昨日の夜、無呼吸のせいで痛む頭を気にしないことにして、在宅のライティング仕事をしていたら、あだきち君がつけっ放していたテレビが、NHK「映像の世紀」を流し始めました。
映像の世紀プレミアム
第3集「世界を変えた女たち」
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=08306苛立たしく、つらい内容でした。
戦時中は男性の代用品として使い潰され、戦後はまた家庭に押し戻される女性たち。
参政権を勝ち取るために命をかけても、ゴミのように評価されない女性たち。
生きるために権力にすがり、趨勢が変わって権力が落ちぶれると、ともに社会から追いやられて、リンチの的になっていく女性たち。
ヒトラーの演説に陶酔し、歓喜に満ちた狂信者のような顔をしていた女性たちは、その後、どんな人生を歩んだのか。
その重苦しさに気持ちを持って行かれて、しかも頭痛のBGMつきで、ゆうべは本当に仕事がはかどらず、苦しみました。(´;ω;`)
普通に、冷静に考えれば、「おかしい」と分かるはずのことなのに、なぜ集団レベルになると、その「おかしい」ことが「あたりまえ」になってしまうのか。
そんなことを考えながら、なんとかライティングの作業を終えて、しっかりとCPAPを装着して就寝。なかなか寝付きませんでしたが、今朝には、頭痛は八割ほど治まっていました。
ε-(´∀`*)
今朝、あちこちのSNSを回遊していて、こんな本が出ていることを、知りました。
細川 貂々
そして<彼>は<彼女>になった 安冨教授と困った仲間たち
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安冨教授といえば、東日本大震災のあと、「東大話法」についての著作を出して有名になった方、という知識しかなく、不勉強にして著作を全く読んでおらず、まして、「彼女」になった件については、全く知りませんでした。
ネットでお写真を探して拝見。
すばらしいビフォア・アフターに、ただただ感動するばかり。
ほぼ完全に"女"を捨てて暮らしている自分が、情けなくなりました。(´;ω;`)
それはともかく、本書のAmazonでの内容紹介を読んで、これは読まなくてはならない本だと感じました。
【Amazonの内容紹介より引用】
幼いころから強烈な毒母の呪縛におびえ、みずからが望むものをすべてあきらめ続けてきた二人が、ある日、奇跡的な出会いを果たし、ともに毒母との壮絶な戦いに挑む。そして、自分自身を取り戻すためのそんなプロセスの中ではじめて気づいた、お互いの真の姿とは? Amazonで見る
私には、「毒母」との戦いに勝ちきれないまま、若くして命を落とした友人がいます。亡くなった理由は、実の母親に、病気の治療・手術を反対され、逆らうことができなかったから。
自分の健康や命すら守ることをゆるされない、とてつもない親の呪縛が存在すること、そして人生の晩年になり、当の親が亡くなったあとまでも、縛り続けられ、自分の人生を取り戻すことのできない人が、世界中にたくさんいることを、私は知っています。
安富教授と、その友人という方が、そういう恐ろしい呪縛と、どのようにして戦い、人生を勝ち取ったのか、とても知りたいと思いました。
細川 貂々氏が本の著者であることにも、心引かれました。細川氏の「ツレうつ」は、私がネットではじめてブックレビューを依頼され、報酬をいただいた書籍だからです。
すぐにでも読みたかったのですが・・・・本書、まだKindle化されていないんですね。(´・ω・`)
東日本大震災のときに、書斎と書庫が、危険きわまりない、蔵書のナイアガラ状態になるのを見て以来、紙の本は極力買わないという縛りを自分に課しているので、いますぐポチりたい衝動をなんとかこらえて、Kindle化を待つことにしました。
そのかわり、おとーさんが持っていた、安冨歩著「原発危機と東大話法」(紙の本)を借りて、先に読んでおくことに。
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冒頭、さっそく、心をとらえる文章に遭遇しました。
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たとえば、対流という現象があります。コップの中の水は静止しているように見えますが、実は個々の分子を見ると激しく動いています。しかし各分子が相互に無関係に動いているので、全体として打ち消し合って、静止しているように見えるのです。ところが、このコップの水を下から熱していくと、ある時点で突然、多くの分子が協同歩調をとって、同じ方向に向かって一斉に動き始めます。それが対流です。
コンピュータの出現によって、そういった現象を数値計算によって研究できるようになって生まれた学問が、非線形科学です。私はこの分野の研究を10年ほどやりました。その結果分かったのは、暴走状態にある人間の振る舞いは、水の分子と大した違いはない、ということでした。
