2019年11月5日火曜日

「はだしの天使」と、あだきち君の幼少期



あだきち君は、介護施設のショートステイの日です。


「きょうは、おとまり!」


と、朝から数回確認して、満足そうな表情で出かけました。


今夜一泊して、明日の午後に帰ります。



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今日、Amazonの読み放題の書籍を眺めていたら、「はだしの天使」という漫画が目に入りました。

重度の自閉症児ユウタと、彼を守り育てていく家族の物語です。



 Amazonで見る




本書のほかにも、自閉症児の育児を取り扱った小説や漫画などのフィクョン作品が多数出ていますが、これまでほとんど読んでいませんでした。


あだきち君がまだ子どもだったころは、こうした作品を少し読みかけてみても、身につまされるというか、気持ちがつらくなるばかりで、先を読む気にならなかったのです。


けれども、あだきち君が大人になったいま、フィクションの世界で、自閉症児や、その育児が、どのように描かれているのか、あらためて読んでみたいと思うようになりました。そういう気持ちの余裕ができた、ということかもしれません。


「はだしの天使」の一巻目を読んでみて感じたのは、なんともいえないなつかしさでした。

ユウタの問題行動として描かれているエピソードのほとんどが、あだきち君もやってきたことだからです。

公園に遊びにいって、他の子どもの頭から砂をかけてしまったこと。

外を歩いているときに、有刺鉄線を握ろうとするので、目を離せなかったこと。

水のある場所が、大好きだったこと。


「普通の子」と同じようなことは何もできないと思っていたのに、「普通の子」たちと過ごす時間を持ったあと、いつのまにか行動を学んでいたこと。



私にとっては、もう遠い思い出になりつつあることばかりですが、いま現在、同じような思いをしながら、重度自閉症のお子さんを育てている方々もいるのだなということも、読んでいて思いました。


幼少期の自閉症児を育てる環境、20年前よりも、よくなっていると思いたいのですが、どうなのか。



続きの巻もAmazon読み放題で読めるようなので、ゆっくり読んで見ることにします。






2019年11月3日日曜日

iPadの電池消耗と、余暇の問題


あだきち君の愛用のiPadの充電がうまくいかなくなりつつあります。

もう何年も使い込んでいるので、電池が弱ってきたのかもしれません。
電池の消耗が早くなり、100%充電するのにも、時間がかかるようになっています。

マインクラフトで集中して遊んでいる最中に電池が切れることは、以前は、あだきち君のパニックの引き金に一つになっていました。

最近では、しっかり充電していれば、ゲーム中に画面が消えることはないということを理解して、早めに自分で充電するようになっています。

また、電池が切れてしまっても、ひどいパニックにはならず、こらえることができるようになりました。それでも、電池切れが大きなストレスであることは変わりません。



iPadは、あだきち君にとって、数少ない、そしてかけがえのない、余暇のお供です。

壊れてしまう前に、買い替えも意識しなくてはならないのかもしれません。

でも、ずっと同じ仕様の端末で、同じゲームができるものではないだろうということは、この十数年の、パソコンその他の変化や進化のスピードを考えれば、予測がつくことでもあります。


いずれ、何か別のものに、余暇活動を切り替える必要が出てくることでしょう。



できれば、IT関連のように、変化が激しくて費用もかかる機器に依存しなくてもいいような、紙や筆記用具などがあれば済むような活動に、うまくシフトできるといいのですが、そういうものには、なかなか興味を示してくれません。


どうしたものかと、ずっと思案しています。












2019年10月31日木曜日

持ち物と、伝え方


昨日に続いて、今朝も快晴。

あだきち君は機嫌よく介護施設に出かけました。


施設には、連絡帳のほか、一日分の着替えを多めに持っていきます。
ときどき、トイレでの失敗があるからですが、とくに汚れていなくても、帰り際に、着替えてもらうことが多いです。

