2017年2月26日日曜日

日曜日は休養日なので無理しない

こんばんワニ、というものを知識なしに描いた


最近、更年期障害らしき症状がひどくて、大人しくしています。

とにかく疲れやすいのと、関節があちこち痛いのと、めまいと、目のかすみと、ホットフラッシュと、やたら喉が渇くのと、その他いろいろ。

一昨日、婦人科にいって、血液検査受けてきました。結果は今週末。

うちの子どもたち三人を産んだときに、お世話になった主治医に、10年ぶりくらいでお目にかかったのですが、すっかり白髪になっておられて、驚きました。

問診票の内容を確認した主治医には、「更年期より内臓の問題じゃないか?」と言われました。一応昨年、健康診断やらなにやら受けて、内臓方面は問題なかったので、消去法的に更年期障害だろうと思っていたのですが……もう持病はお腹いっぱいなので、ここへきて、新しい病気とか見つからないといいなあと思います。(´;ω;`)

そんなこんなで、運転したくない体調が続いているので、あだきち君の施設への送迎も、やめたほうがいいと判断。送迎サービスを利用することにしました。無理して事故など起こしたら、何にもなりません。





2017年2月13日月曜日

まめピカを自作したいと思いついた





このところ、あだきちくんが、トイレをかなり汚します。

どうも、用を足している最中に気が散るらしく、狙いがはずれてしまうようです。

失敗率が高いのは、早朝、家族がまだ寝ている時間帯。

あだきちくんは、朝五時前には起きて、トイレをするのですが、あたりが静かだと、どうも落ち着かないらしくて、的を大幅にハズしています。


その結果、次にトイレを使う人(たいてい、おかーさん。つまり、私)が、朝っぱらからトイレの床と便座を、拭き上げなくてはならなくなります。

この、毎朝のトイレ掃除に、まめピカが大活躍してくれます。


Amazonで売ってるまめピカの詰め替え


 

シューッとしてからトイレットペーパーで拭き取るだけで、爽やかな青リンゴの香りで、すっと尿臭を消してくれるので、朝の慌ただしい時のトイレ掃除には、とっても便利。

この詰め替え、Amazonパントリーで買うと、¥ 182。
楽天で激安のお店を探すと、もっと安価になります。

というわけで、そんなに高くはないんですけど、なにしろ使用頻度が絶大なので、あだきちくんのトイレの失敗が続くと、バカにならない金額を、まめピカに費やすことに……(´;ω;`)。


というわけで、前々から、まめピカ的な洗浄剤を、安価に作る方法はないかと、思い巡らしていたのです。


まめピカの主な原材料として、次の二つがボトルに表記されてます。

界面活性剤(2% アルキルベタイン)、溶剤(エチルアルコール) 

メーカーのホームページには、もう少し詳しい成分が出ています。


バランス剤 水
溶剤 エチルアルコール
界面活性剤 アルキルベタイン
pH調整剤 水酸化カリウム
金属封鎖剤 エチレンジアミン四酢酸塩
pH調整剤 クエン酸
香料    香料


うーむ。。。

これ全部入れないと、まめピカ効果はないのかな……
いくつか省略したら、ダメなのかな……


と思っていたら、やはり私と同じように、まめピカの自作を思い立った方が、ブログを書いておられました。

なんちゃって豆ピカを作る  
ブログ名「働く女のコンパクトライフ」(simplelify様)

消毒用エタノール10mlに、水160ml、そして界面活性剤として、穏やかな洗剤20mlを加え、よく混ぜるだけで、できあがるとのこと。


か、かんたんすぎる。。。Σ(゚д゚lll)ガーン


しかも、まめピカ一本分つくるのに、消毒用エタノールが、たったの10mlだけでいいというのは、なんという(お財布的に)ステキレシピでしょうか!

