2017年3月30日木曜日

インドネシア・洗濯物・絵画

上の写真は、pixabayという画像素材サイトからお借りしたもの。
インドネシア、というキーワードが入っていたから、そちらのほうの風景なのかもしれない。


インドネシアにも、当然、自閉症の子供たちはいると思います。
一体、どんなふうに育っていっているのか、ふと気になって、検索をしてみたら、「CiNii日本の論文を探す」のサイトで、関係する論文の要旨が見つかりました。筑波大学大学院人間総合科学研究科の方々の共同研究のようです。(要旨を引用させてもらいます)

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インドネシアにおける自閉症児教育の実態と課題に関する研究 : 西ジャワ州都市部教員のインタビュー調査を通して

本研究は、インドネシアの自閉症児教育における実態と課題を明らかにすることを目的とし、自閉症児が在籍している知的障害特殊学校、インクルーシブ学校、自閉症児教育施設の教員13名にインタビュー調査を行った。その結果、教育の実態として、基本的には自閉症児の特性を考慮した教材や教育内容が採り入れられており、教員は外部の教育関連の専門家や教員と連携していること、また、保護者との連携と家庭での教育を重視していることが明らかになった。一方、課題としては、知識や経験を蓄積するための教員や関連専門家に対する研修機会が不足していること、保護者の障害に対する理解が十分ではなく拒否的な態度がみられること、設備、教具、カリキュラムなどの教育資源が不足していることが明らかとなった。このことから、インドネシアの自閉症児教育においては、教員や専門家の資質向上の機会の拡充などの教育面での支援と保護者等の適切な障害理解に向けた環境面での支援が必要であることが示唆された。

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文面を読んだ限りでは、日本の特別支援学校のような存在は、なさそうに思いました。
保護者の障害理解が教育の壁の一つになっているようですが、いまの日本でもまだまだあることで、とくに知的な遅れの少ないタイプの障害の場合は、大変なところだろうと思います。

自閉症、アスペルガー症候群という名前は広く知られていても、近頃では、何か偉業をなした人にそういう障害の人が多いという通説が出回ってしまって、「自閉症(発達障害)なら、何か異能があるのじゃないか」という目を向けられることも増えているように思います。

異能はあるかもしれません。というか、たいていなにか「持って」います。

でも、それが世の中の人に認められるような異才だったり天才だったりするかどうかは、また別の話です。

日本でも、障害についての理解が落ち着いてくるのは、まだ少し先かもしれません。




今日のあだきち君


朝はとてもおだやかに朝食をとり、洗濯物を干してくれました。

洗濯ピンチへの干し方が独特で、小さな洗濯物を重ね干ししたり(生乾きのもと)、Tシャツのえりぐりを、たくさん洗濯ばさみではさもうとするので(襟ぐりがびろーんと伸びます)、そこはちょっと修正いれます。



読書




オリヴァー・サックス博士「妻と帽子をまちがえた男」から、少し引用。

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 今度は何を描いてもらおうか? 私はいつものように、『アリゾナ・ハイウェイ』という雑誌を持っていた。写真や絵がたくさんのっていて、私はとくに気に入っている。私はそれを、患者のテスト用にいつも持ち歩いていたのだ。表紙は素朴で美しい風景だった。山々を背景にして、たそがれの湖でカヌーに乗っている人たちがいる。ホセはまず、空とは対照的にくっきりと黒く影をおとしている前景を描きはじめた。きわめて性格に輪郭を描くと、つぎになかを塗りつぶしはじめた。しかし、これは尖ったペンでなく絵筆が必要な作業だった。「それはとばしていいよ」私はそう言って、今度はカヌーを指さして、描いてごらくと言った。彼はすばやく人物とカヌーの黒いシルエットを描いた。はじめに人物とカヌーをじっと見たら、もうあとは見ない。いったん見ると、それらは彼の心に焼きつけられる。それをペンの側面を使ってさっと描いたのである。

 このときも、描く早さと細部の正確さにおどろいた。風景全体についてそうだから、いっそう感心した。もっと驚いたことは、彼は一度見ると、あとは見ないで描いたところだった。以前、付き添人が「彼は複写機(ゼロックス)みたいなものです」と言ったことがあったけれど、それはちがう。ただ写しているだけではなかった。彼は対象をイメージとしてとらえ、写すだけでなく理解するというすぐれた能力をもっていたのである。なぜなら、彼の絵にには、もとの表紙にはない劇的なものがあらわれていたからである。


オリヴァー・サックス博士「妻と帽子をまちがえた男」 369-370頁

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重い知恵遅れとされ、絵画を含めた知的な活動を、周囲に一切期待されていなかった「彼」は、サックス博士の促しに応じて、個性的な風景画を描き始めた瞬間が、報告されています。


重度の知的障害を伴う自閉症の子が、人生のできるだけ早い時期に、オリヴァー・サックス博士のような人と出会えたらなと、いつも思います。

何も期待されず、工夫もされないままでは、重い知的障害のある子供たちは、自分を適切に表現する方法になかなか出会うことができないはずです。引用文中に出てくる「付き添人」もそうですが、身近にいる大人ほど、「知恵遅れ」というレッテルの影に隠れてしまっている、その人本来の力の伸ばし方に、あるいは伸びしろがあるということに、気づかないままでいることが多いのではないでしょうか。

そのことは、常に自問していようと思うところです。