これは私にとって驚くべきことでした。まさか人間の集団がそれほど単純な振る舞いに及んでいるとは、思いもしなかったからです。しかしひとたびそう考えると、いろいろとつじつまが合うのです。たとえば、住友銀行で働いているような、一人ひとりはそれなりの見識を持っている(はずの)立派な社会人が、なぜ、集団になるとあんなにも愚かなことに、過労死する人を出してまで邁進するのかは、一人ひとりが水分子と変わらないくらいの判断力しか持たなくなる、と考えれば、よくわかることでした。
そうすると私の考えるべき問題は、暴走状態の解明ではなく、そこからいかにすれば離脱しうるのか、だということになります。それはつまり、個々人の魂の作動の回復です
(安富歩「原発危機と東大話法」 9~10頁)
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非常に痛烈な、けれども的確な指摘だと思いました。
昨日の夜、NHK映像の世紀で映し出されていた、狂った世界の流れに抗うことができないまま、流されて潰れていった、大勢の女性たち、ヒトラーの演説に酔いしれていた女性たち、そしてその傍らにいたはずの多くの男性たちには、確実に、個別の精神、思考、感情があったはずです。
けれども、その行動の成り行き、末路は、歴史の大きな流れのなかでは、いわゆる「レミングの集団自殺」のように見えなくもありません。
White Wilderness
レミングは、ほんとはこんな自殺なんかしない生き物だそうですけれども、ディズニー映画がねつ造したと言われる、この映像が、人の世界の悲しい状況に、あまりにもぴったりと重なってしまったものだったから、広く信じられてしまったのかもしれません。
(__).。oO
「お前ら全員、分子とおんなじレベルの精神レベルだろ? なんも考えてねーだろ?」
と言われて、反発しない人は少ないと思いますが、冷静に考えてみれば、「圧倒的すぎて、抵抗する気にもならない、いろいろな社会的圧力」の数の多さは、半端ないものであると分かるはず。
みんな、それを「存在しないもの」として意識から追いやっているから、当たり前のような顔で暮らしていけるだけでしょう。
たとえば。
「子どもは学校にいくのが、あたりまえ」
と、たいていの人は思っています。
この「常識」のおかしさにぶちあたるのは、我が子が難病や障害のために、「通いたくても通えない」状態になったり、原因不明のまま不登校の状態になってしまった時くらいだろうと思います。
ときおり、いじめのために自殺してしまった子どもたちのことがニュースになると、
「そんな危険な学校に、なぜ通わせた」
「親は何をしていたんだ」
という批判の声があがりますが、現実に、子どもが不登校になった状況では、「子どもを学校に通わせない親」は、ほぼ「問題アリ」の、ワルモノ認定です。
あねぞうさんが不登校状態になったとき、教育委員会や学校の先生がた、学校に併設されていた相談室の相談員さんたちから言われた言葉は、いま考えても、相当に不当なものでした。
「心を鬼にしてしかりつけないからですよ」(退職校長の相談員)
「母子分離不安ですね。子離れしてください」(相談室の責任者)
親や家庭に問題があるから子どもが学校に出られなくなるという発想から、一歩も動かない教育現場の方々のせいで、散々な思いをしました。
(母子分離不安云々については、あねぞうさんの当時の主治医に報告したら、鼻で笑っていました…)
普通に考えたら、社会経験の極端に少ない難病児や、うつ病と診断されている児童生徒の通う「場」が学校にないことが、問題なのであって、通うだけで苦しむような場所に、無理矢理に適応させようとするのは、「おかしい」のですが、学校が至上と考える方々には、そのおかしさは、決して意識されることはないようでした。
病院や療育教室とのつながりが、気持ちの上での後ろ盾になっていた我が家は、まだ救いがありました。「おかしい」と感じる気持ちを支持してくれる方々が、いたからです。
そういう存在をもたない親御さんたち、お子さんたちは、「学校に通うのがあたりまえ」という、分かりにくい暴走状態に巻き込まれて、濁流から逃れるすべを見つけられないまま、最悪の事態に至ってしまうことになるのかもしれません。
「個々人の魂の作動の回復」を、個人で成し遂げて、「おかしい」場所から逃げ出すことは、とてもとても、難しいものだと思います。
でも、それを誰もやらなくなってしまったら、未来に希望がないのも事実だろうと思います。
とりあえず、こんな場所で、細々とでも、「おかしい」ことを「おかしい」と言い続けることは、続けていきます。
だって、うちには、「おかしい」世の中では極端に生きにくい子どもたちばかり、いるのですから。