これはもう、作るしかありません。

というわけで、ちょっと消毒用エタノールを、買ってきます。


余暇活動と発達性協調運動障害の問題


あねぞうさん作 うちの三きょうだい


フラフープ、以前、我が家にもありました。


あれ、案外難しいんですよね。


あだきちくんは、とうとう出来ないままだったと思います。


縄跳びも苦手でした。
体全体を連動させることが、あだきちくんは、とても苦手です。

けれども、体を動かすことが嫌いかというと、そういうわけではありません。

ブランコが大好きで、介護施設のお散歩でも、福祉サービスでのお出かけでも、よく公園のブランコにつれていって貰っています。

ブランコは、幼児期に、自宅の居間に、ぶら下がり健康器を改造した手製のものをこしらえて、それが壊れてしまうまで、猛烈に乗りました。


歩くことも、嫌いではありません。
お散歩、買い物は、大きな楽しみの一つです。買い物のときには、重い荷物を背負って、良く歩いてくれます。

バランス感覚も、決して悪くありません。
ころぶことは、まずありません。平均台的なものの上を歩くことも、得意です。


でも、フラフープや縄跳びは、どうしても習得できませんでした。
そういえば、自転車漕ぎも、かなり苦手です。
あ、キャッチボールも、相当困難です。

道具を使うというところに、困難があるのかもしれません。


あだきちくんの生活に、フラフープや縄跳び、自転車がからんでくることは、もうほとんどありませんので、がんばって習得する必要は、とくにありません。

人間誰しも苦手なことはありますし、気にしなくてもいいのですけれども・・・まあ、ちょっと気になることではあります。


ためしに、「自閉症,縄跳び」で検索をかけてみると、かなりの数、ヒットしますね。

おそらく同種の問題を抱えている発達障害の子が、たくさんいるのでしょう。

こうした問題は、いまは、「発達性協調運動障害」という言葉でまとめられているようですね。

Wikiにも、記事がありました。


協調運動とは、諸種の別々の動作を1つにまとめる運動を言う。たとえば、縄跳びは手で縄を回しながら、タイミング良く飛ぶという協調運動であり、かなり高度な協調運動である。ラジオ体操も、手と足、右手と左手等の動きが別々のものを統一して行うので協調運動の一種と言える。他にも、ボールが片手で投げられないとか、ドリブル(まりつき)ができない、自転車に乗れない等の困難を示すことがある。また、楽器の演奏や図工での道具を使うこともこの範疇である。 (wikiから引用)

そうそう、体操も、楽器演奏も、図工の作業も、あだきちくんには、困難です。

ボタンかけは、学校や療育教室で、丁寧に長い時間をかけて教えていただき、なんとかできるようになりましたが、いまでも、ズボンの前ボタンは、得意ではありません。


でも、器用さを求められるような行動が全部苦手かというと、そんなことはないのです。

ビーズ通し
小さなブロックを組み合わせて形を作る作業
積み木を、寸分のズレなく精密に積み上げる作業
マインクラフトで、画面を操作して、巨大な建造物を積み上げる作業
テレビゲームで飛行機を操縦する作業

これらは、あだきちくんにとって、得意中の得意です。

こうした作業は、たぶん、全身の動きを協調させる必要が少ないから、できるのでしょうね。


今後のあだきちくんの生活、とくに余暇の問題を考える上で、このことは、参考になります。


集団でのリクレーション活動の大半が、スポーツや体操、カルタ取りなど、全身の協調運動を要求するものであるため、参加できないことが多いのです。

しゃかりきになって克服する必要はないとしても、少しづつ、出来ることを増やしていけたなら、共同生活での楽しさが、増えるだろうなとは思います。

あだきちくん自身が楽しめる趣味は、協調運動の性質が強くないものを選んで、勧めていったほうが、楽しめそうです。





だっきたんぐるの、登場人物一覧

あねぞうさん……長女。20歳。あだきち君の通う介護施設でパートをしています。
あだきち君……息子。19歳。自閉傾向のある重度の広汎性発達障害。会話は困難。でも勉強大好き、新しいもの大好き。
ほげ子さん……末っ子。12歳。もうすぐ中学生。
おとーさん……お仕事の繁忙期。採点地獄。
おかーさん……ここのブログを書いてるひと。睡眠時間は五時間弱。更年期障害のピークでヨレヨレ。





2017年1月31日火曜日

あだきち君と選挙(重い知的障害のある家族が選挙に行くということ)



あだきち君は19歳なので、選挙権があります。


これまであった選挙では、必ず投票してきました。これからも、可能な限り、家族と一緒に投票してもらうつもりです。


どの候補者に投票するかは、あだきち君に、おまかせです。
親が指示することは、していません。

ですので、ある意味、あだきち君自身の「直感」で、選んでもらっていることになります。


「選挙」の意味は、おそらくわかっていないだろうと思います。

ちゃんと候補者の名前を書くこともあれば、関係のない名前を書いてしまうこともあります。


(__).。oO


あだきち君が、このような形で投票に参加することに、意味があるかどうかは、私にはわかりません。


でも、投票のお知らせが届いて、投票の権利をもらっているのだから、「投票していい」ことは、間違い有りません。



選挙には、これからも可能な限り、一緒に参加するつもりです。


もしも、そのことに異議をとなえる声があるなら、逆に問うてみたいです。



「なぜ、重度の知的障害者が、選挙に参加してはいけないんですか?」 と。




知的障害が「ない」はずの人々が選んだ候補者が、本当に望ましい、選ばれるべき人であるかどうかなんて、わからないじゃないですか。 (´・ω・`)




