2002年6月24日月曜日
【過去日記】言葉の記録・「おおきい」
※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/17)
きのう、突如として、息子が「父との会話」を成立させた。
父「おい、息子!」
息 「・・・・・」
父「来い。出かけるぞ」
息「なんだってんだよ」
父「なんだってんだよ、じゃないだろ。公園へ行くぞ!」
息 「こーえん?」
父「そうだ。行くぞ」
息 「こーえん!」
なかなか感動的であった。
「なんだってんだ」という言い方は、ずいぶん前に、息子が使用語彙として獲得していたものであるが、久しく使っていなかった。
息子は、ほとんどオウム返しをしないのだが、ときどきこのように、相手の言葉を返すやりかたで、「会話」を組み立てようとすることがある。
いま、これを書いていたら、息子が、木製の汽車のオモチャを持ってきて、私の手に握らせた。息子は私の椅子の後ろで、ミニカー用の坂道を出してきて遊んでいたのだが、その坂道で汽車のオモチャも走らせてみようと思いついたらしい。ところが、汽車はミニカーよりも大きいので、坂道にうまく乗らない。そこで困って、私に頼りにきたのである。けれど、私だって出来ないものは出来ない。「これは、大きいから、ダメだよ」と教えると、息子は、
「おーきい。だめ。だめ!」
と言いながら、顔を歪めてカンシャクを起こし、ドカッと私の背中を叩いた。叩くのは絶対に許さないことにしているので、すぐに厳しく叱った(体罰はやらない)。すると、息子は、もう一度、小さな声で、「おーきい」とつぶやき、その遊びをやめた。どうやら状況を理解し、納得したらしい。
こんな具合に、ちかごろの息子は、抽象的な概念や言葉を学習しつつある。
話は変わる。
いろんな障害児・難病関連のサイトなんかを見て回っていると、「うちの子が○○症かもしれない!!」という心配に駆られた人が、サイトのオーナーに思いの丈やら質問を、大長文でぶつけまくっているのを、ときどき目にすることがある。
気持ちは分かる。ほんとに分かる。
たいていの人は、障害や難病のことなんて何も知らずに暮しているのだし、その得体の知れないモノに我が子が襲われているのかもしれないと思ったら、少なくとも最初のうちは、不安でいてもたってもいられなくなるのが普通の人情だろう。私にもそんな時期があったかなー(実はほとんど無かったのだが)と思いながら、そういう質問の長文を眺めていると、
「いま妊娠三ヶ月なのですが」
とか、
「これから妊娠するかもしれないんですけど、夫の遠縁に自閉症者がいると分かって」
なんて書いてあったりするから、読んでいるほうはガクッとくる。もう心配で思いつめて、「生まれた子が障害児だったらどうしようと思うと、食事も喉を通らない」なんてことも書いてあったりする。それは正常なつわりなのでは、と思うのだが、ご本人は、もう真剣に、命がけで悩んでいる。だから、実際にそういう障害や病気を持った子供たちの親に、シツコイほど、クドいほど、質問をぶつけてしまう。それも、あまり前向きでない、障害児や難病児になる可能性をあらさがしするような質問ばかり、書き連ねてしまう。
この人たちは、障害や難病のことを知りたいのではない。ただもう、自分の子が障害児や難病児でない証拠を、どこかで見つけて安心したいだけなのだ。占いにすがって未来の不安を打ち消したい人の心理に似ている。
そういう人を見かけると、なんだかちょっと、残念な気持ちになる。
この人きっと、自分の子供が生まれてみて、障害でも難病でもないってわかったら、きっと、
「あーよかった!」
って、言うんだろうなあ。そして、そうやって不安に駆られて吐くほど悩んだことなんて、きっと「笑い話」とか「いい思い出」とかになってしまうんだろうなあ。
それは別にいいんだけど(障害や難病で苦しむ家庭なんて、一軒でも少ないほうがいいに決まっている)、でも、そういう人たちにとって、実際に障害や難病を持っている子供たちの存在って、何なんだろうって、思ってしまう。
「はやとちり」した「笑い話」のネタの一部?
それとも単なる貧乏クジ?
なんだかなあ、と思う。
息子が障害児だとはっきり分かってしばらくしてから、私は、自分の幼稚園時代の恩師に手紙を書いた。問い合わせや質問が目的ではない。ただ、報告するだけの手紙だった。
恩師からの返事には、「職場で、自閉の子を何人も見てきましたが、みんなそれぞれの道筋を通って、ちゃんと成長していきます。がんばりなさい」と書いてあった。とてもうれしかった。ちゃんと成長していく力があるんだから、成長させてやらなくちゃ、と思った。それで力が出た。
私もときどき、未来の心配に取りつかれた人の質問攻めにあうことがあるが、そういう人には、幼稚園のときの恩師が贈ってくれた言葉と同じものを贈る。障害が軽いとは言えない息子のことを根掘り葉掘り聞き込み調査され、「あーよかった。うちの子と違うわ」とはっきり言われたことがあって以来、そういう目的の比較調査には応じる気になれない。ちょっとかたくなな態度かもしれないが、
でもイヤなものはイヤだから。