2017年9月9日土曜日

読書というより抜き書き日記「生の技法」


pixabayで「人口」と検索したらなぜか出てきたお写真…借ります。




ほんとうに、すこーしづつ、読み進めています。


安積純子 立岩真也 岡原正幸  尾中文哉  著
生の技法―家と施設を出て暮らす障害者の社会学
(生活書院)



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そのまま引用すると、ディスプレイではとても読みにくいので、適当に改行を入れます。

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まとめよう。

世間の人々が代表する文化は、たくみに、自立生活に関わる人々を排除する。

公共の場で生きる障害者には、好奇心からする凝視、邪魔者扱い、憐れみ、一方的な激励など。

介助者には、称賛、激励、もの好きだなという侮蔑、そして禁止。

こうして「健常者文化」に組み込まれない人々は、プラスとマイナスの両方向に排除されていくのである。この圧倒的な力に、個人的に対処していくのは、骨の折れる仕事だ。


そこで必要となるのは多分、集合的な運動によって、わたしたちの身体の奥深くに根ざした価値・規範あるいは日常的な解釈枠組を崩していく試みであろう。


(「生の技法」 第5章 コンフリクトへの自由 介助関係の模索 文庫版 p215)

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こうした「排除」を、あだきち君の親である私も、当然受け続けてきています。

「(障害児の)お母さんたちは、偉いねえ。ボクにはとうてい出来ませんよ」

と、私に向かって言った人物は、障害児施設の管理職という立場の人でした。
(あいた口がふさがらなかったのは、言うまでもありません)


けれども、そういう「健常者文化」のなかでは、実のところ、健常者たちも健常を維持することが難しいという状況があります。

だって、病人だらけじゃないですか。(´・ω・`)

多すぎる精神疾患、成人病。


鬱のために私が通っている精神科は、待合室が患者さんと付き添いの人々で、いつもたいていキツキツぎゅうぎゅうです。

認知症の専門病院でもあるために、お年寄りの患者さんがとても多いのです。
介助している方々も、ほとんどは、若いとは言えない年齢であるように見受けます。

厚生労働省の試算(2015年1月)によれば、日本の認知症患者数は2012年時点で


約462万人

びっくりするような数字です。

65歳以上の高齢者の約7人に1人だとのこと。

認知症フォーラム より
https://www.ninchisho-forum.com/knowledge/kurashi/003.html


これは、あだきち君のような、知的障害児・者の総数より、はるかに多い人数です。


ちなみに、内閣府のホームページのデータによると、日本の知的障害児・者の総数は、


54万7千人


とのこと。

内閣府 第1編 障害者の状況等(基礎的調査等より…)
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/gaiyou/h1_01.html



単純に、認知症の人数と(身体・知的・精神)障害児・者の人数を合計すると、軽く1000万人を超えるように思うのですが……



認知症患者や障害児・者が、それだけの人数がいるということは、関わっている家族、介助者、学校や施設の人々の人数は、さらに多くなるはずです。


それは、日本の人口の、相当な割合を占める人数になると考えるのが、自然な気がします。


どれだけ障害者を精神的に排除しようとしても、気がつけば自分が排除される側に置かれているということが、そのうちに、いたるところで起きるようになるのではないでしょうか。


「大変ですねえ(他人事)」
「頑張ってくださいね(無関係)」
「分相応に引っ込んでいろ(排除)」


と言える立場の人が、いずれマイノリティになる日は、遠くないかもしれません。



そのときに、人々はどのように振るまうようになっていくのか。


考えるべき問題だと思います。それも早急に。