2017年7月10日月曜日

豊田真由子議員にとって知的障害児(者)はどんな存在だっただろうか





腰を痛めてしまい、しばらくブログ更新をお休みしていました。

いつもデスクトップのパソコンで書いているのですが、椅子に座って文字を打つのが、かなりつらかったのです(´;ω;`)。

まだ痛みはありますが、だいぶラクになってきたので、更新再開します。


休んでいるあいだに、世の中で、ずいぶんいろんなことがありました。


衆議院議員の豊田真由子氏の暴言騒動は、ほとんどテレビ報道を見ない私の耳にも入ってきて、ほんとうにイヤな気持ちになりました。

豊田真由子議員の暴言の音声がたくさん出回っているようですが、もう二度と聞きたくないので、ここにはリンクを貼り付けません。

暴力を振るわれていたという秘書の方々は、ほんとうにお気の毒です。

私なら、あのようなふるまいをされながら運転を継続することは、到底無理だと思います。電柱に激突する前に、職を捨てます。自分の命を守るために。


ところで私、あの方と、握手したことがあります。
場所は、知的障害者に関連したところとだけ、申し上げておきます。


「私も母親ですから、こういうことを、しっかりやっていこうと思っています!」

熱心な表情と口調で、その場にいた一人一人の手を握り、そうおっしゃっていました。
鮮やかな色のスーツが、とても印象的でした。


豊田真由子氏は、障害児に関連した政策に、熱心に取り組んでおられたとか。
そのために、私がいるところにも、回ってこられたのでしょう。

週刊新潮に、こんな記事が出ていました。

彼女は厚労省出身だから、障害者施設を回る機会も多い。そうやって、表向きは弱者に寄り添っている風を演じる。でも、裏では全く違います。なにしろ、そういう施設で障害者が作ったお菓子なんかをもらって帰ってくると、
 「こんなの、中に何が入ってるか分かったもんじゃない!」
とか言って、絶対に口をつけようとしませんからね。この行動が、彼女の全てを物語っています。 

(「豊田真由子代議士のヤメ秘書匿名座談会」週刊新潮2017年7月13日号)

特別支援学校や、障害者の就労支援施設では、「公的なお客さん」が来るときには、生徒や利用者さんが製作した品物を「お土産」として用意することが多いはず。あだきち君の卒業した学校も、そうでした。PTAの役員として、生徒たちが作業実習で作ったかけがえのない製品を、手間ひまかけて丁寧にラッピングして贈り物の準備をしたこともあります。

豊田真由子議員も、障害者や支援者たちで作っている、そういう心づくしのお菓子などを贈られて、にこやかに持ち帰ったのではないかと思います。

ほんとうは、もらいたくもなかったのでしょうに。


暴言の音声よりも、この記事の言葉のほうが、私にとってはつらいものでした。

政治家が全員こんな人ではないでしょうけれども、障害者福祉、知的障害児の教育についていろいろと提言する議員さんたち全員の人柄を、一切信じたくなくなるほど、強烈な印象を、脳に刻まれてしまいました。


一つだけ、この匿名座談会に出席している、元秘書の方々に、聞きたいことがあります。


秘書のみなさんは、豊田真由子議員が持ち帰ったという、障害者のつくったお菓子を、食べたのでしょうか? 

また、週刊新潮の記者さんたちは、もしもそういうお菓子をもらったら、食べるでしょうか。

もしも、食べずにこのようにおっしゃっているのだとしたら、あるいは記事に掲載したのだとしたら、私は、あなたがたのことも、許す気持ちになりません。この座談会の言葉自体が、障害者の就労に関わる人たちの気持ちを、深く傷つけ、政治家や行政側と、障害者側との溝を深くしかねないものだからです。

豊田真由子議員のような差別意識を持った人は、残念ながら、世の中にたくさんいます。それは、なかなか簡単には改善されるものではないですし、その人達を、一律に悪と決めつける気もありません。幼少期から培われてしまっている価値観を、一朝一夕に変更することは、誰にとっても難しいものですから。

だから、ウソをついてほしいとか、起きたことを隠蔽しておいてほしいとは、いいません。

でも、できることなら、マスコミに乗せる言葉は、慎重に選んで、理不尽な強者の立場を補強したり、弱い立場の人々を圧することのないように、ほんの少しの配慮を行ってほしいです。

「私は食べましたよ。結構おいしいんですよ」の一言があれば、まだ救われました。
事務所のゴミにされたのだとしたら、もう、悲しいだけです。