脱いだ衣類は、以前は、施設のほうで、ビニール袋に入れて持たせてくれていたのですが、最近になって、汚れ物を入れるための袋を家庭で用意する方式に変わりました。

それで、大きめのビニール袋や、スーパーのレジ袋などを持たせるようにしたのですが、数日続けて、「袋がありません」との伝達が、施設のほうからありました。


たしかに持たせたはずだから、きっと何かの手違いだろうと思って、少し多めに袋を持たせてみても、やっぱり「ありません」と連絡帳に書かれてきます。


もしやと思って、家の中を探したら、部屋の隅の目につかないところに、持たせたはずの袋が、どっさり置いてありました。

いつもとは違う持ち物が、カバンのなかにあるのに気づいたあだきち君が、施設に出かける前に、自分で出してしまっていたようでした。


それで、袋を持たせるということを、あだきち君本人に、ちゃんと伝えていないことに気づきました。



あだきち君とは、ごく限られたやりとり以外の会話がほとんど成立しないので、言葉で伝えておくということを、うっかり忘れてしまうことが多いです。


言葉だけでは100%伝わらないかもしれませんが、朝、カバンに袋を入れるときに、理由を説明することを繰り返せば、袋が必要なものだと、あだきち君も察してくれるかもしれません。


明日から、そうしてみようと思います。






2019年10月30日水曜日

霧の朝・ブログの整理

久しぶりの快晴です。

今朝はかなり霧がでていて、あだきち君が心配そうに窓の外を眺めていましたが、介護施設に出かける頃にはすっかり晴れわたり、ひさびさの青空になりました。


晴れた日が大好きなあだきち君は、機嫌よく介護施設に出かけました。


そういえば、今朝、めずらしく、あだきち君が、


「テレビ、つけて」


と言って、私にテレビのリモコンを渡してよこしました。


居間のテレビのチャンネル権は完全にあだきち君が掌握していて、他の家族がリモコンを触るのを嫌がるほどなのに、どうしたんだろうと思って画面を見てみると、電源は入っているのに、変な表示が出ていて、番組が映らなくなっています。


 B-CASカードをさしこんでください


表示にそうあるのですが、普段テレビを全く使わない私には、なんのカードだか分かりません。

よく驚かれるのですが、幼少期からテレビを見る習慣がなかったため、どの放送局がどのチャンネルであるとか、ほぼ知りません。


それでも以前は、「NHK総合は1チャンネル」ぐらいのことは知っていましたが、地デジだのBSだのという時代に入った時点で、覚えるのを諦めました。(´・ω・`)

番組を見ないから、チャンネルなど知らなくても自分では困りません。


でも、映らなくなったときに、どうしていいかわからないと、あだきち君が困りますし、最悪、パニックになってしまいますから、知っておく必要があります。


なにはともあれ、どうにかしようとして、B-CASカードなるものを探してみたところ、日に焼けて色が変わったクレジットカードみたいなものが、テレビのわきから飛び出していましたので、それを差し込みなおしたら、番組が映るようになりました。


一体いつから、テレビにカードを差し込むようになったのでしょう。

そんなテレビは、入院病棟の個人用に貸し出す有料テレビぐらいのものだと思っていました。長女のあねぞうさんが入院していたとき、テレビカードを自販機で買って、幼児番組を見せていたものでした。


B-CASカードについては、ウィキペディアの記事を読んで、ざっと理解しました。


時代は令和になりましたが、私はいまだに昭和レベルの常識で暮らしているようです。




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ここのブログを、テーマ別に分類しはじめました。
まだ整理しきれていませんが、だいたい次のような項目に分けてみています。



  • 日常   主にあだきち君の日々の様子を書きますが、家族の話も出てきます。

  • 介護施設 あだきち君が通所している介護施設に関する話題を書きます。

  • 自閉症  自閉症についての一般的な話題や、あだきち君の自閉症の問題について書きます。

  • 障害者福祉 ニュースなどで気になったことや、うちでお世話になっている福祉サービスについて書きます。

  • 療育 あだきち君が、これまで受けてきた療育や、自宅でやってきた療育などについて書きます。



  • 書籍  読んだ本について書いています。自閉症や発達障害関連以外の本の記事もあります。

  • 雑録  上の分類に当てはまらないような、雑多な話題です。



漫然と書き続けていて、記事数が増えてしまっているので、整理には時間がかかりそうです。








2019年10月29日火曜日

雨の朝の忘れ物


朝、介護施設のバスにあだきち君を乗せるために家を出ると、雨でした。

家の窓から外を見たときには、降っていない様子だったので、傘を持たずにマンションのエレベーターを降りたのですが、エントランス前のじは、降り始めたばかりの雨に濡れていました。