(__).。oO



あだきち君は、単語を覚えて書くことができますし、見て書き写すこともできますから、「この人に投票してね」とお願いすることは、可能です。


でも、我が家では、それは極力やらないだろうと思います。


ただ、どーーーーーしても、この人にだけは、入れてほしくないという候補者さんがいるときには、わかりません。

たとえば、


「知的障害者に人格あるのかね?」
「安楽死も視野にいれては」
「税金の無駄でしょう」


みたいなことを公言して、なんとも思わないような人が候補者の中に入っていたら、考えるだろうと思います。



そんな人が政治家を志そうと思わないことを、心から願います。















読書メモ・サックス博士の本


ひさびさに、サックス博士の本を開いています。





いまはKindle版も出ているようですが、手元にあるのはサックス・コレクションのハードカバー版です。付箋がいっぱいはさんであります。

「本を書くとき一番最後にきめることは、最初に何を書くかである」とパスカルは言った。私は如何に見られるような奇妙な話をいつくも書いて、整理して、順にならべおえた。表題もきめたし、エピグラフも二つ選んだ。いまやなすべきことは、いったい私は何をしたのか、そしてなぜしたのかということを、とくと考えてみることである。 
 二つのエピグラフ、それも全く対照的なエピグラフは、私の中にある二面性に通じるものがある。アイヴィ・マッケンジーのことばのなかでは、医者と自然科学者は対照的なものとされているが、私は、自分が自然科学者と医者との両方であると感じている。病気と人々との両方に、同じように関心を持っている。また、適当でない言い方かもしれないが、私は理論をあつかう人間であり劇作家でもある、と思っている。科学にもロマンチックなものにも同じように引かれており、その両者を、人間をとりまく条件のなかに、とりわけ病気(シックネス)のなかに、たえず見てきている。(病気こそは、人間の条件のうちの最たるものと言えるだろう。なぜならば、動物でも疾病(デイジーズ)にはかかるけれど、病気(シックネス)におちいるのは人間だけなのだから)、

オリバー・サックス「妻と帽子をまちがえた男」11頁


サックス博士が選んだエピグラフは、次の二つです。


病気について語ること、それは『千夜一夜物語』のようなものだ。
 ウィリアム・オスラー

自然科学者とちがって医者が問題にするのは、一個の生命体、すなわち逆境のなかで自己のアイデンティティを守り抜こうとする個人としての人間である。
  アイヴィ・マッケンジー



最初に読んだのは、十五年ほど前になります。育児の最中によく読めたと思うぐらい、自閉症や発達障害に関する書籍を集めて読みました。その大半は処分しましたが、サックス博士の本は、いまも残してあります。

あだきち君の療育に役立てようとして買った本や、脳の問題や障害についての知識を得ようとして取り寄せた本は、時がたつにつれて必要度が下がりましたが、サックス博士の文章には、生きている限り鮮度の落ちることのない魅力があります。

「病気こそは、人間の条件のうちの最たるもの」と言い切る博士が見て描く「人間」は、まさに病気とともにあります。病気や障害が、治るか治らないか、回復するのかしないのか、どうすればいいのかといったことに翻弄されていては分からなくなってしまうことがあるのを、教えてくれる本だと思います。





2017年1月28日土曜日

松葉杖の人・相模原のこと・あだきち君




家の前を横切っていった人(あねぞうさん画)



上の絵は、現実にあねぞうさんが目撃した人を描いてみたとのこと。


羽織ったコートの袖口だか裾だかから、武器のようなものがチラリと見えていたそうですが・・・



松葉杖じゃないですかね。(´・ω・`)


 引用元 Amazon




確かに、先の方だけ見ると、ちょっと戦闘用の装備品のようなイメージが、なくもないですね。





(__).。oO


NHKのホームページに、相模原やまゆり園の事件についての記事が掲載されていると、Twitterで知りました。




 

19のいのち 障害者殺傷事件




亡くなってしまった方々を、やさしいイラストと、世話をされていた職員さんたちの言葉で、伝えています。



見ていて・・・


なんともいえない、やりきれない思いに駆られました。



亡くなってからではなく、もっとずっと前から、こういう暮らし、こういう人生、こういう共生、支え合いが、社会の中に存在していること、それか、たしかに価値あるものであることを、真摯に伝える努力があれば、あのような犯行と、それに共感を寄せるような多くの言葉は、生まれずに済んだのではないかと思えたからです。





