2002年6月20日木曜日
【過去日記】問題行動・神経伝達物質
※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)
二年半前、二歳だった息子が自閉症かもしれないと気づいたときから、ずっと、こういう日記をつけている。パソコンの不調で飛んでしまったデータもあるけれど、一度書いたことは忘れにくいもののようで、なんとかこれまでの経過を頭に残すことは出来ている。
息子の成長の過程は、他の子供たちとはずいぶん違っている。
大雑把に言うと、「遅い」ということになるのだろうが、同じ道筋をゆっくり進んでいるというよりも、全く別の、迂回路やら裏道やら、異次元空間の道やらを、気ままに歩いているという感じがする。
それでも、息子は、たしかに「成長」している、と感じる。
部分的に見ると後退することも多いけれど、息子なりの、オリジナルな成熟の方向に向かっていることは確かだと思う。
息子は、どんな大人になるのか。
それはまだ、私にもわからない。
昨年の息子にはできなくて、今年の息子に出来ることは、けっこうある。
・手をつないで、安全に道をあるけるようになった。
(昨年はいやがって、大変だった)
・慣れない場所でパニックを起こしても、十分ほどで収まるようになった。
・スーパーマーケットのBGMに、耐性が出来た。
・「待ってて」というと、しばらくの間、じっと立って待っていることができるようになった。
・スプーンやコップを使って、一人で飲んだり食べたり、できるようになった。
・着替えが、ほとんど一人でできるようになった。
(昨年までは、完全に着せ替え人形状態だった)
・靴を自分で脱ぎ履きするようになった。
・おまるに座ってうんちができるようになった。
・動くものを、目でよく追えるようになった。
・手をつかって物をいじる頻度が増えた。
(昨年までは、手より足のほうが器用だった)
・人見知りをするようになった。
・型はめハズルが得意になった。
・ゆっくりなら、ひも通しも、なんとか出来るようになった。
・ままごと遊びらしきことを、するようになった。
・絵本を読むようになった。
・見たいビデオを自分で棚から選んで、親のところに持ってくるようになった。
・ほんのちょっとだけ、言葉が増えた。
・「おいで」「おふろだよ」「ごはんだよ」などの呼びかけに、正しく反応する。
こうやって並べてみると、一年の進歩というのは、けっこうすごいものがある。息子、よくがんばっていると思う。
しかし、問題もいろいろ残っている。
・ルールを学んで(推論して)、他の子供たちとの遊びに参加することが出来ない。
・言葉によるコミュニケーションがとにかく乏しい。
・発音に、かなりの難あり。
・遊びのバリエーションが増えない。積み木を一定の形に並べるだけ。とにかく何でも、ただ並べるだけ。
・模倣、ものまねができない。
・おしっこのタイミングが分からず、オムツが取れない。
・ウルトラ偏食男。
(ごはんダメ。生野菜ダメ。大抵のおかずダメ。魚ダメ。外食ダメ。お茶ダメ)
・耳が敏感すぎるため、耳掃除がほとんど出来ない。ムリにやると、吐く。
・人と物を分かちあって使うことができない。取られると我慢できず、パニクる。
・奇声を発する。
・見知らぬ建物に入るとき、とりあえず、パニクる。
・危険や不潔を察知する能力に乏しい。
・齧る。叩く。
・放っておくと常同行動のモードに入る。
・放っておくと、いつも寝転んで、ダラダラしている。
・放っておくと、家中を真っ暗にして、暗がりのなかで遊んでいる。
・砂を食べる。
まあ、いろいろとある。
しかし、昨年までは、上に書いた「出来るようになったこと」の項目も、全部「できない」項目だったのだから、やはりこれはすごい進歩だと言える。
こうしていろいろ書いていると、自閉症といわれる障害の本体というものは、一体何であるのかという疑問が、ふつふつと湧き上がってくる。
脳の異常であるというのは、たしかにその通りだろう。けれども、これほど多彩な問題が表面に現れてくる以上、脳内の問題も単一なものではありえないはずである。
病院などで診断を受けると、「自閉症は生涯治らない」ということを、必ず言われる。
しかし、現実に、目に見えて改善されている部分がたくさんあるわけだし、自閉症の三大特徴といわれる、「言語遅滞」「こだわり」「コミュニケーション障害」についても、徐々にではあれ、成長、成熟の兆しを見せている。このまま成長していけば、「普通の、無難な大人」になることは出来ないとしても、社会のなかで自立することが可能なだけのスキルを身につけることは、できるのではないかと思わずにはいられない。
実際に、職業的自立を果たし、問題を抱えながらも、介護を受けずに、自力で人生を切り開くことのできる自閉の人は存在する。
仮に、自立できるような自閉の人を「軽度」であるとするならば、障害のどの部分が軽かったということになるのだろう。「重度」の人は、脳のどこが、「軽度」の人よりも悪いというのだろう。そのことについて、きちんと医学的に説明できる人はいるのだろうか。
どうも私には、「重度」「軽度」という判定が、障害の本体である脳の異常の度合いを踏まえたものではなくて、単に、現象として現れている行動上の問題に、適当なものさしを当てはめているだけのことのような気がしてならないのである。
「自閉症は生涯治らない」と言われる、その根拠が、脳のどこにあるのか、教えてもらいたい。
本当に「治らない」のなら、彼らはなぜ、毎年進歩し、成長することができるのか。