このごろ、一週間がとんでもなく短く感じてなりません。
つい数日前に、「真田丸」を見たと思ったのに、今夜はもう「真田丸」の日です。
三成ロスや、昌幸ロスを、味わうヒマもありません。 (´・ω・`)
ほげ子さん(11歳)と同じ年齢の頃には、日曜日が来るのが待ち遠しくてたまらなかったのに、いまでは、日曜日が来るのが早すぎて、もうちょっとゆっくりやってきてほしいと思うほどです。
この一週間、また、やりたいことをほとんど何もできなかったなあ……そんな後悔にも、もう慣れっこになってしまっています。
人間、年をとると、どんどん時間の経過を短く感じるようになる傾向があるという話を、何かで読んだ記憶がありますが、体感として、小学校の頃の一週間は、いまの一ヶ月分に相当している気がします。
どうしてなんでしょうね。
生きていることや、暮らすことに、慣れすぎて、いちいち意識せずに時を送るようになってしまったからなのか。
このまま猛烈な勢いで人生の終焉に突進するのは、ちょっと残念なので、少しブレーキをかけたいなと思っています。
慣れっこになったことで、時間が早く進むように感じるのなら、慣れていないことをやってみればいいのかな、と思いましたが、物珍しいことに手をつけてしまうと、余計に時間が飛んでいくんですよね。
うーん……
あ、そうか。
退屈すればいいのか!
たしかに、子どものころって、毎日がとんでもなく、退屈でした。
飽きてしまうような学校。
話相手もいない自宅。
友達もいなくて(大問題)、一人っきりで過ごすことが大半でしたし、自由にできることも少なかったので、毎日が牢獄のようでした。
頭の中だけは自由でしたから、ひたすら本を読んでいましたが、欲しい本がいつも手に入るわけでもなく……
いやです、そんな生活。 (´・ω・`)
そもそも、退屈が、死ぬより苦痛な体質です。
だから、子どものころ、学校での時間や、精神的にも物理的にも制約の多い自宅で過ごす時間が、耐えがたく長く感じられたのでしょう。
いまは、やりたいことを比較的自由にできる生活だから、時間が飛ぶように過ぎていくのかもしれないと、これ書いていて気づきました。
しかたがないので、時間の使い方に気をつけながら、いままで通り、生き急ぐことにします。
■あだきち君の日曜日
日曜日は、おとーさんと二人で買い物に出かける、というのが、あだきち君の決まったスケジュールです。
朝起きると、
「にちよーび! マルロク! 十時! かいもの!」
と、何度でも予定を確認する、あだきち君。
マルロク! というのは、おそらく、行きつけのスーパーのことだろうと思うのですが、なぜマルロクなのかは、謎です。
スーパーの店内に、そう読み取れる表記があったのか、お店のロゴを、そう名付けてしまったのか…。
それはともかく、おとーさんは、先々週末にぎっくり腰をやってしまい、まだあまり歩行が思わしくありません。
先週の日曜日のお買い物は、私が代行しました。
今日もたぶん、私が行くことになるでしょう。
私も足腰があまりよくないので、あだきち君と徒歩で外出するときは、かなり緊張します。
万が一、走り出されてしまったり、強くひっぱられたりしてしまうと、もう私では止めることが難しいのです。
けれども、小さいころと違って、外出時のあだきち君は、ほんとうに落ち着いて歩いてくれるようになっています。慣れない場所でパニックを起こすようなことも、なくなりました。
学校生活の積みかさねと、長年、福祉サービスの外出支援を利用させてもらったことから、少しづつ、適応力を育てていった成果だと思います。
お買い物のほか、あだきち君には、勉強をすることと、日記を書くという課題があります。
勉強は、主に漢字の書き取りと、計算問題、文章の読解などをしています。
漢字は、小学校3年で習うレベルのものを、繰り返し読み書きして、少しづつ覚えています。
計算は、足し算引き算、九九などです。
簡単な文章題にも取り組むことがありますが、まだまだ理解が難しいことが多いです。
あだきち君は、勉強の時間がとても好きなようです。
とくに漢字が好きで、新しい文字を覚えるときは、ほんとうに熱心に練習してくれます。
通所している施設にも、漢字の書き取りのノートを持っていって、職員さんにサポートしてもらいながら、書かせてもらっています。
学校は卒業してしまいましたけれども、学ぶことは、ずっと続けてほしいと願っています。
日記は、小学校のころから、いろいろな形で続けてきています。
昨年の誕生日に、三年日記をプレゼントして、それから一日も欠かさず、書いています。
(数日分まとめて書くことも、あります)
ほんの一行ほど、その日のことをメモする程度の日記で、いまはまだ、私のアドバイスで書いている状態ですけれど、いつの日か、自力で「その日の出来事」を書いてくれるようになってほしいと願って、ずっと、続けています。
あだきち君にとっての、時間の流れは、どんな感じなのかなと思うことがあります。
混乱しないように、できるだけ変化の少ない、見通しの持ちやすい生活パターンを確立していますけれども、退屈と感じることはないのかなと、心配になることもあります。
あだきち君は、退屈、という言葉を使いませんし、もしかしたら、そういう概念を持たないのかもしれません。
ほとんどいつも、おだやかに、満たされたような様子で、過ごしている、あだきち君。
いつか、気持ちを言葉で聞いてみたいです。