※この日記は、すでに高校を卒業した息子が幼児だった頃、記録として書いていたものです。当時掲載していたホームページは、すでに閉鎖していますので、手直しして再掲載することにしました。(2016/04/16)
おととい、風呂場で息子に水遊びをさせた。上の子(いっそU子にしてしまおうか)も一緒に、シャボン玉をやったり、シャワーを出し放題にして、噴水ごっこをしたりした。
息子は、それが衝撃的に面白かったらしい。
ひとしきり遊んで風呂場から出そうとしたら、姉と一緒に風呂場に閉じこもり、内側から鍵をかけてしまったので、姉のほうを一喝して鍵を開けさせ、「水遊びは終わり!」と言って、風呂場から引きずり出した。
すると息子は、
「おわり! おわり! おわり!」
と見事な発音で叫び、また風呂場に戻ろうとした。が、再度「水遊びは終わり」と言い聞かせ、着替えをさせると、落ち着いて従った。
息子が「おわり」という言葉を使ったのは、これがはじめてだと思う。親の言葉を即座にマネすることなど、普段はめったにないのに、感情が高揚して、何かに必死になっているようなときは、このように明瞭な言葉がいきなり飛び出してくることがある。このあたり、脳の中の言葉に関わるシステムがうかがい知れるようで興味深い。
以前、医療ミスで脳内の海馬という部分が壊れてしまった男性のドキュメンタリーを見たことがある。海馬が破壊されると、体験したことがらを、長期記憶として保存することができなくなるという。見たり聞いたりしたこと全てを、ほとんど数分で忘れてしまい、記憶に残らないため、生活に著しい支障をきたす。ところが、そういう障害のある人でも、強い個人的感情に結びついたような出来事であれば、比較的長い間、記憶していられることがあるという。ドキュメンタリーの中では、男性が、自分の子供と外出したときの一連の出来事の中で、子供の身を心配した瞬間の記憶だけが、帰宅後まで残っていた。
強い感情に結びついた記憶や行動は、脳のなかで、何か特別の、バイパスのような神経の道筋を通って、呼び起こされたり引き起こされたりするのではないのだろうか。そしてそれは、脳内の障害のある部分をうまく迂回して、正常に近い回路を作ることもできるのではないだろうか。
もちろん私の夢想に過ぎないことであるが、息子が時々、奇跡のように明瞭な言葉を語るのを耳にするたびに、そういうことを考えるのである。
2002/06/22