2002年6月25日火曜日

【過去日記】愛着・密着・シャイな主張


※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/17) 



  うちの近所には深夜営業のスーパーが数件ある。
  日中、子供を引き連れて買い物に出るのはめちゃくちゃ大変なので、夫が仕事から帰ったあとで、私が一人で食材を買いに出ることにしている。

  で、このごろ、私が夜、一人で買い物に出ようとすると、息子に大泣きされるようになった。
  「普通の子供たち」よりも、およそ3年遅れで出てきた、「人見知り」や「他への愛着」の一環として現れている感情表出なのだと思うのだが、とにかく激しくて、毎度毎度、私としっかり目を合わせて、

「この別れに引き裂かれてはもう生きていけない~~~」

という迫力でもって泣かれるから、出かけるたびに、こちらもなかなかしんどい思いをする。

 ちかごろでは、私がバッグに手をかけただけで、外出の気配を察知して、密着ガードするようになってしまった。

  二年前まで、息子は、私がそばにいようがいまいが、見向きもしない子供だった。それが今では、このありさまである。息子の中に、こんな濃い感情があるなんて、以前は想像することもできなかった。でも、あったのである。

  家で過ごしているときの息子は、しょっちゅう、私に抱きつきにくる。「抱っこしてー」とせがむのではない。背後や側面から、そっと歩み寄ってきて、自分でぎゅっと、私の腕や肩を抱きしめるようにして、またそっと立ち去っていく。なんだか熱烈なのかシャイなのか分からないが、とにかくそういうやりかたで、始終愛情表現している。

  昨年、ベテランの児童心理の先生の面接指導を受けたとき、

 「この子は、自閉症というには、内面に持っているものが豊か過ぎますね。人に対する感情もとても豊かですよ。それにものすごく傷つきやすい、繊細な面を持った子ですね」

  と言われたことを思い出す。そのころは、息子がまわりの自閉の子とそれほど違っているようには思えず、むしろいろいろな面での発達の遅ればかりが目立っていたから、先生の言葉がなんだかピンとこなかったのだが、先生は、当時から息子の、寂しがりやで愛情たっぷりの資質を見ぬいてくれていたのかもしれない。

  そういえば、心理の先生は、このとき、おもしろいことを教えてくれた。お絵描きについての話である。

  子供たちは、自我や自意識が芽生えてくると、上手に丸が描けるようになってくる。他人との関係を結ぶ力が育ってくると、直線が描けるようになってくる、というのである。理由はわからないが、なんだか不思議と、そういうふうに、心の発達とお絵描きの能力が、関わりあって発達していくらしい。

  息子は、丸を描けるようになったのは早かったが、直線はなかなか描けなかった。いまもあまり上手ではないが、先月あたりから、なんとか点から点へ、線を結ぶことができるようになった。

  もちろん、ことのことは、どの子供にも一概に言えるわけではない。他人と会話が出来るようになる前に、文字がすらすら書けるようになってしまう自閉の子もいる。文字はもっぱら線の組み合わせで出来ている。つまり、上の説が普遍的なものであるとするなら、文字がすらすら書けるということは、他者との関係確立が達者な子供であるということになってしまうわけだが、そういうことはないと思う。

  ただ、コミュニケーションができないのに文字が描けるようになっている自閉の子は、もしかしたら、人間に対してではなく、さまざまな事物や抽象概念に対して、愛情ではなく文字記号を仲立ちにして、多くの結びつきを確立しているために、線が自在に引けるようになっているのかもしれない、ということも思う。もちろん私の想像でしかないことである。