あだきちくんに、「傘取りに、戻っていい?」と聞いてみたのですが、猛烈に不安そうな顔になったので、あきらめて、そのままバス停に向かいました。



バス停までの道のりは、徒歩三分ほど。

歩いている途中で、介護施設のバスが走ってきて、追い抜いていき、先にバス停について、私たちを待っていてくれました。


すぐにあだきち君を乗せることができたので、あまりぬれずに済みました。


あだきち君と二人の外出では、一度自宅を出てしまうと、忘れ物に気づいても、取りに戻ることが難しいです。戻ったあと、どうなるのか、予測がつかなくて不安になるのだろうと思います。たぶん、自閉症の人の多くが、似たような問題を持っているのではないかと思います。



まだ小さいころだったら、抱っこするか、手を引いて連れ戻すことができましたが、私よりもはるかに巨大になってしまった今では、力わざは使えません。


一度忘れ物を取りにもどっても、ちゃんと予定通りに出かけられるのだと、納得がいくように教えるためには、何度もそういう経験をすることが必要なのかもしれません。

でも、生活がよくも悪くも安定して、決まりきったパターンのなかで動くことに、あだきち君も家族も慣れてしまっているので、あえてそれを崩すというのは、なかなかに骨の折れることです。

あだきち君だけでなく、家族も、固定したパターンの生活に寄りかかっているのだなと、あらためて思います。



「忘れ物」という概念を、あだきち君に教えることも、おそらくとても難しいと思います。

あだきち君本人は、おそらくこれまで、忘れ物をした経験が、ほとんどありません。

外出時の持ち物、とくにカバン類のチェックにはとてもうるさいのです。


だけど一度だけ、学校の宿泊学習に行ったとき、ボストンバックとナップザックを全部忘れてきて、驚いたことがありました。


あのときは、生徒たちを乗せた観光バスが、トランクにあだきち君の荷物を積んだまま、営業所に帰ってしまったのでした。


あだきち君は、自分の荷物のないことをおそらく分かっていたでしょうけれども、それを周囲に伝える方法が分からなかったのだと思います。

荷物は、翌日になって、無事に学校に帰ってきました。あ
のときは、先生方にものすごく謝罪されて、かえって恐縮したものです。


日常的に、あだきち君の持ち物を忘れるのは、もっぱら、身の回りの支度をする私です。

あだきち君の学校時代も、プリント類の提出を忘れるのはしょっちゅうでしたし、介護施設通所の日々を送る今も、よく持ち物の準備をし忘れて、連絡帳で「◯◯が、ありませんでした」と書かれています。


子どものころから忘れ物大王だった私は、大人になってからADHDの診断を受けて、いまはコンサータを服用しています。それでいろいろ改善はしたものの、相変わらず、忘れ物と失くし物の多い暮らしを送っています。


そういう面で、おかーさんは頼りにならないということを、あだきち君はよく理解していて、一緒に出掛けるときには、私がちゃんとバッグや鍵を持っているかどうか、目視チェックしてくれることもあります。



ふと思いつきました。

雨が降りそうなときには、あだきち君が、自分から傘を持って出るようにすることを、練習してみることにします。


今日は雨がふりそうだね。
傘を持ってでかけようか。


そんなふうに、声をかける習慣をつけてみることにします。


そのほうが、傘を忘れて家に戻る練習をするよりも、見通しが明るそうです。







2019年10月28日月曜日

月曜の朝の確認行動と、予定表が使えないこと


休み明けの朝は、あだきち君にとって、不安が高まる時間のようです。


平日は、介護施設への通所だと分かっているはずなのですが、納得するまで、何度でも私に確認します。


「きょう、◯◯(施設名)? △△(行動援護でお世話になっている福祉事業所の名前)?」


今朝も二十回ほど聞かれたと思います。

その都度、丁寧に予定を知らせ、その瞬間は分かったような表情になるのですが、数分後にはまた聞いてきます。


音声で聞いた情報だと、それが実現するという確信が持てないのだろうと思います。


音声が頼りないのであれば、文字列ならどうなのか。


あだきち君は、文字が大好きで、ものの名前はすべて、文字から覚えています。

パッケージに入ったお菓子や飲み物の場合、パッケージにプリントされている商品名を、そのまま記憶し、さらに同種類の食べ物全体にまで汎化するということまで、やってのけます。


