2016年8月13日土曜日

差別や偏見と文字数で戦おうと思ってみた



大事なモノを入れているお財布と、ほげ子さんが描いた絵





ここのところずっと、体調を崩していました。

連日の頭痛、胃痛、抑鬱感、しまいには強い吐き気と、微熱。


水曜日あたりには完全におかしなくり、翌日はほとんど寝たきり。


お友だちに「よくない報道で、気持ちが負のスパイラルに陥っている」というふうに言ってもらい、そうかもしれないと気づきました。



相模原の事件について、報道を見続け、考えつづけていたことが、自分で思っているよりもずっと、ひどいストレスになっていたようです。


ニュースを見るのをやめて、本を読んだり、お笑いの動画を見たりしているうちに、少しづつ回復してきました。


昨日には在宅の仕事も再開。
ゆっくりですが、一日が終わるまでには普段通りの仕事量をこなせましたので、まあまあ復活したかなと思っています。


気持ちの問題は、ないがしろにしてはいけないことだと、痛感します。

よくないもの、恐ろしいもの、希望を打ち消させるようなものばかり見ていると、暮らしていくのに必要なエネルギーを生み出す力が、根っこのほうから損なわれていくように思います。



世の中が、どうにも荒んでいて、ニュースやTwitterなどを見ていると、どんどん元気がなくなっていく気がします。


うちの子供たち……あだきち君や、あねぞうさん、ほげ子さんのような人たちが、希望を持って暮らしていけるような世の中を願うことは、無理なのか……そう思ってしまうと、ほんとうに力がなくなります。


今日もたくさんの障害者差別、蔑視の発言、偏見を生み出すような意見が、ネット上に書き込まれ、拡散されています。


書いたり拡散したりしている方々は、なんの痛みもなく、ごく気軽な気持ちで、あるいは正義を行う心地よさすら感じながら、そうしているのかもしれません。


抗議のようなことをしても、そうした発言が消えることは、まずありません。
書いた人が反省したり、心を変えたりすることも、ほぼないと思います。悪いことだとも、思っていないことでしょう。


結局、見ないようにするしかないわけですが、そういうものを「見たい」と思う人が、検索でそうした発言を収集し、あの犯人のような信条に至るとしたら……


どうしようもないと思うのは癪なので、そういう発言を1つみたら、その十倍量、ポジティブな発言を書こうと、ほとんど自爆のようなことを思いました。


マイノリティが数で勝負しようというのですから、絶望的ですらあります。でも、何かせずにはいられない。できれば戦うようなことはしたくないし、誰のことも傷つけたくない。それなら、そういう方法しかないのではないかと、思いついたのです。


まあ、タイピングの量とスピードには、いささかの自信がありますので、健康維持に努めつつ、書き物をがんばろうと思います。