世の中に対する漠然とした恐怖感、不信感が、自分のなかで増してきているのを、日々感じています。
障害者に対する否定的な書き込みをネットで見ることは、もうすっかり慣れているはずなのに、目に入っただけで、身体の具合が悪くなるようなありさまです。
障害のある人も、社会に参加し、家族や仲間に囲まれて、意義ある人生を送っています。
その当たり前のことが、障害に関したネガティブな側面ばかり強調した発言で覆い被され、さらにネットなどでそれらを目にした、あまり実情を知らない人々の批判によって、日々否定されつづけています。さらに、自分と違う、異質なものに対する嫌悪、差別、ヘイト、他者の落ち度への容赦ない突き上げや批判が、社会的な抑圧からのストレスを払拭する娯楽のように行われる世の中……
相模原の事件は、そのような世の中の流れの末に起きてしまったことのようにも思えます。
その暗い流れに対して、当事者として、少しでも何かしなくてはという思いが、日々ふくらんできています。このまま、生きることすら否定されていく風潮に、抗わずにいれば、いずれ、誰もが希望の持てない社会になってしまうかもしれないという、強い危惧があります。
誰しも老いて、病んで,やがて命を終えるのに、その行く末を丸ごと否定し、侮辱するありかたには、はっきりとNOと言わなくてはならない。そう思っています。