それくらい、目に入る文字は、あだきち君にとって、ゆるぎないものなのです。


けれども、未来の予定については、文字で書かれても、どうしても納得いかないらしいのです。


予定がわかるように、張り紙をしたり、カレンダーを作ったりしてみても、なかなか受け入れがうまくいきません。


たとえば、



「今日は月曜日です。◯◯へ行きます」


という張り紙を、あだきち君がよく見る壁などに貼りつけても、さっと目を通すと、すぐにはがしてしまうのです。


ホワイトボードなどに書いても、サッと消されてしまいます。


今日の予定ではない貼り紙は、はがさないので、たぶん、予定を文字列にして貼られることが、受け入れがたいのだと思います。



あだきち君が、なぜ、予定を書かれることを嫌うのか。


もしかすると、予定は毎日変わるものだから、見えるところに文字に書いて残してほしくない、ということなのかもしれないと、私は思っています。


自閉症の人の特徴として、「過剰な記憶」の問題があるということを、以前、本で読んだ記憶があります。


テンプル・グランディン博士(高機能自閉症)の手記だったかと思うのですが、過去を思い出そうとすると、膨大な記憶を検索することになるため、とても大変だというエピソードもありました。それは、何万枚もある写真のなかから、必要な一枚を探すような作業だという譬えで語られていたように記憶しています。



「我、自閉症に生まれて」




会話のできないあだきち君の記憶力については、客観的にうかがい知ることが難しいのですが、日々の様子を見ていると、おそらくは、グランディン博士に近い状況が脳内にあるのではないかと思っています。


あだきち君は、いま二十一歳ですが、三歳ごろに見ていたビデオの中に、ちょっとだけ出てきた音楽を、突然口ずさんだりすることがあります。

また、方向音痴の母親に似ず、一度行った場所については、道順まで、ほぼ記憶できている様子があります。

運転中、私が道を間違えると、いらいらして、ごくまれにですが、


「ちがう」


と口に出すこともあります。


文字列の記憶は、あだきち君にとって、非常に鮮明に残るもののようですので、毎日違った予定が掲示されると、過去の情報と今の情報の区別が難しくなって、混乱するということが、あるのかもしれません。

そのため、長時間目に入らないように、サッと剥してしまうのかもしれないと、私は想像しています。


では、どうすれば、月曜の朝のあだきち君の不安を軽減できるのか。


どうすれば、未来の予定を納得できるようになるのか。


まだまだ、試行錯誤が続きます。



テンプル・グランディン博士の本を読んだのは、もう十数年も前になります


ひさびさに再読したくなりましたが、家の中のどこに埋もれているのか……探すのが大変そうです。









2019年10月27日日曜日

日曜日はお買い物


あだきち君の発語で一番多いのは、食べ物関連ですが、その次が、一日の予定の確認です。

今日は日曜日。

あだきち君は、日曜の朝になると、


「きょうはおやすみ、です! おとーちゃん、十時、買い物!」


と言います。


いちおう十時ということになっていますが、出かける時間が遅れても、あだきち君はそんなに気にしません。

とにかく、日曜日は、おとーさんと外出して、買い物をすること。

そして、あだきち君の大好きな、明治の「おいしい牛乳」(500ml)を一本買うこと。






その行動が完了すれば、あだきち君としては、ミッションコンプリートとなるようです。


たまに、おとーさんが、仕事などで日曜日に留守のときがあります。

その場合は、私が付き添いを代行して、近くのコンビニなどで買い物をします。


日曜日に、どうしても買い物に出かけられないということも、ごくまれにですが、あります。


そういう場合でも、あだきち君は、パニックやカンシャクを起こすことなく、納得してくれるようになりました。

出かけられない日には、家族の体調が悪かったり、台風がきていたりするわけですが、あだきち君なりに、そういう状況を理解して、我慢するようです。そのあたり、大人になったなあと思います。

ただ、曜日ごとの予定へのこだわりは相当に強いので、祝祭日などで、いつもと違うパターンの日があると、相当にストレスはかかるようです。


今月は、台風で出かけられない日があったり、正殿の儀のための介護施設がお休みになったりと、イレギュラーなことが続いたためか、夕方あたりからイライラして、こだわり行動が強くなったり、悲しそうな様子になったりする日が何日かありました。


そんなときに、言葉で気持ちをやりとりできたらなあと、いつも思います。