2002年6月20日木曜日

【過去日記】神経伝達物質

※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)
 


 きのうの日記のタイトルに「神経伝達物質」と書いておいて、その話を書き忘れている。
  うつ病をやったことがある。

  根っからノー天気なところのある性格なので(加えて怠慢・無責任)、長引かずに軽快したのであるが、かかっている最中の苦しさというのは、筆舌に尽くしがたいものであった。

  真っ先に出た症状は、読み書きが出来ないということだったが、それとほぼ同時に、音楽鑑賞ができなくなった。音という音が、わずらわしくてたまらなかった。会話中に意味を取ろうとすると、圧迫感を伴う雑音のようなものに脳が侵食されるような気がして、たまらない気分になった。

  それから一ヶ月ほどすると、家事がひたすら苦しくなった。とくにつらいのは、炊事だった。洗いものをしようとして流しの前に立つのに、ふと気づくと、何もせずにボーゼンと立ったままでいた。皿洗いには、細かな観察と複雑な視点変換、手指の運動や触覚の利用が要求される。その全部が、苦しくてならなかった。

  反対に、ゾーキンで床を拭き続けるような、単調な作業は、比較的ラクだった。規則正しい床の木目が、作業の支えになってくれるような気がして、のろのろとではあるあが、いつまでも、いつまでも、拭き続けることができた。ところが、そういう場合、作業をやめることが大変な苦痛になった。
  最後にうつ病的になったのは、息子の障害が分かったあとだった。

  当時、単純な作業に延々とこだわり続ける、無表情な息子の様子が、自分のうつ病の病態と重なった。自閉の子の脳とうつ病の大人の脳は、たぶん、神経伝達物質に関わる面で、部分的に似たようなことになっているのだろうと感じた。

  自閉症児に、抗鬱剤を投与して、状況の改善を図る治療法があることを知ったのは、その後のことである。本を読むと、大人の自閉症者でも、人によっては、ある種の抗鬱剤が、生活をラクにする場合があるという。ただし、みんなに効くというわけでなく、また処方の量も難しく、逆に悪化する人も少なからずいるそうである。

  息子の主治医に、抗鬱剤の投与について相談したことがある。処方については賛成してもらえなかったが、息子に、うつ病の人と似たような特徴があることは理解してもらうことができ、音楽によって改善を図るようにと進められた。幸い息子は、うつ病のときの私とはちがって、音楽をわずらわしいと思うことはないようである。息子の好きな音楽ビデオを、ステレオで聞けるようにするなどして、鑑賞環境を整えて以来、息子の状況は少し改善してきたような気がしている。