2017年3月23日木曜日

工作


今日のあだきち君


朝五時前には起きて、テレビを見たり、洗濯物を室内干ししてくれていました。
機嫌は上々。

通所している施設でも、ずっとご機嫌だったとのこと。

活動は、お散歩のほか、写真フレーム作りの作業をしたそうで、写真を入れて持ち帰ってきました。枠に色紙を貼って、お花の飾り付けのしてある、かわいらしいものでした。


読書

オリバー・サックス博士の「妻と帽子をまちがえた男」の「自閉症の芸術家」のところを読んでいました。


 「これをほ描いてごらん」  そう言って私は、ホセに懐中時計をわたした。
 彼は二十一歳になったところで、ひどい知恵遅れとのことだった。すこし前に持病の発作のひどいのがまたおこったところだった。やせて弱々しい様子をしていた。
 注意散漫で落ち着きのない様子がとつぜんやんだ。彼はまるで魔除けのお守りか宝石のように時計を注意深く受けとると、それを前に置き、身じろぎもせずにじっと見つめた。
「彼は知恵遅れなんですよ」と付添い人が口をはさんだ。「話しかけたってだめです。何を言われているか分からないんです。時刻だってわからない。しゃべることさえできません。自閉症だと言われていますが、ただの知恵遅れです」 それを聞いてホセの顔はさっと青ざめた。付添い人が言ったことばの内容ではなく、言い方のせいだった。(ホセがことばがわからないことは、前に付添い人から聞かされていた)。
「さあ、君なら描けるよ」 私は言った。
 ホセは、目の前にある時計にじっと注意を集中し、ひとこともしゃべらずに描いていた。時計以外は目に入らなかった。このときはじめて、彼は自信を得たかのようだった。ためらうことなく、落ちついて、気が散るようすもなかった。はっきりした線で、すばやく、しかも詳細に描いていた。消して書き直すようなことも前々なかった。 
オリバー・サックス博士の「妻と帽子をまちがえた男」365-366頁

「付添い人」の「ただの知恵遅れ」などという言葉には腹が立ちますが、一昔、あるいは二昔前の知的障害者に対する意識は、このようなものだったと思います。

そして、サックス博士のうながしに答えて、しっかりと描かれた時計の絵が、本書には掲載されています。

親であっても、わからないこと、気づかないことはあるものです。
能力や人格を、先入観で決めつけず、出来ることを見つけてあげることは、ほんとうに大切だと思います。