大きな力を持つマスコミの方々は、こうしたネガティブで凄惨な事件がないと、なかなかこんな記事を作ってくれません。



そう思うと、こんな小さなブログで、あだきち君の日常を書き続けることにも、意味があるのではないかと思えてきます。

あだきち君のように、自分では気持ちを外に発しにくい障害をもった人たちが、穏やかに暮らしていける世の中であることを願って、これからも書きつづけようと思います。






(__).。oO


あだきち君は、世話をしてくれる方々や、学校の先生がたに、ずっと「やさしい子」だと、言われつづけています。


やさしい人だと、家族の私も思います。


争いごとが嫌いで、学校時代には、クラスで先生に𠮟られている子がいると、間に割って入って、


「ごめんなさい!」


と謝っていたそうです。


家族が厳しい口調で会話しているだけで、もしかしたら喧嘩かもしれないと、不安になってしまうのか、


「おやすみ! おしまい!」


と言います。それで、あだきち君のいるところでは、穏やかに会話するようになりました。


私が体調を崩して寝込んでいたりすると、そばにずっといてくれたりします。特に何かしてくれるわけでなくても、しずかに、寄り添ってくれるあだきち君の様子に、心があたたかくなります。



あだきち君のおかげで、助かったことや、気づかされたこと、救われたことも、出会ったことも、たくさんあります。


あだきち君は、なくてはならない、かけがえのない人です。



誰かにとって、かけがえのない人であることは、その誰かを幸せにする存在だということでもあります。


うちの家族は、あだきち君といっしょにいることで、元気に暮らしています。

私たちが社会に貢献できる存在であるとするなら、それは、あだきち君の存在があるからこそだと言えます。


おとーさんは毎日がんばって働いていますし、あねぞうさんや、ほげ子さんも、これから世の中に出て、活躍していくことでしょう。





誰かの存在を、無駄だ、生きている意味がないと決めてしまう方に、聞いてみたいです。


あなたの存在は、あなた以外の誰を支え、誰を生かしていますか?





















2017年1月26日木曜日

あだきち君と色彩の理解




平日の朝は、だいたいこんな感じです。



午前五時  あだきち君起床。居間テレビをつけて、カーテンをあけて、活動開始。


午前五時過ぎ  あだきち君の気配で、おかーさん起床。


午前七時 家中の目覚まし時計や端末がモーニングコール開始。おとーさん、あねぞうさん起床。


  ・洗濯物干し
  ・ゴミだし
  ・ほげ子さんをたたき起こす。
  ・朝ご飯


午前七時五十分  ほげ子さん登校。

  ・あだきち君、朝の勉強、日記記入
  ・おかーさん、在宅仕事をちょっとやったり、ブログ書いたり
  ・あねぞうさん、絵を描いたりネットを見たり
  ・おとーさん、書斎で仕事

午前九時過ぎ  あだきち君とおかーさん、介護施設にGO!





というわけで、いろいろ片付いたところでパソコン前に移動したのですが、食卓に、飲みかけのコーヒーを置き忘れてきてしまったので、あだきち君に持ってきてもらおうと、声をかけました。


「コーヒー、こっちに持ってきて~」


ところが、あだきち君は、コーヒーの入っていないカップを持ってこようとします。


「あ、それじゃなくて、茶色いコップ。コーヒーが入ってるやつ」


あだきち君、考え込んでから、カラのペットボトルを持ってこようとしました。


「んー、ちがう。コップ。茶色いの。茶色」


あだきち君のすぐそばに、コーヒーの入った茶色いマグカップがあるのですが、あだきち君の視線は、そこを完全にスルーしています。


あだきち君、どうも、茶色と言われても、ピンとこない様子。

色の名前は、学校でも療育でも、いろいろな方法で学習してきていますので、だいたい知っているはずなのですが、私のマグカップは、黒に近いこげ茶なので、もしかたら茶色と思わないのかもしれません。





おかーさんの茶色いカップ(あねぞうさん画)




そこで、

「黒いカップだよ。そこにあるでしょ」


と言ってみたのですが、今度は、食卓であねぞうさんが使っていた、iPadを取り上げて持ってこようとしました。


あだきち君は、iPadのことを「くろ」といいます。電源が落ちているときの画面の色が、黒だから、そうなってしまったようでした。



「いやいや、それコップじゃないよ。コップを持ってきて」



と言うと、また別のコップに手をかけています。


言葉の指示では、どうしても、「おかーさんの茶色いコップ」は、あだきち君の意識に入らないようでしたので、近くにいたあねぞうさんに、指差ししてもらい、やっと気づいてもらえました。




考えてみると、生活の場にある「茶色」って、すごく幅が広いんですよね。


床も茶色、おとーさんのカバンも茶色、コーヒーも、紅茶も茶色。

でも、並べてみたら、ぜんぜん別の色といっていいくらい、ちがっています。


あだきち君は、茶色の把握に関して、混乱しているのかもしれません。


ちょっと教え方を考えてみようと思います。